時間は過ぎて、すぐに約束の金曜日になった。
 自分の部屋でとりあえず制服だけ着てみる。久しぶりの制服に少しだけ泣きそうだった。
 その時、部屋をお母さんがノックする。

「深冬、結局、今日はどうす・・・・なんだ、制服もう着てるんじゃない」
「いや、まだ行くって決まったわけじゃ・・・」
「オリエンテーションは五限目でしょ?高校に行くのは昼からなんだから、お昼は焼きそばでいいかしら?」
「・・・・お母さん、いつも通りだね・・・」
「だって、何も不思議なことじゃないもの。深冬はただの高校生じゃない」
「うん、そうだけど・・・・」
「深冬、貴方は普通の高校生で、普通の17歳・・・・もうすぐ18歳ね。だから、好きなことをすればいい。普通の人だって、毎日を楽しみたくて必死なのよ?」

 お母さんが焼きそばを作るために台所に戻って行く。
 普通の人だって毎日を楽しみたいのなら、余命二年の私だけが毎日を大事にしているわけではないの?
 鏡でもう一度、自分の制服姿を見た。街でこの姿で通りすがっても誰も私が「余命二年」だと気付かないだろう。「普通」の高校生にしか見えない。
 深く一度息を吐く。黒板アートの下書きはノートに描いておいた。スクールバッグにノート一冊だけを入れ、肩に担ぐ。階段を降りながら、心臓が早くなって行くのを感じた。
 お母さんが高校まで来るまで送ってくれる。お昼ご飯の焼きそばはいつもの半分しか食べれらなかった。

「行ってきます」

 車を降りる時、お母さんにそう言った自分があまりにも久しぶりで変な感じがした。校門を通る時も、玄関で靴を履き替える時も、心臓が速いままだった。
 教室には先生が言った通り、誰も居なかった。

 深呼吸を3回ゆっくりとした。

「よし!」

 オリエンテーションは五限と六限を使って行われる。制限時間は約二時間。一人で描くから工夫を凝らせて、しょぼく見えないようにしないと。
 描き始めれば時間は一瞬で、久しぶりに描いた絵は・・・多分、楽しかったのだと思う。
 美術部は基本一人制作だった。仲の良い友達もいない私には丁度良かったし、絵も好きだった。それでも余命宣告された後は、何故か描く気も起こらなかった。

 黒板の真ん中には大きな三年二組の文字。周りを囲むように舞う桜。桜の花びらに手を伸ばす女子生徒。

「上手く描けた・・・よね・・・?」

 不安は拭えない。けれど、新学期は不安の多い生徒も多いだろう。私は、ピンクのチョークをもう一度手に取る。
 黒板の右下、書体は筆記体で。

【 Enjoy your life!! 】

 馬鹿みたい。それは、きっと自分が言われたい言葉。それでも、どうか黒板の隅に書くことくらい許してほしい。
 そろそろみんな帰ってくる頃だ。私は急いで荷物を片付け、学校を飛び出した。
 学校の駐車場に停まっているお母さんの車の助手席のドアを開ける。

「ただいま」
「おかえり、深冬。どうだった?」
「・・・・うーん、意外にクラスの人達の反応が心配かも」
「大丈夫よ、深冬は絵が上手だもの。さ!次はお母さんとプリクラよ!」
「あれ、本気だったの!?」
「当たり前じゃない」

 お母さんはルンルンで車を出す。車で走って20分程経った頃、携帯が鳴った。二年生の時に同じクラスで、今年も同じクラスの女の子からだった。

「天音さん、クラスのトークルーム入って!今すぐ!」

前に誘われた時はどうせ意味が無いので入らなかった。でも、何故か勢いに押されてふと「参加」のボタンを押してしまう。

「・・・・深冬?」

こちらを振り返ったお母さんが急に驚いた顔をした。

「深冬、どうしたの!?」
「え・・・?」

気づいたら、涙がボロボロに溢れていた。
クラスのトークルームには、短い文章。

「天音さん、むっちゃありがとう!三年二組全員より!」

こぼれ出した涙は止まらない。

「ねぇ、お母さん。私、あと二年しか生きられないの」
「・・・・そうね」

 何故か、お母さんも泣き始めていた。

「毎日、楽しみたい。だって、あと二年しかないから」
「・・・・うん」
「でもね、今日、楽しかったの。ただそれだけなの」

 お母さんは車を近くのコンビニに止めて、涙をさらに流していた。

「ねぇ、またたまに描きに行っても良いかな・・・?何でかな、本当に、本当に、楽しかったの」

 もう息が出来ないほどの嗚咽と共に溢れる涙の理由は一体なんなの?分からない。でも、久しぶりに誰かに「ありがとう」と言われた気がした。

 それから、私は一ヶ月に一度だけ黒板アートを描きに行った。クラスメイトは律儀にそのたびにお礼を送ってくれた。

 いつの間にか、カレンダーは6月を示していた。

「深冬、ちょっと良いかしら?」

 ある日、お母さんにリビングに呼ばれた。

「あのね、日下部先生が、そろそろ出席日数が厳しいって・・・・」
「・・・・そっか」
「ねぇ、深冬。深冬にとって高校の卒業する意味は、何?」
「学歴・・・・だった。だから、もう私には要らないって・・・・」
「そう、じゃあ卒業しなくていいわ。でも、学籍だけ3月まで置いておきましょう?」
「え・・・・?」
「黒板アート描きに行くんでしょう?」
「・・・・いいの?」
「もちろん」

 お母さんが、ふふっと嬉しそうに笑った。

「ねぇ、深冬。今は毎日楽しい?お母さんとゲームするのも」
「え、うん・・・・」
「そう、じゃあ良かったわ。深冬、お母さんも深冬といるのが楽しくて仕方ないの。お母さんね、深冬が高校に行っていた時、お弁当を作るのが面倒くさかったわ。とっても。でも今思えば、あの日々も大切にすべきだった。だから、最近は深冬にお昼ご飯を作る日々も大切にしているの」
「・・・・不登校の娘にでも?お弁当じゃないのに?」
「そんなの関係ないわ。お母さんは、深冬が毎日楽しい日々を送れることだけを祈っているの。病気になる前から、ずっとね」

お母さんの声が震え始める。

「本当は余命宣告された時、もっと生きるつもりで頑張って欲しかった。例え、どうしようもなくても、もっと生きれるって希望を持って欲しかった。・・・・そんな時、お父さんに言われたの」
「「現実を深冬が受け入れているのに、親が受け入れなくてどうする」って。受け入れられる訳ないじゃない。娘があと二年後にいなくなるのよ。・・・・でもね、お父さんも泣いていたの。ああ、馬鹿なのは私の方だって思ったわ」
「ねぇ、深冬。二年ってなんて短いのかしら。お母さん、寂しくて堪らないわ。学校なんて行かないでずっと私のそばにいてほしい。そんなずるい考えで、深冬の不登校に賛成したの。なんで、深冬なのかしら。なんで、私の娘なのかしら。なんで、私じゃないのかしら。二年で死ぬのが私だったらいいのに・・・!」

 お母さんの涙を見ていたら、いつの間にか私も泣いていた。

「お母さん、深冬に高校を卒業して欲しいなんて微塵も思わないわ。でもね、あの日、黒板アートを描きに行った日。・・・・深冬が余命宣告された後で一番楽しそうだったわ。ねぇ、深冬。毎日黒板アートを描いたらいいじゃない」

 お母さんが急に馬鹿げたことを言い出した。

「そんなのみんなに迷惑だよ」
「いいじゃない、迷惑でも。もっと自分勝手に生きなさい。あと二年、深冬は人生を最大限楽しむ権利があるのよ」
「そんなこと・・・!」
「一番、楽しい生き方をして欲しいの」

 そんな言葉を聞いた夜、私はクラスのトークグループに意味不明なことを送ろうとしていた。クラスのみんなは私が病気であることはなんとなく日下部先生から聞いているだろうけど、余命二年だとは知らない。それでも・・・・

「突然、すみません。天音です。皆さん、黒板アートを毎日描いてもいいですか?」

 もう、どうにでもなれ。だって、もう私はあと二年しか生きられないのだから!
 勇気を出して押した送信ボタン。世界は回り始める。

「もちろん!」
「え、いいの!?天音さん、大変じゃない!?」
「私も手伝うよ!」

 沢山の優しい言葉は涙を溢すには、十分で。
 あと二年しか生きられないから、これするの辞めよう。あと二年しか生きられないから、希望は持たないでおこう。
 それは、正しいのかもしれない。でも、今みたいに「どうにでもなれ」って勇気を出すために「あと二年」を使って生きたいと思ったの。
 黒板アートを描いた後は、授業を受けてみようか。そして、お昼休憩は友達を作るためにクラスメイトを誘ってみよう。
 もう、どうにでもなれ。それは、きっと勇気を出す言葉。

 それから、高校に行き始めて友達が出来た。授業を受けるようになった。
「え!深冬、あと2年しか生きられないの!?ちょっと待って、寂しすぎて・・・・」
 出来た友達は優しくて・・・・涙を流してくれる。
「そう!でも、最っ高に人生楽しんでるから!」
 人の優しさに触れた。人生を楽しむ意味を考えた。
「深冬、やだよ。死なないで」
 生きてほしいと願ってくれる人が増えた。それがどれほど嬉しいか気づいていないでしょう?
「うーん、きっと死ぬ!だって、どうしようもないもん。でも、私の最っ高に楽しい人生に貴方たちは必要不可欠!」
 友達に思った言葉を伝えられるようになった。

「ただいまー!」
 家に帰れば、大きな声で「ただいま」と言える。
「おかえり」
 出迎えてくれる家族がいる。
「今日も楽しかった?」
「うん!とっても楽しかった!」


もう一度、聞くよ。もう、答えは決まっているでしょう?


Q.高校を卒業する意味は何ですか?次の選択肢の中から選びなさい。

1.学歴のため。

2.青春を送るため。

3.そういうものだと思っているから。

4.その他。


A.[4]その他。


【理由】最っ高に楽しい人生を送るため!