「っし!」
行くぞ、と心の中で気合を入れる。
昼休みから始まった物思いの結論は受けてたつ、である。所詮一時的な感情である恐怖に、生まれたときからの性格が勝利したのだ。
静かでありながら優しく流れていく風に背中を押されて、一つお辞儀をし若干傾いだ鳥居をくぐる。
だいぶ昔、中学校に通い始める頃しばらくは、この静寂な空気が好きで何度か通い、お参りをしていた。人付き合いに疲れたりしたらお参りしながらも愚痴を吐いたし、一段と難しくなった勉強に集中できなくなればここで気を落ちつかせた。時には涙をこぼすこともあった。
中学入学からしばらくして、自分の表情の扱い方を覚えてからは来なくなった、懐かしい場所だ。
実は、近所にはもう一つ、大きな神社がある。藍含む住民は、夏祭りや初詣などはそちらで済ませるのが一般だ。
つまり、この稲荷神社に来る人は滅多にいない。そのせいか荒れ放題だった。ますます暴力的な線が濃くなる。さすがにそこまで人間として終わってはいないと信じたい。仮にも教師なんだから。
・・・・・・逃げた方が、いいんだろうか。
ここで今更ながら気持ちが揺らぎ始めた。
だが。
「っ・・・・・・?」
地面に落とした視線に、人間の足らしきものが入った。遅かったらしい。ああ、好奇心のために身を滅ぼしてしまうのだろうか。
いや、ここは先手必勝だ。
「あのっ、えっとその節はまことに申し訳ございませんでしたーっ」
「え?」
「ごめんなさい! さすがに今の八つ当たりじゃないのって思って言い返しちゃっただけなんです!」
いや待て。これも機嫌を損ねる気がする。
自分の考えを変えるのは最悪極まりない行動だけど、命と比べれば!
「ううん違う! あなたの言うことは全て正しかっt」
「待て待て、なにが?」
「えっ? あっ、先生じゃない・・・・・・」
男子生徒だ。長く伸びた黒髪と見覚えのある顔。記憶が正しければ、クラスメイトだ。目元は前髪で隠れているけど、見覚えのある姿だった。
と、いうことは。
「殺されない? よかったぁ」
「殺され、って」
あ、絶対ヤバいやつだと思われた。
一瞬で確信した藍は、慌てて柔和な笑みを浮かべた。
「あ、いやいやごめん。で、えぇと、・・・・・・大神くん? だよね?」
クラス替えから一ヶ月弱、あまり接点はないけれど、出席番号の近さから名前を覚えていたことが幸いした。
「桃真」
「え?」
「桃真」
少ない、圧倒的に口数が少ない。警戒心を顕に彼を見つめた藍は、わずかに手が震えているのを見つけ、緊張してるのかもと見当をつける。
とうま、って確か大神くんの下の名前じゃなかったかな。大神くんの幼馴染的な人が、桃真って呼んでた気がする。
「え? 桃真、って呼べってこと?」
こくり、とうなずく。稲荷神社に呼び出し、名前呼び要請。どういうこと?
「え〜と・・・・・・それで、どうしたの?」
正直面倒なことになってしまったという気持ちが強い。必死に表情を作る。
「お前のそんな顔、なくしてやるから付き合え」
真正面から睨むように言われて、一拍反応が遅れた。
「・・・・・・っは? え? な、え? もう一度?」
「だからっ・・・・・・付き合え、って・・・・・・」
「えっと、え?」
真っ赤な顔をして、大神くん改め桃真は、蚊の鳴くような声で再びその言葉を繰り返した。もう一度言ってもらって悪いが、正直二度とも聞こえていた。
「ごめん、なんて?」
その上で三度目を言わせようとしたら、さすがに気づかれた。
「聞こえてんだろ」
「実は聞こえてた」
「なんでだよ」
「意味わからないもん」
「そのままの意味だ」
「それがわからないってば」
「ややこしく考えるな」
「考えちゃう言葉でしょ」
ぱしんぱしんと打ち返す。
自分が口下手だと、知っているのかもしれない。藍の言葉に桃真は少し考え込んでから、なにを思ったのかもじもじしたり赤くなったり自分に自分で怒ったりしていたが、やがて顔を上げた。
「だからぁ・・・・・・そ、その、すっ好き、だから・・・・・・付き合ってって」
最初の傲慢さはどこへ行ったのかと思うくらいの小さな声だ。
「君・・・・・・が? 私を? す・・・・・・?」
「・・・・・・ん」
顔が、熱い。
「それは・・・・・・その、そういう意味?」
「以外、ない、だろ」
それは、知ってる。知ってるけど、頭がついていかないのだ。
「ぃや、私・・・・・・君のこと、あんまり知らないし」
「じゃあひとまず、付き合わないか?」
「いやそれ、ひとまずで済ますことじゃないからね? 人生において、すごく重要な出来事だからね?」
「今流行りの契約婚ってやつだ。頼む」
「いや、流行ってないよ?」
流行ってない流行ってない。全くもって流行ってない。それは小説とか漫画とかの世界だ。
「え、婚て結婚するつもりなの?」
「あっ、ミスった」
重大なミスすぎる。
「トライアル! トライアルでいいから」
「それって惚れさせてやるよってっこと?」
「っあ、そういうべきだったのか?」
しまった! とでも言いたげに、桃真は顔をしかめた。単純。
「いや、私は別に・・・・・・強心臓だし、簡単にノックアウトはされないけどさ」
蘭の美貌を見慣れた藍である。
ただ、よく見れば桃真もなかなかの美形で長身。ルックスは悪くないのだ。先ほどちらりと見えた瞳も切長で涼しげだ。蘭の、くるりと大きな瞳とは対照的に映る。目があったらちょっと笑って見せるとか、優しく話しかけるとか、そういう女子を喜ばせるノウハウを身につければ、大きな武器になるだろう。ただ、いかんせん前髪が長い。
「お願いだ。頼む」
土下座しかねない勢いで頼み込んでくる。珍しい肉食系もいたものである。
でも、なあ。
ここで、彼の提案に乗るのもそこまで悪くはない気がする。一際仲の良い朱音には心配をかけている事実があるし、会話のテンポ感も悪くないし。ただ、いきなり付き合うのはちょっと変だしなぁ・・・・・・。
「わかった。でも、まずは友達か、らっ・・・・・・⁉︎」
「本当か? ありがとう!」
藍の条件提示は、未遂に終わった。桃真が、大胆にも抱きついてきたからだ。
「えぇええ・・・・・・」
これは絶対に後半聞いてないだろうなと思いながらも彼を受け止める藍。
横で、一輪の赤いアネモネが揺れていた。
行くぞ、と心の中で気合を入れる。
昼休みから始まった物思いの結論は受けてたつ、である。所詮一時的な感情である恐怖に、生まれたときからの性格が勝利したのだ。
静かでありながら優しく流れていく風に背中を押されて、一つお辞儀をし若干傾いだ鳥居をくぐる。
だいぶ昔、中学校に通い始める頃しばらくは、この静寂な空気が好きで何度か通い、お参りをしていた。人付き合いに疲れたりしたらお参りしながらも愚痴を吐いたし、一段と難しくなった勉強に集中できなくなればここで気を落ちつかせた。時には涙をこぼすこともあった。
中学入学からしばらくして、自分の表情の扱い方を覚えてからは来なくなった、懐かしい場所だ。
実は、近所にはもう一つ、大きな神社がある。藍含む住民は、夏祭りや初詣などはそちらで済ませるのが一般だ。
つまり、この稲荷神社に来る人は滅多にいない。そのせいか荒れ放題だった。ますます暴力的な線が濃くなる。さすがにそこまで人間として終わってはいないと信じたい。仮にも教師なんだから。
・・・・・・逃げた方が、いいんだろうか。
ここで今更ながら気持ちが揺らぎ始めた。
だが。
「っ・・・・・・?」
地面に落とした視線に、人間の足らしきものが入った。遅かったらしい。ああ、好奇心のために身を滅ぼしてしまうのだろうか。
いや、ここは先手必勝だ。
「あのっ、えっとその節はまことに申し訳ございませんでしたーっ」
「え?」
「ごめんなさい! さすがに今の八つ当たりじゃないのって思って言い返しちゃっただけなんです!」
いや待て。これも機嫌を損ねる気がする。
自分の考えを変えるのは最悪極まりない行動だけど、命と比べれば!
「ううん違う! あなたの言うことは全て正しかっt」
「待て待て、なにが?」
「えっ? あっ、先生じゃない・・・・・・」
男子生徒だ。長く伸びた黒髪と見覚えのある顔。記憶が正しければ、クラスメイトだ。目元は前髪で隠れているけど、見覚えのある姿だった。
と、いうことは。
「殺されない? よかったぁ」
「殺され、って」
あ、絶対ヤバいやつだと思われた。
一瞬で確信した藍は、慌てて柔和な笑みを浮かべた。
「あ、いやいやごめん。で、えぇと、・・・・・・大神くん? だよね?」
クラス替えから一ヶ月弱、あまり接点はないけれど、出席番号の近さから名前を覚えていたことが幸いした。
「桃真」
「え?」
「桃真」
少ない、圧倒的に口数が少ない。警戒心を顕に彼を見つめた藍は、わずかに手が震えているのを見つけ、緊張してるのかもと見当をつける。
とうま、って確か大神くんの下の名前じゃなかったかな。大神くんの幼馴染的な人が、桃真って呼んでた気がする。
「え? 桃真、って呼べってこと?」
こくり、とうなずく。稲荷神社に呼び出し、名前呼び要請。どういうこと?
「え〜と・・・・・・それで、どうしたの?」
正直面倒なことになってしまったという気持ちが強い。必死に表情を作る。
「お前のそんな顔、なくしてやるから付き合え」
真正面から睨むように言われて、一拍反応が遅れた。
「・・・・・・っは? え? な、え? もう一度?」
「だからっ・・・・・・付き合え、って・・・・・・」
「えっと、え?」
真っ赤な顔をして、大神くん改め桃真は、蚊の鳴くような声で再びその言葉を繰り返した。もう一度言ってもらって悪いが、正直二度とも聞こえていた。
「ごめん、なんて?」
その上で三度目を言わせようとしたら、さすがに気づかれた。
「聞こえてんだろ」
「実は聞こえてた」
「なんでだよ」
「意味わからないもん」
「そのままの意味だ」
「それがわからないってば」
「ややこしく考えるな」
「考えちゃう言葉でしょ」
ぱしんぱしんと打ち返す。
自分が口下手だと、知っているのかもしれない。藍の言葉に桃真は少し考え込んでから、なにを思ったのかもじもじしたり赤くなったり自分に自分で怒ったりしていたが、やがて顔を上げた。
「だからぁ・・・・・・そ、その、すっ好き、だから・・・・・・付き合ってって」
最初の傲慢さはどこへ行ったのかと思うくらいの小さな声だ。
「君・・・・・・が? 私を? す・・・・・・?」
「・・・・・・ん」
顔が、熱い。
「それは・・・・・・その、そういう意味?」
「以外、ない、だろ」
それは、知ってる。知ってるけど、頭がついていかないのだ。
「ぃや、私・・・・・・君のこと、あんまり知らないし」
「じゃあひとまず、付き合わないか?」
「いやそれ、ひとまずで済ますことじゃないからね? 人生において、すごく重要な出来事だからね?」
「今流行りの契約婚ってやつだ。頼む」
「いや、流行ってないよ?」
流行ってない流行ってない。全くもって流行ってない。それは小説とか漫画とかの世界だ。
「え、婚て結婚するつもりなの?」
「あっ、ミスった」
重大なミスすぎる。
「トライアル! トライアルでいいから」
「それって惚れさせてやるよってっこと?」
「っあ、そういうべきだったのか?」
しまった! とでも言いたげに、桃真は顔をしかめた。単純。
「いや、私は別に・・・・・・強心臓だし、簡単にノックアウトはされないけどさ」
蘭の美貌を見慣れた藍である。
ただ、よく見れば桃真もなかなかの美形で長身。ルックスは悪くないのだ。先ほどちらりと見えた瞳も切長で涼しげだ。蘭の、くるりと大きな瞳とは対照的に映る。目があったらちょっと笑って見せるとか、優しく話しかけるとか、そういう女子を喜ばせるノウハウを身につければ、大きな武器になるだろう。ただ、いかんせん前髪が長い。
「お願いだ。頼む」
土下座しかねない勢いで頼み込んでくる。珍しい肉食系もいたものである。
でも、なあ。
ここで、彼の提案に乗るのもそこまで悪くはない気がする。一際仲の良い朱音には心配をかけている事実があるし、会話のテンポ感も悪くないし。ただ、いきなり付き合うのはちょっと変だしなぁ・・・・・・。
「わかった。でも、まずは友達か、らっ・・・・・・⁉︎」
「本当か? ありがとう!」
藍の条件提示は、未遂に終わった。桃真が、大胆にも抱きついてきたからだ。
「えぇええ・・・・・・」
これは絶対に後半聞いてないだろうなと思いながらも彼を受け止める藍。
横で、一輪の赤いアネモネが揺れていた。