土浦海軍航空隊での生活はつらい事ばかりと言う訳でもなく、余暇の時間には休憩所を兼ねた酒保……つまり売店のある2階建ての『雄飛館』という場所もあり、1階の大食堂で汁粉などを券と引き換えで食べたり、2階の座敷で本を読んだり蓄音機で音楽を聞いて楽しんだ。
四人で休養中の余興として許可されていた囲碁や将棋で勝負をしたが……
将棋での勝負は推理・洞察力がある平井くんの圧勝で、まさに小さな巨人という感じだった。
僕達四人はそこで英気を養ったり、厳しい訓練や制裁で心が折れかけた時にはお互いを励まし合っていた。
3月になって土浦での生活に慣れてきた頃に日曜の外出が許可され……坂本くんに誘われて、ある指定食堂に行った。
「ここだ、たしかこの屋根だ……入隊する前に色々近くを散策していた時に、何だか不思議な縁を感じて一度訪れたんだが……貴様たちと行ってみたいと思っていたんだ! あれ、おかしいな? 看板が無くなってる……トミさ~ん? いるかい?」
「いらっしゃい~あら久し振り」
「看板どうしたの? 無くなってるけど」
「看板? ああ、あの看板は古くなったし指定食堂でおかげさまで有名で……みんな無くても分かるから取り外したのよ~さあ、入ってゆっくりしていってね」
店に入ると入口付近の席で、同じ予備学生と思われる青年が同期らしき人に胸ぐらを掴まれていた。
その青年は一匹狼のような風貌で……睨まれても動じる事なく、どこか冷めた目をしていた。
それが気に触ったのか「お前、生意気なんだよ!」と今度は殴られそうになったその時……
「やめろや!」
間一髪でヒロが止めに入り、その人達は「行こうぜ」と吐き捨てるように去って行ったが……
一人取り残された青年に一番先に駆け寄ったのは、以外にも平井くんだった。
「もしかして島田くん? 島田先生の息子さんの島田陣平くんだよね? 僕、平井隆之介だよ~覚えてない?」
「お前なんか知らねえ」
「小さい時に島田先生と一緒にウチに来て、よく遊んだ仲じゃないか~あっ因みに島田先生ていうのは父の友人で将棋を僕に教えてくれた人で……」
僕は「だから将棋、強かったんだね」と納得してしまった。
「島田くんも土浦に来てたなんて嬉しいよ! 今の人達は同じ班の仲間かい?」
「仲間じゃねぇ! 同期だが何だか知らねえが、俺は仲間なんていらねえ! 俺は誰も信じないし、一人が好きなんだよ……信じても裏切られるだけだしな」
そのやり取りを見て思い出したように今度は坂本くんが……
「その言葉……もしかして貴様、千葉の中学の時に一緒だった島田か? アダ名が一匹狼の……俺だよ、坂本亘」
「お前は……黒獅子と呼ばれた、あの坂本か?」
僕は「坂本くんて色黒だけに黒いライオンてアダ名だったのか」と心の中でツッコんでしまった。
「突然引っ越したから心配してたんだ……どうしていなくなった?」
「親父が借金して酒に溺れて母さんを殴るようになったから、二人で暮らそうと夜逃げしたんだ」
「お袋さんは、お元気か?」
「今は千葉の実家の方に戻って看護婦をしているよ」
一部始終を聞いていたヒロは「隊と班が違くて今まで気付かんかったとはいえ、お前ら二人の知り合いに出先で会えるなんて、すごない?」と感心していた。
坂本くんと平井くんと島田くんは……
「俺は決めたぞ! 今日から島田も一緒に余暇を過ごそう!」
「賛成~」
「こ、こら……勝手に決めんな!」
知り合いならではの強引な勧誘で、島田くんは僕達の仲間になった。
食堂を切り盛りしている多分うちの母親と同い年位のトミさんは……
「さあ、仲間になった所で、みなさんゆっくりしてって下さいね。そう言えば由香里と和男は? 由香里~和男~みなさんにお水持ってきて注文お伺いして~」
すると「は~い、お母ちゃん」と暖簾の奥から小学生位の男の子と、純子ちゃんより少し年上位のオカッパ頭の女の子が出てきた。
「いらっしゃいませ! お水をどうぞ」
「いらっしゃいませ! ご注文は何になさいますか? それと、あの……さっき店の奥から見てました! とってもカッコよかったです」
弟らしき子が配り終わった後のお盆を抱えた女の子は、真っ先にヒロの所に行って目を輝かせていた。
「いや、自分は当然の事をしたまでで……」
「私、この店の娘の由香里と申します! あの、あなたのお名前は?」
「篠田弘光です」
ヒロに続き、みんな順番に由香里ちゃんという子に自己紹介と「よろしく」という挨拶をしたが……
島田くんも無愛想ながら挨拶をしたというのに、いつもは人当たりがいい平井くんが固まっていた。
「あ、あの……あと平井くんだけだよ?」
「へ? 僕? あ、僕じゃなかった俺……じゃなくてやっぱ僕、の名前は平井でしゅ、じゃなくて平井です! あの……平井隆之介でしゅ、じゃなくてです、あのハイ~」
僕は内心「平井くん動揺し過ぎだよ……」とツッコみつつ、自分が純子ちゃんに初めて会った時の事を思い出していた。
十中八九、平井くんはこの由香里ちゃんて娘に一目惚れしたのだろう……
「ゆ、由香里さんて……す、素敵な名前ですね!」
「ああ、珍しい名前ですよね~うちの父が紫が好きで、紫色はある歌に因んで『ゆかりの色』と呼ばれてるらしくて……たしか『紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る』という歌なんですけど……」
「古今和歌集やないですか……たしか意味は、紫草がたった一本生えている縁だけで、武蔵野の草がみな愛おしく感じられる」
「まあ、ご存知ですの?」
「立教の文学部にいたもので……」
「博識なんですね……素敵ですわ」
「篠田さんずるい~」
多分ヒロの方にはその気がないが、思わぬ三角関係が勃発した気がした。
坂本くんが言っていた通り、食堂のご飯は美味しくて……僕達は毎週通うことにした。
四人で休養中の余興として許可されていた囲碁や将棋で勝負をしたが……
将棋での勝負は推理・洞察力がある平井くんの圧勝で、まさに小さな巨人という感じだった。
僕達四人はそこで英気を養ったり、厳しい訓練や制裁で心が折れかけた時にはお互いを励まし合っていた。
3月になって土浦での生活に慣れてきた頃に日曜の外出が許可され……坂本くんに誘われて、ある指定食堂に行った。
「ここだ、たしかこの屋根だ……入隊する前に色々近くを散策していた時に、何だか不思議な縁を感じて一度訪れたんだが……貴様たちと行ってみたいと思っていたんだ! あれ、おかしいな? 看板が無くなってる……トミさ~ん? いるかい?」
「いらっしゃい~あら久し振り」
「看板どうしたの? 無くなってるけど」
「看板? ああ、あの看板は古くなったし指定食堂でおかげさまで有名で……みんな無くても分かるから取り外したのよ~さあ、入ってゆっくりしていってね」
店に入ると入口付近の席で、同じ予備学生と思われる青年が同期らしき人に胸ぐらを掴まれていた。
その青年は一匹狼のような風貌で……睨まれても動じる事なく、どこか冷めた目をしていた。
それが気に触ったのか「お前、生意気なんだよ!」と今度は殴られそうになったその時……
「やめろや!」
間一髪でヒロが止めに入り、その人達は「行こうぜ」と吐き捨てるように去って行ったが……
一人取り残された青年に一番先に駆け寄ったのは、以外にも平井くんだった。
「もしかして島田くん? 島田先生の息子さんの島田陣平くんだよね? 僕、平井隆之介だよ~覚えてない?」
「お前なんか知らねえ」
「小さい時に島田先生と一緒にウチに来て、よく遊んだ仲じゃないか~あっ因みに島田先生ていうのは父の友人で将棋を僕に教えてくれた人で……」
僕は「だから将棋、強かったんだね」と納得してしまった。
「島田くんも土浦に来てたなんて嬉しいよ! 今の人達は同じ班の仲間かい?」
「仲間じゃねぇ! 同期だが何だか知らねえが、俺は仲間なんていらねえ! 俺は誰も信じないし、一人が好きなんだよ……信じても裏切られるだけだしな」
そのやり取りを見て思い出したように今度は坂本くんが……
「その言葉……もしかして貴様、千葉の中学の時に一緒だった島田か? アダ名が一匹狼の……俺だよ、坂本亘」
「お前は……黒獅子と呼ばれた、あの坂本か?」
僕は「坂本くんて色黒だけに黒いライオンてアダ名だったのか」と心の中でツッコんでしまった。
「突然引っ越したから心配してたんだ……どうしていなくなった?」
「親父が借金して酒に溺れて母さんを殴るようになったから、二人で暮らそうと夜逃げしたんだ」
「お袋さんは、お元気か?」
「今は千葉の実家の方に戻って看護婦をしているよ」
一部始終を聞いていたヒロは「隊と班が違くて今まで気付かんかったとはいえ、お前ら二人の知り合いに出先で会えるなんて、すごない?」と感心していた。
坂本くんと平井くんと島田くんは……
「俺は決めたぞ! 今日から島田も一緒に余暇を過ごそう!」
「賛成~」
「こ、こら……勝手に決めんな!」
知り合いならではの強引な勧誘で、島田くんは僕達の仲間になった。
食堂を切り盛りしている多分うちの母親と同い年位のトミさんは……
「さあ、仲間になった所で、みなさんゆっくりしてって下さいね。そう言えば由香里と和男は? 由香里~和男~みなさんにお水持ってきて注文お伺いして~」
すると「は~い、お母ちゃん」と暖簾の奥から小学生位の男の子と、純子ちゃんより少し年上位のオカッパ頭の女の子が出てきた。
「いらっしゃいませ! お水をどうぞ」
「いらっしゃいませ! ご注文は何になさいますか? それと、あの……さっき店の奥から見てました! とってもカッコよかったです」
弟らしき子が配り終わった後のお盆を抱えた女の子は、真っ先にヒロの所に行って目を輝かせていた。
「いや、自分は当然の事をしたまでで……」
「私、この店の娘の由香里と申します! あの、あなたのお名前は?」
「篠田弘光です」
ヒロに続き、みんな順番に由香里ちゃんという子に自己紹介と「よろしく」という挨拶をしたが……
島田くんも無愛想ながら挨拶をしたというのに、いつもは人当たりがいい平井くんが固まっていた。
「あ、あの……あと平井くんだけだよ?」
「へ? 僕? あ、僕じゃなかった俺……じゃなくてやっぱ僕、の名前は平井でしゅ、じゃなくて平井です! あの……平井隆之介でしゅ、じゃなくてです、あのハイ~」
僕は内心「平井くん動揺し過ぎだよ……」とツッコみつつ、自分が純子ちゃんに初めて会った時の事を思い出していた。
十中八九、平井くんはこの由香里ちゃんて娘に一目惚れしたのだろう……
「ゆ、由香里さんて……す、素敵な名前ですね!」
「ああ、珍しい名前ですよね~うちの父が紫が好きで、紫色はある歌に因んで『ゆかりの色』と呼ばれてるらしくて……たしか『紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る』という歌なんですけど……」
「古今和歌集やないですか……たしか意味は、紫草がたった一本生えている縁だけで、武蔵野の草がみな愛おしく感じられる」
「まあ、ご存知ですの?」
「立教の文学部にいたもので……」
「博識なんですね……素敵ですわ」
「篠田さんずるい~」
多分ヒロの方にはその気がないが、思わぬ三角関係が勃発した気がした。
坂本くんが言っていた通り、食堂のご飯は美味しくて……僕達は毎週通うことにした。