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「音楽の壮大さと気持ちの大きさは比例している。それが憧れだろうが恋心だろうが気持ちが大きいほど相手にも伝わる。そしてきく方も自分の気持ちに寄り添っている曲であればあるほどのめり込みやすい、そう思わないか」

「蘊蓄たれるなら帰ってくんない?」

「どうせ暇だっただろ」

音代は飛田のところに訪れていた。曲作りやレコーディングのことはなるべく関わらないようにして、飛田にまかせていたが、まかせた責任として一応顔をだすという常識は備わっている。

その言葉に心底不機嫌そうな表情になった飛田だが、音代の手に持たれているいちご大福が入っているであろう紙袋をみて口角はあがった。

「全くもって暇ではなかったけど、仕事の合間の息抜きくらいにはなったわよ」

「そりゃよかった」

「てか本当に音楽の先生やってんだね」

音代からいちご大福を奪い取り、荒々しく袋をあけている飛田。「まるで餌に群がるゴリラじゃないか」という言葉は飲み込んで、「ああ」と渋い顔で返事をした。

「いやあ、久々に高校生っていう生き物みたけど中々面白いわねえ、青春って素晴らしいわ」

「ババアだな」

「それ言ったらあんたジジイよ」

「俺は27歳だ。ジジイじゃない」

「それ言ったら30歳の私もババアじゃないわよ」

2人にしてみればそんなしようもないやりとりも久々であり、懐かしい気持ちになりながらも音代は散らばっているつくりかけの楽譜を拾い上げる。

「うちの生徒の話にのってくれて感謝している、ということを伝えにきただけだ。そろそろ帰る」

おそらく同じ曲であろう楽譜たちをまとめて揃えると飛田のデスクに置いた音代。飛田は迷ったような表情をして音代の手を掴んだ。

「待ってよ」

「さっきは帰れって言っただろ。なんだ、情緒不安定か」

「ほんとうるさいわね、あんた。よかったわ変わってなくて」

するりと飛田の手が離れる。
俯いた飛田が、「あのさ」と言葉を続けた。

「私が結婚して、なんとも思わなかった?」

「なんだ急に」

顔を上げた飛田が音代の頬に手を当てる。
音代は肩をあげた。
彼女の手を振り払えるほど、彼女の手に嫌悪感をいだいていなかったからだ。
だが、ダメだと自分にいいきかせる。何がダメなのだとその理由を語り出したらきりがない。

「音代のお父さんのことがなかったら、私たちも幼馴染の高校生みたいに恋愛して、結婚とかしてたのかな」

「っ」

音代は一歩後ろに下がった。飛田との距離がうまれる。頬の温もりも遠ざかった。

「ごめん、お兄ちゃんのこととか音代のお父さんのこととかを理由にしたいわけじゃないの。ただ」

「誰かを好きになることなんて考えられない」

感情を押し殺すように拳をぎゅっと握る。

「俺は、もう誰かのために音楽はつくらない」

飛田はひどく泣きそうな顔をした。見ないフリをして音代は背を向けて歩き出す。
散らばっている楽譜たちを踏まないように気をつけながら歩いていれば、「音代」と後ろから声がした。
涙声の飛田の声。足を止める。

「お父さんのこと、あんたのせいじゃなくてお兄ちゃんのせいだよ」

「何言って」

「本当は、お兄ちゃん、あんたの師匠のせいだよ。あんたのお父さんを陥れようとずっとしてたから」

「自分の実の兄をそんなこと言うな」

「本当は分かってるんでしょ、だからお兄ちゃんとも会わなくなって姿を消した」

それ以上はききたくなかった音代は、扉をあけて出て行こうとする。
外に出てしまっていく扉の隙間から、

「わたし、音代が戻ってくるの待ってるから」

と消え入りそうな声がきこえた。