源次物語〜未来を生きる君へ〜

 1946年1月7日に僕は同じ場所で純子にプロポーズし、僕達は結婚した。
 プロポーズの言葉は坂本くん並にキザな台詞を言ってしまい……
 恥ずかし過ぎて目を瞑り、お辞儀をしながら差し出した日記帳を、純子は泣きながら受け取ってくれた。

 「最高の誕生日プレゼントありがとう……結婚しよ? 源ちゃん」と最高の泣き笑いの笑顔で……

 僕は飛び上がるほど嬉しくて、抱き締めながら「僕が一生、守るから」と言ったら、「守ってくれなくていい……私があなたを守りたい」と言われてしまった。

 そして僕達は、ある約束をした。

「源ちゃん、お願いがあるの……約束して? 私より絶対長生きするって……私、もう二度と大切な人を先に亡くしたくないの」

「僕は君が先にいなくなるなんて耐えられない……同じ瞬間に死にたい」

「駄目! 約束してくれないなら結婚しない!」

「ええ~!? しょうがないな、約束するよ……じゃあ君より少しだけ長生きして同じ日に死ぬ! それもダメだっていうなら結婚しない!」

「ええ~!? 何それ~じゃあ私、うんと長生きしないとだわ」

 そう言って笑う純子の横顔は、夕日に照らされて光っていて……
 本当に本当にキレイだった。

 入籍の日は11月1日に決めた。
 そうすれば結婚記念日と共にヒロの誕生日を毎年祝えるから……

 因みに平井くんは肺の病で一時危なかったそうだが、治って無事に由香里ちゃんと結婚したという手紙が届いた。
 そして坂本くんの赤ちゃんも無事生まれたそうで……
 付けられた名前は「(はじめ)」……坂本亘の「亘」は「一」で挟まれているから、だそうだ。
 島田くんのお母さんもお元気で、長生きすると張り切っているらしい。

 1946年……清水かづら先生は戦後の子供達のために文化会の会長になり、ヒロの描いた『最高に幸福な王子』を劇にして小学校の講堂で公開してくれた。
 そして僕達の描いた『未来を生きる君へ』とヒロの描いた『最高に幸福な王子』は市の図書館に寄贈されることになった。
 僕は漫画を今後も描かないのか聞かれたが、ヒロの書いた物語以外を描く気は全くなかった。

 僕達は必死に勉強をして……僕は日本史の教師、純子は音楽の教師になった。
 平井くんは作家になり、推理小説や童話を書いたり、特攻で空に散った仲間を忘れて欲しくないと色々な本を出した。
 平井くんのお父さんの正体が、実は江戸川散歩先生だと聞いた時は本当に驚いたが……
 思い返せば幾つもヒントがあった気がする。

 生活がだいぶ落ち着いた頃、僕達と平井くん夫妻は立教のチャペルで合同結婚式を挙げた。
 平井くんちと違って僕達二人の間には子供はできなかったが、僕達は本当に幸せだった。

 何の因果か分からないが、巡り巡って純子が通っていた女学校である女子高の教師となり……絵が上手いからと美術部の顧問もやる事になった。
 
 1964年10月10日……僕達が学徒出陣壮行会をやった「明治神宮外苑競技場」が 「国立競技場」へと生まれ変わり、東京オリンピックが行われた。
 何も無くなった焼け野原だった東京に沢山の新しい建物ができて、皆が希望に満ち溢れていて……昔の景色と今の景色を重ね合わせて涙が出た。

 1970年8月15日……戦後25周年の講演が地元の文化センターで行われるそうで、特別講師として講演を頼まれた。
 地元に暮らす戦争体験者であり、歴史の教師でもあるから適任という事になったらしい。
 丁度その年は、僕達が住んでいた大和町も市制施行に伴い……新しい市の名前を市民から募集していた。

 講演の日、僕はとても緊張していた。
 戦後生まれの戦争を知らない沢山の学生が聞きにくるそうだが、果たしてずっと言いたかった事を伝えられるのだろうかと……

 僕は持参した資料を元に太平洋戦争の歴史を説明した後、事前に用意してきた原稿を読み上げた。

~~~~~~~~~~
講演の最後に、私が戦争という時代を振り返ってきた中で最後に見つけた「戦争を繰り返さないために大切な事」をお話ししたいと思います。

1945年8月15日……25年前の今日、日本は負けて太平洋戦争が終わりました。

原爆、空襲、特攻、自決、飢餓……日本には本当に沢山のつらい悲劇が起こり、日本各地や遠い異国の地で戦っていた方を含め、本当に沢山の尊い命が犠牲になりました。

この戦争による日本の戦没者は軍・民合わせて約310万人……
戦争がなければ沢山の夢や希望を持ち、笑って暮らしていたかもしれない約310万人もの方々が、沢山の想いを残し亡くなってしまいました。

軍国主義を掲げ、自国の利益のみを追求した先に起きた戦争……
国民の命を軽視し、戦って戦って何億何千万人もの人々の幸せを犠牲にして日本は負けました。

人が殺し合う戦いに正義なんてない。
戦争は沢山の人の命を奪い、生き残った人々の人生をも狂わせました。
人を殺した事を褒めるなんて最低な世界で、誰が幸せになれるのでしょうか。

自国の利益のみを追求した主導者が他国を侵略・搾取し、他者の命や権利を踏みにじる……その先で憎しみが憎しみを呼び、その恨みは結果的に自国に還ってきて沢山の人々や未来の子供達を不幸にする。

私達はその事に、やっと気が付きました。

家族の命を奪った人を憎むのは当然の心理です。
でもそれで、その国や同じ人種の人達を全員悪魔だと決めつけて皆殺しにしようと思うのは絶対に違う。

他国を憎むように子供達を教育するのも、差別を助長して新たな悲劇を生むだけです。
沢山の血を流し、やっとの思いで締結した条約も簡単に反故にするような国は、将来的にも信用されず、世界から見放されてやがて衰退するでしょう。

今の平和は、沢山の犠牲の上に成り立っています。

戦争を繰り返さないために、私達は何をすればいいか……
それは未来ある子供たちに戦争の悲惨さを伝え、二度と繰り返さないよう伝え続ける事なのではないか……
その事に気付いた時、私は歴史の教師になろうと決意しました。

これから生まれる子供達には、僕達のような思いを絶対にして欲しくありません。
戦争で起きた沢山の事を、今、生きる事を諦めている人や未来を担う子供達に伝えたい。
これから先の未来を生きる人達には、もっと幸せに生きて欲しいから……

実は25年前の今日、私は特攻隊員として死ぬはずでした。
私の代わりに親友が飛び立ち、私は生き残ってしまい……
いや、生き残ることができました。
そして「篠田弘光」……弓へんのヒロに光という名前を持つ、私のたった一人の親友は……日本で最後の特攻隊員になりました。

私は彼に生きていて欲しかった。
今でも夢に彼が……彼の笑顔が夢に出てきます。
彼とやりたい事、話したい事が本当に沢山ありました。
戦争さえなければ、今でも笑い合っている未来があったはずでした。

なぜ特攻隊員は……とよく聞かれるので今回、私なりに考えたのですが……
特攻隊員達が自分の命を賭してでも飛び立ったのは、大切な人を守りたいという強い想いがあったから……

笑顔の写真を残して逝ったのは、せめて最後に笑顔を覚えていて欲しいから……

手紙や辞世の句を残したのは、亡くなった後も大切な人の希望になりたいと思ったから……

違う風に思っている方もいるとは思いますが、私は沢山の仲間達を見てきてそんな風に思いました。

篠田は沢山の事を、命を懸けて教えてくれました。
あいつは坂本龍馬みたいな奴で、本当は戦争のない世の中を作ろうとしていた、誰よりも平和を願っている奴でした。

彼の笑顔や言葉、大切な人への想い、戦友との絆は、死と背中合わせだった世界の中での「希望の光」でした。
篠田を始め、同期の仲間や戦争で亡くなった沢山の人達は、私の中で今でもちゃんと生きています。

因みに僕達が昔いた百里基地では、終戦20年後の1965年11月に自衛隊所属の「百里救難隊」が編成されました。

百里基地に掲げられているスローガンは、
「That others may live~他を生かすために~」

特攻隊員を含む、沢山の戦争で亡くなった方々の、国や家族や大切な人を守ろうとした想いは、今でもちゃんと受け継がれています。

私が戦争で亡くなった方の人数を時系列でお話ししたのは、愚かな戦争を始めた事で一体どれだけの大切な命が失われたのかを知って欲しかったからです。
そして、その先に数字では表せない沢山の想いがあった事も知って欲しかった。

自国の亡くなられた方々はもちろんですが、戦った相手である米軍をはじめ、戦争に巻き込まれて亡くなられた外国の方々にも大切な家族や仲間がいたことを忘れてはいけません。

原爆には、原爆投下数日前に日本に撃沈されて米海軍史上最大の悲劇とされた「インディアナポリス乗組員たちのために」という言葉が書かれていたそうです。

そして原爆の被害は想像を絶する地獄で……
先程は敢えて言いませんでしたが、灼熱で人が炭になっただけでなく……爆風で急激に下がった気圧のせいで、目玉が飛び出て垂れ下がった目玉を手で受け止めながら亡くなっていた方もいたそうです。

私も東京大空襲などで地獄のような情景を目にしてきましたが……原爆という更なる地獄に焼かれた広島や長崎の人達の恨みは、さぞ深かったろうと思います。

しかし彼らは「目には目を」という報復を訴えるのではなく、自分達のような苦しみを誰にも味わわせてはいけないと「核兵器廃絶」を求めて色々な活動を始めました。

広島平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」という誓いが刻まれています。

彼らは憎しみや自分の恨みを晴らす事に執念を燃やすよりも、他人を思いやる心を持っていた。
私達は、それを忘れてはいけない。

日本は唯一の戦争被爆国です。

世界で唯一の被爆国だからこそ伝えられる事があるのでは……
日本だからこそできる事があるのではないか……と私は思います。

もし再び世界が戦争に向かおうとしたら……沢山傷ついてきた日本なら、憎しみ合うより互いを思いやる、人と人とを繋ぐ「和の心」を世界に伝えられるのではないでしょうか……

元を辿れば国などなかった原始の時代から、私達は助け合って生きています。
肌の色など関係なく、私達は同じ祖先から生まれた兄弟で、私達には皆、同じ赤い血が流れています。

想像してみて下さい。
戦争で流れる血や涙は、自分の痛みであると……

元々は七夕の日のすれ違いから始まった日中戦争、その延長線上に太平洋戦争が起こり、私達は大切なものを沢山失ってきました。

大変な時代を乗り越えて日本がここまで復興できたのは、助け合う「和の心」があったからです。

空襲中、ある方は自分の命を危険にさらしてでも他人を助けようとしたし、ある方は赤ちゃんを亡くした母親から「この子の代わりに頑張ってね」と大事に持っていた水あめを差し出されたそうです。

「人の痛みを分かる心を持つこと」

これが平和の原点だと私は思います。
人の優しさこそ、未来の命を救う希望です。

私は、沢山の命が教えてくれた「和の心」、そして親友や仲間達が教えてくれた「希望の光」を忘れないよう……
この大和の町の新しい名前が「和光市」になったらいいなと思っています。
色々な候補が出ている中で選ばれないかもしれませんが、「大和が平和に光り輝きますように」という願いも込めて……

「戦争という最も愚かな人間の所業を、二度と繰り返さない」

それが死んでいった者達にできる、唯一の弔いだと私は思います。

憎しみは憎しみしか生まない、
新たな不幸の連鎖は断つ、
お互いに過去の過ちを認めてやり直す、

天災は避けられませんが、戦争だけは人の力で避けることができます。
どうせ戦争はなくならない、と言っていたら永遠になくならない。
戦争を終わらせるんだと諦めずに世の中を変えようとした人達がいたから、今の日本がある。

「戦争のない世界にする」

それは世界中が協力すれば……
皆で諦めずに願い続ければ……
いつか必ず、できる事なのではないでしょうか。
~~~~~~~~~~

 講演後、外に出ると雨が降っていて……
 まるで今まで犠牲になった何万何千という人達の代わりに、空が泣いてくれているようだった。

 純子は今年の誕生日にプレゼントし直したスミレ色の折り畳み傘を差し出してくれて、二人で相合い傘で一緒に帰った。

 家に帰ると、すっかり雨は止んでいて……
 玄関の上を見ると、ツバメが巣立っていなくなっていた。
 今年は長めにいてくれたのだが、僕は寂しくなって思わず呟いた。

「なあヒロよ……鳥に生まれ変わるなら、スズメになってくれたら一年中そばにいられたのかな…………毎朝お前の声がうるさいと文句を言いながら起きて、米の一つでも一緒に食べて……」

「でも私はツバメが好きだ……お前はどこまでも飛んでいく、そして必ず帰ってくる……また来年会えるのを、楽しみにしているよ」

 その時、雨上がりの空をツバメが一瞬通り過ぎた。
 あっという間に空高く飛び、一番先頭で沢山の鳥達がその後に続いていく……

 僕はそれを見てヒロの描いた『最高に幸福な王子』を思い出し、久し振りに絵が描きたくなった。
 そして私が長期間かけて学校の美術室で描きあげたその絵は、勤めていた女子高の玄関に飾られる事になった。

 10月31日 ……
 市の名前が「和光市」に決まった。
 僕の話が影響したのかは分からないが、応募された市名で一番多かったのが「和光市」だったそうだ。

 11月1日……
 誕生日プレゼント代わりにヒロの位牌の前で、その事を報告した。
 ヒロの名前の一部である「光」と、願っていた平和の「和」が合わさった「和光」……
 その名前が永遠に場所の名前として遺ることが、僕は嬉しくて嬉しくて堪らなかった。

 思えば東京大空襲でも焼け残って希望の塔になったのは、銀座の「和光」ビルだった。
 全てを失い絶望していた人たちの「希望の光」になった名前……
 本当に不思議な偶然もあるものだ。

 それから何年も時が過ぎ、幸いな事に私は「日本史の高田じい」というアダ名も付けられ、めでたく定年を迎えることができた。

 そして1989年1月7日午前6時33分……
 昭和天皇が崩御され、64年間にわたる昭和という時代が終わった。
 純子の誕生日である1月7日は、「昭和最後の日」になった。

 2001年11月1日は、立教の戦没者名簿の「平和祈念碑」の除幕式が池袋のチャペルで行われ、平和を祈る日になった。

 そして2003年4月1日……
 通っていたデイサービスで、運命の親友と同じ名字である、あの子に出会った。
 まさか、その子と出会う前に奇跡の繋がりがあり、純子を亡くして絶望していた私を色々な意味で救ってくれる存在になるなんて、その時は全く思っていなかった……
※この話は特に『最後の日記』の小説と繋がりが深い内容になっています

 2004年1月7日……
 1年前の誕生日の日に亡くなった妻との「同じ日に死ぬ」という昔の約束通り、私は今日で全てを終わらせようと思っていた。
 そして朝起きて、渡せなかった日記を見た途端……急に虚しくなった。
 
「おめでとうと伝えたい君は、もうこの世にいない! 新しい日記は真っ白なまま! 君との約束通り、今日死のう……こんなもの、もういらない!!」

 日記をゴミ箱に叩きつけて捨てようとした時だった。

ピンポーン
「おはようございま~す、デイサービスの篠田です! お迎えにあがりました~」

 私は返事をした後、ふと思い立ち……日記を紙袋に入れて、同じ誕生日である篠田さんに渡すことにした。

「誕生日おめでとう……これを貰ってくれないか?」

 そして私は帰りがけ、11月15日に彼女から誕生日プレゼントを受け取るという、新たな未来の約束をしてしまった。

「誕生日プレゼント……か……」

 8月16日……ヒロの命日で終戦日の次の日……
 デイサービスに行くと、夏祭りの行事の日とのことで色々な企画があって本当に楽しかったが……
 祭りの最後に篠田さんが、「皆さん中々行けないと思いますので、近くの花火大会を撮ってきました~」と花火のビデオをテレビで流した。

ヒューーーードゥオーーーン
シャーーーシャーーー

 私はその音を聞いた瞬間、動悸がして東京大空襲のトラウマが蘇り……「花火は嫌いだ、戦争を思い出すから」とデイルームをそっと退出した。
 我ながら情けないが、これ以上あの部屋にいると耳を塞いで叫んでしまいそうだった。

 すると篠田さんが「大丈夫ですか!?」と心配して、すぐに駆け寄ってきてくれた。
 その時デイルームから、ある音声が流れた。

「続いてはメッセージ花火です! 『大好きなおじいちゃんへ……いつも空から見守ってくれてありがとう。お盆だから感謝の気持ちを込めて花火を送ります。本当は一緒に見たかったけど、お空から見えるといいな』……」

 私は不思議とその言葉を聞いて久し振りに花火が見たくなり……デイルームに戻って何十年振りかの花火を見た。

「何だコレ…………キレイだ…………本当に……キレイ……」

 沢山の恐ろしくて悲しい思い出が、一瞬にして新しく塗り替えられていく気がした。

 帰りに送ってくれる篠田さんの軽自動車に乗り込むと……彼女は涙声で言った。

「高田さん、今日は花火なんて流して本当にすみませんでした! 前に高田さんが『花火は見に行けないから』って寂しそうに言ってたの……足が悪くて見に行けないからじゃなくて、つらいから見られないって意味だったのに……『みんなでキレイな花火見ましょう』とか言っちゃって……私、何にも分かっていなかった……」

「いいや……キレイなものを見てキレイだと素直に言える事は、とても素晴らしいことだよ? それに本当に今日は嬉しかった……ああ、僕達が願っていた幸せな時代になったんだな~と思えてね……」

「そんな…………今日テレビでやってた終戦日追悼式のニュースの空襲の音を聞いて気付きました……花火の音とそっくりで、なんて残酷な音なんだろうって…………私のせいでトラウマを思い出させてしまってすみませんでした!」

「いいや……寧ろ今日は久し振りに花火が見られてよかったよ……それに君のおかげで色々思い出した。花火には元々『鎮魂』の願いが込められているんだ……それと……」

「それと何ですか?」

「実は僕は昔、特攻隊員でね……仲間達は本の暗号に想いを託したり、今まで隠していた思いを打ち明けたり、僕達の幸せを願いながら旅立ってしまったけれど……君のおかげで思い出したんだ。訓練していた基地が花火大会で有名な場所の近くで、いつか一緒に見たいなと思っていたこと…………今日は何だか同期の仲間と一緒に見られた気がしたよ、ありがとう」

「こちらこそ……ありがとうございます」

 篠田さんは涙を拭いて車を発進させた。

 2004年11月15日……
ピンポーン
 いつもの様に迎えに来た篠田さんが、私が玄関のドアを開けるなり言った。

「高田さん、今日は誕生日おめでとうございます! 今日は高田さんの誕生日会がありますからね~ケーキのデザインも私が考えたんです! 偶然、今月の誕生日会係で本当によかった」

 デイサービスで皆にお祝いしてもらい、一人ぼっちで迎えるはずだった私の誕生日は賑やかな誕生日になった。
 帰りの送迎も、いつもの様に篠田さんで……

「今日は本当におめでとうございます! これ……みんなには内緒の誕生日プレゼントです! 高田さんと奥様の話を聞いて作った歌なんですけど……」

 渡されたカセットテープには『散歩道』という題名が書かれていた。
 そして「うちが最後の送迎なら……」と家に誘って、一緒にその曲を聞いた。

~~~~~~~~~~
1、
いつも歌ってる 車イスのおばあさん
いつも照れている 幸せそうなおじいさん
何年時が経っても消えないものがある
シワシワの手は 働き者の証拠なの
ふたりで歩いてく この道はこれからも
遠くて短い 君が大好きな散歩道

2、
いつも笑ってる シワだらけのおじいさん
いつも眠ってる 幸せそうなおばあさん
忘れてしまっていても消えないものがある
シワシワの目は 幸せでいる証拠なの
ふたりで見る景色 高さだけ違うけど
ゆっくり進もう 君の大好きな散歩道

3、
いつも歌ってた 調子はずれおじいさん
いつも聞いていた 歌が大好きなおばあさん
見えなくなったとしても消えないものがある
笑うその目は 何度涙流したの?
ふたりでいる景色 永遠じゃないけれど
どこまでも歩こう 君の大好きな散歩道
かけがえのない散歩道
~~~~~~~~~~

 私は歌を聞いている間、妻との思い出が走馬灯のように浮かび……思わず目頭が熱くなった。
 聞きながら妻との昔話を思い出し……遺影の中の妻が微笑んでいる気がした。

「ありがとう、篠田さん……私達には子供がいなかったから、君のことを孫の……いや娘のように思っていたが…………この歌こそ、まるで私達の子供のようだ」

「こちらこそ、ありがとうございます……この歌は、高田さん夫妻のお話を聞かなければ最後まで作れませんでした……それに作りながら初めて作った『空を見上げて』って曲をなぜか思い出して……初心を忘れず色々頑張ろうって思えました」

「『空を見上げて』?」

「高校の時に初めて作った曲で、応募してみたら優秀賞を貰ったりしたんですけど……実はその曲ができたのは、ある絵を見て感動したからなんです! 私、中高一貫の女子校に通ってて高校に入学する前に高校の見学会があったんですけど、玄関に素敵な絵が飾ってあって思わず見とれてしまって……」

「へえ~どんな絵なんだい?」

「沢山の色んな種類の鳥達が空の太陽に向かって飛び立っている絵なんですけど、その中に一匹だけツバメがいるんです! 一番先頭の一番高い所に……」

「そ、れは……」

 私は言葉を失った。
 彼女が言っている絵は……

「入学してからもその絵が大好きで、絵の前で文化祭ライブの曲の相談をしてたら『翼になりたい』を私も歌うことになって……恥ずかしかったけど聞いてた人が泣いてくれて、本当に嬉しかったです」

「あの……君が行っていた高校ってもしかして……」

 奇跡だと思った。

 結局私は、その絵は私が描いたものだと言わなかったが……
 そして私は昔、「僕の絵にはヒロみたいに人を感動させる力なんてない」と言った後の、ヒロの言葉を思い出した。

「大丈夫、お前は大丈夫だ!」

 そして『未来を生きる君へ』の最後の文を思い出し……自分から投げ出さずに最後まで生きてみようと思った。

「今日は本当にありがとう……『空を見上げて』って曲、来年の誕生日に聞かせてもらえるかな?」

 それを聞いた彼女は、妻に似た本当に嬉しそうな笑顔で頷いた。

 その日の夜、私は布団の中で呟いた。

「そうだ……今度のあの子の誕生日に星の髪飾りをあげよう。幸せに生きていけるように、いつか困った時の道標(みちしるべ)となるように、いつかあの子を守ってくれるように、精一杯の願いを込めて……」

 そして私は決意した。
 ヒロに頼まれたけれど果たせていない約束を、今度の純子の誕生日に実行しようと……
 2003年1月7日……
 最愛の妻の純子は、享年75歳で亡くなった。
 小さい時は神龍小学校に通い、お寺の名前にも龍がつき、昔からなぜか龍に縁があるのと笑っていたが……
 まさか島田くんや坂本龍馬と同じく、誕生日と命日が同じ日になってしまうとは……

 妻は比較的若いうちから緑内障を患い、視力が段々と失われて晩年は全盲に近かったので車イス生活だった。
 デイサービスがない日は私が妻の車イスを押して、彼女が好きな散歩道を歌いながら歩くというのが、お決まりのパターンだった。

 完全に見えなくなってから書けなくなった日記だが、私が代筆すればいいのだと気付き……
 2003年1月7日の誕生日プレゼントは、久し振りに何年分も書き込めるように立派な分厚い日記帳を用意していた。

 1月7日の朝……何かが落ちたもの凄い音で目覚めた私は、隣に寝ているはずの純子がいないのに気付き……
 急いで探しに部屋を出たら、階段下でうずくまっていた純子を発見した。
 左腕を骨折したものの命に別状はなく、一時は大丈夫かと思って安堵したが……
 頭も打っていたのに痛みを我慢して伝えてくれなかったのが災いして、急性硬膜下血腫でその日の晩に亡くなってしまった。
 全盲になってから一人で2階へ上がる事なんてなかったのに、なぜその日に限って……

 そもそも緑内障になっていなければと過去を思い返すと、妻は目の上をよく怪我していた。
 一度目は空襲で右目上を……
 二度目はアメリカの子を庇って左目上を……
 一時的に悪くなった視力も治ったので安心していたが、怪我のダメージも蓄積されていたのだろうか……
 私が守ってあげられていたら、こんな転落事故も起こらなかったのだと思うと……本当に自分に腹が立った。

 純子は1月7日の深夜、病院のベッドの上で意識がまだ少しある頃……
 祈るように手を握り続けていた私の手を、僅かに握り返してくれた。

「すまない……私が昔、ちゃんと君を守ってあげられていたら、こんな事にはならなかったのに……本当にごめん……私は結局、君を幸せにしてあげられなかった……」

 その時、危篤を告げるアラームが鳴り、医師らが慌ただしくなる中で私は思わず叫んだ。

「純子? 待ってくれ! 私を一人にしないでくれ! ずっと一緒にいてくれ! ずっと言えなかったこと……渡したかったもの……謝らなきゃいけないことがまだあるんだ! 純子、愛してる! 君を愛してる! だから……」

ピーーーーーーーー

 その音が鳴り響いた時、私は約束通り同じ日に死のうとしたが……
 医者に止められているうちに日付が変わってしまい、結局叶わなかったので約束は一年後に実行する事にした。

 デイの篠田さんと新たな約束をするまでは、家に帰って一人になると「ヒロと違って私は純子を幸せにしてやれなかった」と後悔ばかりの日々を送っていた。

 2005年1月7日……妻が亡くなってから2年後であり、ちょうど戦後60周年になる、その年の純子の誕生日……
 私は妻の遺影の前に、ずっと渡せなかったもの……ヒロに返してと頼まれていたウサギの人形を、誕生日プレゼントとして供えた。

「遅くなって本当にすまない……誕生日おめでとう……今日も行ってくるね」

 いつものように迎えに来た篠田さんに星の髪飾りを渡すと、最初は困った顔をしていたが「今度の誕生日に貰うから」と伝えると、受け取ってくれて丁寧にお礼を言われた。
 純子と生き写しのような嬉しそうな笑顔で……

 2005年11月15日……
 私は誕生日プレゼントの『空を見上げて』という曲を、篠田さんと一緒に聞く事ができた。

「ありがとう……思っていた通り、素敵な曲だ。本当にありがとう……妻も喜んでいるよ。それに誕生日に手紙を貰ったのは久し振りだ」

「奥様から貰った以来ですか?」

「いや妻は恥ずかしがり屋で、結婚してからは手紙を書くなんてなかったから……ずっと書いていた日記も行方不明で…………きっと私との思い出を残したくなくて、早めに処分してしまったのかもしれないな」

 自虐的に笑う私を、篠田さんは一喝した。

「そんな事ないと思います! 手紙……どこかにあると思います! 何でか分からないけれど、そんな気がするんです。同じ誕生日だからですかね? 私なら長年連れ添った相手に、ちゃんと感謝と想いを伝えたいから……」

「日記も捨ててないです! 必ず、どこかにあります! 見つからないなら私が一緒に探しますから……どこか心当たりはありませんか?」

「そういえば妻が亡くなった日、全盲で見えないのに一人で2階に行こうとしてたんだ……」

「じゃあ2階に行きましょう!」

 二人で手分けして2階や家中を探したが……結局、日記は見つからなかった。
 篠田さんは諦めきれないと、もう一度2階を探してくれた。

「探してくれてありがとう。日記は諦めるよ……今日は本当にありがとう。素敵な曲のプレゼントと手紙もくれて……」

「でも、まだ……」

「いいんだもう……私は以前より前向きになったから……『空を見上げて』という曲がある事に励まされて、最近よく空を見上げるようになって気付いたんだ。雨上がりの空にかかる虹の尊さや、あの窓から差し込んでいるような優しい木漏れ日の美しさに………………あれ? あんな所に箱がある……下ばかり探していて全然気が付かなかった……」

「あのタンスと天井に挟まれているやつですか? 私、背が高いから届きます!」

 下ろした箱を開けてみると……
 その中には私が昔あげたクシや純子の絵、ヒロからのプレゼントやウサギの人形、結婚して以降あげた折り畳み傘などの誕生日プレゼント……
 そして沢山の妻の日記が入っていた。
 家で葬儀をする時に散らかった部屋を片付けて貰ったが、その時に箱をタンスと天井のスキマに入れてしまったのだろうか……

「よかった、見つかって~読んでみて下さい! きっと奥様の最後の想いも書いてあると思います」

 恐る恐る一番最近にあげた日記を開くと……
 最後のページに手紙のような沢山のメッセージが書き込まれていた。

~~~~~~~~~~
〈源ちゃんへ〉

緑内障で目が完全に見えなくなる前に……
私の想いを、ここに残します。

あなたの隣にいられて、私は本当に幸せでした。
視野が狭くなっていく暗闇と絶望の中で、
あなたの声が……手の温もりが、
私の「希望の光」でした。

あなたはすぐ自分より光ちゃんの方が私を幸せに出来たはずと不安になるけれど……
私の初恋の男の子は光ちゃんだったけど、
私が初めて好きになった男の人は「源次さん」あなたでした。

私があなたと初めて出会った時、どんなに緊張していたか……あなたは知らないでしょうね。

私がアルバムを見せようとして倒れたのを庇ってくれた時……
背中に感じたあなたの鼓動で必死に守ってくれたのが分かって嬉しかった。

七夕の日、虫に慌てた私を落ち着かせようと抱き締めて取ってくれた時や虫を逃がしてた時……
ドキドキしたし、なんて優しい人なんだろうって思った。

初めての誕生日プレゼントを貰った時……
傘で怪我したかと心配して初めて握ってくれた手は、優しくてあったかかった。

空襲の時……私は本当は、このまま死ぬのだと諦めていました。
でもあなたが来てくれて、手を引いてくれて……
痛かったけど嬉しかった。

あなたは生きることを諦めていた私を、人生ごと救ってくれました。

また歌えるようになった日に、おんぶしてくれた背中は……本当のお父さんみたいだった。

お寺であなたに初めて口づけをした時……
誕生日記念になればと頑張ったけど、
本当は心臓が飛び出しそうになるくらい恥ずかしかった。

源ちゃん……プロポーズの言葉、覚えてる?

「僕には未来が見えます! 僕の隣には君がいて、おばあちゃんになっても君は美しい! 相変わらず歌が上手くて、相変わらず下手な僕の歌を聞いて、しわくちゃの綺麗な笑顔で笑ってる……そんな未来が必ず来るんです」って……

戦後の酷い有り様で、未来が信じられなくなってた私に言ってくれた、この言葉……
50年後に現実になって、本当に嬉しかった。

「この日記帳に僕との日々を残して下さい! 僕と結婚して下さい!」って源ちゃんらしいプロポーズ……

私は一言一句覚えてる。
私にとって宝物の言葉……

あなたは心配してばかりだったけれど、
私はずっと幸せだった。

何もなくなったあの場所で、
明日も生きていこうと思えたのは、
源次さん……あなたがいたからでした。

だから次第に視力を失って、何も見えなくなったとしても……
あなたの声が聞ければ何も怖くない。

あなたはすぐ自分の事を卑下するけれど……
私はあなたがいいの。
あなたでないとダメなの。

私が結婚したのは光ちゃんの頼みだからじゃない……
あなたが好きだから結婚したの。

結局、私達の間に子供はできなかったけれど……
私は源次さんがいたから、子供がいなくてもずっと幸せでした。
それは、ここにある沢山の日記を読んでもらえれば分かると思います。

最初の誕生日プレゼントのスミレの傘は空襲で燃えてしまったから、戦後25周年に折り畳み傘を貰えて嬉しかった。
出来ることならこの傘を差して、あなたと傘寿を迎えたいけれど……

プロポーズの時は変な約束をしてしまったから、また新しい約束をして欲しいです。

「私がいなくなっても、ずっと長生きして下さい」

あなたは私に、戦争という地獄のような時代で生きていく勇気や希望をくれました。
だから私も、あなたが生きていく勇気や希望になりたいです。

こんなに長い手紙を書いてごめんなさい……
あなたの隣にいられて、私は本当に幸せだって事をどうしても伝えたかった。

あなたにずっと、言えなかった言葉があります。

「私はあなたを、愛しています」

「いつまでも、いつまでも、ずっと……
源次さんを、愛しています」

~~~~~~~~~~

 私はそれを読んで涙が止まらなかった。
 そして同時に嬉しかった……偶然にも僕が最後に伝えた言葉と全く同じだったから……

「ありがとう純子……ありがとう篠田さん……この日記は私にとって、人生で一番の……最高の誕生日プレゼントだ」
※エピローグの裏で何があったのかは『最後の日記』の追憶編に書いてあるので、先に読んで頂いてから読むことをおすすめします

 2005年8月15日、60回目の終戦日……
 つまり、ヒロの命日……
 私は不思議な夢を見た。
 久し振りにヒロが出てきて嬉しかったが……よく分からない事を言っていた。

「やあヒロ……久し振りに会えて嬉しいよ……やっと迎えに来てくれたんだね?」

「そんなんちゃうわ〜実は源次に頼みたい事があってな……これからお前には、まだやらなあかん事がある……俺と純子と遠い繋がりがある、あの子を助けてやってくれ……頼んだで」

 翌年の4月に新しい相談員の神山くんが入ってきて、だいぶ期間が経った頃……
 施設長になった安西さんが篠田さんにキツく当たっているのを見かけた。
 きっと色々な仕事を押し付けられているのだろう……以前は元気だった篠田さんの体調は明らかに悪くなっていった。

 具合が悪い事を必死に隠している笑顔が痛々しく……それを神山くんは見抜いているようで、さり気なくフォローしていた。
 ある日、急に休みになった篠田さんの休みの理由を代わりに送迎だった神山くんに尋ねると....逆に相談の質問をされた。

「実はあいつ、昨日全然休憩もらえなかったみたいでロッカー室で倒れちゃって……俺、色々あって起きた時に乗る車イスを用意すること位しかできなくて……本人は今日も来たがってたみたいなんですけど、俺には何もできないのが悔しくて…………こういう時どうすればいいんですかね?」

「そうだなぁ……私は妻の元気がない時は、歌をよく歌ったな。妻は歌が好きでね……私の下手くそな歌を聞いて、嬉しそうに微笑んでいたよ」

「そっか…………じゃあCDをダビングして渡そうかな……高田さん、貴重なアドバイスありがとうございます!」

 私は日に日にやつれていく篠田さんが心配で、送迎中に尋ねてみた。

「最近、体調が悪そうだけど大丈夫かい?」

「えっ? あ〜すみません、ご心配かけちゃって……だ、大丈夫です」

「あまり無理をしてはいけないよ? 君も色々つらいと思うが、人の不幸を願う人にだけは、なってはいけないよ……そういう悪い心持ちは、いずれ自分に還ってくるからね」

「はい、先生っ! 心配してくれてありがとうございます!」

 私は同じ女子高の教師だった事は彼女に告げていないが、先生をしていた事は利用者情報書類に書いてあるので皆が知っていた。
 彼女に伝えたい事が、あと二つあったのだが……家に着いてしまい言いそびれてしまった。
 私はその頃、ある本を書いていたのだが、いつか彼女にも伝わるように後書きに書くことにした。

 ある日、彼女は何日か続けて休んだ後に出勤してきたが……デイルームの隅で左肩を押さえてうずくまっていた。
 他のスタッフや看護師は「大げさに痛がってる」と笑っている……

 私は、どうしたのか尋ねたが「何でもないです」とはぐらかされてしまった。

 利用者間の情報によると、安西さんが運転する車の添乗として篠田さんが乗っていた帰りの送迎で事故があり……
 その時に利用者を庇って左肩を怪我したから、最近お風呂係ができずにレク係になっているのでは……とのことだった。

 そしてあの子は、再び来なくなってしまった。

 そして2008年4月1日……
 私は嫌な夢を見た。
 あの子が電車に飛び込んで自殺する夢……
 そして、何処からともなく不思議な声がして「あの子が助かる方法があるが、その代わりにあなたは死ぬ」と誰かに告げられた。
 そして「死にたくなければ、その場所に行くな」とも……
 
 まさかとは思ったが、私は嫌な予感がして夢に出てきた最寄りの駅に急いで向かった。
 万が一の事があってはならないし、なぜだか分からないけれど、そうする事でヒロが最後の手紙に書いていた「子供に『空』という名前を付けて欲しい」という願いも叶う気がして……一切の迷いはなかった。

 私が杖をつきながら駅のロータリー近くに駆け込むと……
 ホームの端で今にも線路に飛び込もうとしている篠田さんが見えた。

「篠田さん! 死なないでくれ……伝えそびれた言葉があるんだ! 『逃げてもいいから生きていて欲しい』、『自分らしくしっかり生きていきなさい』って……」

 私は強く願いながら、急いで駅に向かうためにロータリーに飛び出した。

お願いです!
私の命を賭けてもいい!
あの子をどうか助けて下さい!
どうか奇跡を……起こして下さい!

パーーーーーーン

 後ろから車のクラクション音がした後……

 私は気が付いたら駅前の街路樹の下で仰向けになっていた。
 多分少し離れた所に斜めに停まっているトラックに轢かれたのだろうが、不思議と痛みはなかった。

 そういえば彼女は大丈夫なのだろうか……と思っていたら、何処からともなく声がした。

「お前のおかげで大丈夫や!」

「源ちゃん! 音楽の奇跡って……やっぱりあるみたい!」

「ヒロ…………純子…………? ずっと一人で寂しかった…………やっと……やっと……迎えに来てくれたんだね? 待ちくたびれたよ……約束通り、本も出して……次の世代に引き継いだから……私にはもう……思い残すことはない」

 私が本を出せたのは、小さい出版社が尽力してくれたおかげで……いつも本屋の片隅に置かれていたが、いつか必ず大切な誰かに届く気がしていた。

「一人じゃないだろ?」

 ヒロの声がして……ヒロと純子がいて……その後ろに私が今までの人生で出会ってきた沢山の仲間達が見えた。

 そして日記が見つかった日に、「高田さん、誕生日おめでとうございます! 私、奥様と同じ誕生日でよかった! 高田さんに出会えて……本当によかったです!」と泣きながら笑っていた篠田さんの笑顔が見えた。

 私は最後の力を振り絞り……星の髪飾りに願いが届くよう、木漏れ日から降り注ぐ光に手を伸ばした。

未来を生きる君がどうか、
幸せに生きていけますように……

あの子が生きていく先の未来で、
沢山の大切な誰かに出会えますように……
※この回の主人公は、前小説『最後の日記』の番外編最終話で名前が明かされた三田悠希です。
『源次物語』の登場人物と深い関わりがある女性で、12月1日が主人公の誕生日なので更新しましたが⋯⋯
この回の前半が実は小説の冒頭に繋がっているという設定で、両方の小説を読んで頂けると後半の本当の意味が分かります。


澄み渡る
空に願いし幸せを
その(みなもと)
永遠(とわ)に護らむ

 その辞世の句は最後の特攻隊員が詠んだ句だと、借りた本の冒頭に書いてあった。
 そして、その本の後書きには著者が詠んだ句もあった。

春、過ぎて
香る心のゆく末は
ひろがる空に
光りかがやく

 私はその句を読みながら、本来漢字で書く部分が平仮名になっているのには何か意味があるような気がしていた。

 私が図書館でその本を借りたのは、最初のページに懐かしい名前があったのと、パラパラめくる中で本の中に自分と同じ名字や誕生日が出てきたからだ。

 もう何十年も前に出版されたであろう古い本⋯⋯
 本はいつもデータで読んでいたが、入院するに当たって久し振りに紙の本が読みたくなり、図書館に行って偶然出会った本だった。

 私は、奥の片隅にあった本棚の誰にも気付かれなさそうな場所に置かれていたその本に、吸い寄せられるように手を伸ばした。
 こんな事を言うと変な風に思われるかもしれないが、本に呼ばれた気がした。

 私は三田悠希(はるき)というプレートが付けられた病院のベッドの上で、おなかの痛みを誤魔化しながらその本を読んだが、著者の親友が詠んだという冒頭の辞世の句が生まれた背景を読みながら涙が止まらなくて⋯⋯
 その句に込められた本当の意味に深く感動した。

 そして、その本を後書きまで読んで「恩人の篠田へ」という著者の高田源次という人が詠んだ句を見た時⋯⋯
 何故か懐かしくなると同時に、名前と誕生日を思い出して鳥肌が立った。

「春、過ぎて⋯⋯香る心のゆく末は⋯⋯ひろがる空に⋯⋯光りかがやく⋯⋯ってもしかして⋯⋯」

 本の中の謎と今まで自分が見聞きしてきた事の全てが繋がっていく気がした。

 確かめようと本の最初のページに戻ると⋯⋯
 気が遠くなるのと同時に歴史の渦に呑み込まれていくような……本の著者の視点の人生が映像になって目の前に狭ってくるような、不思議な感覚に私は陥っていった。

 私の中に流れ込んでくる記憶⋯⋯
 最後の特攻隊員に選ばれ、一時は死を覚悟したという、その本の著者の方の人生が⋯⋯


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 一体どの位の時間が経っていたのだろうか。

 2008年4月1日、
 高田さんが亡くなった日……
 気が付くと私は、高田さんの最期の場面の映像を木の上から見ていた。

未来を生きる君がどうか、
幸せに生きていけますように……

あの子が生きていく先の未来で、
沢山の大切な誰かに出会えますように……

 幸せを願いながら、こちらに手を伸ばそうとしている高田さんの近くに行こうと、手を伸ばして必死にもがくが届かない。

 そのまま真っ白な光に包まれ……高田さんの身体は消えようとしていた。

「高田さん!? 待って⋯⋯高田さん!!」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「三田さん! 三田悠希(はるき)さん! 大丈夫ですか?」

 看護師さんの呼びかけに病院のベットの上で目覚めた私は、泣きながら天井に向かって右手を伸ばしていた。

「⋯⋯すみません⋯⋯大丈夫です」

「よかった〜うなされていたみたいなので、念のためご主人をお呼びしたんです。もうすぐ来ると思いますよ」

「ご心配おかけしました。どうもありがとうございます」

 私は本の著者の高田さんの人生が投影された走馬灯のような映像を見て、今まで自分が見聞きしてきた事の全てが繋がった。

 本の冒頭では懐かしい名字しか書かれていなくて分からなかったが、後書きを読んで分かったデイサービスの職員の名前⋯⋯

 著者の奥様と同じ1月7日生まれの篠田春香は⋯⋯
 亡くなった私の祖母だった。

 私の名字は三田だが、結婚前の名字は篠田だから⋯⋯

 直接的に名前は書かれていないが、「恩人の篠田へ」と書かれた高田さんが詠んだ句の頭の文字が、坂本さんが遺したように暗号になっていてすぐに分かった。

 なにより走馬灯の映像に名前が出てきたし、その笑顔は古いアルバムの中で見た笑顔と同じだったから⋯⋯

 高田さんは祖母が知らないうちに、祖母を助けてくれていた。
 祖母から聞いていた一度だけ自分から人生を終わらせようとした場所⋯⋯
 それは、本に出てきた場所と同じだった。

 クラクションが聞こえて振り向いた先のビルの液晶パネルから聞こえてきた音楽が、同僚に渡されたCDで一番好きな歌で⋯⋯
 実は祖母の過去と不思議な繋がりがある歌だった事に気付いて生きる希望を貰ったから、踏み留まる事ができたそうだ。

 後書きに書かれていた伝えたかった言葉は、高田さんが最期の日に言っていた言葉と同じだった。

 そして私は、運命のような不思議な奇跡に気付いてしまった。

 これは祖母から聞いた話だが⋯⋯
 祖母の曽祖父母夫妻は曾祖母の旅先だった高知の川で出会ったそうだ。
 車のタイヤに乗った状態で川に流されてきた曾祖父を曾祖母一家が助けたが、記憶喪失で名字しか覚えておらず身元を探したものの見つからず⋯⋯
 仕方なく一緒に埼玉に帰って新たに戸籍を作ったり、色々お世話しているうちに結婚する仲になったとのことだった。

 晩年高知を訪れた時に昔の記憶が蘇り、戸籍を調べたら家族は亡くなった後だったけれど⋯⋯
 東京にある龍の名前のついたお寺にご先祖様のお墓があるから、隣に篠田の名前でお墓を作り、死後はそこに埋葬して欲しいと遺言を遺したそうだ。 

 つまり、祖母の曽祖父は⋯⋯
 篠田弘光さんの行方不明の父親だった。
 私と篠田さんの祖先は同じで、遠い縁ではあるが血が繋がっていた。

 病室に来た夫に全てを話すと、もう一つの不思議な奇跡の繋がりを聞いて鳥肌が立った。

 運命に引き寄せられたように出会った夫の名字は三田だが、ご先祖様は土浦の食堂で出会って結婚していたなんて⋯⋯

 つまり夫は、本に出てきた三田由香里さんと平井隆之介さんの子孫⋯⋯
 平井さんは源次さんが好きな江戸川散歩先生の息子さんで、実は源次さんと立教大学の頃からすれ違っていた。

 なぜなら江戸川散歩先生は当時、立教大学の隣に住んでいたそうだから⋯⋯
 そして実は立教大学は、祖母も昔、通っていた大学だった。

「全ては偶然じゃなくて必然だったんだね⋯⋯」

 私は、手帳の中に手紙を書いた。

〈最後の特攻隊員だった祖母の命の恩人へ〉

高田さん
祖母を命がけで助けて頂き
本当にありがとうございました
篠田さん
あなたが親友を護り
その親友が私の祖母を護って下さったおかげで
私はいま生きています

あの時、諦めないでいてくれて
未来を信じて下さって
本当にありがとうございました

もうすぐお二人の夢は叶います
不思議な奇跡が出会わせてくれた
最後の特攻隊員の方々に
せめてもの誕生日プレゼントを⋯⋯
~~~~~~~~~~

 私は確かな鼓動が聞こえる、膨らんだ自分のお腹に手を当てて、赤ちゃんに語りかけた。

「あなたの名前決まったよ? 私達の恩人が大好きだった『空』⋯⋯」

「遠い親戚の弘光さんが最後に願い、高田さんも本当はずっと叶えたかったはずの、二人の夢の名前⋯⋯」

 切迫早産で入院している間、ずっと不安だったが⋯⋯
 「もう大丈夫」とお墨付きを貰い、私は退院を許可された。

 ちなみに私の誕生日は高田さんの妹の純奈さんと同じ12月1日だが、お腹の子の予定日は7月7日の七夕だそうだ。
 元々は七夕の日のすれ違いから日中戦争が始まり、その延長線上に太平洋戦争が起こり、日本は大切なものを沢山失ったけれど⋯⋯

 もし本当にこの子が七夕に生まれたら、世界中の国のすれ違った心が一つになって、学校で叶うはずがないと笑われた『世界中の人達が幸せになりますように』という願いも叶う気がした。

 ふと私は昔、祖母が生きていた頃に一緒に行ったお墓参りの帰りに、祖母が何故か隣のお寺のお墓にも手を合わせていたのを思い出した。

「高田さんのお墓だったんだね⋯⋯」

 時を超えた不思議な繋がり⋯⋯
 入院中、「安静にしなくてはいけないから」と読むための本を探しに行った先で、私は運命の本に出会った。

 ネットではあり得なかった不思議な出会い⋯⋯
 本屋や図書館は昔より大分減ったそうだが、無くしてはいけない大切な場所だと思った。

 退院日……病院を出て空を見上げると偶然ツバメが飛んできて、なぜだか祖母が何かを伝えようとしている気がした。
 その時の祖母の声は、私達の『空』が生まれてから知ることになるのだけれど⋯⋯

思いはいつか伝わる
願いはいつか叶う
たとえ今すぐ伝わらなくても
生きているうちに叶わなくても
諦めなければ
願いを託せば
巡り巡って未来の誰かが⋯⋯
たとえ時代や場所が違っても
見上げた『空』が想いを繋いでくれるから⋯⋯

 どんなにすれ違ったり、絶望的なことがあっても、
 お互いを理解しようと歩み寄ること⋯⋯
 いつか届くと信じて思いを伝えること⋯⋯

 何も無くなった場所でも、『明日(あす)への希望』を信じて、これから生まれる沢山の奇跡の出会いをくれた人達がいたように⋯⋯
 誰かの幸せを願い、未来の自分を信じて、最後まで生きることを諦めてはいけない⋯⋯と強く思った。

「春、過ぎて⋯⋯香る、心のゆく末は⋯⋯ひろがる、空に⋯⋯光り、かがやく」

 私は、「恩人の篠田へ」と書かれた高田さんの後書きの句を呟きながら⋯⋯
 自分の中に確かに宿る『明日への希望』と『未来を生きる君たちへ』という運命の本を胸に抱いて、真っ直ぐ歩きだした。

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