夏休みが明けて、しばらく。
 移動教室から帰った藍は、自分の机に頬杖をつき長息した。
「あ〜ぁ、変なことしなけりゃなぁ・・・・・・」
「もれてるもれてる。アイ、もれてるよ〜」
 机の前に回り込んで、同じような格好で頬杖をついた朱音がにやにや笑う。
「もれるよそりゃ。しょうがないよ、これは。もう無理、疲労疲労」
 そうこぼして頬杖を崩し、机に突っ伏す。精神的にきつい、これは。
「なんか実害あったの?」
「ない。・・・・・・いやあるのかな? 精神がしょりしょり削られてく感じ」
「しょりしょり?」
 朱音が笑い混じりに聞き返した。自分でもよくわからない言い回しをしてしまったような自覚はある。今更直すのもダサいししょうがないから自分の乏しい語彙力を総動員させてなんとかものにする。
「鉛筆削りみたいに薄く・・・・・・もしくは、かき氷みたいに粉々に」
「えっ詩人? ポエマーの方ですか?」
「うふふん。サイン欲しい?」
 うん、自分のことながら言い得て妙だ。これは、詩人名乗ってもいいんじゃない⁉︎
 と少し興奮した藍に対し、朱音はすぐに醒めたような顔になって頬杖を外した。
「欲しくは・・・・・・ない。でも、ゆーて見られるくらいなんしょ?」
 ここ数日、桃真の変容ぶりにまずクラス全員が目を見張り、瞬く間に藍とのデートで美容院へ行ったという話は広がった。桃真の保護者枠である琥珀に、ありがとうございますと礼を言われるくらいには、いいことだったらしい。
 だが、まあ、心配していた通りである。女子からの視線が痛いのなんの。今のところ直接言いにくる人や、桃真に告白をするような人はいないようだが、視線だけでも十分、辛い。
「まあ、だけどね? 最初の数日はなんだてめえらくらいの心意気だったわけ。睨み返したこともあったし」
 ほう、と朱音がうなずいて、ちょうど空いていた隣の椅子に座りこちらと向かい合う。詳しく聞きましょう、という姿勢だ。
「でもはっと気づけばほとんど先輩で睨み返せないし、どんどん体は疲れるし」
 ふっと面白そうな笑みを浮かべて、朱音がふむふむと首を振る。
「一年生は多分あんたの元カレくらい優しいタイプが好きだろうし、同学年はあんたら応援ムードだからね。一部の派手な女子は結構怖いけど」
 主にテニス部の。
「そう。そのうち突撃されそうでびくびくしてる」
「昔からさ、学年一イケメンの蘭と付き合い出したって、そう、すごく敵対してたじゃん」
「敵対って・・・・・・」
 言葉のチョイスが少し物騒で気になったが、朱音は気にせずに語る。
「典型的な派閥よ。それがさ、振られて、別のなんかむさ苦しい男子と付き合い始めたと」
「むさ苦しい・・・・・・まあ、あぁ・・・・・・」
 一応彼女を名乗っている身からすれば否定したかったが、出会った頃の桃真を思い描くと首は振れなかったので曖昧に濁す。
 朱音はそんな藍に一瞥もくれずに続けた。多分これ気持ち良くなってる。語ってる自分に酔ってる。
「で、あいつらは大笑いしたわけ。ざまあみろと。もう腹がよじれるほど笑ったと思う。アイは知らなかったと思うけどさ、結構悪い噂もあったの。なんか、見栄はって喋ったこともない陰キャと付き合い始めたとかさ、他にもいろいろ」
「えっそうなの? それは初耳すぎる」
 見栄ははっていないが、喋ったことのない男子であるのは事実だ。
 いい印象で話されていないことを、知ってはいたが他にも言われていたとは。藍は密かに驚き、そして密かに、密かに小さく傷ついた。表には、出さなかったけれど。
「まあ一部だけだったから。信じる馬鹿もいないしね。で、そしたら、馬鹿にしてた男子がもうびっくりするほどイケメンになってる、ちなみにあの人たちの直球ど真ん中タイプ、そしてその彼氏が憎々しいアイ。これはもう、争いの火種どころかもう既に燃えてるよね」
 さすが、中学がマンモス校だったとかで、いろいろなクラスにツテを持つ朱音。
「燃えてる・・・・・・わ、それは」
「うん。家一戸はゆうに」
 なんと不謹慎な例えか。
「うぅ・・・・・・変なことしなければよかった」
「そう? 私は一矢報いた感じですかっとしたけど。てかそれが目的じゃなかったの?」
「ちが・・・・・・ぁ・・・・・・うこともない、のかも。ちょっとだけそうなればいいって思ってた・・・・・・」
 ふと自分のドス黒い部分に気づいてしまい、最低だな、と落ち込んだ。思い切り桃真を利用している。いやでも桃真だって利用するのだ。トントンではないかと、気を取り直す。
「でも、ここまでなんて思ってなかったぁ。先輩からも睨まれるなんて」
「大変だね、アイも」
 しみじみと同情されて、ますます先行きが暗い。
「大変だよ・・・・・・って言ったらなんとなくやな奴になるから言わないけど」
「うん。男女関係で悩んでいいのは、非リアだけだぁああっ」
 拳をつきあげ、理不尽に宣言する朱音。一時期は彼氏もいたというのに・・・・・・別れてからすっかりひねくれてしまったのだ。
「いや、非リアならそもそも男子と話すこともない・・・・・・でもそれも男女間の悩みか?」
 ぶつくさつぶやきながら、真剣に悩み出した朱音。
「非リアって言ってもねえ。朱音はじゅーぶん楽しそうだよ?」
 リア充って別にカップルに限るわけじゃないんだから。今が楽しければそれで、充実してるじゃないか。
「はんっ、アイにはわかんないわよ。この寂しさが! 周りからシングルが消えてゆくこの虚しさがぁっ!」
 ばんっと荒ぶった朱音が机を叩き、放置されていた消しカスが数センチ空を舞った。
「ひねくれないでって、ごめんごめん」
「っああ、ごめんつい」
 つい、で台パンして消しカスを飛ばされても・・・・・・。
「あーごめん、ちょっとトイレ行ってくる」
 いまだ憮然としている朱音に断りを入れて、藍は立ち上がった。
「あの! 相生先輩、ですか?」
 トイレをすませ、廊下に出たところで、呼び止められる。
 さらさらの黒髪を靡かせる、目力の強い女子。可愛いな〜・・・・・・いや、可愛いと言うよりかは美人さんだ。
「えっ? は、はあ」
 トイレ行きたいんですけど。もじもじ。
 先輩、と呼ばれるからには後輩だろうか、見覚えはない。生徒会にも入ってないし、何かの実行委員会でもない。後輩に呼び止められる用事なんて、と不思議に思っていると。
「あの、ああいうの、本当にやめた方がいいと思います」
 やめた方が・・・・・・? はっきり言う子だなぁ。
「へ? ああいうの? ごめん、何の話・・・・・・」
「大神先輩のことです! 彼に告白されたからって好きでもないのに付き合うの、ちょっと傲慢じゃないですか?」
「・・・・・・あぁ。傲慢?」
「ひどいと思います。元の彼氏と別れて一ヶ月二ヶ月だったそうじゃないですか。好きでもないのに、私たちの邪魔、しないでください」
 なるほど。
「あー・・・・・・君、桃真が好きなんだ」
 大方テニス部だろう。朱音が言ってた“敵対派閥”の後輩だ。
「それで、告白して、振られたんだ」
「っ、あなたのせいです。先輩たちが言ってました。ひどいですっ・・・・・・」
「ええええ・・・・・・」
 面倒なのに捕まった。大幅に勘違いしてる。ぐっと震えそうになる拳を固める。いや、殴らないけど。
「でも、それが全てなんじゃないですか? 私はいたくて彼の隣にいる。彼も、いたくて私の隣にいるの。好かれてもいないのに、邪魔しないでください」
 あー言っちゃった。言っちゃったよ。だいぶ前に先生を論破したときみたいな調子で冷たい声で、淡々と。あちゃー、と頭を抱えたくなる。この声、そして感じる怒りを覆い隠そうと浮かべる薄い笑いが煽りスキルMAXなのは知っていた。
「じゃ」
 くるっと向きを変えて、トイレに歩いていく。うーん、悪役ムーブだったかな、今のは。ちらっと後ろを見ると、先ほどの女の子が俯いて歩いていくのを見た。
「傲慢・・・・・・か」
 好きでもないのに隣にいるのは、傲慢、か。
 彼を好きな自分を押し退けて、気持ちのない藍が彼女という地位にいることが許せなかったのだろう。
 ましてや、先輩から聞いたところによるとイケメンの元カレがいて、フラれて数ヶ月で付き合いだしたとくれば妥協しているようにも見えたのだろう。
 でも、と息を吐く。
 所詮この数日で桃真がイケメンだと気づき、好きになっただけの彼女らに言われたくはない、と思う。怒りさえ込み上げてくる。
 だって、私の方が彼をたくさん知っている。実は妖狐で、友達は猫又で、初恋は九百年前で、照れ屋。稲荷神の使いで、母親を母さんと呼び、少し口下手で、優しい。
 絶対に、私の方が、圧倒的に彼を──好き、だから。
 そこまで思ってしまってから、細く長く、息を吐いた。絶対に気付きたくない気持ちだった。だって彼とは、契約婚(予定)。そう、形だけ。彼が一個上の狐に昇進したら、それっきりなのだ。
 私はいたくて彼の隣にいる。だけど、彼はどうなんだろう。本当に純粋な気持ちで、隣にいてくれているのだろうか。
 きゅ、と震えそうな口を引き結ぶ。涙があふれそうになる。よくわからない気持ちで息ができなくなる。
「あれ? 相生さん?」
「っ桃真」
「・・・・・・泣い、てる?」
 心配そうに、俯かせていた顔をのぞきこまれて、藍は顔を逸らした。バレないように小さく息を吐いて、顔をあげる。
「ううん、眠いだけ。あくびしちゃった」
「・・・・・・そっか?」
 なにもかも見透かしたように笑った桃真を、藍は軽く叩いた。