「ねえ、桃真?」
 雑巾で稲荷神社の本殿を磨き上げながら、箒を持って境内を掃いている桃真に呼びかける。そこまで広いわけではないので、お互いの声は箒の音混じりでもはっきりと聞こえた。
「うん」
「あんたさ、本当に私のこと好きなの?」
 声をしっかり張り、情けなく聞こえないようにする。勇気を出せ、アイ。大丈夫、アイなら。
「うぇえ?」
 桃真の手が止まり、境内には雑巾の擦れる音が響く。藍は震えそうになる手を止めないまま、話を続ける。
「大丈夫? 吐く?」
「吐かない。けど、なんで? 俺・・・・・・相生さん・・・・・・好き、だよ?」
 恥ずかしさか切れ切れにそう言い、こっちに寄ってきて、本殿前の石段に座る。紅葉した葉がカサカサと音を立てて落ちてくる。
「だって、いつまで経っても嫁入りの話しないじゃない。変だなって思う、さすがに」
 ひと段落して手を止め、藍も桃真の隣へ座った。
 ずっと気になっていて、聞こうにも聞きにくい話題で。静かな稲荷神社の空気に引っ張られるようにして、ようやく言葉として乗せることができた。
 桃真と目が合わない。
「それは、・・・・・・天狐に上がる必要がないかなって、そう思ったからだ」
 天狐。気孤の桃真が次に目指す位だ。
「えっ、なんで?」
 予想外の答えに、藍は目を見張った。まさか、今になって?
「超能力・・・・・・神通力、だっけ? いらないの?」
「そもそもそんなの、欲しくなかった」
「はぁあ?」
 目を逸らしたまま返ってきた言葉に、抑えきれず素っ頓狂な声を出した。
 なっ・・・・・・。
「じゃあなんで私に告白したの? え、もしかして遊び? ねえ、そういうことなの?」
「違う。そのときは欲しかった」
 はい? 若気の至り、的な?
「ねえ激しく矛盾してるよ、気づいて?」
「気づいてる。ただ、一時的な感情で・・・・・・それは・・・・・・その」
 気まずそう。言いにくそう。うーんなんか隠してる。
 目力を強め、必死に彼を睨んでいると、その緊迫した空気にのんびりとした声が入った。
「桃真、相生さん、お疲れさま・・・・・・あれっ、あらあらあら、お邪魔だったかしら」
「か、かか母さん」
 優しそうな雰囲気を漂わせた女性に、桃真はそう呼びかける。
「差し入れよ。御供物とついでに買ってきたのだけど、これは・・・・・・キスの雰囲気かしら? ふふっ」
 乙女のように頬を上気させて言う桃真のお母さん。手には差し入れのお饅頭が。
「ありがとうございます。違いますよ、そんな・・・・・・ってちょっと、桃真も否定してよ、赤くなってるだけじゃ変に勘違いされちゃう、もう」
 つんつんといつもの六割引で控えめに小突くも、桃真は赤くなり視線を逸らして固まったまま。
「ふふっ、この子、こんなに照れ屋だったのねえ。初めて知ったわ。一目惚れして三日で、初恋の子のところに突撃かまして、びっくりするぐらい玉砕したこの子が、こんなに純粋な表情をするなんて」
「もう、照れっぱなしです。嬉しくなくもないんですけどね」
「まあラブラブ。いいわね〜。よかったじゃないの、桃真、ちょっと。長年の恋が叶ったわね」
「長年って」
 大袈裟だな、と苦笑する。そんなに? 先生に言い返した私がかっこいいって言ってたから、せいぜい半年だろうに。いや、確かに三日で告白&求婚という音速の恋をした桃真からしたら長年かもだけど。
 しかし、桃真のお母さんはさらに驚くべき言葉を口にした。
「ええ。もう何年になるのかしらね。人間の年で、中学生だから・・・・・・もう四年? 三年?」
「ん? 中学生? えっ、嘘、そんなに前から?」
 接点は、なかった気がする。大神桃真・・・・・・そんな名前、中学校のクラスメイトにいただろうか。
 ちらりと目線を寄越すが、桃真は相変わらずこちらに目を合わせてくれない。
「や、確かに中学校は違ったけど・・・・・・ただ、稲荷神社にお参りに来てくれてて・・・・・・っそれで・・・・・・」
「あー、あああっ、えっ、見られてた、の?」
 周りの環境が大きく変わった中学校。入学当初は今のようにうまく人付き合いをすることができず、随分としんどい日々が続いた。そんなときにふと立ち寄ったここ、稲荷神社でお参りをしたのだ。
 人が少なく、多少独り言をこぼしていても見つかることはなかったから。
 うーん、号泣したこともあった気がする。
「じゃあ、お饅頭、食べてね。ごゆっくり」
 お供えする分と藍たちの分を置いて、なんとなく空気を読んだ桃真のお母さんは帰って行った。
「そんなに前から、私のこと・・・・・・」
 ふ、と力が抜けた。
「・・・・・・相生さんが受ける高校頑張って聞き出して、受験した」
「聞き出して、って、そんなのできるんだ」
「だいぶ頑張った。変なことはしてないよ? で・・・・・・同じ高校入った」
「その時点でだいぶ変だけどね」
 なんだかうまく笑えなくて、何度も下手に茶化す。桃真はそのたび、困ったように言い訳したり、肩を落としたりと純粋に反応してくれた。
「うぅう・・・・・・」
 片手で桃真はその顔を覆ってしまった。丁寧に手入れされた。髪がサラリと流れる。
「でも私は、蘭と付き合った。それで、どうしたの?」
「あー失恋したなって、悔しかったけど・・・・・・二年で同じクラスになれた」
 うん、と相槌を打つ。
「でもやっぱり怖くて。初恋の子に未練はないけどやっぱり、怖いって感情は残ってて。そしたら・・・・・・別れたって聞いて。というかフラれてたの見て」
「うん・・・・・・うん? え? 待って、見て? 見たの?」
「・・・・・・見ま、した」
 かぁっと頬が熱くなる。赤くなっていないといい、なんて思う余裕もなく叫んだ。
「はぁあああっ? なんでそれを言わない! 恥っず、恥っっっっっっず!」
 藍の力んだ絶叫のあと、申し訳なさそうにこちらを上目遣いで見つめてくる。
 う・・・・・・そこそこ可愛い。
「ごめん。すごく悲しんでるのを見てなんか悔しくて、どうやったら相生さんの気持ち慰められるかなって思って」
「・・・・・・うん」
 なんだろう。
 すごく、すごく・・・・・・なんだか、すごく、嬉しい。
「振られた理由を知ればちょっとは悲しみがマシになるかなって思って、神通力が欲しくて・・・・・・」
「ん?」
 どうしてもつながらず、首を傾げる。気まずさを増す増す表情に滲ませながら、桃真が問いかけた。
「いや・・・・・・六神通、って覚えてる?」
「んー・・・・・・ごめん、なんだっけ?」
 記憶は曖昧だった。桃真は再び、その説明をしてくれる。神通力には六つの力があり、それは一般に六神通と呼ばれる、と。
 一つ目。いろんな場所に自由に行ける、神足通。
 二つ目。すべてを見通す、天眼通。
 三つ目。すべての音を聞き分ける、天耳通。
 四つ目。前世の状態を知る、宿命通。
 五つ目。煩悩を消し迷いの世界に生まれないことを知る漏尽通。
「ああ、なんかあったね。あと・・・・・・」
「六つ目。他心通。他人の心をのぞく」
「・・・・・・っえ?」
 唐突にかちり、と繋がった。
 つまり、なんだ。
 彼の行動は、結局藍のためだと言うのか。全部。全部、藍を想って──行動した、と。
「・・・・・・バカじゃん」
 私のこんな、つまらない望みのために。
「うん・・・・・・」
 あなたはどれだけのものを捧げたの?
「ほんと、なにやってんのよもう・・・・・・」
 なんだかよくわからなくなって、桃真の胸に頭を押し付けた。嬉しくて、安心して、呆れて、情けなくて。
「バカだよ、本当に。・・・・・・ありがとう」
「・・・・・・うん」
 桃真の小さな声が、じんわりと温かった。