お昼休みが終わるまで残り30分。
残された真里は、ピアノの椅子に座りただ頭を抱えていた。
録音のアプリを起動させても、いいフレーズどころか何も思い浮かばない。

ーーー『忖度や、金のことを気にしなくていい。幼馴染が試合前に聴いて奮い立つ、幼馴染だけがいい曲だと思えるものをつくれる。そしてその幼馴染のことはお前が1番隣で見てきて、よく知っているんだろう。それなりにいいのが作れると俺は思うがな』

先ほどの音代の言葉を思い出す。
何を根拠にそんなことを言っているのだと真里は思ったが、深見のことを1番よく知っているのは自分だという確固たる自信があるのは確かだ。
でもそれが、いい曲がつくれるということと直結しない。
ピアノの鍵盤を眺める。
そういえば、と真里は1つ思い出した。

楽器は弾けないが、小さい頃『ねこふんじゃった』を深見と弾いたことがあった。
真里が小学生の頃、友達から教えてもらったねこふんじゃったを深見の家にあったピアノで弾いていると、深見が横に座り、連弾をし始めた。
深見の姉がピアノを習っていたこともあり、教えてもらったのだとえらくドヤ顔だったのを真里は思い出してクスリと笑う。
深見は小さい頃から負けず嫌いで、できないことがあるとひたすら自分が納得できるまで追求するタイプであったということを真里は思い出した。

自分はこれしか弾けないな、と、ねこふんじゃったをぎこちないスピードで弾き始めた。
深見は、連弾したことを覚えているだろうか。違ったメロディが重なり合って1つの音楽になったなんともいえない快感を思い出す。
音楽室に真里のパラパラと無造作に落ちていく落ち葉のようなメロディが響き渡っていると、不意に音楽室の戸があいた。

真里は、音代が戻ってきたのかと思い手を止めて戸の方に目を向ける。
意外な人物であった。

「間宮さん?」

間宮仁穂。クラスメイトである。
だが、話したことはない。そもそも、彼女が声を発したのをきいたことがなかった。
1年の頃は普通に話していたが、2年になってから彼女は突如声をださなくなったのだ。
真里は2年から間宮仁穂と同じクラスになったため、一度も声を聞いたことがない。
間宮がゆっくりと真里に近づいてくる。
表情はやわらかいものの、少し不気味な雰囲気をまとっており真里は身構えた。

「ピ、ピアノつかう?あ、それか音代先生に用があったの?」

間宮がしゃべらないことは知っていたのでイエスがノーで答えられる質問を投げかけたものの間宮は何もいわず鍵盤をみつめていた。

「間宮さん?」

そして近くにあった椅子を真里の横に持ってきて座った間宮。
何事かと真里は少し椅子を横にずらして距離をとった。
間宮は指先を鍵盤の上に置く。
その手は白く綺麗で、儚く今にも消えていきそうであった。
その手をただただ見つめることしかできない真里。
ポーン、と間宮が音を鳴らした。
そして、

「あ、これ」

真里の耳に聴き慣れたメロディが入ってきた。
深見とねこふんじゃったを連弾している時に、深見が真里の横で弾いていたメロディだった。
懐かしくなって、真里も鍵盤に手を置いてメロディを奏でる。

「聡太より、断然うまいわ」

小さい頃のつたないメロディより、経験者であろう間宮の方が上手いのは当然だったが、小さい頃の余韻を思い出して真里はクスクス笑う。自分は、あの頃から変わっていない。
何かをずっと追求して頑張り続ける深見が好きだ。
何度も何度も繰り返して連弾した時のことを思い出す。
ふと、何かがふってきたような気がして、音を止めた真里。
それにつられて、間宮も音を止めた。
そして、ピアノの端に置いていたスマホをとりだす。
思いのまま、先ほど音代が言ったように頭の中で流れメロディを「あ」や「ら」などの日本語になっていない言葉を連ねて歌う。
しばらくして、録音を止めた。
間宮の方をみると、きょとんと首を傾げている。

「作曲、してみたくて、素人なんだけど、さっきのメロディどう思う?」

明らかに真里より音楽経験が長けている間宮にそう聞いてみた。
先ほどの連弾で、間宮が音楽経験が十分なことを理解するのに時間はかからなかった。手の動きや体の動きがよくテレビでみるピアニストのようであった。
真里の問いかけに、間宮は少し考えるように瞳を鍵盤に落とした。
そして、再び指を鍵盤に置く。そして、1音1音思い出すようにゆっくりと弾きはじめた。

「え、え、すご」

それは先ほど真里が歌ったメロディだった。
途中でとまり、間宮が真里のスマホを人差し指でそしたあと、その指先をたてて、もう一度とジェスチャーをする。
真里は、少し小っ恥ずかしさを感じながら録音した自分の声を再生した。
真里は耳を塞ぎたくなるが、間宮は真剣にそれを耳に入れて頭に入ったメロディを鮮明な音としてピアノであらわしていく。

「まじどうなってんの、間宮さん天才なの?何者?」

真里の困惑の質問に間宮は恥ずかしそうに笑って、メロディに左手を添えた。
そして、あっという間に真里の思いつきが形になった。

「わー!すごーい!イメージ通り!間宮さんすごいよ!」

間宮の肩を数回軽く叩くと、華奢な体がゆらゆらと揺れる。
意外だった。もっと、お上品で穏やかで綺麗なクラシックみたいな音楽を奏でると思ったが、明るくポップな今どきのものになっていたからだ。
間宮は、喋らないものの楽しそうに笑って続きを歌って、真里に伝えるようにと口をぱくぱくさせる。
真里は嬉しかった。
自分のやろうとしていることが肯定され、形になろうとしていることに。
舞い上がる気持ちのまま、真里は再び歌いはじめた。