ぱちぱちと線香花火の音が、稲荷神社に響く。いよいよ最後の数本になった頃だった。
「蘭に会った」
「え」
 短く告げた。桃真が固まり、線香花火の勢いだけが増す。
「なんで振ったのかって教えてもらった」
「そう・・・・・・なんだ」
 それぐらいの気持ちだったのかもしれない、という言葉が蘇る。ああ、やっぱり釣り合ってなかったんだ。ふっと、苦い笑みが浮かんだ。
 唐突に桃真が口を開けた。
「・・・・・・別れた方が、いいか?」
「・・・・・・は? 別れたいの?」
 急すぎる展開に、藍は思わず目を見張った。桃真がはっと目をそらす。
「あ・・・・・・いや」
 なんだこいつ。
 気まずい雰囲気が流れ出したので、藍はさっと話題を変えた。
「どうなの? それで。万年高二は免そう?」
「その話をするか、ここで」
 桃真がちょっと眉根を寄せた。
 しかし、注意回数はぐんと減ったし、これまでの遅れを取り返さんと必死にノートを取る桃真を見たほとんどの先生が隠しきれない驚きでチョークを落とし、生徒たちの笑いを誘ったこともしばしば。
 そのたびにやにやと含みのある笑みと視線を向けられるのは勘弁してほしいが、もし成績が快方へ向かっているのならそれは嬉しいことだ。
「嫌?」
「別に。ただ、もっと他の話題とかあるんじゃないかなって」
「ああ嫌なんだ。じゃあ、天狐にはなれそうなの?」
 もっと嫌であろう話題に移行する。嫌がらせだ。
 というのも、桃真の口からずっとその話題が出ていないのだ。むしろ忌避しているようにも見える。幾度か聞いているが、のらりくらりとかわされ続けていた。
 祝言はいつか。どのようなものか。どこで行うのか。そして、誓いのキスなどはするのか。
 どうせ形だけだしと案外気楽に捉えてはいるものの、さすがに詳細を教えてくれないのであれば、心の準備すらできない。
 いつきてもいいように、一応寝る前に彼のことを考えるようにはしているのだが、これがいつまで続くのかは知りたいところだ。
「それはだから・・・・・・相生さん次第だ」
 いつも通りの問答。
「とか言うけど。別に私が嫌だからやめたいって言ってもそれはダメなんでしょ?」
 そしていつも通りの流れで気まずそうにうなずくかと思えば、桃真は首を振った。
「いや、構わないな」
「はぁ? これまでと言ってること違うじゃん」
 つい鋭い声が出た。わかりやすく桃真の視線がそれる。
「・・・・・・状況が変わったから」
「状況ってなに?」
 桃真は隠している。まだ藍に告げていないことがある。すぐに悟った。
「それは・・・・・・」
「ねえ、やっぱりなにか隠してるよね。それは教えてくれないわけ?」
「それは、だって相生さんだって感情隠すだろ。同じようなことだ」
 桃真のその言葉とともに、攻守がたちまち一転した。棚にあげていた、痛いところを突かれた気がした。小さく音を立てて、藍の線香花火が消えた。気にする余裕はない。
「っ・・・・・・違うでしょ! 私はただ」
「皆に心配かけないためって、それで自分が壊れたらどうにもならない」
「でも、私はっ──アイだから・・・・・・そういう、性格だし」
 明るくて、人の中心にいるような女子だから。たくさんの人と関わることが疲れるなんて言えないし、泣いている顔も見せられないし。そんな自分も別に、嫌いじゃないのだ。
「なら・・・・・・、俺にだけでいいから。相生さんの弱いところを見せて」
「・・・・・・っは?」
 これは。
 どういうことだ?
「俺は、別に嫌いになんてならない。だから」
 桃真にそんな計画性があるようには見えない。きざな性質でもない。ただ必死に、藍を励まそうとしているように見えた。でも、このセリフはかなり意識させる言葉ではないのか?
「待っ・・・・・・て待って待って。意識して言ってる? それ。仕組んでる? だよね? 成長しすぎじゃない? どれだけ頑張って恋愛ドラマとかチェックしたわけ?」
「へ? なにが?」
 一触即発の空気から一転、ぽかんと間抜けに、桃真が口を開けた。
「いや、えぇ・・・・・・これが本物の天然、ってこと・・・・・・?」
「なんだよそれ。俺、なんかおかしいこと言ったかな。必死に言葉を選んだつもりだったけど」
 困惑を隠しきれずにつぶやくと、桃真が落ちる気配のない線香花火を持ったまま思案し始めた。
 あ〜なんかもう、どうでもよくなっちゃった。
「器用に考え込むね・・・・・・別に分かってないならいいんだけど」
「聞くけど、相生さん、元カレと会って、辛いんじゃないの?」
 忌憚のない口振りだ。ここまで切り込まれることはまあなかったので、一瞬たじろいだ。が、慌てて話を切り替える。
「え? いやいや桃真こそ」
「俺は、別に」
「ふうん? いいんだそんなこと、言っちゃって」
 質問を濁して突っかかると、案の定桃真が言い返してきた。
「はぁ⁉︎ いや、結構怖い・・・・・・けど、そういうことはなんもなかったんだろ!」
「なかったよ。なにも」
 そう、なにもなかった。
「そりゃ俺にとっては朗報に決まってる。けど相生さんは──」
「あ〜・・・・・・もーいいってば」
 言われれば言われるほど、なにかがあふれそうになる。
 顔を逸らして単調に彼の言葉を遮り、最後に余った花火を手に取る。少し離れたところに灯る火はつける気が起きなくて、結局手に持ったままいじっていた。
「まあ、いいけど。・・・・・・そろそろ片付けようか」
 桃真もなにかを察したのか、すぐに切り替えた。ふと視線を移して、藍は思わず目を見開いた。
「えっ桃真、まだ落ちてないの?」
「え? ああ」
「やば。線香花火って、ほら青春の定番じゃん」
 桃真はなんでもないことのように言うが、あの名高い線香花火だ。線香花火に夢中になってるときに、不意打ちでキスされて落ちちゃう定番のあれ。完全なる偏見だけど。
 線香花火って普通、落ちるものな気がする。火の玉やら恋やらなんやら。
 うまく形容できない藍の偏見を、いとも容易く見抜いた桃真は、ちらりと上目遣い。
「キスする?」
 すぐに察したところを見ると、やっぱり勉強したのでは、と思ってしまう。
「いやしないけど」
「わかってるわかってる」
 間髪入れずに答えると、言いながら少し残念そうな・・・・・・気のせいだと思いたい。
「そろそろ落ちるかな・・・・・・大丈夫か? 時間」
 桃真はそう言いつつも、手を下手に動かして落ちてしまうのも悔しいようで、スマホを見ることもできずにあたふた。
「変なとこ気にしなくていいの。夏祭りなんだから、夜更かしすべき。むしろ」
「あ、ああ、そうか。でも・・・・・・」
「気になるなら、送って行くよって言うもんよ」
「あっ、そうか、ああ、送って行く。狐の姿なら早いしな。いやでも、人に見られるか・・・・・・」
 桃真の少しズレた返答に、ついくすりと笑みが溢れる。
 藍の笑顔を認め、照れ臭そうに顔を逸らした桃真の手元から、線香花火が落ちた。
「あ」「落ちた」
 残念そうなそぶりすら見せず、桃真は立ち上がった。
「帰ろう。送って行くよ」
「でも、片付けなきゃ」
「いいよ。俺やっとく。家隣だし、大丈夫」
 そういって、デフォルトのままの、スマホのホーム画面を突きつけてくる。時刻は九時を回ったところ。もう遅いから早く帰れ、ということだろう。
 ここで変に気を遣うのもおかしいと思ったので、藍は大人しくうなずいた。
「それなら・・・・・・頼んでもいいかな。ありがとう」
「おう。じゃあ、行こう」
 ぐいっとやや強引に手を引かれて、慣れない下駄でふらつきながらも、藍は歩き出した。