ーーー
「あんたのベースさ、やっぱ合わせにくいわ」
軽音楽部の部室でそんな冷たい声がマイクに拾われて響いた。
畑 愛子は、自分に向けられたその言葉に「ごめん」と小さな声で謝った。愛子はこの時間が嫌いだ。
「ごめんごめんってさ、いつも謝って改善したことないよね、なめてんの?」
愛子はどうしたらいいか分からない。
肩にのしかかるベースギターの重みがいつか自分の体を地面の底に沈めていくような気がした。
「まあまあ、咲、落ち着いて」
カンカン、とドラムのスティックの音が響いた。
『咲』そう呼ばれた女は、ここ晴葉高校生、軽音楽部のボーカルである。
そしてそんな咲をなだめたのは、ドラムの凛。そして無言で咲と同様、愛子を睨みつけるのは、ギターの香澄だ。
4人で形成されたこのバンドに今亀裂が入っている。
「次の大会に出るから、真剣に、完璧に、音をとってきてって言ったよね?私」
凛のなだめは咲にはきかず、腕を組み愛子につめよった。
「ごめん」
「オリジナル曲もってないのは不利だからさ、有名な曲を完璧にカバーしようって話でしょ。なのにあんたはさ」
咲は、怒りがおさまらない口調でそう言って愛子の肩をおす。
ゆらりと愛子の体が揺れた。
「変なアレンジいらないの、私は完璧なカバーを目指してるわけ分かる?」
「で、でも、カバー曲でもオリジナルティがあった方が」
「ねえ、何回この説明させるわけ?どちらにしてもあんたのアレンジは合わせにくいの、それこそこの曲への冒涜よ」
薄々4人は感じていた。考え方にずれがある。だがそもそも音楽の価値観だけではなく、物事の考え方は必ずしも一緒にならないことは理解していた。だからこそ、そこを擦り合わせて同じ目標に向かって頑張っていかないといけないことも。
だが、できない人間を理解することは難しかった。
よく、バンドが解散する時に言っていた「方向性の違い」は笑い話でもなんでもないということに彼女たちは気づいていた。
気づいていたが、大会に出ると決まった以上練習しないわけにはいかない。
そして、主に集中攻撃されているのはベースの愛子だ。
そもそも、愛子は他3人のバンドに後から1人入ってきた。他3人は日頃から仲が良く「バンドしたら楽しそう!」という友達の延長線で軽音をはじめているが、愛子はただベースを軽く弾けるという理由で、ボーカルの咲からいないあなを埋める役割として誘われ、この軽音楽部に入ったのだ。
楽しかったのは最初だけであった。
1年前の文化祭でパフォーマンスした時に、今までに感じたことない快感や達成感を得たのは全員同じだった。
どうせなら大会に出て、注目浴びてテレビにでもでたらもう人生勝ち組だ、とそこまで妄想を繰り広げた。
夢を語るだけなら楽しかったのだ。
「やめるか、完璧に音をとってくるかだね、愛子」
そう、追い討ちをかけるように言葉での強いつめより方をしたのはギターをすでにおろしている香澄。
「ねえ、咲も香澄も愛子にプレッシャーあたえすぎ、そんなこと言われたら愛子だって思うように弾けなくなっちゃうじゃん」
「だからさ、思うように弾くなっつってんの、私はただ完璧にカバーしてこいって言ってるだけ、これ難しい話なわけ?
あんたは、愛子のベースでドラム叩きやすいって思うわけ?みんなと息あってるって思うわけ?」
「それは」
咲の言葉に、凛はおしだまった。
スネアの上にスティックを静かに置いた凛に、愛子は泣きそうになるのをぐっとこらえる。
音はとれているはずだ。ちゃんと覚えているはずなのに。
「ごめん」
「これ以上謝られると腹立つから、もういいわ。今日はやめよ」
マイクの電源をおとし、そう言った咲に愛子は再び謝った。
聞こえるように舌打ちをした咲が部室を出ていく。
「私も帰るね」と香澄。
そして、それにつられるようにドラムの凛も部室を出て行った。
1人取り残された愛子は、瞳から出る涙を荒々しく手の甲でぬぐって、
スマホをとりだす。
「ちゃんと、正確に、音をとらないと」
子供のようにしゃくりあげながらそう言って、イヤホンをみみにはめる。
そして音量をあげた。
今回弾く曲はベースの音がよく動く。
それを細かく捉えていかないと完璧にはならない。
正確に、忠実に。
愛子はずっとそれを唱え続けた。