二〇××年 二月 二八日 午前九時。
恭稲探偵事務所。
本来ならば、聖花は今日、百合泉乃中高等学園を卒業するはずだった。
だがそれは叶うことはなかった。
聖花は恭稲探偵事務所へ再び訪れて以来、ゲストルームから一歩も外に出ていない。
♪ コンコンコン。
「!」
ベッドで仰向けに寝転び、ぼんやりと白天井を眺めていた聖花はノック音にハッとする。
「白姫さん?」
聖花は静かに問い、部屋の扉の前まで歩く。
白姫と同じ空間で同じ時間を過ごしてはいるが、白姫と聖花の関係性はまだまだ浅い。聖花が白姫のことを“白姫”と呼ぶことも、敬語が取れることもなかった。
白姫はそれに対して寂しく思うものの、強要するつもりも、無理に関係性を縮めようとする気もない。今はただただ、聖花の心が少しでも軽くなることだけを考えていた。
「僕だよ」
扉の向こうから響くのは白姫の声音ではない。白や智白の声音でもなかった。
「ぇ⁉」
聖花は透明感のある柔らかなハイトーンボイスの響きに肩を震わせる。
「入ってもいいですか?」
と、再び響く声音はどこか聞き覚えのあるものだった。
「ど、どうぞ」
ゲストルームの出入り口扉の向こうには、常に白か智白が滞在している。不審者が恭稲探偵事務所へ訪れることはないだろうと考える聖花は、どもりながら承諾の意を示す。
カチャ。
ドアノブを回す音が響き、扉が押し開かれる。
重たい前髪をヘアピンアレンジでシースルーバングにしたマッシュウルフヘアー。前髪を軽くすることで露わになる目元。少し釣り目気味でありながら、存在感のある涙袋二重が柔らかさを与えている絶妙なバランスをした目元。その額縁の中に、上質なチャロアイトのような瞳を持つ青年が姿を現す。
「えッ⁉」
聖花は青年の姿に瞠目する。
「こんにちは」
青年は柔らかな微笑みを聖花へ投げかけた。
「……か、風間……先生、ですか?」
聖花は戸惑いながら問う。
聖花の知る風間亜樹音の髪色は、ダークミルクティー色をしていた。だが、今目の前に立っている青年は、銀色の髪をしていた。普通ならば、髪色を変えたのだと思えばいいだけの話だが、ここは恭稲探偵事務所。誰かれ構わずに訪れられる場所ではないのだ。
「正解」
全体的に薄いものの、桜色の富士山型の上唇が印象的な口元から、透明感のある柔らかなハイトーンボイスを発す白衣姿の二十代前半程の青年は微笑む。
「!」
聖花は目を見開く。恐怖と不安の中で感じる、少しの懐かしさ。
「ど、どうして?」
聖花はどもりながら問う。
聖花が何に対して疑問を持ち、何を問うているのかを理解する風間は、ゆっくりと口を開く。
「貴方は、誰なんですか?」
「ぇ?」
「碧海聖花さんはそう、僕に聞きましたよね? 覚えていますか?」
聖花はコクリと頷く。
「僕の名前は、風間亜樹音。そして、もう一つの名は、白樹」
「は、白樹さん⁉ ぇ、だって……」
「髪色があの時と違う。と言いたいんですよね? この髪色が、僕が持つ本来の色です。風間亜樹音の時は髪色を染めていた。白樹のときは、白さまのまやかしにかけてもらっていたんですよ」
「どういうことですか?」
「僕は、碧海聖花さんと同じ、半妖狐です。だから、白妖弧が持つ白髪にもならなかったし、瞳の色も人でも妖弧でもない、両者が混じり合ったような中途半間な色合いとなってしまった」
――僕はどちらでもない。どちらにもなりきれなかったんだ。君と同じさ。
聖花の脳裏で、自嘲気味な笑顔を浮かべてそう話す風間亜樹音の姿が浮かぶ。
「……だから、あの時……っ」
合点がいったと聖花は息を飲む。
「えぇ。碧海聖花さん、その後、どうですか? 少し瘦せて顔色も優れないようですけど――体調はどうですか?」
「なんとか、生かしてもらっています。風間先生。私はもう学園の生徒ではありません。さん付けは不要です」
覇気のない声でそう答える聖花は、自嘲さを滲ませる力のない笑みを浮かべる。
「それを言うなら、僕はもう貴方の先生じゃない。だから、僕を先生と呼ぶ必要もありません」
「それは……」
「だから、今日でおしまいにしましょう?」
きょとんとする聖花に見せるように、風間が筒に入った卒業証書を見せる。と同時に、卒業式らしいBGMが部屋に流れ出す。
「ぇ? なに?」
聖花はキョロキョロと辺りを見回し、音の出所を探す。もちろん、見つかりはしない。
「ふふふ」
扉の外の壁に隠れ、二人の会話を盗み聞きしていた白姫は、楽しそうに笑いながら部屋の中に飛び込んでくる。その左手にはスマホが握られていた。BGMは白姫の仕業のようだ。
「白姫さんッ⁉」
「えぇ~。碧海聖花さん。これより、卒業証書の贈呈に移りたいと思います」
驚く聖花を置いてけぼりに、白姫は声を弾ませながら言った。
「碧海聖花さん」
白樹は真摯な顔で聖花と向き合い、真面目な声音で聖花の名を呼んだ。
「は、はいッ!」
聖花は小学生のごとく、ピシッと背筋を正す。
白樹は卒業証書の筒から、一枚のA4用紙を取り出した。
「ん?」
想像と違う物が筒から登場し、聖花は思わず前のめりな姿勢で素っ頓狂な声を出す。
「聖花、間抜けな顔しないで」
白姫にまで間抜け顔を指摘され、内心で凹む聖花だが、今は自分が行けなかったと、姿勢と表情を正し直す。
「これより、百合泉乃中高等学園校長の代わりに、卒業証書の贈呈をいたします。
【卒業証書
百合泉乃中高等学園
二〇××年二月二十八日生
あなたは百合泉乃中高等学園において、高等科の普通課程を卒業したことを証します。
二〇××年二月二十八日
百合泉乃中高等学園校長 森下美嘉子
第一八××五号】
碧海聖花さん。ご卒業、おめでとうございます」
卒業証書を読み上げた白樹は穏やかに微笑み、卒業証書を聖花に贈呈した。
聖花は美しい所作で卒業証書を受け取り、一筋の涙を溢す。
「おめでとう聖花っ」
涙を滲ませた白姫は、聖花の左側から聖花を抱きしめた。
「ありがとうございます」
聖花はポロポロと涙を溢す。そんな聖花を白姫があやし、白樹はそっと見守った。
†
「お二人はこれからどうするんですか?」
落ち着きを取り戻した聖花は、まだ少し涙声ながらに問う。
「僕はしばらく百合泉乃中高等学園の保険医として働きながら、三人をサポートしたいと思っているよ」
「……お父さんとお母さんは生きていますか?」
「もちろん! ちゃ~んっと生きているよ」
白樹は聖花を安心させるように力強く頷き、そう答える。
「ちゃんとご飯食べていますか? すみれさんに続き、私まで傍から離れてしまって――二人の精神面が心配です。愛莉もそうですけど。皆が変な気を起こさないといいんですけど」
「大丈夫。僕がサポートするから。僕は君の方が心配だよ。ちゃんとご飯食べているの?」
「ぁ、えっと。はい」
聖花は切れの悪い返答をしてすぐ、「愛莉はどうしていますか?」と問うた。
恭稲探偵事務所に訪れてからは、あちら側の世界のことについての情報がほぼ与えられなかった。白姫に聞いても濁されていたのだ。
聖花はここぞとばかりに、白樹を質問攻めにする。
「守里愛莉さんも今日、無事に百合泉乃中高等学園を卒業したよ。今後は京都で教員免許が取れる大学に通うため、一人暮らしを始めるみたい」
「愛莉先輩のことは私に任せて!」
唐突に話に入ってきた白姫は、自身の胸元に左掌を当てる。
「ぇ?」
聖花は説明を求めるように、白姫をきょとんと見る。
「姫は百合泉乃中高等学園を三日前に辞めたんだ。それで、四月からは大学生として、守里愛莉さんと同じ大学に通うことになっている」
「同じ大学にいた方が愛莉先輩を守れるでしょ? 私って頭いいわ~って、白樹! 私を姫と呼ばないで! って言っているじゃない。何回言わせたら気がすむのよッ」
「そんなプリプリしていたら、可愛い顔が台無しだよ。もったいない」
白樹はご立腹な白姫をさらりと流す。
「えっと、白樹さん?」
「うん。なんだい?」
少し躊躇するように自身の名前を呼んでくる聖花に対し、白樹は優しい笑みを見せる。
「風間先生の名前は、偽名だったんですか?」
「本名だよ。人間界においてだけどね。僕は人間界で生きていく者だから、人間界での名前が必要なんだ。でも、僕をよく知る白妖子たちは、僕のことを“白樹”と言う。それが産まれた時からの名だからね」
「……そう、なんですね。私は今後、なんとお呼びさせてもらったらいいのでしょうか?」
白樹の言葉を咀嚼するように頷く聖花は、小首を傾げながら問うた。
「風間亜樹音の姿のときは、亜樹音でいいよ。こちらの世界では、白樹で。ややこしくてごめんね。これでも一応、姿を隠して生きていかなきゃいけない立場だからね」
白樹はそう言って苦笑いを浮かべた。
――半妖弧を隠さなければならない理由があります。
――半妖弧狩り。主に黒妖弧が赤妖狐を駒にして半妖弧を探し出し、その命を奪うこと。本人だけではなく、両親も然りです。
聖花の鼓膜に、智白に説明された言葉達がよみがえる。
「大丈夫だよ。君のバックには白様がついているし、僕達が各サポートについているからね」
「……でも、白樹さんは……。私のサポートにまわることで、白樹さんを危険に晒しているようなものなんじゃ……」
聖花は申し訳なさと不安感などを覚え、表情を暗くさせた。
「大丈夫だよ。僕は僕で上手くやっている。心配してくれてありがとう。僕がサポートしたくてしているんだ。僕の自由意志。僕に対し、君が気に病む必要は何一つない」
「そうそう。白樹はずる賢くて、逃げる技術も隠れる技術も高いもんね~」
白姫は援護射撃するように、明るい口調で言った。
「……それ、褒められているの? それとも、貶されている?」
「さぁ? それは白樹の捉え方次第だわ」
二人のやり取りを前に、聖花の口元が少し緩む。その笑みを見た二人は、口元に柔らかな弧を描いた。
「聖花。本当に白樹は大丈夫だから。安心して? 白樹は呪符の戦術も身につけているし、悪運も強い。それに、白樹のバックにも白さまがついて下さっている。パパもね」
白姫は聖花の左手をそっと両手で握り、安心させるように母性を感じる笑顔を浮かべた。
「うん。そうだね。といっても、兄さんはそこまで戦闘能力は高くないけどね。ついでに、いい年になってきたしね」
「誰がいい年になってきたんですか?」
白樹が茶化すように言って笑う背後で買い物袋をいくつか抱えた智白は、いつもよりもワントーン低い声を発す。
「ぁ、パパ~!」
白姫は笑顔で智白に駆け寄る。
「ぁ、いたんだ。……いつのまに」
白樹はぼそりと呟き、智白から視線を外す。
「さっき帰ってきましたよ。白姫に頼まれた品物を抱えてね」
白樹の質問とも感じる独り言に答えるかのように、智白はそう言って大きな買い物袋二つを見せる。
「パパ、ありがとう♪」
満面の笑みでお礼を言った白姫に対し、「あまり騒がしくしないように」と忠告する智白は、持っていた袋を白姫へと手渡した。
「ありがとう♪ パパも食べる?」
「そんなヘビーなモノを私が食すと思いますか?」
智白はげっそりした表情で答える。
「全く思わない。でも、たまにはハイカロリーな食べ物とか、人間界の美味しい食べ物とか食べたくなるかなぁ? って」
「なりませんよ。若い者達だけで楽しみなさい」
溜息交じりに言った智白はそう言って、ゲストルームの扉をぴしゃりと閉めた。
「兄さん、姫に甘いでしょ? 僕達との対応とは、えらい違いだと思わない?」
「えっと……」
白樹に耳元でぼそりと愚痴るように言われ、聖花はなんと答えればいいか困惑する。
「白樹! またなんか変なことを吹き込んでいるんじゃないんでしょうね?」
「人聞き悪いこと言わないでよ~」
しかめっ面で振り向いて話す白姫に対し、白樹は無罪だと言うように、両手を上げて首を竦めてみせる。
「じゃぁ、なんで聖花が変な顔しているのよ?」
両手に買い出しされた袋を抱えながらも、左人差し指で聖花の顔をさす。
「ぇ?」
白姫の言葉に聖花は確認するかのように、両掌を自身の両頬に当てた。
「……通常運転の顔じゃない?」
「えぇっ⁉」
二人の失礼な物言いに眉根を下げる。
「通常運転は失礼すぎよ!」
聖花は白姫の言葉に首を上下に振って同意を示す。
「通常運転じゃなくて、変な顔も間抜け面もクセになっているだけだわ」
白姫の言葉に聖花はガクリと肩を落とす。散々な言われようだ。
「……白姫って無自覚の毒舌だよね。無意識に敵を作りやすいタイプじゃない? 叔父さん心配」
「白樹に言われたくないわよ。まったく! 失礼しちゃうわね!」
とプリプリする白姫は、部屋の真ん中に置かれた四人掛けダイニングテーブルにどさりと袋を置いた。
「ごめんごめん。なにを買ってもらったの?」
「Lサイズのハーフ&ハーフのピザ二枚。味はトマト系とクリーム系。お肉系とシーフード系。Lサイズのハッシュドポテト。後は、パパがチョイスしたペットボトルのジュースたちと、デザートをいくつかよ」
白姫はご機嫌に答えながら、買ってきてもらったものを机に広げる。美味しそうなピザの香りが一気に部屋へ広がった。
「聖花~。卒業パーティしよ~う。パパにお願いして、ピザとか頼んでもらったんだぁ~。ジュース何飲む? リンゴにジンジャエール。オレンジ、コーラー、カフェオレがあるよ」
白姫は楽しそうに聖花を手招きする。
「はい!」
聖花は微笑み頷くと、白姫の傍に駆け寄る。
「白樹も座って~。ぁ! ごめん白樹。グラス忘れちゃったから、座る前にパパのお部屋から持ってきてくれない? 後、取り皿もお願い」
「りょーかーい」
白樹は間延びした返事をして、部屋を後にした。
(……ぱ、パシられてはる)
という聖花の胸の内を読み解いたのか、白姫はじろりと聖花を見る。
「!」
「聖花、今失礼なこと思ったでしょ?」
「え~っと、バレましたか?」
一瞬誤魔かそうと視線を泳がせた聖花だったが、白姫相手には無理だろうと、素直に認めた。
「バレバレ! 全く~」
と拗ねたように言いながらも、白姫は楽しそうに笑う。
そんな白姫の横に、愛莉の残像が見える。
聖花の胸がズキリと傷む一方で、感謝の気持ちも芽生えていた。
聖花は離れ離れの心友を思いながら、今は自分に出来ることを行いながら、自分のいるべき場所で生きていこうと誓うのだった――。
恭稲探偵事務所。
本来ならば、聖花は今日、百合泉乃中高等学園を卒業するはずだった。
だがそれは叶うことはなかった。
聖花は恭稲探偵事務所へ再び訪れて以来、ゲストルームから一歩も外に出ていない。
♪ コンコンコン。
「!」
ベッドで仰向けに寝転び、ぼんやりと白天井を眺めていた聖花はノック音にハッとする。
「白姫さん?」
聖花は静かに問い、部屋の扉の前まで歩く。
白姫と同じ空間で同じ時間を過ごしてはいるが、白姫と聖花の関係性はまだまだ浅い。聖花が白姫のことを“白姫”と呼ぶことも、敬語が取れることもなかった。
白姫はそれに対して寂しく思うものの、強要するつもりも、無理に関係性を縮めようとする気もない。今はただただ、聖花の心が少しでも軽くなることだけを考えていた。
「僕だよ」
扉の向こうから響くのは白姫の声音ではない。白や智白の声音でもなかった。
「ぇ⁉」
聖花は透明感のある柔らかなハイトーンボイスの響きに肩を震わせる。
「入ってもいいですか?」
と、再び響く声音はどこか聞き覚えのあるものだった。
「ど、どうぞ」
ゲストルームの出入り口扉の向こうには、常に白か智白が滞在している。不審者が恭稲探偵事務所へ訪れることはないだろうと考える聖花は、どもりながら承諾の意を示す。
カチャ。
ドアノブを回す音が響き、扉が押し開かれる。
重たい前髪をヘアピンアレンジでシースルーバングにしたマッシュウルフヘアー。前髪を軽くすることで露わになる目元。少し釣り目気味でありながら、存在感のある涙袋二重が柔らかさを与えている絶妙なバランスをした目元。その額縁の中に、上質なチャロアイトのような瞳を持つ青年が姿を現す。
「えッ⁉」
聖花は青年の姿に瞠目する。
「こんにちは」
青年は柔らかな微笑みを聖花へ投げかけた。
「……か、風間……先生、ですか?」
聖花は戸惑いながら問う。
聖花の知る風間亜樹音の髪色は、ダークミルクティー色をしていた。だが、今目の前に立っている青年は、銀色の髪をしていた。普通ならば、髪色を変えたのだと思えばいいだけの話だが、ここは恭稲探偵事務所。誰かれ構わずに訪れられる場所ではないのだ。
「正解」
全体的に薄いものの、桜色の富士山型の上唇が印象的な口元から、透明感のある柔らかなハイトーンボイスを発す白衣姿の二十代前半程の青年は微笑む。
「!」
聖花は目を見開く。恐怖と不安の中で感じる、少しの懐かしさ。
「ど、どうして?」
聖花はどもりながら問う。
聖花が何に対して疑問を持ち、何を問うているのかを理解する風間は、ゆっくりと口を開く。
「貴方は、誰なんですか?」
「ぇ?」
「碧海聖花さんはそう、僕に聞きましたよね? 覚えていますか?」
聖花はコクリと頷く。
「僕の名前は、風間亜樹音。そして、もう一つの名は、白樹」
「は、白樹さん⁉ ぇ、だって……」
「髪色があの時と違う。と言いたいんですよね? この髪色が、僕が持つ本来の色です。風間亜樹音の時は髪色を染めていた。白樹のときは、白さまのまやかしにかけてもらっていたんですよ」
「どういうことですか?」
「僕は、碧海聖花さんと同じ、半妖狐です。だから、白妖弧が持つ白髪にもならなかったし、瞳の色も人でも妖弧でもない、両者が混じり合ったような中途半間な色合いとなってしまった」
――僕はどちらでもない。どちらにもなりきれなかったんだ。君と同じさ。
聖花の脳裏で、自嘲気味な笑顔を浮かべてそう話す風間亜樹音の姿が浮かぶ。
「……だから、あの時……っ」
合点がいったと聖花は息を飲む。
「えぇ。碧海聖花さん、その後、どうですか? 少し瘦せて顔色も優れないようですけど――体調はどうですか?」
「なんとか、生かしてもらっています。風間先生。私はもう学園の生徒ではありません。さん付けは不要です」
覇気のない声でそう答える聖花は、自嘲さを滲ませる力のない笑みを浮かべる。
「それを言うなら、僕はもう貴方の先生じゃない。だから、僕を先生と呼ぶ必要もありません」
「それは……」
「だから、今日でおしまいにしましょう?」
きょとんとする聖花に見せるように、風間が筒に入った卒業証書を見せる。と同時に、卒業式らしいBGMが部屋に流れ出す。
「ぇ? なに?」
聖花はキョロキョロと辺りを見回し、音の出所を探す。もちろん、見つかりはしない。
「ふふふ」
扉の外の壁に隠れ、二人の会話を盗み聞きしていた白姫は、楽しそうに笑いながら部屋の中に飛び込んでくる。その左手にはスマホが握られていた。BGMは白姫の仕業のようだ。
「白姫さんッ⁉」
「えぇ~。碧海聖花さん。これより、卒業証書の贈呈に移りたいと思います」
驚く聖花を置いてけぼりに、白姫は声を弾ませながら言った。
「碧海聖花さん」
白樹は真摯な顔で聖花と向き合い、真面目な声音で聖花の名を呼んだ。
「は、はいッ!」
聖花は小学生のごとく、ピシッと背筋を正す。
白樹は卒業証書の筒から、一枚のA4用紙を取り出した。
「ん?」
想像と違う物が筒から登場し、聖花は思わず前のめりな姿勢で素っ頓狂な声を出す。
「聖花、間抜けな顔しないで」
白姫にまで間抜け顔を指摘され、内心で凹む聖花だが、今は自分が行けなかったと、姿勢と表情を正し直す。
「これより、百合泉乃中高等学園校長の代わりに、卒業証書の贈呈をいたします。
【卒業証書
百合泉乃中高等学園
二〇××年二月二十八日生
あなたは百合泉乃中高等学園において、高等科の普通課程を卒業したことを証します。
二〇××年二月二十八日
百合泉乃中高等学園校長 森下美嘉子
第一八××五号】
碧海聖花さん。ご卒業、おめでとうございます」
卒業証書を読み上げた白樹は穏やかに微笑み、卒業証書を聖花に贈呈した。
聖花は美しい所作で卒業証書を受け取り、一筋の涙を溢す。
「おめでとう聖花っ」
涙を滲ませた白姫は、聖花の左側から聖花を抱きしめた。
「ありがとうございます」
聖花はポロポロと涙を溢す。そんな聖花を白姫があやし、白樹はそっと見守った。
†
「お二人はこれからどうするんですか?」
落ち着きを取り戻した聖花は、まだ少し涙声ながらに問う。
「僕はしばらく百合泉乃中高等学園の保険医として働きながら、三人をサポートしたいと思っているよ」
「……お父さんとお母さんは生きていますか?」
「もちろん! ちゃ~んっと生きているよ」
白樹は聖花を安心させるように力強く頷き、そう答える。
「ちゃんとご飯食べていますか? すみれさんに続き、私まで傍から離れてしまって――二人の精神面が心配です。愛莉もそうですけど。皆が変な気を起こさないといいんですけど」
「大丈夫。僕がサポートするから。僕は君の方が心配だよ。ちゃんとご飯食べているの?」
「ぁ、えっと。はい」
聖花は切れの悪い返答をしてすぐ、「愛莉はどうしていますか?」と問うた。
恭稲探偵事務所に訪れてからは、あちら側の世界のことについての情報がほぼ与えられなかった。白姫に聞いても濁されていたのだ。
聖花はここぞとばかりに、白樹を質問攻めにする。
「守里愛莉さんも今日、無事に百合泉乃中高等学園を卒業したよ。今後は京都で教員免許が取れる大学に通うため、一人暮らしを始めるみたい」
「愛莉先輩のことは私に任せて!」
唐突に話に入ってきた白姫は、自身の胸元に左掌を当てる。
「ぇ?」
聖花は説明を求めるように、白姫をきょとんと見る。
「姫は百合泉乃中高等学園を三日前に辞めたんだ。それで、四月からは大学生として、守里愛莉さんと同じ大学に通うことになっている」
「同じ大学にいた方が愛莉先輩を守れるでしょ? 私って頭いいわ~って、白樹! 私を姫と呼ばないで! って言っているじゃない。何回言わせたら気がすむのよッ」
「そんなプリプリしていたら、可愛い顔が台無しだよ。もったいない」
白樹はご立腹な白姫をさらりと流す。
「えっと、白樹さん?」
「うん。なんだい?」
少し躊躇するように自身の名前を呼んでくる聖花に対し、白樹は優しい笑みを見せる。
「風間先生の名前は、偽名だったんですか?」
「本名だよ。人間界においてだけどね。僕は人間界で生きていく者だから、人間界での名前が必要なんだ。でも、僕をよく知る白妖子たちは、僕のことを“白樹”と言う。それが産まれた時からの名だからね」
「……そう、なんですね。私は今後、なんとお呼びさせてもらったらいいのでしょうか?」
白樹の言葉を咀嚼するように頷く聖花は、小首を傾げながら問うた。
「風間亜樹音の姿のときは、亜樹音でいいよ。こちらの世界では、白樹で。ややこしくてごめんね。これでも一応、姿を隠して生きていかなきゃいけない立場だからね」
白樹はそう言って苦笑いを浮かべた。
――半妖弧を隠さなければならない理由があります。
――半妖弧狩り。主に黒妖弧が赤妖狐を駒にして半妖弧を探し出し、その命を奪うこと。本人だけではなく、両親も然りです。
聖花の鼓膜に、智白に説明された言葉達がよみがえる。
「大丈夫だよ。君のバックには白様がついているし、僕達が各サポートについているからね」
「……でも、白樹さんは……。私のサポートにまわることで、白樹さんを危険に晒しているようなものなんじゃ……」
聖花は申し訳なさと不安感などを覚え、表情を暗くさせた。
「大丈夫だよ。僕は僕で上手くやっている。心配してくれてありがとう。僕がサポートしたくてしているんだ。僕の自由意志。僕に対し、君が気に病む必要は何一つない」
「そうそう。白樹はずる賢くて、逃げる技術も隠れる技術も高いもんね~」
白姫は援護射撃するように、明るい口調で言った。
「……それ、褒められているの? それとも、貶されている?」
「さぁ? それは白樹の捉え方次第だわ」
二人のやり取りを前に、聖花の口元が少し緩む。その笑みを見た二人は、口元に柔らかな弧を描いた。
「聖花。本当に白樹は大丈夫だから。安心して? 白樹は呪符の戦術も身につけているし、悪運も強い。それに、白樹のバックにも白さまがついて下さっている。パパもね」
白姫は聖花の左手をそっと両手で握り、安心させるように母性を感じる笑顔を浮かべた。
「うん。そうだね。といっても、兄さんはそこまで戦闘能力は高くないけどね。ついでに、いい年になってきたしね」
「誰がいい年になってきたんですか?」
白樹が茶化すように言って笑う背後で買い物袋をいくつか抱えた智白は、いつもよりもワントーン低い声を発す。
「ぁ、パパ~!」
白姫は笑顔で智白に駆け寄る。
「ぁ、いたんだ。……いつのまに」
白樹はぼそりと呟き、智白から視線を外す。
「さっき帰ってきましたよ。白姫に頼まれた品物を抱えてね」
白樹の質問とも感じる独り言に答えるかのように、智白はそう言って大きな買い物袋二つを見せる。
「パパ、ありがとう♪」
満面の笑みでお礼を言った白姫に対し、「あまり騒がしくしないように」と忠告する智白は、持っていた袋を白姫へと手渡した。
「ありがとう♪ パパも食べる?」
「そんなヘビーなモノを私が食すと思いますか?」
智白はげっそりした表情で答える。
「全く思わない。でも、たまにはハイカロリーな食べ物とか、人間界の美味しい食べ物とか食べたくなるかなぁ? って」
「なりませんよ。若い者達だけで楽しみなさい」
溜息交じりに言った智白はそう言って、ゲストルームの扉をぴしゃりと閉めた。
「兄さん、姫に甘いでしょ? 僕達との対応とは、えらい違いだと思わない?」
「えっと……」
白樹に耳元でぼそりと愚痴るように言われ、聖花はなんと答えればいいか困惑する。
「白樹! またなんか変なことを吹き込んでいるんじゃないんでしょうね?」
「人聞き悪いこと言わないでよ~」
しかめっ面で振り向いて話す白姫に対し、白樹は無罪だと言うように、両手を上げて首を竦めてみせる。
「じゃぁ、なんで聖花が変な顔しているのよ?」
両手に買い出しされた袋を抱えながらも、左人差し指で聖花の顔をさす。
「ぇ?」
白姫の言葉に聖花は確認するかのように、両掌を自身の両頬に当てた。
「……通常運転の顔じゃない?」
「えぇっ⁉」
二人の失礼な物言いに眉根を下げる。
「通常運転は失礼すぎよ!」
聖花は白姫の言葉に首を上下に振って同意を示す。
「通常運転じゃなくて、変な顔も間抜け面もクセになっているだけだわ」
白姫の言葉に聖花はガクリと肩を落とす。散々な言われようだ。
「……白姫って無自覚の毒舌だよね。無意識に敵を作りやすいタイプじゃない? 叔父さん心配」
「白樹に言われたくないわよ。まったく! 失礼しちゃうわね!」
とプリプリする白姫は、部屋の真ん中に置かれた四人掛けダイニングテーブルにどさりと袋を置いた。
「ごめんごめん。なにを買ってもらったの?」
「Lサイズのハーフ&ハーフのピザ二枚。味はトマト系とクリーム系。お肉系とシーフード系。Lサイズのハッシュドポテト。後は、パパがチョイスしたペットボトルのジュースたちと、デザートをいくつかよ」
白姫はご機嫌に答えながら、買ってきてもらったものを机に広げる。美味しそうなピザの香りが一気に部屋へ広がった。
「聖花~。卒業パーティしよ~う。パパにお願いして、ピザとか頼んでもらったんだぁ~。ジュース何飲む? リンゴにジンジャエール。オレンジ、コーラー、カフェオレがあるよ」
白姫は楽しそうに聖花を手招きする。
「はい!」
聖花は微笑み頷くと、白姫の傍に駆け寄る。
「白樹も座って~。ぁ! ごめん白樹。グラス忘れちゃったから、座る前にパパのお部屋から持ってきてくれない? 後、取り皿もお願い」
「りょーかーい」
白樹は間延びした返事をして、部屋を後にした。
(……ぱ、パシられてはる)
という聖花の胸の内を読み解いたのか、白姫はじろりと聖花を見る。
「!」
「聖花、今失礼なこと思ったでしょ?」
「え~っと、バレましたか?」
一瞬誤魔かそうと視線を泳がせた聖花だったが、白姫相手には無理だろうと、素直に認めた。
「バレバレ! 全く~」
と拗ねたように言いながらも、白姫は楽しそうに笑う。
そんな白姫の横に、愛莉の残像が見える。
聖花の胸がズキリと傷む一方で、感謝の気持ちも芽生えていた。
聖花は離れ離れの心友を思いながら、今は自分に出来ることを行いながら、自分のいるべき場所で生きていこうと誓うのだった――。