とある日の居酒屋バイトの勤務終了後。
颯斗がフロア清掃をしている最中、沙耶香はオーナーに呼ばれて事務所で本日分の給料が入った給料袋を受け取った。
「今日もお疲れ様。ここで働き始めてからもう三週間だね。サヤちゃんからしたら、こんなはした金じゃ小遣いにもならないだろう。使い道は決まってるのかな?」
「貯金です。無駄遣いしたら颯斗さんに怒られちゃって」
「ははっ、颯斗くんらしいね。……ところで、最近浮かない顔をしてるけど何かあったのかな」
「オーナーはもしかしたらメディアを通じて知っているかもしれませんが……。実は私、六日後に他の人と結婚するんです」
沙耶香は『結婚』という言葉を口にするだけでも気持ちが目一杯に。
しかし、もうすぐでアルバイトを辞めなければならないし、唯一胸の内を語れるオーナーに本音を吐き出せば少しは気持ちが楽になるのではとも思っていた。
「ニュースで見たよ。結婚のお相手は確か俳優だったね」
「はい……。でも、結婚したくないです」
「それはどうして?」
「彼とは考え方が違うから……。婚約が決まってから彼を好きになろうとしました。でも、彼は興味がないことに目もくれないし、簡単に約束を破ったり、簡単に人を傷つけたり。自分の気持ちしか大切にしないような人なんです。いまの彼を見ていたら未来の居場所が彷徨い始めました」
「じゃあ、何の為に結婚を?」
「わかりません……」
沙耶香は唇を強く噛み締めて俯いていると、オーナーは沙耶香の肩をポンっと叩いた。
「私には君の気持ちを応援する事くらいしか力になれなくて申し訳ない」
「そんな……。オーナーはいつも親身に話を聞いてくれて感謝してます」
「辛くても頑張るんだよ。これからが本番だからね」
「はい……」
オーナーはそう言うと厨房に戻って行った。
颯斗はオーナーとすれ違いざまに「お先に失礼します」と挨拶する。
事務所に足を踏み入れてから、給料袋を持ったままの沙耶香に声をかけた。
「お待たせ。フロアの掃除が終わったから帰ろ」
「はい! 今日も頑張ったからチョコを下さいね」
「また? 毎日食ってるだろ」
「颯斗さんがくれるから美味しいんです」
「バーカ。俺に甘えても二個目はなしだよ。ほら、帰るぞ」
颯斗はエプロンをロッカーにしまって荷物を取り出すと、沙耶香の頭を後ろから手で支えて外へと連れて行く。
その後ろ姿は、まるで本物の恋人のように……。
オーナーは仲睦まじい二人の背中を遠い目で見守るなりポツリと呟いた。
「なるほどねぇ」