「きゃははは!まじウザいんだよ!」

横切った1年1組の教室で私の友達がいじめを受けていた。

「ブス!」
「消えろ!!」

誰がどう受けとってもトゲのある荒々しい言葉。それを一身に浴びせられているのは中野 楓(なかの かえで)。楓は自分の席で俯いてじっと座っていて、それを取り囲むようにおそらくスクールカースト上位者である女子数人がきゃはは、と盛大に嘲笑っていた。楓の髪の毛には生ゴミが付いている。彼女の机に広げられている教科書には「死ね!」という落書きがされている。酷い有様だった。

「黙ってないでなんか言ってみろよ!」
「……」

机をドン!と思いっきり叩かれ、肩を大きく跳ねらした楓。楓は「やめてよ!」なんて決して言わない。ただ、黙って俯いていた。

「あれやばいよねー、教師も見て見ぬふりだって」

隣を歩くクラスメイトが「あのクラスじゃなくて良かったよね」と言って苦い顔をした。うちの中学は3つの小学校から集まっていて、そこからクラスは程よくバラけるように編成されている。楓と私がいた小学校はかなり人数が少なく、規模が小さい。あとの2つの小学校からやってきた子達と比べると知っている顔ぶれも少ないし、その分馴染みずらい。小学校卒業時に、「不利だよね」って、そんな話を楓とした記憶が脳内に過ぎる。

「いじめてる子、ってさ、確か親が教育委員会の理事長だっけ?」

噂で回ってきた情報を口に出すと、友達は呆れ顔で小さく頷いた。

「そう。だから教師は黙認するしかないんだよ。いい大人が何やってんだろ」

学園者のドラマではよく登場する親が教育委員会理事長の一軍女子。親の権力に怯えていじめを黙認する教師も教師だけど…きっと、友達なのに…、数ヶ月前まで仲良しだったのに…、助けてあげない私も…、私だ​───────。

***

放課後。部活動に向かう生徒に抗うように万年帰宅部の私は身支度を済ませて昇降口へと歩き出した。部活動なんかやってないで家でテレビとかゲームとか好きなことしてた方がきっと楽しいと私は常日頃思っているナマケモノだ。

下駄箱で靴を履き替え、降り曲がったかかとを手でギュッ、と押し込む。ふと空を見上げるとさっきまで快晴だった青空にもくもくとグレーの雲が押し寄せていた。そして1分もしないうちに、雨がぽたぽたと地面を濡らし始めた。

うわ、雨じゃん……

天気予報を見る、という習慣がないせいで、突然の雨に打たれる事は度々ある。だけど思いのほか強くなってしまった激しい雨に今日の私は顔をしかめるしかない。ザー!と勢いよく地面を叩く雨の音が鼓膜にブスブスと刺さる。梅雨の時期だから仕方ないか。

はぁー…ついてない。まぁ天気予報見ない私が悪いんだけど。

不貞腐れながら北校舎にある公衆電話で母に迎えを頼もうか、と迷っている時、背中に声がかかった。

「あ、さくらちゃん」

聞き覚えのあるその声に振り向いた私はスカートをギュッ、と握りしめた。何故か身構えて、喉がヒュっ、となる。一気に緊張が走った。

「楓…」

そこに居たのは楓だった。楓は悪意に満ちた落書きだらけの上履きから悪意に満ちた落書きだらけの運動靴に履き替えると、「急に降ってきたね」と、空を見上げた。

「…」

私の隣に並ぶようにやってきた楓から1歩距離を置く。反射的にそうしていた。

「あ。もしかして…傘ない?」
「…」
「さくらちゃん天気予報見ない派だもんね。よかったら、一緒に帰らない?」

バッグから折り畳み傘を取り出した楓はそう言って私に微笑みかけた。そんな微笑みからも私はまた1歩距離を置いた。一緒にいる所を誰かに見られたら、喋っている所を見られたら、他クラスの私までいじめられるかもしれない。そんな不安に苛まれたのだ。

「ううん、いい」

さっさと楓の傍を離れないと。
頭の中はひたすらそれだけを思っていた。
……もう、さっさと帰ろう!
決意を固め、雨の中傘もささず駆け出そうとした私の腕は後ろからパッ、と掴まれた。

「…っ、ちょっ…なに…」
「あのね。さくらちゃん。私ちょっと相談したい…、事があって…」

視線を下に下げる。そこには悪意に満ちた落書きだらけの楓の運動靴が目に入った。なんだか責められている気がしてならなかった。
……相談、って何。
私はこんなに傷だらけなのにどうしてさくらちゃんは助けてくれないの?
って言いたいの?責めたいの?
足元の悪意が空気を伝い、私にまで伝わって来るようで何だかむしゃくしゃしてしまった。早く楓から離れないと、という焦りも相まってそれは加速していく。

「ごめん、急いでるから」

私はぶっきらぼうにそう言って、掴まれていた腕を振りほどく。皮膚には楓の手の温もりが僅かに染み付いていた。それでも構わず雨の中を全速力で駆け出す。校門をくぐったあたりで1度だけ昇降口の方を振り返ってみたけれど、そこにはまだ折り畳み傘を握りしめ、ポツン、と佇む楓の姿があった。
衣類に染み込む雨の重みが……
最後に見た楓の姿が……
なんだか重くて、学校から家までの10分程度。
全速力で走っているはずなのに、学校からどんどん遠ざかっていく自分の足はまるで何かに掴まれているかのように走りずらかった。

***
ピーポーピーポー…

救急車…?何かあったのかな?物騒だな。
ちょうど自宅が見えてきた辺りで救急車のサイレンが遠くの方で聞こえてきた。まだ雨は降り続けている。雨のせいか霧もぼんやりと漂っていて、視界が悪いから誰か事故にでもあったのかもしれない。

「ただいまー」

家に帰るなり、すっかり雨を吸収した靴下を洗面所で脱ぎ、雑巾のように絞る。かなり雨に打たれたから薄汚れた水がじわー、と溢れていく。両親は仕事で夜遅くまでいないため、それまでこの家は私の独占状態だ。

シャワー入るか。

これだけ濡れてしまってはもういっその事シャワーを浴びちゃった方がいいかもしれない。これで夜はお風呂サボろう。
それからシャワーを浴び、出ると、ブルルっ、とシャワー上がりの身体が身震いした為、早く髪の毛を乾かそうとドライヤーに手を伸ばす。もうすぐ夏がやってくる。そうしたらこの寒さもきっと心地よくなるんだろう。

***

「はぁー…」

あっという間にフローラルの香りに包まれた私は自室のベッドに横になり、私は目をつぶった。あっという間に睡魔がやってきて、私は夢の中にダイブする​───────…

「リズムに合わせてボタンを押してね!せーっの!」
《タンタンッ!!タタタン!タン!タタン!》
「よく出来ました〜っ!」

昼寝をすると高確率で夢を見る私だけど、今日も見てしまったみたいだ。

「次はレベルアップするよ〜っ!せーっの!」
《タタタン!タタタン!タン!タタタン!》
「よく出来ました〜っ!」

夢の中の私は身体が小さく、どうやら時が戻っているようだった。小学校低学年の頃だ。そして当時ハマっていた【ハッピー&リズム】というカードゲームのプレイ中だった。

うわー、懐かしい!

懐かしみつつも、ボタンを押す手は勝手に動く。もう何年も前の話だけどその動きはまだ私に色濃く染み付いているようだ。

「カードが出てくるよ!受け取ってね!」

ゲームが終わったあとは、下の受け取り口からカードがやってくる。昔はこのカードを集めるのに必死で、昔休みの日はよくパパにゲーセン連れてってもらったなぁ〜。
屈んで受け取り口に手を伸ばす。
今日出たのはホログラム加工されているもので、これはいわゆるレア、だ。

あ!レア!

今でもレアが出た時の胸の高鳴りは健在していて、当時と同じようにはしゃいだ。
今じゃ、このゲーム機、稼働終了しちゃって世界中どこへ行っても出来ないからなんかいい夢だなぁ…。まさに夢の夢だ。

トントン

レアに喜んでいる私の肩がその時、後ろから誰かに叩かれた。振り返った私は思わず息を呑む。

あ…、楓だ…。

そこに立っていたのは楓で、向こうも私同様姿が小学生だ。顔立ちも幼い。
一瞬、今日の帰り際の事を思い出し、気まづく思ってしまったけれど、楓が異様に明るい声を響かせた為、思考はそっちに持っていかれた。

「あ、もしかしてそれって、今月のレア!?すごい!いいなぁ〜【ハッピー&リズム】、私も好きなんだ!」

そのセリフを聞いた時、私はハッとした。
そうだ。楓との出会いは|ここだった。小学校でも中学校でも1度度も同じクラスになった事がなかった私達。そう。接点はここだったのだ。確か初対面なのに、【ハッピー&リズム】の話題で盛り上がって、それで友達に…。
もしかしてこれは…

‪”‬私と楓が友達になった時の夢?‪”‬

「あ、うん。今出たんだ」
「ちょっと見せて!」

そう言ってまじまじと私の手に持つレアカードを見つめる楓。カードを集める身としてはレアの存在はかなり大きいのだ。

あ、そうだ。確かこの後…

「ねね!よかったらカード被っちゃったのいっぱいあるから交換っこしない!?」

やっぱりそうだ。ここで余ったもの同士交換した記憶は今でも鮮明に残っていた。

「うん……、しよう」

お互いカードが収納されたカード帳を持参していた為、お互いにお互いのカード帳を見せ合いっこして数枚カードを交換した。別に交換なんかしなくたって良かったけれどどうしてか私はあの頃と同じように交換する選択を取っていた。

「あ!名前なんて言うの!?」
「さくら…」
「さくらちゃんか!私は楓!ねね!私達、友達になろうよ!」
「…」

涼しげにカードを交換しておいて、目の前ではにかむ楓の顔を凝視できない。だって数年後の私は…楓と距離を取っているのだから。いじめを、見て見ぬふりしているのだから。

「…嫌?」

なかなか返事をしない私に心配そうな眼差しを楓が向ける。

「ううん、嫌じゃない。なろう」
「やった!」

楓とはここで友達になれたから、学校ですれ違った時なんか雑談する間柄になったし、時々家でも遊ぶ程よく仲良くなった。共通の趣味が接点のなかった私達の関係をぐん、と縮めてくれたのだ。


ーーううん、嫌じゃない。なろう

何、言ってんだろ…。
いずれ……、何年後かの未来…
私は彼女を避けてしまうのに。

ふと我に返った私は目の前の楓の笑顔を見つめ、ズキズキと痛む胸にそっと手を当てた。

***
パチッ、と目を覚ますと自室の天井が視界に飛び込んできた。どうやら夢から覚めたようだ。
ふわぁーあ、とあくびをしながら夢の内容を思い出す。夢は現実影響される、とよく言うけど本当だ。今日は楓と久しぶりに話したからあんな夢を見てしまったのだろう。

ちょっと小腹空いたな。

リビングにあるお菓子BOXを見に行こうと自室のドアノブに手をかける。しかし何故かスっ、とすり抜けてしまった。

え?

それから何度も何度もドアノブに手をかけるけれど全てすり抜けてしまった。

なんで…?

訳も分からずまだ夢の中なのか?と錯覚に陥る。ありがちだけど頬をつねってみる。だけど痛みはちゃんとやってきた。夢じゃない事に確信を持ち、もう一度ドアノブに手をかけようとしたその時。ふと時計が視界に入った。ビックリして喉の奥がヒュっ、と音を立てる。

だって…

8時(・・)だ。

20時じゃない。そこに表示された時計には‪”‬8時13分‪”‬と表示されていた。

窓の外が明るかった。まるで…朝、みたいだ。いや、朝、だ。時計が‪”‬7月30日 8時13分‪”‬といっているなら朝なんだ。

ということは私は昨日学校から帰ってきてシャワーを浴びて、ベッドに寝っ転がった17時頃から今までずっと寝ていた…?昼寝のつもりだったのに、そんなに寝ていたの?

ん?……‪”7月30日‪”?

目を見開いた。

だって…昨日は、‪”6月11日‪”‬でしょう?

得体の知れない恐怖に飲み込まれていくのを感じて、私の息はだんだんと荒くなっていた。落ち着かせようと胸を抑える。そこで気づいた。
私の心臓が、動いていない(・・・・・・)事に。

嘘、なんで…

それどころか、私の体は今…、なぜか透明(・・)だった。ドアノブに触れられなかったのもそのせいだ。私はドアに頭をつっこみ、触れられない代わりに、すり抜けて廊下に出た。

どういうこと!?どういうこと!?

頭はパニックだった。全身が震えて仕方ない。それでも私は引っ張られるかのように無意識に震える足を動かし、ある場所に向かっていた。玄関をすり抜けて、体を何台もの車がすり抜けていく。そうして数分歩いてたどり着いたのは、近所の公園のすぐ横にある横断歩道だった。

「…っ、……っ、、」

そこには誰かがいた。
セーラー服を身にまとった、女の子。見覚えのある人物がスカートを折りたたんでしゃがんでいた。手には花束を持っている。頬には涙が伝っていた。

「…っ、……、、」

声を押し殺して泣いているようだった。
私は足を止めて彼女の姿を呆然と見つめる。
ポツリ、と誰にも届かない声を発した。

「楓…」

楓は色とりどりの花束が沢山手向けられた道沿いで手を合わせて泣いていた。

「さくらちゃん…っ、うっ…っ」

私の名前を呼んで、泣いている。その瞬間。私の脳裏にはある記憶がやってきた。忘れていたとてつもなく大きくて残酷な記憶だ​───────。

***

あの時…

「ごめん、急いでるから」

昇降口で楓の手を振りほどいた私は全速力で家まで走った。弾む息も、頬を伝う雨粒も無視して。

そして近所の横断歩道を渡った時だ。
ピ​ー!ってけたたましいクラクションの音が鼓膜を突き破るほど辺りに響き渡った。

「中学生が跳ねられたぞ!」
「誰か救急車!早く!」…

通りがかりの人達が騒いでいるのが斜めになった視界にぼんやりと入る。いつの間にか地面に横になっていた私はそこでゆっくりと瞼を閉じた。

ピーポーピーポー…

***

そうだ…

私…、死んだんだ。

ここで…、この場所で…。

ーー救急車…?何かあったのかな?物騒だな。

あの時耳にしたサイレンは…、きっと私が事故にあった為に出動した救急車の音…。
あの時すでに私は…。。

「さくらちゃん…っ、」

楓がガードレール下にそっと花束を置いていた。…疑問が走る。
どうして泣いてるの?
その花束なに?わざわざ私の為に用意してくれたの?どっかの花屋で買ってきたの?

目の前にいる楓の姿に胸がピリピリと痛んだ。
だって…、泣くことないじゃん。だって、私は…、あの時…、

ーーごめん、急いでるから

楓を無視したのに。
いじめを見て見ぬふりしたのに。

…気がつくと私の方が楓よりも泣いていた。

「かえで…っ、ごめん…ごめんね…っ」

それはもう…届かない声だった。

「ごめん…っ、」

それでも何度も謝った。
どんなに悔やんだって、もう遅いのに…。

「助けてあげなくてごめん…っ、ごめんね…」

ーーねね!私達、友達になろうよ!

どうして私はあんな夢を、見てしまったのだろう。どうして…。

あんなにキラキラしている思い出が、あるにも関わらず私は…、自分勝手で身勝手な行動を取ってしまっていたのだろう。

楓の背中にそっと手を伸ばす。
「ごめんね」ともう一度放ったその時、被さるように楓が口を開いた。

「さくらちゃんは…っ、この先もずっと…、私にとって1番大切な友達だよ…っ」

その言葉を聞いた時、私は大切な事に気付くのが遅すぎたかもしれない、と酷く思った。

「ありがとう、楓。」


私が死んだ日から
今日はちょうど49日が経つ。

あの夢も…。この景色も…。

多分これは…、





神様が下した私への罰だ。


消えゆく自らの身体を眺めて、私はそう思った。

(終)