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「興味深いな、音楽に嫉妬か」

「関心してる場合じゃないんです」

目の前で口をとがらかせた女子生徒を音代は見つめる。その生徒の名は相原真里。何かと問題が多い2年1組の生徒である。
お昼休み、久しぶりに音楽室で優雅に過ごしていた音代の前にあらわれ、相談をもちかけてきたのだ。

「幼馴染からしたら、よさが分からないって言ったこと、すごくムカついたんでしょうけど、私は、曲を否定したいんじゃなくて、その曲を何度も聴いて気持ちを奮い立たせていることが理解できないって言ってるんです」

「スポーツマンが大会前に集中力を高めるために、よくやる手法だぞ」

「頻度が異常なんです!」

朝登校する時にきき、部活前にきき、部活後にもきき、幼馴染である自分のことを空気のように扱われてしまうことに真里は納得がいかない。
自分は音楽より下なのだとレッテルをはられているようなものだ。

「まあ、こういうのは本人のルーティーンみたいなもんだからな。やめさせるのは難しいぞ」

「分かってます」

真里は、膝の上でぎゅっと拳を握った。

「だから私、つくろうと思って」

「は?」

音代は首を傾げた。
つくる?何を。

「音楽には音楽で対抗するしかないでしょう」

「つまり?」

「その、彼が聴いている曲よりいい曲つくったら私の勝ちでしょ」

音代はすぐに状況を把握できず天を仰いだ。この少女は何を言っているのだろうか。音代からしてみれば好奇心くすぐられるような面白いことを言っていた。
音楽に嫉妬し、その音楽より優れた音楽を作る。
想い人を振り向かせるために。
音代はクスリと笑う。

「なるほどな、すごい思考回路だ」

「でしょ!」

「ほめてない」

音代はピアノの譜面台をさらりと撫でて、真里の方をみる。

「楽器経験は」

「ないです」

「お遊びでもいい。曲をつくったことは」

「ないで、あ、ありますよ!、課題が終わらない歌。課題が終わらなさすぎてよく『課題がおわらなーい』て歌ってます。聴きます?」

音代は額に手をあてため息をつきながら、「結構だ」と断った。真里は音楽の素人だった。音代はそれを今の流れで全て理解して頭を抱える。

「いつまでに作りたいんだ」

「聡太の大会があと2週間後だから、それまでかなあ」

音代の「無理だろ」という小さな声に、真里の顔がむっと曇った。

「だから先生に協力してもらおうと思って相談したんじゃない」

足をふらふらと揺らしながら口を尖らせる真里。我ながらにいい案だと思ったが、音代の表情をみているかぎり存外それが簡単なことではないと理解した。
そして音代は、目の前の女子生徒を諦めさせる方向へ転換させる。

「俺は普通のどこにでもいる音楽の先生だ。作曲なんて教えられない」

「ドコニデモイル?」

「どこにひっかかってんだよ」

顔を顰めた音代に、真里は不服そうに立ち上がった。
そしてキレよく頭を下げた。
その勢いに音代は「おお」と小さく声をもらした。九条の時もそうだったが、若さゆえの勢いに音代は慣れていない。勢いのまま人に頼み事をし、勢いのまま人を巻き込んでいく。

「お願いします!曲作りのヒントだけでも!まじで素人なんでまず初めに何をしたらいいかさえ教えてくれたらいいですから!」

顔をあげ真里はスマホをとりだし、メモのアプリをひらき、前のめりで音代の顔を見た。
音代は呆れ顔でため息をつく。先ほどは「作曲なんて」とわざと距離をおくような言い方をしたが、音代自身、作曲にのめり込んだことはあった。
ジャンル問わず興味のあることはすべてやってきたが、それは音楽の基礎知識が基盤にあったからこそであり、真里とはそもそものスタート地点が違う。
アドバイスの仕方が分からない。
音代は真里の手におさまっているスマホに目を向ける。ひとまず、だ。

「まずは、思いついたメロディを録音してみたらどうだ」

「録音?」

「いい歌詞が思いついたらそっちが先でもいいが、いい曲のフレーズが思いつけばそれで録音しろ。まずは感覚でつくれ」

「でもわたし、そういうのもやったことないし」

「いいんだよ、音楽に正解ないから。思った通りにやってみろ、話はそれからだ」

音楽に正解はないが、才能の有無はひとまずどんな短さでもいいので作ってみることだった。
真里は不安そうに「はい」と返事をする。納得はいっていない。音代が一緒に作ってくれると思っていたからだ。隣で、事細かくピアノを弾きながらやってくれるのではと期待をしたが、やはり一から自分でやらないといけない。
ネットで、作曲 やり方 と検索をかけはじめる。

ーーーというか、そもそも音楽の経験のない自分がデビューして売れている曲を超えられるなんて思えない。
真里は、すでに曲作りに消極的になっていた。
でも、幼馴染を振り向かせる方法がこれしか思いつかない。
どうにもならないモヤモヤの狭間で真里は地団駄をふむ。

「世間に公表する売れる曲をつくるわけじゃないんだろ、その幼馴染のためだけに作れるんだから、幸せじゃないか」

「え、」

「忖度や、金のことを気にしなくていい。幼馴染が試合前に聴いて奮い立つ、幼馴染だけがいい曲だと思えるものをつくれる。そしてその幼馴染のことはお前が1番隣で見てきて、よく知っているんだろう。それなりにいいのが作れると俺は思うがな。

才能があればの話だが」

「最後のいります?」

「まあ、頑張れよ」

ピアノ、使うなら使え。と音代は立ち上がった。
そして音楽室を出ていく。
真里は「だから楽器弾けないんだってば」と音代の背中に言葉をぶつけたが返事は返ってこなかった。