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職員室はうるさい。
暇さえあれば音楽室に閉じこもっている音代にたいして吹奏楽部からまともに練習ができないとクレームが入った。
しようがなく音代は職員室でお昼休みを過ごしているが、ひっきりなしに職員室を訪れる生徒、教頭が若い先生を叱責する声、課題作りに追われ発狂寸前の数学の先生など、
様々な音が飛び交い音代はため息をもらした。

「橋田くん、きいたわよ 先月のピアノコンクール1位だったんだって?」

そんな声が聞こえ音代は斜め前のデスクに座っている2年1組の担任坂木の方へ顔を向けた。坂木はどこか誇らしげに手に持っているボールペンを軽く揺らしながら橋田を見上げる。

「運が良かっただけです」

橋田はそう言って、学級委員の仕事のひとつであるクラスメイトから集めた課題のノートを坂木のデスクの上に置いた。

「実力に決まってるよ、努力したんでしょう?」

「いえ、そんなに」

頬杖をついて音代は橋田という生徒をみつめる。クラスをまとめる学級委員であり、成績優秀、そしてピアノの実力もある。
担任の坂木を含め、先生たちは橋田のような生徒をひどく気にいる。
だが、音代は違った。橋田は優秀だが、何気ない言葉の中に小さな棘を感じる。
そして、それは微々たる悪意のため普通の人間は気づかない。そして、橋田は自分のことを嫌っているのではないかと音代は感じていた。

「将来はピアニストになるの?」

坂木の問いかけに橋田の眉がぴくりと動く。そして何事もなかったように口角をあげた。

「プレイヤーより、作曲の方に興味があって」

「へえ、そうなの
作曲ってもう自分で曲も作ってるの?」

「ぼちぼちですかね
僕、憧れの人がいて」

「あら、知りたいけど私全然音楽のこと知らないから言っても分かんないかも」

「そうですかね」

シニカルな笑みを浮かべた橋田は、ゆっくり瞬きをした。
そして、その目が音代の方へ向く。
ドクリと心臓が鳴った。

「有名な人なら私にも分かるかな」

「どうですかね、その人今ピアノも作曲もしてないみたいですけど」

「そうなの?なんで?」

「さあ」

挑発するような声色で、首を傾げた橋田。
音代は眉を顰める。橋田は何かを知っている。そう思ったが、問い詰める気は音代にはさらさらない。

ただの世間話程度として2人の会話はおわり、橋田は坂木に「じゃ僕行きますね」と軽く頭を下げた後歩き始めた。
そして音代のデスクの近くにまで来る。
そして足を止めた。

「せいぜい、“消えた天才“て言われないように頑張らないと」

音代にしかきこえないようにそう言い放った橋田を音代は見上げる。
何をどこまで知っているのか、音代は正直言って困惑していたがそれを悟られないように、橋田を睨みつけた。

「何が言いたい」

「別に?独り言ですよ」

にこりと笑った橋田は、少し身を屈めて音代に近づく。

「僕も先生みたいに音楽で身内を殺せるくらいになりたいです」

音代は思わず椅子から立ちがあった。椅子が床に転がった音が響き渡る。
周りの人間が音代の方へ視線を向ける中、音代は目の前で不敵に笑っている橋田をただその鋭い目つきで睨みつけるだけだ。

「橋田、お前」

「勘違いしないでくださいよ、尊敬してるんです 僕は音楽で人を殺せると思ってますから」

一歩、音代に近づき息を多く含ませたその声で挑発し音代の肩を人差し指でつついたあと橋田は背中を向けて歩き出した。
ーーー「音楽で人を殺せると思うか」
いつしかきいたその言葉。
殺せない、殺してはならない。
さっきとうってかわり橋田が何をどこまで知っているのか問いたださないといけない義務感に苛まれた。しかし、ぐちゃぐちゃになった紐を指で丁寧に解くような落ち着きを取り戻せていなかった。
丁寧に職員室にお辞儀をして出ていった橋田をただただ睨む。

「音代先生、大丈夫ですか」

坂木が音代にかけより、転がった椅子を元に戻す。音代ははっと我に返り、「大丈夫です」と言って元に戻った椅子に座る。
落ち着かせるように半分以上残っているコーヒーを一口飲んだ。

「橋田くんと何か話してたんですか?」

「いえ、別に」

「彼、ピアノがすごく上手くて、音代先生もピアノ弾かれますよね?よかったら相談に乗ってあげてください」

相談?あんな人を挑発することを生き甲斐としているようなやつが相談だなんて。と音代は嘲笑する。
そして、やはり納得がいかず立ち上がった。
音楽で人を殺せる、橋田のその言葉もひっかかる。
もしかしたら、自殺を促す曲のことも何か知っているのではないかと思った。

「音代先生どこ行くんですか」

「お昼休みですから、どこに行ってもいいでしょう」

坂木に冷たくそう返せば、少しせつなげな表情をされる。人との関わりはやはり苦手である。音代は気にしないフリをして職員室をでた。
橋田を探しながら、廊下を歩き回っていれば正面から歩いてきた金髪が目に入った。
音代が声を出す前に、片手をあげ音代の方に駆け寄った金髪。

「よ、音代先生」

「九条」

「なんか暗い顔してんな。あ、いつもか?
ツラはいいのにもったいないっすよ」

「大きなお世話だ 忙しいからまたな」

「あ、ちょっとちょっと」

先を急ごうとする音代の前に立った九条は、ポケット中からスマホを取り出した。

「この前言ってた曲のことなんだけど」

そう言って、画面を親指でタップする九条。2人が通路の真ん中に立っているため邪魔になっていることに気づいた音代は、「端によれ」も廊下の窓際に促す。
先ほどまで焦っていた気持ちが九条を前にして少し落ち着きを取り戻す。
祖母のことがあってから音代と九条は顔を合わせると話をするようになった。
「これ」と九条にみせられた画面を覗き込む。

「俺なりに調べたんだけどよ、この“自殺の曲“」

音代は自殺の曲のことを九条に相談していた。
橋田のことは音代自身のことを言っているのは確かだったが、この曲のこととは無関係かもしれない。
今、大事なのは、そして早急に解決しなければならないことは九条が話そうとしてくれていることのほうである。