だんだんと落ちていく日を眺めながら、藍は炭酸水を口に含んだ。
 河原に置かれたベンチでは、デートを終えたカップルたちが寄り添い座っている。
 蘭との初デートのときも、最後にここに座って夕焼けを眺め、色々話したものだ・・・・・・と思ってから、今彼を思い出すのは野暮だと慌てて追い払った。回想モードに入りかけていた脳内が、プツリと途切れる。
 藍の不安定な心を表すかのように、桃真と藍の間には互いのカバンが置かれ、少し距離が取られていた。
「これどうやってつけるの?」
 いきなり、桃真に話しかけられて藍は彼の方を向く。
「ん?」
「これにつけようかなって」
 言いながら桃真が視線の先に出したのは、昼に購入した狐のキーホルダーである。
 横でなにやらごそごそやっていると思っていたが、どうやら試行錯誤していたらしい。横にあるトートバックを軽く叩いて、桃真は照れ臭そうに笑った。
「これはね、ここを押したら開くから」
 藍はナスカンの使い方を桃真に教え、せっかくだからとおろしていた自分の小さなリュックにもつける。
「似合ってる。買ってよかったんじゃない? さすが妖狐」
 最後の方は投げやりになって適当に褒めると、桃真が苦笑した。
「関係ない・・・・・・」
「んっ、バレた?」
 視線を正面に戻して、ぐいっと炭酸を喉に流し込む。
 そしてふと見上げた桃真の横顔に、思わずため息がもれた。
「いやぁ・・・・・・雰囲気変わりすぎでしょ」
 炭酸の缶を口から離して、横に座る桃真に言う。彼は居心地が悪そうに自身の髪をいじりながら、こっちを見た。視線が合う。気まずそうだ。
「何回言うんだよ・・・・・・それって褒め言葉なの?」
「うん。ひねくれた受け取り方しないでよ」
「や・・・・・・しないけど。視界が広がって、なんかちょっとびっくり」
 本人がびっくりしているのだから、藍もびっくりしているに決まっている。髪型だけでこんなに人って変わるんだ。新発見。
 ・・・・・・いや、だからフラれたら髪を切るのか。好きな人に振り向いてもらうために。
「なんか、夏休み明け学校行ったらモテまくりそう」
 じろじろと桃真を眺め回して言うと、ますます目線を外される。
「モテないだろ」
「モテそうなんだもん」
「まあでも、俺には相生さんしかいないから。モテようがモテなかろうが関係ない」
 一瞬虚をつかれて、はっと我に返り頭を抱えそうになった。藍しかいない、というのは秘密を共有しているのが藍だけである、ということだ。
 なんでこういうときは平常心で言うのかな、もうなんなのかな、ほんとに!
 燃えるような夕日が藍を照らす。軽く額を抑えて、一応桃真に聞いておく。
「・・・・・・ほんっと、無意識なんだよね?」
「え? 俺また間違えた?」
「間違えて・・・・・・ない。いや間違えてるのか? ・・・・・・もういいや」
 なんといえば伝わるのかわからず、諦めた。
 恋愛初心者の彼だから、すぐに振り回されそうで怖い・・・・・・って。
「そういえば、桃真って恋愛経験あるの? 初恋とかいつ?」
 ふと気になって質問すると、途端に遠い目になった。
「えっと・・・・・・九百年くらい前に・・・・・・近所の子が好きだった」
「きゅっ、九、百?」
 桁違いだ。ほのかに頬を染めた桃真ははっと気づいたようにこちらを見て、それから逸らした。
「あっごめん、人間の話? それは・・・・・・相生さんがその・・・・・・、です」
「ああ千年生きてるんだよねー知ってる知ってるあはは。結局その子とはどうなったの?」
 なんだか色々ツッコむのに疲れ、藍は続きを聞くことにする。
「好きだから結婚してくださいって言ったら即フラれた」
「あ〜なるほど」
 好きだから結婚ってぶっ飛びすぎだな。絶対色々間違えてるよねそれ。
「当時は泣いたけど、今は、もう全然。あのときは若かったからなぁ」
 高校生ながらあのときは若かったという男子。どんな人生歩んできたんだよ・・・・・・って妖狐なんですよね、もう・・・・・・人間ごときが計り知れるようなことじゃないわ。
「桃真が、泣く、か・・・・・・イメージ湧かないなぁ」
「相生さんが泣くのもイメージできないけどね」
「もうさあ、なにかにつけてそれ出してくんのなに⁉︎」
 自覚があったのか、桃真がさっと視線を逸らして暗くなってきた空を見上げる。そして、一言つぶやいた。
「・・・・・・あ、一番星」
「えっ早くない?」
 まだ太陽も沈みきっていないというのに。
「あそこ。見えない?」
「目良くない? どこ?」
 桃真が指を指すので、できる限り視点を重ねようと必死に顔を寄せる。
 かちゃりと小さく音を立てて、二人のキーホルダーが触れ合った。