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音代が学校に着いた時、何かが起こったことは明白だった。
職員室では慌ただしく先生たちが走りまわっている。
音代は自分のデスクに鞄をおき、周りを見渡す。生徒のことで何か問題が起きたのだろうか。何かしらの理由で保護者が乗り込んできたか。最近の学校は闇がすぐ明るみになるため、音代は目立たないように、巻き込まれないように、音楽の教科書を意味もなくパラパラとめくる。
「音代先生」
音代が来たことに気づいた坂木が慌てたように近寄ってくる。
ただならぬ雰囲気なのは感じていたが、いつもの軽い口調の坂木とは違った。焦ったように手を額に当てた坂木。
「なんですか」
と教科書をデスクに置き、少し息が荒い坂木に問いかけた。
「畑さんが、飛び降りまして」
畑さん。
その名前を音代は記憶の中から探り出す。
坂木が音代にたいして名前を出したということは、会話の中ででていた名前だ。
坂木と最近した話の中ででた話題といえば、
「軽音楽部か」
ーーー「この前、部室に顔をだしてみたら、畑さんがベース抱えて泣いてて
他の部員はいないんですよ」
坂木のその言葉を思い出した。
正確に、忠実に音をとらないと怒られると泣いていた生徒だ。
彼女は芸術の授業を音楽にしていないため、音代の中で顔はでてこない。
「そうです。朝方倒れてるのを警備員さんがみつけて
今病院に運ばれて、意識不明の重体です」
「自殺を図ったのか」
「まだそれは分かりません。でも、警察はそうだろうって」
「飛び降りた場所は」
「軽音楽部の部室からです。2階だったからまだ」
坂木の言葉がつまる。「無事だった」というにはまだ安心できる状態ではなかった。
音代は立ち上がり、鞄の中からスマホをとりだした。
「ちょっとすいません」
坂木にそう言って職員室をでる。
そしてスマホを耳にあてた。
「じじい、来てるか」
コール音が消えた瞬間に音代はそういう。音代の耳に「お前なぁ」という呆れた声が入ってきた。音代は神城に電話をかけていた。
自殺の曲を追っている刑事がこの出来事で動かないわけがない。
「どこにいる」
「軽音楽部の部室だ。生徒たちには騒ぎにならないように内密に動いてるからくれぐれも気をつけろ」
「分かった」
電話をきったあと、音代は駆け出した。
登校してくる生徒たちが走っている音代を不思議そうにみているが、音代はそれを気にしている余裕はない。
軽音楽部の部室は人気のない空き教室の並びの一つだ。
音が響くため、人通りの少ない場所にある。
ガラリと戸を開けると、神城が腕を組んで訝しげに窓の外を眺めていた。
「ここで何をしていたんだろうな」
音代が来たことに気づいた神城がそう言った。
音代はその部屋を見渡す。
ギター、ベースは綺麗にスタンドに立てかけてあり、楽器を使っていたような形跡がない。
そして部屋の真ん中には椅子と、
「今どきの高校生がCDプレイヤーか」
黒いCDプレイヤーが床に無造作に置いてあった。音代はしゃがみこんでそれを見つめた。
プレイヤーからは黒い線が繋がっており、その先にはヘッドホンが置かれている。
「じじい」
「なんだ」
「事件性を疑ってきてるのか、自殺の曲との関係を探ってるのかどっちだ」
音代がそうきくと、神城は考えるように顎を触り、地面に瞳をおとす。
「どっちも、かな」
「自ら自殺の曲をきいていたとしたら、第三者の介入はないんじゃないのか。事件性はないぞ」
「どちらにしても、若者が死ぬということに対して敏感なおっさんだから動いてんだ」
「畑は死んでいない」
「分かっている。お前この状況どう思う」
腕を組んで、ゆっくりと動き回る神城。
音代はもう一度あたりを見渡した。
「これ、結束バンドか」
床に切れた結束バンドが2個転がっていた。
それが音代にはひどく異様なものにみえる。
ヘッドホンを線を縛っていたものか。
いや、もしくは
「誰かが畑を縛った、のか」
だとしたらどこに。
音代は椅子に目を向ける。
「1人で何かをしていたわけじゃなさそうだな」
音代がそう言うと、神城は静かに首を横に振った。
「飛び降りる時には誰もいなかったはずだ」
「なぜそんなことが分かる」
「警備員のおっさんが見回っている時はここの鍵は閉まっていたし、誰かがいる雰囲気はなかったそうだ。監視カメラにもとくに怪しい生徒はうつっていない」
「他の軽音楽部は」
「部活が終わったあとまっすぐ家に帰ってる。それに飛び降りたのは今日の早朝だ」
音代は切れた結束バンドを直接手で触ることなく、ハンカチと一緒に拾い上げた。
「別に素手でもいい。おそらく自殺を図っただけだ」
「さっきは事件性も疑ってると言っただろう」
「突き落とされた可能性はない。その面では事件性はないが、自殺の曲をきかせて死に追いやった可能性はあるだろ。本人がその曲を自殺の曲だと言われていることを理解していればの話だが。
何せ歌っているのがおそらくここの学校の生徒だからな」
音代はため息をつく。音楽に罪はないと何度も音代は伝えている。
このじじいは決めつけて物事を強引に進めようとする昔ながらの刑事だ。と頭を抱えた。
「飛び降りた時の畑はどんな姿だった」
「手は結束バンドで縛られていた。そして発見された時は頭に布を被っていたらしい」
「は、おい、ってことは」
「だから言っただろう死に追いやったやつがいるって」
神城は、しゃがみ床に置かれているCDプレイヤーに指を差した。
「これの中身はなかった」
音代は眉間にしわをよせスタンドに置かれているベースギターに目を向ける。
練習に嫌気がさして飛び降りるのならこんな状況にはならない。
CDプレイヤーで曲を聴き、布で視界を遮る。
音に集中できるようにだろうか。
ある仮説が脳裏をよぎったが、10代の高校生が思いつくような生半可なものではないと思いすぐに打ち消す。
なぜ、結束バンドで手を縛ったのだろうか。
そして、
音代はハンカチに埋まった2つの結束バンドを見つめる。
ーーー誰かが飛び降りるように仕向けたとしたら、一体何のために。