蝉が鳴く。
 その中に、影が差して、少しだけ体が強張ったが、そのあとにすぐもっと強張った声が降ってきて、ふっと変な力は抜ける。
「・・・・・・相生さん」
「話し合いがしたいだけだから」
 そっけなく、変な気持ちはないんだよ、ということを表すためにそれだけ言った。
「あ、ああ・・・・・・わ、わかってる」
 全くわかっていないガチガチの顔である。おそらく桃真が想像していることは藍の迷った理由と同じ。
「わかってないでしょ」
「わかってるってば」
「わかってないね」
「わかってる、わかってる!」
 ちょっとつっかかれば緊張も忘れて、子供みたいにムキになって言い返してくる。ふっと笑ってしまい、それから心が固まった気がした。
「あんたさぁ」
「う、うん」
 ふと呼びかけられて、桃真はぴしりと姿勢を正した。
「このままじゃ万年高二なんじゃないの」
「聞いてたんだ。・・・・・・なんで」
「聞こえるの」
 拗ねたような顔になった桃真を軽くあしらう。同じ教室で同じ授業を受けているときに注意されてるのだから聞きたくなくても聞こえるのだ。
「・・・・・・ほんとはさ、私のこと、どう思ってたの?」
 一番聞きたかったことだった。
 あまりにも不自然な行動。彼の本心を聞き出してみたかったのだ。
 すると、ぱっと桃真の顔が赤く染まった。
「好きなのは、本当だ」
「嘘つかないでいいよ。それだけ知りたくて。最近おかしいから」
 どうせ演技だろう、と思ってしまう自分と、そして、どこか期待してしまう自分。前者だけ顔に出して、呆れた表情でいうと、桃真は怒ったように言った。後半は、少し恥ずかしそうではあったけど。
「嘘じゃない。本気で・・・・・・好きだ」
「ふぅん?」
 目を細めて、疑っているていで桃真を眺める。すぐに困ったような顔になり、桃真はため息をついた。
「どうしたら認めてくれるんだよ」
「じゃ・・・・・・なんで、私を選んだわけ」
「え、だから・・・・・・そういうことだよ。別に他の人でもよかった・・・・・・けど、やっぱりそれくらいなら・・・・・・な? わかるだろ?」
 みなまで言わせないでくれとばかりに目が訴えかけてくる。
 どうせしなきゃならない契約婚なら好意を抱いている人の方がいい、ということだろう。確かにそうかもしれない。
「それは、そうだけど」
「それに、ある程度の秘密を共有できる人だったらいいなって」
「・・・・・・私はそのお眼鏡に、かなった?」
 桃真がうなずいた。
「そのうちに言えたらと思ってたけど、琥珀に先越されたな」
 ふわり、と、傷つき続けた胸に温かい布が被せられた気がした。
「そっか」
 そっか、桃真は・・・・・・、そっか。
 肯定の仕草を受け取ってしまったら、なにもかも信じられるような気がした。
「悪い。そういうことなんだ、もう忘れてもらっていいから」
 黙ってしまった藍に、怒らせたと桃真は勘違いしたらしい。
 忘れて、と指示を受けるべきは、百、未練たらたらの彼だと思うのだが。
 桃真が踵を返して、鳥居をくぐり帰ろうとする。
「でもさ!」
 つい、引き留めていた。
 桃真が振り向く。
「今、君が背を向けてここを去るとする。その場合さ」
「ああ」
「君は万年高二で、万年気孤なんでしょ?」
 狐の嫁入りの嫁がいない。つまり、天孤には上がれないのだ。
 これから待つ暗い未来を思い出したのか、桃真はうつむいて、唇を噛んだ。
 ああ、だよね。桃真の気持ち、信じていいんだよね?
 大きく息を吸って、
 口を開く。
「そんなこと、させないから、・・・・・・しゅ、う、げん前提で私と付き合お」
「・・・・・・は?」
 一瞬固まり、そしてじわじわと朱になっていく桃真の顔。
 沈黙に耐えられなくなって、桃真に近づき彼の頬をぐにっと引っ張った。
「顔が真っ赤だねぇ。え? 照れてます?」
 本当は、藍の方が多分、ずっとずっと照れている。顔に出にくくてよかった。
 藍のからかいに対する桃真の反応はなく、気まずい雰囲気が流れ出した。困った藍の手が、落ちるように離れてからも桃真は呆然としている。
「・・・・・・本気か?」
 桃真がつぶやいたことで、ようやく時が動き出した。藍は首肯する。
「ひとまず結婚まで、手伝うよ」
「いやそれ、ひとまずで済ますことじゃないからな? 人生において、すごく重要な出来事なんだぞ」
「形だけなんでしょう?」
 舞い上がっていたところにふっと現実を突きつけられたのか、うっと桃真は黙って、それから目を伏せた。
「でも、それでいいのか? だって相生さんには、好きな人が──」
 ほんの少し、ずきりと胸が疼いた。やっぱりここにまで蘭の元カノという立場はついてくるらしい。
 でも、もういい。彼の隣にいれること。それは、決して叶うことのない儚い夢だと、知っているから。
 それに、桃真の横も、そんなに居心地は悪くないのだ。
 だから藍は、微笑んだ。
「あ、嫌なの? じゃあもういいよ」
「っ惚れさせてやる!」
 ぱっと桃真が顔を上げた。
「お」
「だから、祝言──結婚前提に付き合ってください!・・・・・・お試しで」