桜ももう散る季節。藍は一人で、中庭の隅に座り昼食を摂っていた。
 ──アイ、桜。ついてるよ?
 そっと優しく、指先で自分の髪に引っかかった花びらをつまむ。あの日の思い出を、潰さないように。
 ──蘭もついてるって。似合うね、さすがイケメン。
 ──やめてってば。どうせなら蘭が似合うって言われたいし。
 ──え。藍?
 ──あっ、違うそっちじゃない! いや、そっちもだけど! 花の方ね? 花の方! 名前だからさ。大体、アイって呼ぶから!
 ──そこまで否定されるとなぁ〜・・・・・・。
 太陽に翳した花びら越しに、あのときの慌てた蘭の顔が見えた気がした途端、視界が霞む。
 そんな回想を断ち切るように、私、ちょっと嫌いになったという声が耳の中に蘇った。
 藍のせいだ。蘭をさんざん自らいじったせいで、友達を優先させたせいで、蘭から離れる人が増えてしまった。もし彼と今同じクラスの人にも伝わってしまえば。
 蘭の周りから、人は消えるだろう。
 申し訳なさに心が塞がった。彼に関わる全ての人に、弁解をしに行きたい。だが、そんなことをしたら確実に藍への、周りの認識はクラスのちょっとした人気者からイタい彼女へと転落する。
「あ〜、最悪」
 どうしようもない。動けば動くほど、もがけばもがくほど、事態は悪化する。
 最近、朝の情報番組で発表される運勢は悪さ続き。占いなんて不確定なもの信じないつもりだったけど、あの日から十位以内に入ったことはないので、ここまで来ると案外当たってるのかもなんて思い始めていた。
「えーっと、アネモネ、だっけ」
 見つけたら運勢上がる的な。ちょうど咲いてる時期らしいけど。きょろきょろとあたりを見回すが、こっそりスマホで調べた、あの可愛らしく華やかな花は見つからなかった。
 そのとき、がさがさとそばのしげみが鳴った。この場所は、ちょうど人の少ない穴場のはずだ。一週間に一度ほど、一人で昼食を摂ることを習慣としている藍の憩いの場所。びっくりしてそっちを見るけど、その音を鳴らしたような人影はなかった。
 ・・・・・・いやいや怖いんだけど。
 もしや幽霊? 幽霊って全てのものを通り抜けるイメージがあるんだけど。新種? 新手の幽霊ですか?
 と思いながらまさかねと興味本位でしげみを覗き込むと、なにか、ふわふわの尾のようなものが遠くで揺れて消えた気がした。
 野良犬かな? 猫はもう少し細い気がするから、きっと犬だろう。いや、野良ならば長年毛を刈っていなかったらあれほどまでになるのだろうか?
 動物に詳しくない藍には見当がつきかねる情報量だ。あんなにもふもふのしっぽ、触りたいな・・・・・・とは思うが、さすがに追うのは無理。
 ふと視線を下へ落とすと、白い紙が落ちているのに気づく。土の上に、だ。折り畳まれており、中にはなにかが書かれているらしい。
「あのわんちゃんが持ってきたのかなぁ。いたずら好きなのかも」
 少々微笑ましい気持ちになりながら、なんの遠慮もせずに開く。
 別に、いいよね。犬の手が届く範囲に置いてるって相当雑だし。どうせ課題のプリントとかじゃないの? 持ち主絶対喜んでるって。消えましたとか意味わかんない理由で課題は未提出になるけどさ。
 しかし、そこに書かれていたのは、数式でも漢字でも英語でも、なんでもない。ほとんどが余白で、文字は真ん中に少し書かれている分だけ。
 一番に目に飛び込んできたのは、自分の名前、だった。
「はぁあ?」
 予想だにしない単語を見つけた藍は、どんどん読み進める。怖い怖い怖い。ストーカー? 動物使いのストーカー? 新手すぎる。おかしいって!
相生藍(あいおいらん)へ。放課後、稲荷神社にて待つ』
 果し状が。
 来てしまったと、藍は戦慄した。あの先生かもしれない。確か、犬を飼っているのではなかったか。犬種は忘れたが、あまたいる犬種にあれくらい尻尾が太いやつがいてもおかしくはない。・・・・・・知らんけど。
 いやいやいや! 真面目に、これはヤバいのではないか? 説教の場所が稲荷神社とは、なかなか新しい・・・・・・いや、古いのかわからないが、面倒なことになったのは事実である。もしや殴られる? 蹴られる、ワンチャン殺されるかも。
 そう思えば、この文が犯行予告にも見えてきた。でも、気になるし・・・・・・っ。
 ふと湧いてきた恐怖と元来の好奇心が葛藤して、行く行かぬの問答が心の中で巻き起こっている。
 先ほどまでの感傷的な気持ちは遠くに飛ばされていた。