学徒出陣の対象になった1942年度入学の立教大の学生は仮卒業ということになり、大学主催での学徒出陣壮行会が11月に行われた。
立教大に在学中の出征者は1247人で全入学者の半分を占めていたが、同学年の文系学部だけれど壮行会にいなかった者もいて……
どうやら裕福な家庭の学生で、長崎の浦上天主堂の近くにある医大に転入するからとのことだった。
「徴兵逃れだ」と怒る者もいたが、僕は描いていた漫画の影響もあってか医学が勉強できることに少しだけ憧れていたので、戦地に行かなくて済むことが純粋に羨ましかった。
その者が2年後の8月9日に迎えることになる悲劇も知らずに……
12月の入隊にむけて出発する前日の夜に宮本家主催の壮行会をするとのことで、僕は播磨屋に呼ばれた。
ありがたいことに静子おばさんは貴重なお酒も用意してくれていた。
20歳になって初めて飲んだお酒は甘いような辛いような、びっくりする味で……少し飲んだだけなのに急に大人になった気がした。
ヒロは酔っ払って終始上機嫌で……「海軍所属になると決まってから急にモテだしてのう」と完全に調子に乗っていた。
そして純子ちゃんの頬を両手で挟んで思わぬ事を言った。
「純子お前……原田節子さんに似てるな」
「へ、変な冗談言わないで……」
「目と鼻と口がある所が~」
「もう~光ちゃんなんて大っ嫌い!」
端から見てると犬も食わない夫婦喧嘩だ。
「純子はな〜小さな頃『ひろみちゅ兄ちゃまと結婚しゅる』って言っとったんやで〜? 何度も言ってきて困ったわ」
「そんなこと覚えてませんし、酔っ払って悪い冗談言う人は好きじゃありません!」
「何~? 俺はモテるんだぞ~昨日も夢の中でな……」
「夢かい!」と思わず僕はツッコんでしまった。
「そうだ源次! 例のアレ、明日忘れんとってな?」
「うん、大丈夫もう入れたからってヒロ? 全く……こいつ酔いつぶれて寝てら」
「ほんと光ちゃんは仕方ないんだから……」
布団を掛けながらヒロの寝顔を愛おしそうに見つめる純子ちゃんは、まるで聖母様のようだった。
おそらく純子ちゃんは……いや多分ではなくきっと昔からずっと、ヒロのことが好きなのだろう。
そして素直ではないが十中八九、ヒロも純子ちゃんのことが好きだ。
民法では男性は満17歳、女性は満15歳以上で結婚できるらしいから、戦争という時代でなければ二人はすぐにでも結婚していたかもしれない……
だから僕は自分の想いに蓋をした。
おばさんは後片付けをしに行き、浩くんも興奮して疲れたのか先に寝てしまったので、帰る前に浩一おじさんの位牌に手を合わせながら久し振りに純子ちゃんと二人だけで話をした。
「ありがとう純子ちゃん! 僕は三人でいる時間が大好きだった。播磨屋の2階で何でもないくだらない話をして……出来ることならずっとこうしていたかったけど無理みたいだ」
「そんな寂しいこと言わないで!」
僕は話題を変えようと、位牌を見て気付いた事を言った。
「家紋、剣片喰なんだね……宗派は多分うちと同じだよ」
「そうなの? うちはご先祖が茨城にある神龍寺の近くに住んでいたらしいんだけど、何の縁だか同じ名前の神龍小の近くに引っ越すことになって……」
「へぇ~同じ名前ってすごいね」
「私、辰年生まれで神龍小に通ってたのもそうだけど、昔から龍に縁があって……お墓をうつしたお寺の名前にも龍がついてるのよ?」
驚いたことに純子ちゃんが話したそのお寺の名前は、僕のご先祖様のお墓があるお寺の隣のお寺だった。
柵を挟んでお墓同士が並ぶすぐ隣の……
「そのお寺、隣だよ! お墓参りの時に通ってた! 僕のご先祖様は東京生まれだから……そうか! もし死んでもヒロの隣に行けるのか……隣の墓だったら入るのも悪くないかもな」
「縁起でもないこと言わないで!!」
そう言うと純子ちゃんはポロポロと涙をこぼした。
つい弱気になり、純子ちゃんを不安にさせてしまったことを僕は後悔した。
「ごめん純子ちゃん、ごめん変なこと言って……僕が必ずヒロを連れて帰ってくるよ! もしあいつが希望する飛行隊員になって出撃しなきゃいけなくなったら、こっそり腹下すものご飯にいれてさ! 『すみません、こいつ厠から出られないんで飛べません~』って」
「ふふふふ……アハハハハそれは素晴らしい計画ね! ありがとう源次さん……久し振りに心から笑った気がするわ」
泣きながら笑う純子ちゃんを泣くほど傷つけてしまったお詫びに、僕は咄嗟に思いついた夢を語った。
「そうだ、新しい夢が出来たよ! いつか無事に帰ってきたら……出版社に僕達の漫画を持ち込んで本を売って、それが映画になってさ……純子ちゃんが僕達の映画の歌を歌うなんてどうかな?」
きっと叶うことはない、途方もない夢だった。
「素敵な夢……私、寂しかったの。だって二人だけで世界を作って、どんどん先に行ってしまうんだもの……これで私も夢の仲間入りね」
純子ちゃんは本当に嬉しそうに笑った。
12月の入隊にむけて、御茶ノ水駅から出発することになり……純子ちゃん達が駅の前まで見送りに来てくれた。
「光ちゃん、源次さん! これ、地域のみなさんで縫った千人針……二人とも気を付けてね! 必ず帰ってき……」
「そんなに心配すな! 俺達は訓練に行くんやで? ほら、お前に餞別や」
僕達は純子ちゃんに1ヶ月早い誕生日祝いを渡した。
入学してから二人で色々案を出し合って少しずつ描き続けて……昨日やっと完成した漫画だった。
「正月の頃に帰れるか分からんからの~前祝いじゃ! ええか? 誕生日まで絶対読んだらあかんで~あそこにある源次の住んでる場所近くの大学病院がモデルの話も出てくるから楽しみにしとけ」
「謎を解いたり色々な事件が起きる場面が出てくるのは、推理小説好きな僕の影響だけどね」
「二人ともありがとう……楽しみにしてる! わ~この漫画、素敵な題名ね」
表紙に書かれた題名は『未来を生きる君へ』で、ペンネームは『みなもとこうじ』……
『未来を生きる君へ』という題名は二人で決めた。
『君へ』にするか『君たちへ』にするかで迷ったが、6年前に出版された某有名な著者と題名が似てしまうので『君へ』にした。
「私、嬉しい、この名前も好き……光ちゃんと源次さんの名前からできてるけど、私の名字の宮本も入ってる気がして……」
「ほんまやな~気付かんかったわ」
「本当は気付いてたでしょ~本当にヒロは素直じゃないんだから」
「誕生日に読むの楽しみにしてる! 感想、直接言いたいから必ず帰って来てね! あと私も出発前に見せたいものがあって……」
それは、僕達が貰ったお守りと同じ大きさの、ウサギの人形だった。
「自分用にもう一つ作ったの。毎日これに話しかけたら、二人に届くかなって」
「通信機やあるまいし無理やろ」
「本当は嬉しいくせに〜ヒロは本当~に素直じゃないよね」
「必ずウサギと一緒に……帰ってきてね?」
僕は大勢の他人が行き交う駅前で、何と答えればいいか分からなかった。
「ようし景気づけに軍歌でも歌うか!」
「僕は軍歌はちょっと……」
「辛気臭いのう~よっしゃ軍歌の代わりにヨサコイ節でも歌うか」
「よさこい牛?」
「牛ちゃうわ! 何じゃ知らんのか? 高知の民謡じゃ」
「土佐の~高知の~はりまや橋で~坊さん~かんざし~買うを見た~ハア、ヨサコイ~ヨサコイ」
「初めて聞いたよ……あれ? もしかして播磨屋ってその歌から付けたんですか?」
「そうなの……私と浩一さんは播磨屋橋で出会ったから……」
静子おばさんは恥ずかしそうに、そう言って赤面した。
「そろそろ時間や」
最後にヒロは純子ちゃんと静子おばさんから千人針を受け取った。
「ほな行って参ります!」
「行って参ります!」
僕達は勇ましく敬礼した後、御茶ノ水駅を出発した。
僕達の漫画を胸に抱えて涙ながらに手を振り続ける純子ちゃん達の姿が見えなくなるまで、何度も振り返りながら手を振って……
そして僕達は、入隊した横須賀海兵団で思わぬ人物に出会った。
立教大に在学中の出征者は1247人で全入学者の半分を占めていたが、同学年の文系学部だけれど壮行会にいなかった者もいて……
どうやら裕福な家庭の学生で、長崎の浦上天主堂の近くにある医大に転入するからとのことだった。
「徴兵逃れだ」と怒る者もいたが、僕は描いていた漫画の影響もあってか医学が勉強できることに少しだけ憧れていたので、戦地に行かなくて済むことが純粋に羨ましかった。
その者が2年後の8月9日に迎えることになる悲劇も知らずに……
12月の入隊にむけて出発する前日の夜に宮本家主催の壮行会をするとのことで、僕は播磨屋に呼ばれた。
ありがたいことに静子おばさんは貴重なお酒も用意してくれていた。
20歳になって初めて飲んだお酒は甘いような辛いような、びっくりする味で……少し飲んだだけなのに急に大人になった気がした。
ヒロは酔っ払って終始上機嫌で……「海軍所属になると決まってから急にモテだしてのう」と完全に調子に乗っていた。
そして純子ちゃんの頬を両手で挟んで思わぬ事を言った。
「純子お前……原田節子さんに似てるな」
「へ、変な冗談言わないで……」
「目と鼻と口がある所が~」
「もう~光ちゃんなんて大っ嫌い!」
端から見てると犬も食わない夫婦喧嘩だ。
「純子はな〜小さな頃『ひろみちゅ兄ちゃまと結婚しゅる』って言っとったんやで〜? 何度も言ってきて困ったわ」
「そんなこと覚えてませんし、酔っ払って悪い冗談言う人は好きじゃありません!」
「何~? 俺はモテるんだぞ~昨日も夢の中でな……」
「夢かい!」と思わず僕はツッコんでしまった。
「そうだ源次! 例のアレ、明日忘れんとってな?」
「うん、大丈夫もう入れたからってヒロ? 全く……こいつ酔いつぶれて寝てら」
「ほんと光ちゃんは仕方ないんだから……」
布団を掛けながらヒロの寝顔を愛おしそうに見つめる純子ちゃんは、まるで聖母様のようだった。
おそらく純子ちゃんは……いや多分ではなくきっと昔からずっと、ヒロのことが好きなのだろう。
そして素直ではないが十中八九、ヒロも純子ちゃんのことが好きだ。
民法では男性は満17歳、女性は満15歳以上で結婚できるらしいから、戦争という時代でなければ二人はすぐにでも結婚していたかもしれない……
だから僕は自分の想いに蓋をした。
おばさんは後片付けをしに行き、浩くんも興奮して疲れたのか先に寝てしまったので、帰る前に浩一おじさんの位牌に手を合わせながら久し振りに純子ちゃんと二人だけで話をした。
「ありがとう純子ちゃん! 僕は三人でいる時間が大好きだった。播磨屋の2階で何でもないくだらない話をして……出来ることならずっとこうしていたかったけど無理みたいだ」
「そんな寂しいこと言わないで!」
僕は話題を変えようと、位牌を見て気付いた事を言った。
「家紋、剣片喰なんだね……宗派は多分うちと同じだよ」
「そうなの? うちはご先祖が茨城にある神龍寺の近くに住んでいたらしいんだけど、何の縁だか同じ名前の神龍小の近くに引っ越すことになって……」
「へぇ~同じ名前ってすごいね」
「私、辰年生まれで神龍小に通ってたのもそうだけど、昔から龍に縁があって……お墓をうつしたお寺の名前にも龍がついてるのよ?」
驚いたことに純子ちゃんが話したそのお寺の名前は、僕のご先祖様のお墓があるお寺の隣のお寺だった。
柵を挟んでお墓同士が並ぶすぐ隣の……
「そのお寺、隣だよ! お墓参りの時に通ってた! 僕のご先祖様は東京生まれだから……そうか! もし死んでもヒロの隣に行けるのか……隣の墓だったら入るのも悪くないかもな」
「縁起でもないこと言わないで!!」
そう言うと純子ちゃんはポロポロと涙をこぼした。
つい弱気になり、純子ちゃんを不安にさせてしまったことを僕は後悔した。
「ごめん純子ちゃん、ごめん変なこと言って……僕が必ずヒロを連れて帰ってくるよ! もしあいつが希望する飛行隊員になって出撃しなきゃいけなくなったら、こっそり腹下すものご飯にいれてさ! 『すみません、こいつ厠から出られないんで飛べません~』って」
「ふふふふ……アハハハハそれは素晴らしい計画ね! ありがとう源次さん……久し振りに心から笑った気がするわ」
泣きながら笑う純子ちゃんを泣くほど傷つけてしまったお詫びに、僕は咄嗟に思いついた夢を語った。
「そうだ、新しい夢が出来たよ! いつか無事に帰ってきたら……出版社に僕達の漫画を持ち込んで本を売って、それが映画になってさ……純子ちゃんが僕達の映画の歌を歌うなんてどうかな?」
きっと叶うことはない、途方もない夢だった。
「素敵な夢……私、寂しかったの。だって二人だけで世界を作って、どんどん先に行ってしまうんだもの……これで私も夢の仲間入りね」
純子ちゃんは本当に嬉しそうに笑った。
12月の入隊にむけて、御茶ノ水駅から出発することになり……純子ちゃん達が駅の前まで見送りに来てくれた。
「光ちゃん、源次さん! これ、地域のみなさんで縫った千人針……二人とも気を付けてね! 必ず帰ってき……」
「そんなに心配すな! 俺達は訓練に行くんやで? ほら、お前に餞別や」
僕達は純子ちゃんに1ヶ月早い誕生日祝いを渡した。
入学してから二人で色々案を出し合って少しずつ描き続けて……昨日やっと完成した漫画だった。
「正月の頃に帰れるか分からんからの~前祝いじゃ! ええか? 誕生日まで絶対読んだらあかんで~あそこにある源次の住んでる場所近くの大学病院がモデルの話も出てくるから楽しみにしとけ」
「謎を解いたり色々な事件が起きる場面が出てくるのは、推理小説好きな僕の影響だけどね」
「二人ともありがとう……楽しみにしてる! わ~この漫画、素敵な題名ね」
表紙に書かれた題名は『未来を生きる君へ』で、ペンネームは『みなもとこうじ』……
『未来を生きる君へ』という題名は二人で決めた。
『君へ』にするか『君たちへ』にするかで迷ったが、6年前に出版された某有名な著者と題名が似てしまうので『君へ』にした。
「私、嬉しい、この名前も好き……光ちゃんと源次さんの名前からできてるけど、私の名字の宮本も入ってる気がして……」
「ほんまやな~気付かんかったわ」
「本当は気付いてたでしょ~本当にヒロは素直じゃないんだから」
「誕生日に読むの楽しみにしてる! 感想、直接言いたいから必ず帰って来てね! あと私も出発前に見せたいものがあって……」
それは、僕達が貰ったお守りと同じ大きさの、ウサギの人形だった。
「自分用にもう一つ作ったの。毎日これに話しかけたら、二人に届くかなって」
「通信機やあるまいし無理やろ」
「本当は嬉しいくせに〜ヒロは本当~に素直じゃないよね」
「必ずウサギと一緒に……帰ってきてね?」
僕は大勢の他人が行き交う駅前で、何と答えればいいか分からなかった。
「ようし景気づけに軍歌でも歌うか!」
「僕は軍歌はちょっと……」
「辛気臭いのう~よっしゃ軍歌の代わりにヨサコイ節でも歌うか」
「よさこい牛?」
「牛ちゃうわ! 何じゃ知らんのか? 高知の民謡じゃ」
「土佐の~高知の~はりまや橋で~坊さん~かんざし~買うを見た~ハア、ヨサコイ~ヨサコイ」
「初めて聞いたよ……あれ? もしかして播磨屋ってその歌から付けたんですか?」
「そうなの……私と浩一さんは播磨屋橋で出会ったから……」
静子おばさんは恥ずかしそうに、そう言って赤面した。
「そろそろ時間や」
最後にヒロは純子ちゃんと静子おばさんから千人針を受け取った。
「ほな行って参ります!」
「行って参ります!」
僕達は勇ましく敬礼した後、御茶ノ水駅を出発した。
僕達の漫画を胸に抱えて涙ながらに手を振り続ける純子ちゃん達の姿が見えなくなるまで、何度も振り返りながら手を振って……
そして僕達は、入隊した横須賀海兵団で思わぬ人物に出会った。