振られた気分だ。
 藍は、ずぅぅんと暗く沈んだ表情で、そう朱音に言った。
「なによ。振られすぎでしょ。大神くん?」
「違う。琥珀ちゃん」
 振られすぎ、とからかわれるくらいには、蘭の元カノ、桃真の今カノという地位が安定していた。桃真が藍と一緒にいることが多くなり、必然的に桃真に話しかける人も増えた。藍にベタ惚れの桃真から告白してその恋を成就させた、というのはうちのクラスでは常識で、それに対してからかってくる人もいる。いるというか、ほとんどの人がそんな感じだ。純粋な桃真は完全に遊ばれている。
 それでも正直、吹っ切れたとは言い難い。振られた気分、というのはかなり誇張した表現だ。
 できるだけ蘭の情報は入れないようにしているが、特に大きな噂は聞こえてこないので、きっと藍に遠慮して好きな子と付き合えていないのだと思う。もう他の子と付き合ってもいいんだよと先に示せたことは、桃真と付き合い始めてからの一つのメリットだ。
 それでも藍の心には、まだ彼がいる。
「え? どんな感じに振られたの」
「びっくりするほどの塩対応。戸惑ってたらもういいですか? って。あっちから出て行っちゃった・・・・・・」
 藍の視線の先、後方のドアを一瞥して、朱音はぎゅっと顔をしかめた。
「えっ、らしくない」
「そうなんだよ」
 琥珀のあんなに冷たい態度、見たことがなかった。朱音も驚いているところを見ると、彼女は本来あんな性格じゃないんだろう。
「嫌われてるのかも」
 ずぅぅぅぅん、ともっと暗くなった藍を見て、朱音は慌てて背中を撫で、慰める。
「そんなわけないじゃん! きっといらいらしてるんじゃない? お腹空いてたんだよ。昼休みだし」
「そ、そうだよね」
 いや、そうであってくれ。ほとんど祈るような気持ちの藍の耳に、朱音の独り言が滑り込んできた。
「修羅場だっ」
 語尾に音符でもついていそうな口調である。
「えっ朱音? 朱音ちゃん今なんて?」
「いやいやいや、いやいや、いや、私は味方だからね?」
 信憑性に欠ける。隅で売られているような雑誌が取り上げた潔白と名高い大人気芸能人のスキャンダルくらい、信憑性に欠ける。
 疑いの目を向ける藍に、慌ててぶんぶんと手を振る朱音。
「ほんと! ほんとだって!」
「ふぅん?」
「私だって琥珀ちゃんとは仲良くなりたいけどさ。修羅場も好きだけどさ」
「ほら見ろ」
 これこそ確定で黒だ。
「同じくらい、アイのこと大好きだから」
 ぎゅっと抱きつかれ睦言のように囁かれるが、これで騙される藍ではない。
「同じ『くらい』? 大なりイコール? いや最早イコール?」
「・・・・・・」
 苦い表情で考え込んだ朱音に、藍は彼女の手の中で、ため息しか出ない。
「ダメだこりゃ」
「あれ? アイ浮気してる〜」
 抱きついたままの二人の後ろから、野次が飛ぶ。
「してないから。朱音が抱きついてきたの。変に誤解されるからやめて」
 ちらりと教室で昼食を摂る桃真を見ると、わかりやすく固まっている。
「ほらぁ。どうすんのよ」
「ごめんごめん。大神くん、嘘だよ、嘘」
「アイ、ご飯食べよ」
 全く未練を見せずにぱっと藍から離れて、朱音が言った。
***