※この回の主人公は、前小説『最後の日記』の番外編最終話で名前が明かされた三田悠希です。
『源次物語』の登場人物と深い関わりがある女性で、12月1日が主人公の誕生日なので更新しましたが⋯⋯
この回の前半が実は小説の冒頭に繋がっているという設定で、両方の小説を読んで頂けると後半の本当の意味が分かります。


澄み渡る
空に願いし幸せを
その(みなもと)
永遠(とわ)に護らむ

 その辞世の句は最後の特攻隊員が詠んだ句だと、借りた本の冒頭に書いてあった。
 そして、その本の後書きには著者が詠んだ句もあった。

春、過ぎて
香る心のゆく末は
ひろがる空に
光りかがやく

 私はその句を読みながら、本来漢字で書く部分が平仮名になっているのには何か意味があるような気がしていた。

 私が図書館でその本を借りたのは、最初のページに懐かしい名前があったのと、パラパラめくる中で本の中に自分と同じ名字や誕生日が出てきたからだ。

 もう何十年も前に出版されたであろう古い本⋯⋯
 本はいつもデータで読んでいたが、入院するに当たって久し振りに紙の本が読みたくなり、図書館に行って偶然出会った本だった。

 私は、奥の片隅にあった本棚の誰にも気付かれなさそうな場所に置かれていたその本に、吸い寄せられるように手を伸ばした。
 こんな事を言うと変な風に思われるかもしれないが、本に呼ばれた気がした。

 私は三田悠希(はるき)というプレートが付けられた病院のベッドの上で、おなかの痛みを誤魔化しながらその本を読んだが、著者の親友が詠んだという冒頭の辞世の句が生まれた背景を読みながら涙が止まらなくて⋯⋯
 その句に込められた本当の意味に深く感動した。

 そして、その本を後書きまで読んで「恩人の篠田へ」という著者の高田源次という人が詠んだ句を見た時⋯⋯
 何故か懐かしくなると同時に、名前と誕生日を思い出して鳥肌が立った。

「春、過ぎて⋯⋯香る心のゆく末は⋯⋯ひろがる空に⋯⋯光りかがやく⋯⋯ってもしかして⋯⋯」

 本の中の謎と今まで自分が見聞きしてきた事の全てが繋がっていく気がした。

 確かめようと本の最初のページに戻ると⋯⋯
 気が遠くなるのと同時に歴史の渦に呑み込まれていくような……本の著者の視点の人生が映像になって目の前に狭ってくるような、不思議な感覚に私は陥っていった。

 私の中に流れ込んでくる記憶⋯⋯
 最後の特攻隊員に選ばれ、一時は死を覚悟したという、その本の著者の方の人生が⋯⋯


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 一体どの位の時間が経っていたのだろうか。

 2008年4月1日、
 高田さんが亡くなった日……
 気が付くと私は、高田さんの最期の場面の映像を木の上から見ていた。

未来を生きる君がどうか、
幸せに生きていけますように……

あの子が生きていく先の未来で、
沢山の大切な誰かに出会えますように……

 幸せを願いながら、こちらに手を伸ばそうとしている高田さんの近くに行こうと、手を伸ばして必死にもがくが届かない。

 そのまま真っ白な光に包まれ……高田さんの身体は消えようとしていた。

「高田さん!? 待って⋯⋯高田さん!!」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「三田さん! 三田悠希(はるき)さん! 大丈夫ですか?」

 看護師さんの呼びかけに病院のベットの上で目覚めた私は、泣きながら天井に向かって右手を伸ばしていた。

「⋯⋯すみません⋯⋯大丈夫です」

「よかった〜うなされていたみたいなので、念のためご主人をお呼びしたんです。もうすぐ来ると思いますよ」

「ご心配おかけしました。どうもありがとうございます」

 私は本の著者の高田さんの人生が投影された走馬灯のような映像を見て、今まで自分が見聞きしてきた事の全てが繋がった。

 本の冒頭では懐かしい名字しか書かれていなくて分からなかったが、後書きを読んで分かったデイサービスの職員の名前⋯⋯

 著者の奥様と同じ1月7日生まれの篠田春香は⋯⋯
 亡くなった私の祖母だった。

 私の名字は三田だが、結婚前の名字は篠田だから⋯⋯

 直接的に名前は書かれていないが、「恩人の篠田へ」と書かれた高田さんが詠んだ句の頭の文字が、坂本さんが遺したように暗号になっていてすぐに分かった。

 なにより走馬灯の映像に名前が出てきたし、その笑顔は古いアルバムの中で見た笑顔と同じだったから⋯⋯

 高田さんは祖母が知らないうちに、祖母を助けてくれていた。
 祖母から聞いていた一度だけ自分から人生を終わらせようとした場所⋯⋯
 それは、本に出てきた場所と同じだった。

 クラクションが聞こえて振り向いた先のビルの液晶パネルから聞こえてきた音楽が、同僚に渡されたCDで一番好きな歌で⋯⋯
 実は祖母の過去と不思議な繋がりがある歌だった事に気付いて生きる希望を貰ったから、踏み留まる事ができたそうだ。

 後書きに書かれていた伝えたかった言葉は、高田さんが最期の日に言っていた言葉と同じだった。

 そして私は、運命のような不思議な奇跡に気付いてしまった。

 これは祖母から聞いた話だが⋯⋯
 祖母の曽祖父母夫妻は曾祖母の旅先だった高知の川で出会ったそうだ。
 車のタイヤに乗った状態で川に流されてきた曾祖父を曾祖母一家が助けたが、記憶喪失で名字しか覚えておらず身元を探したものの見つからず⋯⋯
 仕方なく一緒に埼玉に帰って新たに戸籍を作ったり、色々お世話しているうちに結婚する仲になったとのことだった。

 晩年高知を訪れた時に昔の記憶が蘇り、戸籍を調べたら家族は亡くなった後だったけれど⋯⋯
 東京にある龍の名前のついたお寺にご先祖様のお墓があるから、隣に篠田の名前でお墓を作り、死後はそこに埋葬して欲しいと遺言を遺したそうだ。 

 つまり、祖母の曽祖父は⋯⋯
 篠田弘光さんの行方不明の父親だった。
 私と篠田さんの祖先は同じで、遠い縁ではあるが血が繋がっていた。

 病室に来た夫に全てを話すと、もう一つの不思議な奇跡の繋がりを聞いて鳥肌が立った。

 運命に引き寄せられたように出会った夫の名字は三田だが、ご先祖様は土浦の食堂で出会って結婚していたなんて⋯⋯

 つまり夫は、本に出てきた三田由香里さんと平井隆之介さんの子孫⋯⋯
 平井さんは源次さんが好きな江戸川散歩先生の息子さんで、実は源次さんと立教大学の頃からすれ違っていた。

 なぜなら江戸川散歩先生は当時、立教大学の隣に住んでいたそうだから⋯⋯
 そして実は立教大学は、祖母も昔、通っていた大学だった。

「全ては偶然じゃなくて必然だったんだね⋯⋯」

 私は、手帳の中に手紙を書いた。

〈最後の特攻隊員だった祖母の命の恩人へ〉

高田さん
祖母を命がけで助けて頂き
本当にありがとうございました
篠田さん
あなたが親友を護り
その親友が私の祖母を護って下さったおかげで
私はいま生きています

あの時、諦めないでいてくれて
未来を信じて下さって
本当にありがとうございました

もうすぐお二人の夢は叶います
不思議な奇跡が出会わせてくれた
最後の特攻隊員の方々に
せめてもの誕生日プレゼントを⋯⋯
~~~~~~~~~~

 私は確かな鼓動が聞こえる、膨らんだ自分のお腹に手を当てて、赤ちゃんに語りかけた。

「あなたの名前決まったよ? 私達の恩人が大好きだった『空』⋯⋯」

「遠い親戚の弘光さんが最後に願い、高田さんも本当はずっと叶えたかったはずの、二人の夢の名前⋯⋯」

 切迫早産で入院している間、ずっと不安だったが⋯⋯
 「もう大丈夫」とお墨付きを貰い、私は退院を許可された。

 ちなみに私の誕生日は高田さんの妹の純奈さんと同じ12月1日だが、お腹の子の予定日は7月7日の七夕だそうだ。
 元々は七夕の日のすれ違いから日中戦争が始まり、その延長線上に太平洋戦争が起こり、日本は大切なものを沢山失ったけれど⋯⋯

 もし本当にこの子が七夕に生まれたら、世界中の国のすれ違った心が一つになって、学校で叶うはずがないと笑われた『世界中の人達が幸せになりますように』という願いも叶う気がした。

 ふと私は昔、祖母が生きていた頃に一緒に行ったお墓参りの帰りに、祖母が何故か隣のお寺のお墓にも手を合わせていたのを思い出した。

「高田さんのお墓だったんだね⋯⋯」

 時を超えた不思議な繋がり⋯⋯
 入院中、「安静にしなくてはいけないから」と読むための本を探しに行った先で、私は運命の本に出会った。

 ネットではあり得なかった不思議な出会い⋯⋯
 本屋や図書館は昔より大分減ったそうだが、無くしてはいけない大切な場所だと思った。

 退院日……病院を出て空を見上げると偶然ツバメが飛んできて、なぜだか祖母が何かを伝えようとしている気がした。
 その時の祖母の声は、私達の『空』が生まれてから知ることになるのだけれど⋯⋯

思いはいつか伝わる
願いはいつか叶う
たとえ今すぐ伝わらなくても
生きているうちに叶わなくても
諦めなければ
願いを託せば
巡り巡って未来の誰かが⋯⋯
たとえ時代や場所が違っても
見上げた『空』が想いを繋いでくれるから⋯⋯

 どんなにすれ違ったり、絶望的なことがあっても、
 お互いを理解しようと歩み寄ること⋯⋯
 いつか届くと信じて思いを伝えること⋯⋯

 何も無くなった場所でも、『明日(あす)への希望』を信じて、これから生まれる沢山の奇跡の出会いをくれた人達がいたように⋯⋯
 誰かの幸せを願い、未来の自分を信じて、最後まで生きることを諦めてはいけない⋯⋯と強く思った。

「春、過ぎて⋯⋯香る、心のゆく末は⋯⋯ひろがる、空に⋯⋯光り、かがやく」

 私は、「恩人の篠田へ」と書かれた高田さんの後書きの句を呟きながら⋯⋯
 自分の中に確かに宿る『明日への希望』と『未来を生きる君たちへ』という運命の本を胸に抱いて、真っ直ぐ歩きだした。