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音代は授業の準備をしていた。
芸術の授業は、生徒からしたら数学や物理などと違ってあまり頭を働かせなくていい娯楽の時間だ。そのことは音代にも分かっている。
だが、楽しみにしている生徒も多いため、授業の準備は念入りにしていた。

「はあ」

隣からきこえたため息。先ほどからなんども聞こえるようにため息をつく人物に音代はついに痺れを切らした。
そしてなぜか自分のデスクではなく、音代の隣に座っている女を軽く睨む。

「はあ」

「今のため息で30回目です。いい加減にしてください、坂木先生」

「音代せんせええ」

やっと気づいてくれたかというように坂木は音代にすりよった。
音代はそれをよけながら、「なんですか」と顔を顰める。

「この前、相談にのってくれるって言いましたよね」

「言いましたっけ」

「言いました!」

「覚えてません」

そう言って立ち上がる音代の腕をつかんだ坂木は、「待ってください」とその腕を左右に振る。
鬱陶しい。とその手を振り払った音代。
距離をとってもとっても張り付いてくる虫のようだと思ったがさすがに女性にそれは失礼なので言うのは我慢した。

「次授業なんで、音楽室に行きます」

「まだ時間はあります、さ、座ってください」

座ってくださいと促すがそこは先ほどまで座っていた音代の椅子だ。
しぶしぶ座った音代に、坂木は椅子に座ったまま音代に近寄る。

「軽音楽部のことなんですけど」

「なんで小声なんですか」

「こういうの問題にしたくないので」

「問題?」

「いじめ、みたいな」

みたいな、と濁した坂木は音代の顔色を窺うように言葉を続ける。

「うちの軽音部、今度大会にでるんですがなんかちょっと揉めてるみたいで」

坂木は音楽経験がないのに軽音楽部の顧問になっていることがどちらかといえば嫌であった。教師としてのプライドはあり、やるからには仕事は完璧にしたいという理念があるのだ。
自分のクラスの生徒が功績を残すと誇らしげにする様子から音代もそこらへんはなんとなく理解していた。

「この前、部室に顔をだしてみたら、畑さんがベース抱えて泣いてて
他の部員はいないんですよ」

「普通に個人練習しててうまくいかなくて泣いてたんじゃ」

「わたしもそうなのかなって思ったんですが」

言いにくそうに言葉を詰まらせる坂木に、音代はせかすようにデスクを軽く指先で叩く。

「ずっと呪文みたいにいってるんです『正確に、忠実に音をとらなきゃ』って。
彼女ずっとイヤホンしてて私に気づいてなくて、無理矢理それを外して理由を聞いたんです。
そしたら、『私の耳が悪いから、完璧にならない。完璧にしないと怒られる』てまた泣いちゃって」

「正確に、忠実に、か」

音代は考えるように顎に手を添える。
軽音学部ときいただけだと、音代は楽しんでやっているものだと思っていたが、存外大会を目指すとなると楽しめるものも楽しめなくなってきているのかもしれない。
だがそれがいじめに直結なんてそんなこと。