相生さん、と呼ばれる。
藍は手元の図形問題にかかりっきりで、顔を上げないまま聞き返した。きりが悪いのだ。図形問題ってひらめきだし。忘れたくない。
「ん〜?」
「一緒に帰ってもいいか?」
「うん」
放課後の図書室で自習、というシチュエーション。これは一緒に下校というのが定石だろうとうなずく。
「えっマジで?」
「なに、嫌なの?」
ようやく桃真の顔を見ると、桃真はかすかだが笑みを浮かべていた。
「嫌じゃない」
「にやにやしないでよ」
「え・・・・・・笑ってた? 俺」
桃真は、自分で自分の頬をむにっと挟んだ。いつものポーカーフェイスが崩れて子供のような表情になり、ついふっと吐息がもれる。
「うん。でれでれのメロメロ。自覚なし? 末期」
にまにまと顔を崩す桃真を置いてノートを閉じ、カバンに詰め込みながらからかうと、彼の頬が膨れた。
「うるさい」
「帰るよ〜」
「おいおい、待てよ」
「早く! 置いてくよ・・・・・・ぉえぇえええ、マジか」
立ち上がった藍のカバンが盛大に開き、参考書たちが溢れ出た。チャックがまだ未確認だったらしい。
図書室に響いた、どさどさどさっという音とほぼ同時に帰り支度を終えた桃真が、無情にも図書室の入り口へと歩き出した。「置いてくよ」と言いながら。
小さな復讐のつもりなのだろう。
「ちょっと、バカっ! 彼氏なら拾ってよ」
「こんなときだけ彼女ヅラ・・・・・・」
図書室には、他に人はいない。桃真がぼそっと言った言葉が耳に入った。にやっと口角をあげて見返す。
「え? なになに、嫌なの? 彼女ヅラ。え? 桃真くん?」
「・・・・・・ずるい」
桃真が悔しそうに引き返してくる。舌打ちでもしそうなほどに歪められたその顔は真っ赤だ。夕陽の影になっている机の近くにきてなお、わかりやすく。
とんとん、とプリントを机で向きを揃えてから渡してくれる、そのさりげない優しさ。
こういうとこ。嫌いじゃない、と改めて思う。──友達として、欲しい人材だ。
「ありがと」
「ん・・・・・・」
「じゃ、置いてくよ」
さっと立ち上がり、一人で静かに照れる桃真を置いて図書室を出た。かすかに聞こえてくる吹奏楽部の音や、体育館から漏れ聞こえるボールの音に混ざって、桃真の明らかに慌てている足音が追いかけてくる。
「待てって、それはないだろ!」
燃えるような夕陽が、藍の体温を上げていく。
校門から出て駅へ歩いていると、ぽん、と背中を押される。不意の攻撃によろめいていると、自転車に乗った部活帰りの友達が横に並んだ。
「アイ〜、帰るの?」
「あ〜、うん」
体勢を整えて、カバンを揺すりあげながら、そっけなく答える。これは、来るな。いつもの流れ。
「愛しの彼氏と?」
「うん、やめてね?」
流れるようににっこりと笑顔で返す藍に対して、横を歩く桃真が悶絶した。
「っ・・・・・・うぅ」
からかわれた藍よりも桃真の方が顔が赤い。両手で頬を覆い、女子のような仕草で小刻みに首を振っている。こういう反応が面白いから、いろんな人からからかわれるのだ。
「ごめんって大神く〜ん。じゃね、アイ」
けらけらと笑いながら、自転車で追い越していく。照れから立ち直った桃真が見送りながら、つぶやいた。
「そういや、アイって呼ばれてるんだね。相生さん」
「あ──うん。そうそう! 元カレがさ! 蘭って名前だから。読み方一緒でしょ? ややこしいからって。あだ名、あだ名〜」
不意打ちだった。彼の話題を持ち出されるのは。
だから少し、繕い方が不自然だったかもしれない。桃真がたちまち申し訳なさそうな、後ろめたそうな顔になった。
「あ・・・・・・」
「やだ。気にしないでね。そういえば、桃真って桃の真実、って書くんだっけ。可愛いじゃん。桃」
可愛いと言われてまた照れたのか、桃真がぷいっとそっぽを向く。
「でも、花言葉は・・・・・・天下無敵とかチャーミングとか、あと・・・・・・」
「え?」
「いや、なんでもない。だから、全然似合わねーの」
なにかを言いかけて、引っ込めたような口籠もり方だったが、結局なんだったのかは言ってもらえなかった。あとで桃の花言葉を調べておこう。
「ふ〜ん。それは確かに。チャーミングの真反対にいるもんね」
アイドルみたいに皆に慕われていた蘭と違い、桃真は重度の無口で、お世辞にも社交的とはいえない。最近はクラスメイトと話すことも増えたようだが。
「それは悪口と受けとっていい?」
微妙な顔。
「重々しくてかっこいいって意味。ダンディー」
「嘘つけ」
横目でにらまれて、思わずあははっ、と声を立てて笑ってしまった藍であった。
藍は手元の図形問題にかかりっきりで、顔を上げないまま聞き返した。きりが悪いのだ。図形問題ってひらめきだし。忘れたくない。
「ん〜?」
「一緒に帰ってもいいか?」
「うん」
放課後の図書室で自習、というシチュエーション。これは一緒に下校というのが定石だろうとうなずく。
「えっマジで?」
「なに、嫌なの?」
ようやく桃真の顔を見ると、桃真はかすかだが笑みを浮かべていた。
「嫌じゃない」
「にやにやしないでよ」
「え・・・・・・笑ってた? 俺」
桃真は、自分で自分の頬をむにっと挟んだ。いつものポーカーフェイスが崩れて子供のような表情になり、ついふっと吐息がもれる。
「うん。でれでれのメロメロ。自覚なし? 末期」
にまにまと顔を崩す桃真を置いてノートを閉じ、カバンに詰め込みながらからかうと、彼の頬が膨れた。
「うるさい」
「帰るよ〜」
「おいおい、待てよ」
「早く! 置いてくよ・・・・・・ぉえぇえええ、マジか」
立ち上がった藍のカバンが盛大に開き、参考書たちが溢れ出た。チャックがまだ未確認だったらしい。
図書室に響いた、どさどさどさっという音とほぼ同時に帰り支度を終えた桃真が、無情にも図書室の入り口へと歩き出した。「置いてくよ」と言いながら。
小さな復讐のつもりなのだろう。
「ちょっと、バカっ! 彼氏なら拾ってよ」
「こんなときだけ彼女ヅラ・・・・・・」
図書室には、他に人はいない。桃真がぼそっと言った言葉が耳に入った。にやっと口角をあげて見返す。
「え? なになに、嫌なの? 彼女ヅラ。え? 桃真くん?」
「・・・・・・ずるい」
桃真が悔しそうに引き返してくる。舌打ちでもしそうなほどに歪められたその顔は真っ赤だ。夕陽の影になっている机の近くにきてなお、わかりやすく。
とんとん、とプリントを机で向きを揃えてから渡してくれる、そのさりげない優しさ。
こういうとこ。嫌いじゃない、と改めて思う。──友達として、欲しい人材だ。
「ありがと」
「ん・・・・・・」
「じゃ、置いてくよ」
さっと立ち上がり、一人で静かに照れる桃真を置いて図書室を出た。かすかに聞こえてくる吹奏楽部の音や、体育館から漏れ聞こえるボールの音に混ざって、桃真の明らかに慌てている足音が追いかけてくる。
「待てって、それはないだろ!」
燃えるような夕陽が、藍の体温を上げていく。
校門から出て駅へ歩いていると、ぽん、と背中を押される。不意の攻撃によろめいていると、自転車に乗った部活帰りの友達が横に並んだ。
「アイ〜、帰るの?」
「あ〜、うん」
体勢を整えて、カバンを揺すりあげながら、そっけなく答える。これは、来るな。いつもの流れ。
「愛しの彼氏と?」
「うん、やめてね?」
流れるようににっこりと笑顔で返す藍に対して、横を歩く桃真が悶絶した。
「っ・・・・・・うぅ」
からかわれた藍よりも桃真の方が顔が赤い。両手で頬を覆い、女子のような仕草で小刻みに首を振っている。こういう反応が面白いから、いろんな人からからかわれるのだ。
「ごめんって大神く〜ん。じゃね、アイ」
けらけらと笑いながら、自転車で追い越していく。照れから立ち直った桃真が見送りながら、つぶやいた。
「そういや、アイって呼ばれてるんだね。相生さん」
「あ──うん。そうそう! 元カレがさ! 蘭って名前だから。読み方一緒でしょ? ややこしいからって。あだ名、あだ名〜」
不意打ちだった。彼の話題を持ち出されるのは。
だから少し、繕い方が不自然だったかもしれない。桃真がたちまち申し訳なさそうな、後ろめたそうな顔になった。
「あ・・・・・・」
「やだ。気にしないでね。そういえば、桃真って桃の真実、って書くんだっけ。可愛いじゃん。桃」
可愛いと言われてまた照れたのか、桃真がぷいっとそっぽを向く。
「でも、花言葉は・・・・・・天下無敵とかチャーミングとか、あと・・・・・・」
「え?」
「いや、なんでもない。だから、全然似合わねーの」
なにかを言いかけて、引っ込めたような口籠もり方だったが、結局なんだったのかは言ってもらえなかった。あとで桃の花言葉を調べておこう。
「ふ〜ん。それは確かに。チャーミングの真反対にいるもんね」
アイドルみたいに皆に慕われていた蘭と違い、桃真は重度の無口で、お世辞にも社交的とはいえない。最近はクラスメイトと話すことも増えたようだが。
「それは悪口と受けとっていい?」
微妙な顔。
「重々しくてかっこいいって意味。ダンディー」
「嘘つけ」
横目でにらまれて、思わずあははっ、と声を立てて笑ってしまった藍であった。