深夜一時――。
 一しきり女子会を楽しんだ三人は、ゲストルームの和室にて、布団を三人分川の字に敷き、眠りにつこうとしていた。
 出入り口に一番近い所に春香、真ん中に聖花、聖花の右隣に愛莉が横になっている。


「春香ちゃんもう寝た?」
 愛莉が小声で聖花に問う。
「うん」
 聖花は小さく頷く。
 確かに聖花の隣で静かな寝息を立てている春香ではあるが、これは本来の春香ではない。眠っている春香は傀儡で、本体はリビングで警備をしていた。愛莉はそれを知らない。


「……聖花、なんかあったんか?」
「ぇ?」
 勘の鋭い心友にドキリと胸が跳ねる。


「ぁ、いや、明日学校あるのにお泊りパーティーしょぉって……どう考えて不思議に思うやろ? うちの知らんところで嫌な目にあってたりするんか?」
「ううん。ただ、会いたかってん。愛莉と過ごしたかってん」
 本当のことなど打ち明けられるわけもない聖花は、起きている出来事に関しての真実を隠しながらも、自分の素直な思いだけを晒した。

「……そうか。寂しん坊聖花ちゃんの日やってんな」
「ふふっ。なんなんよ、それ」
 あえて深入りしてこない愛莉の優しさと気遣い、茶化すような言葉に対し、聖花は朗らかな笑みを溢す。
「大丈夫やで」
 愛莉は頷くように言って、聖花の右手をそっと握った。
「?」
 聖花はきょとんとして愛莉を見る。暗闇の中でぼんやり見えるのは愛莉の笑顔だった。


「何があったんか知らんけど、大丈夫。うちがおるから。ずっと、聖花の傍におるから。もう独りやないんよ」
 愛莉はまるで幼子に言い聞かすように穏やかな口調で言うと、聖花を安心させるようにそっと微笑んだ。

「ッ……」
 涙と嗚咽を呑み込む聖花は、ぎゅっと愛莉の手を握り返す。
「ありがとう……愛莉。ほんまに、ありがとう」
 左手で頬に伝う涙を拭った。
「聖花はほんま泣き虫やなぁ」
 と言う愛莉もまた、涙ぐんでいるのだろう。声で涙で揺れていた。


「五月蠅いな~。愛莉だって泣いてるやん」
「もらい泣きや。年々涙腺緩むって言うやろぉ」
 愛莉はモフモフしたパジャマの袖で、自身の涙を隠すかのように乱暴に涙を拭った。

「涙腺緩むって、早すぎへん? 私達まだ十代やん」
 聖花は微苦笑を浮かべながらツッコミを入れる。
「年齢なんて関係あらへん。その人が積み重ねてきた人生の濃密さがものを言うねん。友達付き合いもそう。クラスメイトとしてぽけーッと三年間同じ所で過ごしている人より、三年間同じ塾で切磋琢磨したり、たくさん話している人やったら、後者の方が仲良くなるやん? 結果人生なんて年数じゃなくて、どう生きてきたか。中身が大切なんよ」

「……愛莉が珍しくまともなこと言うてる気がする」
 聖花は愛莉の言葉に感銘を受けたかのように、ぼそりと呟く。


「いつもお茶らけてるみたいに言わんといてくれる? うち、あほの子ちゃうし」
 失礼な物言いに対し、愛莉はじとーっと、聖花を流し見る。

「ごめんごめん」
 聖花は軽く謝る。本気で悪いとは思ってはいないだろう。愛莉もまた、本気で怒っているわけでもない。一種のコミュニケーション。気心知れた者だからこそ出来る会話だった。


「聖花」
 愛莉が真摯な声音で聖花の名を呼ぶ。今までの楽しげな雰囲気が一瞬にして変化した。
「なに?」
 聖花は真剣モードに入った愛莉に向き合うように、真摯に耳を傾ける。


「うちらは多分、高校卒業したら、それぞれの進路で違う道に歩むかも知らへん。いや、きっと歩む。志望大学が違うもん。それでも、うちらはずっと一緒にいような。どんなに離れ離れになったとしても、きっとうちらは魂で繋がってると思うねん。積み重ねてきた思い出が、うちらを支えてくれるはずや。これから会える時間が減ってまうけど、会えた時は、めーいっぱい楽しもうな」


「……うぅ~」
「ど、どないしたん? 苦しいんか?」
 聖花の唸り声に驚く愛莉は、勢いよく上半身を起き上がらせた。

「ちゃう」
 と否定しながら上半身を起こす聖花は、パジャマの裾で零れ落ちる涙を拭った。


「聖花……」
 愛莉は何も言わず、聖花をそっと抱きしめた。


「大丈夫大丈夫。聖花はもう傷つけられるだけの子供やない。聖花は充分強くなった。自分を守れるようになった。聖花はもう何もできない子供やないからな。なんかあったら、うちや響子ママと雅博パパが守っていくから」


「あいりぃっ」
 聖花は愛莉の背中に両手を回し、縋るように涙を溢す。


「よしよし。大丈夫大丈夫」
 愛莉は幼子をあやすように、聖花の背中をぽんぽんと叩き続けた。



 深夜二時。
 しばらく愛莉にあやしてもらって落ち着きを取り戻した聖花は、愛莉と共に布団にもぐっていた。愛莉はすでに穏やかな寝息を立てている。

「――」
 愛莉の寝顔をしばし見つめていた聖花は、握っていた愛莉の手をそっと手放す。
 聖花は愛莉を起こさないように部屋を後にした。


「聖花先輩?」
 リビングに居た春香は、聖花がゲストルームから出ていく気配に気がつき、リビングからそっと駆け寄る。


「春香ちゃん。ずっと守ってくれてありがとう」
 聖花は小声で言った。その口調は敬語でも丁寧語でもない。愛莉が来る前に、春香から口調のことを指摘されたのだ。今は西条春香として接しているので、聖花先輩も西条春香として接して下さい。普通にしていて下さい。愛莉先輩は勘が鋭いです。と。


「いえ、それは全然構わないのですが、どうされました? 眠らなくていいんですか?」
 目を充血させて微笑む聖花を心配に思う春香だが、あえて涙のことについては触れなかった。
「うん。私の部屋にいるな。眠るわけじゃないから」
「……分かりました」
 春香はあえて深くは聞かずに言った。
「ありがとう」
 力なくそっと微笑む聖花は、足音を立てぬように、自室へと足を向ける。

 春香は心配げな様子で、頼りない聖花の背中を見つめ続けた。



   †


 翌日――。
 ほぼ徹夜で手紙を綴っていた聖花は、早朝六時にリビングへと下りる。


「聖花、おはよう」
 リビングで朝のコーヒーを啜っていた雅博が声をかける。
「聖花ちゃん!」
 キッチンで料理をしていた響子は聖花に駆け寄った。

「ぉ、お母さん。……元気?」
 すでに真実を知ってしまっている聖花は、お母さんと呼ぶことに少し躊躇してしまい、表情も声音も固くなる。
「へ? 元気やけど? どないしたん?」
 唐突な質問に対し、響子は怪訝な顔をする。
「ぁ、いや、元気やったらええねん」
 聖花は慌てて顔の前で両手を左右に振って答える。
 すでに自身が真実を知っている。という記憶が二人にはない。ということを、いつもと変わらぬ二人が示しているのにも関わらず、自身だけが可笑しな態度でいては怪しまれると、聖花は気合いを入れなおした。


「それより、知らん靴が二足あってんやけどッ」
 響子は一大事だ! とばかりに話す。
「ぁ! それは、愛莉と後輩の西条春香ちゃんの靴。昨日、二人が泊ってんよ」
「いつのまに二人を呼んだん? お母さん記憶あらへんねんけど? お母さん達が寝てる間に呼んだんか? 今日土曜日でも長期休みでもあらへんの知ってる? 目の下にクマまで作って……夜更かしし過ぎやない?」
「ど、どうしても昨日が良かったんやもん。ええやん。ちゃんと起きれたんやから」
 聖花は怒涛の質問ラッシュに怯み、苦笑いを浮かべながらそう取り繕うのがやっとだった。


「良かったんやもん。やあらへんよ。というか、西条春香ちゃんって誰なんよ? いつお友達になったんや?」
「ん~一ヵ月程前やったかなぁ?」
「やったかなぁ? って聞かれても困るわ。お母さんが聞いてるんやさかい」
「ぁ!」
 聖花は大切なことを思い出したと声を上げる。


「次はどないしたんや?」
「春香ちゃんな、家の鍵を無くしてしもうて、昨日お家に帰られへんかったんよ。途方にくれてたから、取り合えず昨日お家に連れて来た」
「ご家族はどないしはったんや?」
「昨日の朝の十時からバスツアー旅行に行きはった。先週、スーパーのガラガラ抽選会やってたん覚えてる?」
「あぁ、そういえば、そんなんがあったなぁ。お母さん、五十円引きクーポン二枚しか当たらへんかったけど」
「えっと、どんまい」
 意気消沈する響子を軽く励ます聖花は話を続けた。


「それで、なんと! ご両親が一等賞の三泊四日の福岡ツアーに当選したんよ! 凄ない⁉」
 聖花は身振り手振りを大げさに入れながら話す。
「へぇ~。それは凄いなぁ。というか、ちゃんと一等賞入ってたんやなぁ」
 響子は感心と驚きの顔で言った。自身を含め、ガラガラ抽選会で一等賞を当てた人を見たことがない響子なだけに、疑ってしまっていたのも無理はない。
「うん。でもそのツアーって、一組二名様やったから、春香ちゃんお家に残ることにしてんて。金曜日からやったし。学校あるやろ?」
「せやな~」
「お留守番係になったんはええんけど、鍵を忘れて家出てしもうたから、お家に入られんでな。せやから、鍵が見つかるか、ご両親が帰ってくるまでココで泊まらせてくれへん?」
「そんな、いきなり……」
 響子は胸の前で組んでいた腕の左手を解き、左掌を左頬に当てて困った様子を見せる。


「まぁまぁ、いいやないか。聖花にお友達が増えることはええことや。初めての後輩ちゃんが来てくれたんやし。女の子を野ざらしにするのは、死なすようなもんや」
 響子と聖花の話を聞いていた雅博は、飲み終えたコーヒーカップをシンクに置くついでと見せかけながら、聖花に助け舟をだす。


「もぉ! 雅博さんは聖花ちゃんに甘すぎます」
 響子は雅博にご立腹だ。いつも自身が聖花を叱るばかりで、雅博はいつも聖花を甘えさす。それにより、幼い頃の聖花は、響子よりも雅博にべったりだった。響子にしてみれば、理不尽で納得のいかない話だろう。


「お前に言われたあらへんけどなぁ」
「ふふふ」
 聖花は嬉しそうに微笑み、常温のペットボトルのお水をコップに注ぎ入れる。

「ちょっと、なんで笑ってるん?」
 響子は全く~とばかりに溜息を吐く。
「べっつにぃ~」
 いつもと変わらぬ二人に安堵するように肩の力を抜く聖花は、クスクス笑顔を溢し、喉を潤した。


「もぉ~、分かった。春香ちゃんの嫌いな食べ物とかアレルギーとかちゃんと調査して教えといて。仮にも、よそ様の大切な娘さんを預かるんやからね。なんかあったら大変やさかい」
「わぁ~ありがとう! 助かったぁ。春香ちゃんも安心するわ」
 聖花は響子の言葉に満面の笑みを見せる。内心、これで白姫の言っていた作戦が実行出来ると胸を撫で下ろしたことは秘密だ。


「はいはい。それは良かった良かった。お母さんは朝食の準備するから、聖花ちゃんもうちょっと寝とき。愛莉ちゃん達が目覚めた時、聖花ちゃんがおらんかったら嫌かも知らんやろ」
「うん。ありがとう」
 聖花は頷き、ゲストルームに足を向けた。


「聖花先輩」
 布団で横になっていた春香は瞬時に起き上がり、ほぼ空気のような声で、戻ってきた聖花の名を呼ぶ。


「本物?」
 春香と向き合うように両膝を折る聖花も同じく、空気のような声で問うた。


「はい。目覚めて早々に見知らぬ少女がリビングにいたら、お二人が驚倒するかも知れないので隠れていました。最悪、泥棒扱いされても可笑しくありませんし」
 春香は苦笑いを浮かべながらそう答える。


「気を遣わせてごめんやで」
「いえ。お気になさらないで下さい。私が無理言って止めてもらっているようなものです。それより、クマが凄いですけど、大丈夫ですか?」
 春香は眉根を下げて問う。
「うん。春香ちゃんこそ大丈夫? 顔色は……いつもと変わらないぽいけど」
「私は全く平気です。聖花先輩は少し眠って下さい。今の聖花先輩の顔を愛莉先輩が見たら驚きますし、心配しますよ」
 と言う春香は、部屋の一番奥の布団で芋虫のようになっている愛莉を見る。愛莉はまだまだ夢の中にいるようだ。気持ちよさそうな寝息を立てている。


「そうやね。……ちょっと眠ろうかな?」
「はい。そうして下さい。私がついていますので」
「ありがとう」
 と微笑む聖花は、そっと自分の布団に潜り、欠伸を一つ噛み殺す。
 よほど眠気があったのだろう。聖花は一分もかからずに静かな寝息を立てた。


 その後。
 聖花は賑やかな朝食を取り、愛莉と春香と共に学校へ向かった後《のち》、大切な残り時間を噛み締めるのだった。