深い深い物思いに、ひらりと白い手が舞い降りてきて、藍の意識を引き上げた。
「ちょっとアイ? 聞いてるの」
「あ〜・・・・・・ごめんごめん、なんだっけ」
「なんも話してないわよ。本気で聞いてないじゃん」
 朱音はふっとため息をもらして、スマホに視線を落とした。
「はぁ?」
 彼女の発言と状況。聞いてるのと聞いておきながらなんも話していないとは。齟齬が大きすぎて不満に頬を膨らませると、朱音は顔を上げて、にこりともせずに言った。
「小説とかドラマのセリフパクっただけ。でも、本当に聞いてるか聞いてないかは判断しやすいねコレ」
「なんなのよ」
 睨むと、彼女の両手で頬を手で挟まれ、諭すように言われる。
「自分から振っといて物思いに沈んでんじゃないの。自分勝手だねえアイちゃん」
「ん・・・・・・」
 むにむにと頬をいじられっぱなしの藍は、小さくうなずいた。
 そうだよね。自分から振ったのに。こんなんじゃ、まるで桃真に未練たらたらみたいだ。
 ・・・・・・いや、桃真に関してではないが確かに未練たらたらだ。未だ蘭のことを吹っ切れていない。夏が来ても、しこりのように心に残っていた。
「あ〜あ! いいカップルだと思ったのにな」
「やめてよ。てか、男遊び激しいやつみたいになってないかな・・・・・・」
 それが、今一番の心配だ。わずか一ヶ月の交際期間。いつかの誹謗中傷が蘇っては心を刺す。
「大丈夫よ。だって、大神くんの一方的な気持ちだったってのは常識だし。どっちの評価も下がらないよ。皆勝手にドラマ風に脚色して想像するし」
 大神くんの一方的な気持ち。
 朱音の言葉が、変に藍の心に引っかかる。それは、大きな間違いだったのに。
 いたたまれないとはこのことだ。
「でも、・・・・・・ほんとのところ、なにがあったわけ?」
「あ〜。桃真は化け狐で、それ秘密にされてたからむかついて振った」
「・・・・・・え本気?」
 本気だ。が、言えるわけもなく笑った。
「本気だと思う?」
「思わん」
 だよね、と、頬に小さく苦笑を浮かべた。
 ときどき、考える。
 あれは全部私の妄想で、桃真も琥珀も人間。桃真を振ったことさえ自分で妄想したんじゃないか・・・・・・って。
 化け狐。化け猫。この世に存在し得ないはずものたちだ。
 でも、隣に桃真がいないことが、未だどこか遠く感じるあの日を現実だったと突きつけてくるなによりの証拠だった。
 案外、桃真を気に入っていたのかもしれない、とふと思ってからいやいや違うだろうと否定する。桃真のことを度々思い出すのは、罪悪感と疑問がわだかまっているからだ。
 あの、表情。ほろ苦く笑う、どこか悲しそうな表情が、藍の心を罪悪感で締め付ける。
 朱音が顔をのぞき込んできた。
「ほんとはどうなの?」
「宇宙人だった」
「もういい。心配してやったのに」
 拗ねたように顔を背ける朱音。
「ありがと! 大好きだよ、朱音」
 気持ちを切り替え、ぱっと笑顔を浮かべて朱音に抱きつくと、彼女はその体を受け止めながら笑った。
「おっ、次の彼氏候補に入ったかなもしかして」
「悪くないかも」
 ふざけて頬に唇を近づけると、こっちからお断りだわ馬鹿と手ひどく振られた。
***