しばらくして現れた桃真の頭にも、耳。縁が黒く、今みればいかにもな狐の耳だ。
後ろを見ると、ズボンを破ってふさふさの尻尾も出ている。あのとき──あの果し状を見つけたときの尻尾だ。しゅん、とうなだれて、しおらしくこちらに問いかけた。
「いろいろ、聞いたか?」
「いろいろ話したわよ。私は、あんたのやり方おかしいと思う。なにも話さずに、藍さんの気持ちも考えないで」
藍の代わりに、琥珀が腰に手を当てて強く桃真を睨んだ。まるでお母さん。そんなひょんな仕草で、この二人の間にはそういうことはなにもないんだ、とわかった。
「じゃあ。ちゃんと話して、その上でこれから先を決めなさい」
「ああ。・・・・・・ありがとう」
瞬時に耳と尾を隠した琥珀が、稲荷神社から出て行った。桃真が先ほどまで琥珀が座っていたところに腰掛け、その隣に藍も座る。
桃真まで妖狐、なのか。まだいまいちわからなくて、耳や尻尾が生えた全身を眺めてしまう。
そのときぱっと閃いた。
「っあ、だから稲荷神社!」
「あ、そう。そうなんだ。狐は稲荷神の使いだからな。一番落ち着く、ここが」
「い、稲荷・・・・・・の、かみ?」
なかなか聞き慣れない言葉だった。神様? の、名前だろう。桃真はうなずいて、ちらりと後ろの本殿を見る。
「稲とか実りとかの神様。ここに祀られてる」
「そうなんだね」
「ああ」
「・・・・・・」
いつもみたいなテンポの良さは、遥か彼方へ吹っ飛んでいた。会話が続かない。
あの日、初めて喋った日だって、あんなに会話がしやすいなんてと驚いたのに。付き合えと言われて何度も聞き返したり、契約婚と言われたときも──
「本当に、契約婚だったんだ・・・・・・」
「・・・・・・ごめん」
ぽつりともらした藍の表情を見た桃真が、さっと青ざめて立ち上がり、頭を下げた。狐の耳が、目の前でふわりと揺れた。
「悪かった」
ここで大丈夫っていうのが、完璧な女なんだろう。気にしてないよ、これからもよろしくねって。利用してもいいよって。
普段のアイなら笑った。笑って、からかって、大丈夫だって言った。
でも、今日は言えなかった。
ごめん──その言葉が、頭の中に引きずられるようにして残る。
「・・・・・・うん。言って、欲しかった・・・・・・な」
それは、ほろりとこぼれた本音だった。
寸前で踏みとどまったけど、怒鳴りたかった。なんで? なんで? なんで仲間はずれにするの? そんなに私はあなたたちにとって情けないの? あなたの秘密を共有できないほどに小さな存在なの?
「わか・・・・・・れた方がいい、か?」
絞り出すように、桃真が言う。彼の口から出た言葉だけど、瞬間迷った。でも、もう、限界だ。
「正直・・・・・・ショックだった」
悔しかった。別に、形だけの契約婚くらい、構わない。確かに妖狐とか猫又とかよくわからなかったけど、妖怪を拒絶するようなそんな差別主義者ではないつもりだ。ファンタジーも嫌いじゃない。
ただ、言って欲しかっただけなのに。
すっと大きく息を吸って、藍は、口を、開いた。
「振らせてもらう」
「はは・・・・・・そう、だよな。うん。悪かった。本当に」
桃真がのろのろと立ち上がって、もう一度深く頭を下げた。藍の許しを乞うように。見ていられなくなって、藍は視線をそらした。
「・・・・・・謝らないでよ。悪いことしてる、気分になる」
「・・・・・・ああ」
顔を上げた桃真が苦く笑って、歩き出した。尻尾はついさっき消えたはずだ。なのに、まるで子犬がぶたれたかのように肩を落とす姿に、ふと地面に引き摺られていく尻尾を見た気がした。
ぱた、と、乾いた地面に水滴が落ちる。はっと目を上げるが、もう桃真の背中は角を曲がるところだった。
桃真がいなくなっても、雨粒は止まらない。何粒も。藍の手を、肩を打って落ちてくる。
彼はなぜ、あんな表情をしたんだろう。
答えはすぐに出せそうで、出せなかった。
後ろを見ると、ズボンを破ってふさふさの尻尾も出ている。あのとき──あの果し状を見つけたときの尻尾だ。しゅん、とうなだれて、しおらしくこちらに問いかけた。
「いろいろ、聞いたか?」
「いろいろ話したわよ。私は、あんたのやり方おかしいと思う。なにも話さずに、藍さんの気持ちも考えないで」
藍の代わりに、琥珀が腰に手を当てて強く桃真を睨んだ。まるでお母さん。そんなひょんな仕草で、この二人の間にはそういうことはなにもないんだ、とわかった。
「じゃあ。ちゃんと話して、その上でこれから先を決めなさい」
「ああ。・・・・・・ありがとう」
瞬時に耳と尾を隠した琥珀が、稲荷神社から出て行った。桃真が先ほどまで琥珀が座っていたところに腰掛け、その隣に藍も座る。
桃真まで妖狐、なのか。まだいまいちわからなくて、耳や尻尾が生えた全身を眺めてしまう。
そのときぱっと閃いた。
「っあ、だから稲荷神社!」
「あ、そう。そうなんだ。狐は稲荷神の使いだからな。一番落ち着く、ここが」
「い、稲荷・・・・・・の、かみ?」
なかなか聞き慣れない言葉だった。神様? の、名前だろう。桃真はうなずいて、ちらりと後ろの本殿を見る。
「稲とか実りとかの神様。ここに祀られてる」
「そうなんだね」
「ああ」
「・・・・・・」
いつもみたいなテンポの良さは、遥か彼方へ吹っ飛んでいた。会話が続かない。
あの日、初めて喋った日だって、あんなに会話がしやすいなんてと驚いたのに。付き合えと言われて何度も聞き返したり、契約婚と言われたときも──
「本当に、契約婚だったんだ・・・・・・」
「・・・・・・ごめん」
ぽつりともらした藍の表情を見た桃真が、さっと青ざめて立ち上がり、頭を下げた。狐の耳が、目の前でふわりと揺れた。
「悪かった」
ここで大丈夫っていうのが、完璧な女なんだろう。気にしてないよ、これからもよろしくねって。利用してもいいよって。
普段のアイなら笑った。笑って、からかって、大丈夫だって言った。
でも、今日は言えなかった。
ごめん──その言葉が、頭の中に引きずられるようにして残る。
「・・・・・・うん。言って、欲しかった・・・・・・な」
それは、ほろりとこぼれた本音だった。
寸前で踏みとどまったけど、怒鳴りたかった。なんで? なんで? なんで仲間はずれにするの? そんなに私はあなたたちにとって情けないの? あなたの秘密を共有できないほどに小さな存在なの?
「わか・・・・・・れた方がいい、か?」
絞り出すように、桃真が言う。彼の口から出た言葉だけど、瞬間迷った。でも、もう、限界だ。
「正直・・・・・・ショックだった」
悔しかった。別に、形だけの契約婚くらい、構わない。確かに妖狐とか猫又とかよくわからなかったけど、妖怪を拒絶するようなそんな差別主義者ではないつもりだ。ファンタジーも嫌いじゃない。
ただ、言って欲しかっただけなのに。
すっと大きく息を吸って、藍は、口を、開いた。
「振らせてもらう」
「はは・・・・・・そう、だよな。うん。悪かった。本当に」
桃真がのろのろと立ち上がって、もう一度深く頭を下げた。藍の許しを乞うように。見ていられなくなって、藍は視線をそらした。
「・・・・・・謝らないでよ。悪いことしてる、気分になる」
「・・・・・・ああ」
顔を上げた桃真が苦く笑って、歩き出した。尻尾はついさっき消えたはずだ。なのに、まるで子犬がぶたれたかのように肩を落とす姿に、ふと地面に引き摺られていく尻尾を見た気がした。
ぱた、と、乾いた地面に水滴が落ちる。はっと目を上げるが、もう桃真の背中は角を曲がるところだった。
桃真がいなくなっても、雨粒は止まらない。何粒も。藍の手を、肩を打って落ちてくる。
彼はなぜ、あんな表情をしたんだろう。
答えはすぐに出せそうで、出せなかった。