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華明館での一夜から七日が経過し、深月は自分の出生について諜報部隊の報告書をもとに暁から順序立てて聞かされた。
【諜報部隊による『稀血』の追加調査結果。
出生地は帝都南西の廃村。
母親を禾月、父親を人間に持つ〝白夜深月〟は、禾月本家である白夜家の内乱に巻き込まれ、十九年前に消息を絶つ。
養父は元帝国軍諜報部隊所属の東貴一。
東は名を貴一と改めたのち、白夜深月に生活援助をおこなっていた。また白夜深月の両親とは旧知の仲で、帝国軍を辞職後に幼児期の白夜深月を引き取ったものと推測される。
禾月現首領、白夜乃蒼と白夜深月は従兄妹関係にある。白夜乃蒼の華明館一件への加担は、暴走時の処理を目的としたものではなく、救済であった。
稀血による暴走は一度自我を失えば正気に戻すことは不可能とされていたが、白夜深月は例外である。
一名の軽傷者が出たものの、現在は極めて平静。白夜家の血筋であることを考慮し、要監視対象から特命部隊預かりとし、引き続き身柄の保護を継続する。
また、奉公先であった庵楽堂店主の借金肩代わりの件だが――】
(まさか、借金の肩代わりが嘘だったなんて……)
大旦那は深月に、養父の借金を肩代わりしたのは自分だと主張していた。しかしそれはすべて虚偽であり、実際のところは養父が、庵楽堂が抱えていた負債を私財を用いて援助していたという。
ふたりの関係性はいまのところ不明な点が多いが、お人好しである貴一の温情につけ込み、本来深月にあてていた私財も窃取したとされている。
養父である貴一の死の原因は、狂人化した禾月により重傷を負ったものと考えられ、いまのところ諜報時代の恨みを買った可能性が高いという。
信じられないような事実ばかりだが、両親について知れたのは思いがけない幸運だった。
「大変だったね。僕が早くに見つけていたら、深月に苦労を強いることもなかったのに」
特命部隊本拠地。別邸の執務室には、深月と暁、そしてなぜか乃蒼がいる。
「白夜さんは、わたしの従兄なんですよね?」
「そうだよ。白夜さんだなんて他人行儀だな。一応、血筋でいえば君も白夜の者なんだから、気軽に乃蒼って呼んでよ」
母親が白夜家の者だと知ったばかりで、さすがの深月もすぐには順応できない。乃蒼が従兄妹だとしても、気軽に呼ぶのは抵抗があった。
「それで、あなたはどんな要件があってここまで来たんだ」
深月の隣に座る仏頂面の暁が、乃蒼をじっと見る。
「嫌だな、暁くん。僕は深月の様子が気になっただけで、決して喧嘩を売りに来たわけじゃないんだ。だから、その野良禾月に向けるような目はやめておくれよ」
禾月は、二種類に分かれるのだという。白夜家に服従する禾月と、そうではない野良禾月。特命部隊が日々討伐しているのは、この野良禾月であり、乃蒼はそいつらと一緒にされるのは心外だと抗議した。
「僕だってね、困っているんだよ。従属外の禾月が好き勝手に人間を襲うたび、立場は悪くなる一方でさ」
白夜家の支配下にない禾月が暴走すれば特命部隊が討伐し、それは禾月首領により容認されている。
聞けば聞くほどなんともおかしな関係性だが、それにより今もふたつの種族は均衡を保ち帝都にて共存ができているのだ。
「まあ、だから……稀血である深月が持つ支配力は、僕らにとっても唯一の光だと考えていたわけだけど。覚醒はしても、能力は治癒しか発現していないようだし、ひとまずそれに頼るのはやめるとするよ」
乃蒼の目的は、血によって覚醒し暴走した深月を表向きは屠ったようにごまかして、白夜家に連れ帰ることだった。
しかし暁が言葉だけで深月を正気に戻したため、いまもこうして特命部隊の本拠地に身を置く状況が続いていた。
深月が暴走時に暁の声を聞けたのも、彼と過ごした時間と信頼によって成り立ったものであり、彼がそばにいたからこそうまく自我を取り戻し、深月は自分を律することに成功した。意思ある選択をとれたのだった。
「暁くんのお父上に睨まれるのも厄介だからね、しばらく深月は特命部隊でお願いするけど……深月、なにかあればすぐに連絡をおくれ。そのときは禾月首領の名を行使して、君を正式に白夜家に迎え入れるから」
飄々とした口調で掴みどころがない印象の乃蒼だが、その目は真剣に深月を見捉える。このときばかりは禾月の首領としての威厳と器が垣間見えたような気がした。
「……乃蒼さん、ありがとうございます」
乃蒼の言葉は、あくまでも自分を尊重してくれているのが伝わってくる。白夜家に行くという考えはないけれど、その気持ちが嬉しくて深月は素直に感謝を述べた。
ほどなくして、乃蒼は「また来るよ」と言い残し、中折れ帽子を深く被って邸を去っていった。
稀血と違って、通常の禾月は陽の光に弱い。それは禾月の始祖であり、闇夜を生きるあやかしの性質が色濃く反映されているせいだというが、にもかかわらず深月に会いに来てくれた。彼もまた、深月を案じるひとりなのだろう。
乃蒼が帰ったあと、深月は暁と一緒に東区画の庵楽堂を訪ねた。
店の前は人だかりができており、そのほとんどが野次馬だった。
深月が庵楽堂にきた理由。それはこれから取り潰しになるという話を聞きつけ、家屋の物置小屋に置いていた数少ない深月の私物を取りに来たからである。
突然の話に深月も驚いたが、庵楽堂は大旦那のこれまでの違法な金策や詐欺行為が明るみになり、権利と名誉、土地のすべても没収されることになったのだ。
店の裏手から家屋を繋ぐ表門をくぐると、ほとんど人の気配はなく静まり返っていた。
大旦那と女将は違法賭博の件で事情聴取のため警吏に連行されたと聞いていたので、人がいなくてもあまり驚きはしなかった。
物置小屋に向かっていれば、少しくたびれた顔をした麗子と、それに付き添う女中たちと鉢合わせた。
「深月、あんた……!! ……暁さま!」
深月を鋭い目つきで射抜いた麗子は、すぐに向きを変え、隣に立つ暁に駆け寄っていった。
「暁さま! この女もそう呼んでいたでしょう?」
暁は馴れ馴れしく触れてこようとする麗子を一瞥すると、わかりやすく顔をしかめた。
「あたしは女学校も出ています。深月なんかより社交性はありますし、茶道、華道、舞に琴も嗜みました」
「……なんの話だ?」
「この女よりもあなたの花嫁にふさわしいのは、あたしだと申し上げているんです!」
そういえば、暁は夜会のとき深月を『俺の花嫁』と断言していた。
たんに『候補』を言い忘れていただけなのだが、こうしてふたり並んだ姿をふたたび目にして、真実だと勘違いしたようだ。
「深月よりも軍人の妻として、華族の伴侶として振る舞える自信があります! なによりもあたしのほうが美しくて、そばに置くなら絶対に――」
「少しは静かにできないのか」
とうとう我慢ならなくなった暁は、言葉を遮り射殺すようなまなざしで麗子を見下ろした。その苛立った感情が向けられていない深月も底冷えするような威圧感に、麗子とそばにいた女中が「ひっ」と短い悲鳴をあげる。
「どれだけ愚行をさらしてうぬぼれようが、傲ろうが、勝手にすればいい。おまえの言葉などひとつも耳には残らない。心底どうでもいい。だが」
一歩前に動いた暁は、腹の底から響かせた声で、静かに告げた。
「彼女の侮辱をひとつでもこの先口にしてみろ、そのときは――」
暁は腰に携えた童天丸に触れ、なにかをした。
なにかをした、と曖昧になってしまったのは、彼が童天丸に触れた瞬間にかすかな妖力を感じ、麗子や女中らが揃って腰を抜かし怯えたからだ。
深月にはぼんやりとしか見えなかったけれど、おそらく暁は軽い幻覚を生み出して脅かしたのだろう。そうとは知らない麗子や女中たちは、彼を見上げたまま立ち上がれなくなっていた。
そんな麗子の前に佇んだ深月は、冷静な面持ちで告げた。
「……長年置いてくださって心から感謝しています。どうかお元気で。さようなら、麗子さん」
一ノ宮家の別邸では、堂々と別れを告げられなかった。だけどもう、深月が恐れることはない。
深月の中にあった安楽堂での日々や思いは、すでに昇華されていたのだった。
「暁さま。付き添い、ありがとうございました」
「かまわない。それより、あの場所で寝起きしていたとは……」
特命部隊本部に戻ってきた深月と暁は、執務室でひと息つく。
暁は深月が使っていた物置小屋のボロさに驚愕しており、帰ってきても余韻が抜けないのか悔しそうな表情をしていた。
「雨風はしのげていたので……」
「隙間は多いし雨漏りしていただろう」
納得がいかない暁の横顔に、深月の心がふわりと温かくなる。
「暁さま……」
それから深月は、彼が座るソファの隣に腰を下ろし、改めて謝意を述べた。
「このたびは本当にありがとうございました。そして、お怪我を負わせてしまい、申し訳ございません」
「もう何度も聞いた。これぐらいかまわない」
暁は「耳にたこだ」と口角を上げる。
彼の頬や首、腕には引っかき傷が多くある。記憶にないのだが、暴走した深月がつけたものらしい。
「それと、あのとき……わたし、特別になりたいと言っていたと思うんですが」
「…………」
恥じらって膝に視線を落とした深月を、暁は無言であごを引きながら見つめた。
「自分でも夢中で……すみません」
「なぜ謝るんだ?」
暁は肩をすぼめ、横から顔を覗き込んでくる。
反射的に仰け反ってしまう深月だが、暁は気にせず答えを待っていた。
「暁さまを治癒したとき、聞いてしまったんです。暁さまのご家族や近しい方々が稀血によって殺されてしまったと」
「……ああ、そうだな。蘭士から聞いたのか。それで?」
「わたしも稀血です。暁さまにとってはいろいろと複雑でしょうから。と、特別になりたいだなんて突然そんなこと言われてもご迷惑でしょうし。だから、わたしの発言は気にしないでいただけると……」
言葉がまとまらないまま口にしてしまい、深月はいますぐにでも穴を掘って隠れたい衝動に駆られた。
「もしや、朋代さんから聞いていた、君が部屋で考え込んでいたという理由はそれだったのか?」
「そうですね。あのときは初めて見た禾月に動揺してしまい、同時に暁さまの仇が稀血だと知って、負い目を感じていました」
「確かに身内は稀血に殺された。いまでも許せないし、行方を探している。だから君と初めて会ったときも私情がかなり入っていた。だが……君は違う。迷惑だとも俺は思わなかった」
感情の戸惑いが、口調から伝わってくる。特命部隊隊長としてではなく、女性を前にして不慣れな彼の仕草に、深月はそっと顔を上げた。
「いや……その前に、確認させてほしい」
また、きりっと眉とまぶたを近くして、軍人らしい凛々しい顔つきになる。
なんだか出会った当初にもそんなふうに言われたような。
深月がうなずくと、暁は居住まいを正した。
「帝国軍は君の身柄を引き続き特命部隊預かりにすると決めている。君の身柄の保護は軍にとって好都合だということだ。だが、そこに君の意思は含まれていない。君は以前と違って自分の意思でこの先を選べる。暴走にも打ち勝った。どんな存在だろうと、君の未来は君が選択して取るべきだ。だから確認させてほしい。特命部隊に身を置くか、それともほかに場所が――」
「わたしはここがいいです。この先もここに。猫ちゃんも特命部隊で飼うことになって、名付けを任されました。朋代さん、不知火さん、羽鳥さんとも、少しずつ仲良くさせていただいて、なにより暁さまがいてくれます。ここがわたしの、いたいと願う居場所です」
暁が最後まで話すよりも先に、深月は答えていた。
彼は食い気味に声を出した深月をおかしそうに見つめている。
「なら、改めて俺個人として言わせてくれ」
暁の表情が和らぐ。
深月を見つめて、彼らしく真摯に告げてくる。
「ここにいてくれないか。これまでと変わらず花嫁として」
「……契約ですか?」
聞き返すと、暁はほんのり眉を下げた。
稀血の情報は相変わらず秘匿にされている。これからも特命部隊で過ごすなら、表向きの立場が必要だ。
「そうだな……君以外にはしない、契約だ」
少しばかり緊張した様子で、それでも暁は一心に告げる。
出会ってすぐの頃は恐ろしくもあった彼が、信頼を置ける人になった。
あのときは深月に選べる余地がなかった。けれどいまはすべてが違う。深月自身も、お互いが抱いている心象と、ふたりの関係も。
「……はい、よろしくお願いします」
丹精込めて咲いた花のように、深月は微笑んだ。
互いに不慣れな感情に翻弄され、しかし本当の意味ではまだ、気がついていない。
それでも深月は思う。
彼の美しい顔がいままでにない新たな表情を作るたび、胸が躍る。
あの夜の暴走で、この体は稀血として覚醒した。だけど禾月の特性を思い出し、月の光が怖いと感じるようになっても、同様の色をした彼の瞳を見れば心が穏やかになっていく。
そしてこの時間も、特別になっている。
深月が無言のまま頬を緩めると、暁は不思議そうにしながらも笑みを返した。
「君の笑顔は、何度でも見たくなる」
なにもない自分が見つけた導。
暁の優しい満月のような瞳に、深月は愛おしさを感じるのだった。
このときは、まだ想像もつかない未来。
いつか最愛になるふたりが、初めての恋を自覚した。
淡い想いをまとわせる貴重なひととき。
窓辺に落ちたうららかな日差しは、次の季節を予感させる。
耐えるばかりだった寒い冬は終わりを告げ、彼らに訪れようとしているのは、これまでとはあきらかに違った新しい日々。
春は、もうすぐそこまで来ていた。
完