言祝ぎの子 肆 ー国立神役修詞高等学校ー



その呼び方には聞き覚えがあった。

袋の中を見つめたまま動きを止めた来光くんに、佳祐くんが身を乗り出す。


「お前、そうやんな? 死神やんな!?」


身を乗り出した佳祐くんが来光くんの腕を掴んむ。持っていた袋ががさりと床に落ちた。

怖い顔をした嘉正くんが一歩前に踏み出したその時、


「ごめん!」


突然の謝罪の声が病室に響いた。

来光くんの両腕を掴んだ佳祐くんが縋るようにその体を揺する。


「お前の気持ちなんて考えんと、俺お前にひどいことした……! 同じ立場になってから分かるなんて遅すぎるけど、ずっとお前に謝りたかった」


その言葉を聞いてやっと二人の関係性が見えた。

佳祐くんは小学生の頃の来光くんをいじめていたクラスメイトの一人なんだ。

なんて自分勝手なんだろう、と怒りで手が震えた。同じ立場になってやっと来光くんがどれほど苦しんできたのかが分かったから謝るだなんて、虫が良すぎる。

眉根を寄せて「もう帰ろう」と手を伸ばしかけたその時。


「あのさ」


静かに来光くんが口を開いた。



「僕の名前、覚えてる?」



え? と佳祐くんが目を瞬かせた。



ゆるりと顔を上げた来光くん。ぼんやりとした目で蔑むように佳祐くんを見下ろした。


「僕の名前、言える?」

「え……いや、あの」

「言えないよね。ずっと死神って呼んでたんだもんね。覚えてるわけないよね」


ふ、と鼻で笑った来光くんは勢いよくその腕を振り払った。


「本気で謝りたいと思うならまずはその相手の名前を思い出したら!? でもさ、ここで会わなかったとしたら君は一生僕に謝罪しようなんて思わなかったよね? つまり自分がした事はその程度だって思ってんだろ!?」


目を見開いた来光くんがそう叫んだ。その頬を大粒の雫が伝う。


「お前なんか、お前なんかッ────」

「来光ッ!」


続きが言葉になる前に泰紀くんが強く肩を引いて止めた。ハッと我に返った来光くんが数度瞬きをして私達を見回した。

くしゃりと顔を歪めると、勢いよく病室を飛び出した。







追儺(ついな)

疫病退散





不安げに見つめていた扉ががちゃりと開いて、救急箱を持って出てきたのは千江さんと禰宜だった。


「千江さん! 禰宜! 来光は!?」


わっと詰め寄った私たちに、二人はやれやれと呆れた顔を浮かべる。


「そないに心配せんでも来光くんはただのインフルエンザです。薬は飲ませたし、目が覚めたら街の医者にも連れていくから問題ありません」


淡々とそう言った禰宜に私達は目を瞬かせた。


「同部屋やった嘉正くんは暫く三人部屋に寄せてもらって。治るまでは全員この部屋立ち入り禁止、荷物持出す時はちゃんとマスクつけてから部屋入ってや」


千江さんにそう言われて、来光くんと同部屋だった嘉正くんは不安げにひとつ頷いた。

慶賀くんが身を乗り出した。


「インフルって、ほんとにインフル!? あんなに苦しそうにしてたんだぜ!? アイツ、自殺しようとしたんじゃ……!」

「なに言うてんのこの子は。そんなうっすい制服で出歩いてたんやろ? そらインフルにもなるわ」


ほら散った散った、と手を振った千江さん。私達はしぶしぶ社務所へ向かって歩き出した。

バタバタと帰ってきた頃には夕日はほとんど沈んでいたので、外はすっかり夜になっていた。参道脇の石灯籠に明かりが灯っている。

夕拝は済んでいるので、社頭には屋台を組み立てる妖たちの姿がちらほら見えた。



「来光……大丈夫かな」


慶賀くんが振り返って電気の消えている来光くんの部屋の窓を見上げた。

きっちりと閉められたカーテン、中の様子は何も見えない。


「禰宜も診てくれたんだし間違いないよ。今はゆっくり休ませてあげよう。身体も、心も」


嘉正くんの言葉にそうだね、と相槌を打つ自分の声もいつもよりも沈んでいた。

数時間前、西院高校の怪異事件について調べるために被害者生徒が入院している病院へ赴いた私たち。

事情聴取を進めているうちに、その被害者生徒が小学生時代に来光くんをいじめていた人物だということが発覚した。


『本気で謝りたいと思うならまずはその相手の名前を思い出したら!? でもさ、ここで会わなかったとしたら君は一生僕に謝罪しようなんて思わなかったよね? つまり自分がした事はその程度だって思ってんだろ!?』

そう怒鳴って病室を飛び出した来光くん。


慌ててその背中を追いかけたけれど、土地になれていない私たちが来光くんを見つけ出せたのはそれから3時間近く経った日が沈む直前だった。

社の近くにある河川敷の高架下でうずくまっていた来光くんに駆け寄った私たち。

嘉正くんがその肩にそっと触れた途端、どさりと地面に倒れ込んだ来光くんを大慌てて社へ運び込んで今に至る。


いつもは来光くんをからかってばかりの二人も今回ばかりは大人しい。


「なぁ……来光何であんな所にいたんだ? やっぱりアイツ、本気で自殺するつもりだったんじゃ」


眉を下げて慶賀くんがそう言えば、馬鹿野郎!と泰紀くんの拳が脳天に落ちた。


「縁起でもない事言うな! あの気の弱い来光がそんな事出来るわけねぇだろ!」

「でもよぉ……あんな事があったら、何もかも嫌になんだろ」


何か思うところがあったらしい、口を閉じた泰紀くんは気まずそうに目を逸らした。

やがて皆は何を言えばいいのか分からなくなったのか口を閉ざした。私も同じだった。


来光くんが感情のままに怒鳴る姿を初めて見た。

慶賀くんたちに迷惑をかけられて怒鳴ったり、恵衣くんと衝突して言い合いになっている所は何度か見かけたけれど、あれほど感情を剥き出しにする姿はこれまで一度も見た事がなかった。


『お前なんか、お前なんかッ────』


泰紀くんが制していなければ、呪の昂ったあの声で何を言うつもりだったんだろうか。間違いなく紡がれていたのは呪いの言葉だっただろう。

そこまで来光くんを追い詰めるほどの過去があったのだと思うと、どうしようもなく胸が痛かった。




はぁ、と息を吐いて空を見上げた。分厚い灰色の雲に隠れた満月が鈍い光を放っている。

頬に綿毛のような冷たいものが触れたかと思うと、じゅわりと溶けて雫になった。


「雪が降ってる……」


思わずそう呟くと、先を歩いていた皆が足を止めて顔を上げた。

桜の花びらのような大きな雪片がふわりふわりとまばらに落ちる。

通りで今晩はよく冷えるわけだ。


「早く社務所入ろう。来光はいないけど調査は進めなくちゃいけないし、今日の進捗纏めないと。恵衣も会議室で待ってるし」

「だな」

「さっさと終わらせようぜ」


パタパタと社務所に走っていく皆をぼんやりと見つめる。

振り返った嘉正くんに名前を呼ばれて我に返る。「うん」と答えながら小走りで社務所へ向かった。

社務所へ入る前にもう一度見上げた夜空は、もう月が雲の後ろに隠れて仄暗くどこかもの寂しい気がした。




次の日は土曜日で、お勤めが休みの私たちは出かける訳でもなく社宅の居間に集まってワイドショーをぼうっと眺めていた。

先週までは休みの日は朝から晩まで各々に出掛けたり近くの街まで一緒に遊びに行っていたけれど、流石に今日は誰も出掛ける気にならなかったらしい。

時短レシピを紹介するコーナーが始まって泰紀くんが欠伸をこぼし机に伏せった。慶賀くんは少し前にこたつに潜り込んで眠っている。


「嘉正くん。この地縛霊と浮遊霊の違いについての記述問題なんだけど……」

「ん? ああそこはね、各霊の発生状況を比較した上で────」


私はと言うと、約二ヶ月後にある昇階位試験に向けて試験勉強に励んでいた。



「────だから、この答えになるんだけど……巫寿?」


隣で同じように試験勉強をしていた嘉正くんが私の名前を呼んでハッと我に返る。

心配した顔で私を伺う。


「ご、ごめん。もう一回いい?」


せっかく教えてくれていたのにボーッとするなんて。

慌ててボールペンを握り直すと、嘉正くんは小さく笑う。


「そろそろ昼ご飯だし、一旦ここでストップしよっか。もう三時間も集中してやってたし」

「ごめん……」

「俺も丁度集中力切れたからさ。飲み物取ってくる。巫寿もお茶でいい?」

「あ、うん……! ありがとう」


ひらひらと手を振りながら嘉正くんは台所へ向かった。

シャーペンを筆箱に片付けて深く息を吐いた。

今日はいつもより勉強に身が入らない。他のみんなも同じように今日は何だかやる気が出ないらしい。

ギリギリ起きていた泰紀くんもいつの間にかテーブルに突っ伏して眠っていた。

時短レシピのコーナーが終わってスキャンダル報道が始まる。頬杖をついてぼんやりとそれを眺めた。


「あれ、なんや今日は皆家におったんか」


そんな声とともに居間に顔を出したのは志らくさんだった。抱えていた大きなダンボールを足元にどさどさと置いた。


「志らくさん」

「せっかくの休みなんやし、子供らしく出かけてくりゃええのに」

「あはは……なんかやる気でなくて」

「そんな年寄りみたいな事言うて、覇気ないなぁ」


呆れたように息を吐いた志らくさんに苦笑いを浮かべた。


「それはそうと巫寿ちゃん、お母さんか他の巫女見かけてない?」

「千江さんですか? たしか少し前に買い物に出かけました。巫女のおふたりは吉祥宮司のお使いで1時間くらい前に鬼脈(きみゃく)に」

「マジか〜。権宮司は今日遅番やし禰宜は授与所やもんな」


ふむ、と腕を組んだ志らくさん。


「どうかしましたか?」

「いや、このダンボールの中身を片したいんやけど、ちょっとひとりじゃキツくて」

「あ、だったら私手伝います」


そう言って立ち上がれば志らくさんは目を輝かせる。

おおきに巫寿ちゃんほなこれお願いな、と遠慮なく両手に乗せられたダンボール箱はずっしりとしていてたたらを踏んだ。