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「クマすごいぞ」

「徹夜ですもん。これ、デモ音源と楽譜なんですけど」

「ああ、ピアノ以外のやつらには俺から渡しておく」

月曜日。音代のもとにやってきたのは目の下が暗く陰っている真里である。音源が入ったUSBと楽譜を人数分の音代に渡した。
真里は今までテスト前でも徹夜などしたことがなかったのにまさか自分が音楽づくりで徹夜する日がこようとは思ってもみなかった。
だが、達成感はある。ここまで熱中できるものも今までなかったからだ。
勉強を徹夜でして、「今日寝てないんだあ」と謎の寝てない自慢をする友達の気持ちが少しわかった気がした。自分は寝るまも惜しんでここまでやったんだぞという気持ちを遠回しに伝えたい。

「飛田さん、スパルタでした」

「まあ、そうだろうな。そもそも人に何かを教えられるようなやつじゃない」

「でも面白かったです。曲作り」

真里がそういうと、音代は少し嬉しそうに笑った。
そして飛田とともに徹夜で作り上げた楽譜をパラパラとめくり、眺める。

「幼馴染は気に入ってくれそうか」

「自信はないですけど、今まで言えなかったこととか頑張れっていう気持ちとか全部ぶつけたので」

「そうか」

「飛田さんが言ってました。作曲は結局自己満だって」

寝不足で痛む目頭を人差し指の第一関節でぐりぐりとおしながら、真里はそう言う。
幼馴染である深見がいつもきいている曲への嫉妬からはじまり、自分を見て欲しいがゆえに曲を作ることを決意し、いろんな人を巻き込んでできあがった一曲。
深見が気に入ってくれなくても、この曲は真里にとって大切なのは変わりない。

「そうかもな」

どこか懐かしむようにそう答えた音代。

「先生はもう曲は作らないんですか?飛田さんから、音代先生も作曲してたってきいたんですけど」

楽譜をめくっていた手がとまる。
そして真里の方をみた。

「つくらない」

「なんでですか?」

「俺の曲は大切な人を幸せにできなかったからだ」

「大切な人?」

音代はそれ以上答えなかった。
飛田からきいた、飛田のお兄さんと音代が師弟関係であったという話は何か関係しているのだろうかと真里は疑問に思ったが、たかが生徒であり、ましてや音楽のことなんてやっとここ数日で分かってきた真里にとって踏み入るには難解なことであると思い、真里もそれ以上はきかないことにきめた。

「ギター、ベース、ドラムって音代先生の知り合いを呼んでくれるんですか?」

「知り合いというか、ここの生徒だ」

「生徒!?てっきりプロを呼んでくれると思ったのに」

真里の言葉に「はあ?」と顔歪めた音代。何を言っているのだこの小娘は。とそう顔に書いてある。

「今回は俺の腐れ縁のおかげで飛田を動かせたが、普通は無理だぞ」

「はい、それはもう重々分かってます。すいません、ありがとうございます」

「素人の高校生のためにプロなんて呼べるか、プロのオーケストラの中に猿を放り込むのと同じだ」

「ひどい!生徒を猿呼ばわりなんて!」

「だいたい、コード理論も分かっていないお前が周りの力をかりてここまでできたのは最初にピアノできっかけつくった間宮と、俺のおかげだということを忘れるなよ」

「キー!分かってますよー!」

ベーっと舌を出した真里に、音代は呆れたようにため息をつく。
飛田が関わった曲だ。きっといい曲に仕上がっている。そして真里の歌声は素人にしては感情に引っ張られることなくピッチや抑揚も悪くない。あとは楽器隊だ。

「ピアノの間宮は説得できそうか」

「うーん、レコーディングの話出すと嫌そうな顔をしてますがデモ音源きいてもらって、楽譜渡して説得してみます」

間宮仁穂。音代はその名前を知っていた。音楽を選択しているが声をきいたことがなく、前に生徒のことを知ろうと思いおこなった、思い出の音楽についての用紙は、間宮だけ白紙だったのだ。
妙に印象に残っているが、真里から聞いた様子だとピアノが弾けて理論もなんとなく分かっている生徒だ。
その存在は音代にとって少し気になるものであった。
雰囲気が少し前の自分に似ている。そう感じていた。

「ここまできたら、絶対いい曲に仕上げて聡太に聴かせます」

真里はグッと拳を握ってそう言った。「じゃ、失礼します」と頭をさげて職員室を出ていく。
レコーディングまであと数日。
なんとか深見のバスケの大会までには間に合いそうである。
眠さとたたかいながら真里は2年1組に入り、窓際の1番前の席に座っている彼女の前に立った。

「おはよ、間宮さん」

間宮は顔を上げて、真里を視界に入れると小さく会釈をした。
間宮に視線を合わせるようにしゃがんだ真里。
そして、楽譜とUSBを机の上に置いた。

「これ、ピアノの楽譜とデモ音源。楽譜って言ってもコードがかいてあるのと間奏の部分だけしかしっかりかいてないし全然アレンジしてもらっていいから」

間宮は楽譜を手に取り目を通す。そして少し不安そうな表情になり小さく首を横に振る。
「できない」ではない。「やりたくない」そう言っているのが真里には伝わった。
曲作りの段階では協力をしたが、自分がそのままレコーディングに参加するのは間宮の性格上気がすすまない。

「間宮さんに協力してもらってすごいいい曲がつくれたの。無理強いはしないけど、私は間宮さんの音楽のセンスとピアノが大好きだよ」

間宮は真里の言葉に、目を開いて少し息を吸って吐いた。唇をきゅっと結んだ間宮。言葉は出ずとも迷っているのが真里には伝わる。
そして、真里は机の中からノートとペンを取り出しノートのあいているページに小さな文字で言葉を連ねた。

『私が役に立つか分からないけど、やってみる』

小さくてかわいらしい字でそう書いて真里に見せた間宮。
真里は嬉しくなり、間宮の手を握った。

「ありがとう、間宮さん!」

自分のエゴでいろんな人を巻き込んでしまっていることは真里にも分かっており、それでも協力してくれている人たちがいることになぜか泣きそうになってしまう。寝不足のせいもあってまして感情の起伏が激しくなっていた。涙ぐみながら、「レコーディングの日程また連絡します」と間宮に言い、自分の席に向った。

そんな真里を苦笑いしながら間宮は見送り、改めて楽譜に目を通していると、横から手が伸びてきてそれが抜き取られる。

「っ」

「陳腐なもんだね、馬鹿げてる」

そう言ってへらりと笑ったのは、橋田である。
見上げた間宮は、一瞬怯えたような顔をしてすぐにその楽譜を奪い返した。
そして胸元にそれを抱え込む。

「君には他にやることがもっとあるはずだけど」

間宮の肩に橋田の腕が乗った。
間宮はぎゅっと目をつぶる。
嫌だ、ききたくない、何も知らない。自分は、ただ、真里のように音楽を純粋に好きな1人の人間でいたい。

「こんな陳腐な曲より、君の曲の方がよっぽど偉大だと僕は思うよ、間宮さん」

振り払うようにふるふると首を横に振る。
逃げたいのに、逃げられない。耳元で囁くように、ドス黒い何かを含んだ言葉が間宮を侵食していく。

「はやく歌えるように努力しなよ。待ってるから」

間宮な目から悔しさと後悔の雫が落ちていった。