思い返せばいつからだろうか。花子さん。いや、花村佳奈(はなむらかな)さんが視えるようになったのは。

 確か、体がベタつく時期だった気がする。突然なんの前触れもなく、僕の視界に彼女はある日映ってしまった。

 初めは僕の目がおかしくなったのかと思ってしまったものだ。だって、僕以外に彼女が視える人は、誰1人として存在しないのだから。

 なぜ僕だけ彼女が視えるのか、明確な理由はわからない。もしかしたら、理由があるのかもしれないと思ったが、半年経った今でも僕の日常が揺らぐような非現実的な体験はなかった。

 祐介には視えていなかったが、彼女は確かに僕の隣の席に座っている。ごく普通にこのクラスの一員であるかのように自然と。

 彼女が、僕の隣の席の人物だと認識できたのは、緑だった葉が赤や黄色に色づき始める頃だった。

 それまでずっと僕は、彼女のことをただの幽霊だとばかり思い込んでいた。そこらへんに取り残されてしまった幽霊達と同じように。

 でも、生憎僕には全くと言っていいほど霊感がない。18年生きてきたが、幽霊を見たことなど1度もなかった。

 それに彼女の体は透けていないのだ。僕が手を伸ばせば、簡単触れることができそうなくらい体の輪郭、動くたびに揺れる髪の毛先。

 まるで、みんなから無視されていると言った方が、理解してもらえるのではないだろうか。

 そのくらい彼女は僕らの日常に溶け込んでいた。

 春先に告げられた不幸な出来事。3年生に進級したばかりの頃に、うちの学校の生徒が交通事故に遭ってしまった。

 横断歩道で信号が変わるのを待っていたところに、1台の居眠り運転の車が突っ込んできたらしい。

 被害者は命に別状はなかったらしいが、一向に目を覚ますことがないと告げられた。

 そう、その被害者こそが僕の隣の席に座る花村佳奈さんなのだ。今も目を覚ますことなく眠っている彼女が、ここにいるはずがないのだ。
 
「席つけ〜、朝のホームルーム始めるぞ」

 担任の内藤(ないとう)先生が、出席番号順に生徒の名前を呼び上げていく。1人1人顔を確認しながら、名前と顔を照らし合わせるかのように。

立花玲(たちばなれい)

「はい」

 僕はこの教室に存在している。僕の隣の席の彼女とは違って、他者にも認識されている。目立つかと言われたら、それとはまた話は違ってくるが...

「花村佳奈・・・」

 当然返事はない。いるはずもない彼女からは声すら聞こえてこない。僕の目には映っているけれど。

 中には先生が彼女の名前を呼ぶのを、無駄だと思う生徒もこの中にはいるかもしれない。何せ、彼女からの返事が返ってくることは間違いなくないのだから。

 でも、僕はそうは思わない。先生は顔には出さないが、その声には優しさが含まれていると思う。

 この場にいなくとも、「お前は俺の生徒だ」と伝えているような気がしてやまない。

 真実は先生に聞いてみないとわからないが、世の中には聞かなくていいことも存在する。きっと、今回も聞かないほうが得策かもしれないな。

 ふと隣に視線を移すと、彼女は教卓を一心に見つめていた。一体彼女が何を考えてこの場に留まっているのか、僕には一切分かり得ることができない。

 もし、彼女が何か伝えようとしているとしたら...

「あっ」

 彼女の口元が歪んだ気がした。もちろん、悪い意味ではなくいい意味で。口角が上がったとでも言っておこう。

 その拍子に僕の口から声が漏れてしまった。教室に響くことはない、かなり小さめの声が。

 隣の席の子には聞こえてしまいそうなくらいの声量だった。

 これが、僕と彼女を結ぶきっかけになるとは思ってもいなかった。