真冬は苦笑を貼り付けて、テーブルに置かれたカプチーノを啜る。どう説明しようかと迷っていると、香吏が先に唇を割った。

「矢吹くんと、石川くんと三人で、最近はお茶をすることが定例だったんだ。まあ、ここ二週間くらいの話だが」
「うん。そう。伊桜ちゃんの意識が戻った後、私が何度か会いに行ってたの。同じ病院内だったし」

 香吏の説明に付け加えると、真冬は

「なるほど……」

 と言いながら首を傾げる。私が刺されたときのことは、不慮の事故であると彼も知っているけれど、私と伊桜の関係については理解が追い付いていないのだろう。

「おねーさんたち(・・)には借りがあるからね」

 と、伊桜はクリームソーダのクリームを頬張る。

「私が“ふきそ”になったのも、おねーさんと香吏くんが色々証言してくれたおかげだし。うちの親にも警察にも、話してくれたの」

 伊桜の病室を、初めて訪れたときのことを思い出す。気力を失っていた彼女は、両親に付き添われながら、体格の良い警察官から取り調べのようなものを受けていた。
 ちょうど香吏が見舞いに来てくれていた時だったのは、幸いだったと思う。彼もその場に同行してくれた。

 ——石川臨未を刺してしまった後、彼女は駆け寄った僕たちに助けを求めました。故意でないことは明確であり、石川臨未にも倒れた原因があったことも、警察の方ならすでにご存知でしょうが。
 ——それに、ナイフを持参していた理由は、彼女の手首の傷痕を見れば分かると思います。まずは、心身のケアが第一じゃないですか。

 私の台詞は加勢に過ぎないけれど、あのときの伊桜には神のようにさえ思えたのだと言う。
 その後、両親から「転校」を提案された、と私の病室を訪れた彼女は、随分と血色も良くなっていた。

「おねーさんにすぐ会えるとこがいいって言ったら、浜松駅の近くに越してくれたの。転校も許してくれた。まぁ、ここまで電車で一時間以上かかるのは怠いけどね~」

 伊桜は、先週切ったばかりの髪を指先で摘まむ。すると今度は両手で頬杖を突きながら、黒い瞳で私を見つめた。

「受験するなら、おねーさんと同じ高校にする」
「え……でも私、来年から大学生だよ?」
「え、ここ離れんの?てか、どこの大学行くの教えてー」

 伊桜がテーブルに放った私の手を包む。私は隣を一瞥して

「真冬と、同じとこ」

 と、俯き加減で告げた。目の前で、二人の双眸が見開いている。

「志望理由、めちゃくちゃ不純じゃない?」
「だな」

 と、二人は顔を見合わせる。それを言ったら、伊桜だって同じだと思う。

「てゆーか、それまでに別れたら——」
「別れないよ」

 静かに、真冬が伊桜の言葉に重ねる。真っ直ぐと二人を見据える瞳に、揺らぎは一つもない。

「僕はけっこう独占欲が強いみたいだから、傍に居てくれないと困るんだよね」

 そんなことまで言わなくていい、と止める前に、真冬は香吏に視線を向けた。顔が燃えるように火照っている。

「僕が臨未ちゃんに会えない間……辻宮さんと、二人で会っていたわけじゃないんですね」

 大人びた彼は、どこか感情が剥き出しで、だけどそれも悪くない。香吏も少し目を丸くして、息を落とした。

「ああ。どうやら彼女は、ココアが好きなようだしな」

 と、香吏は私のカップを見据える。そこには飲みかけのココアが、照明を反射していた。

「まあ、ここにコンポタージュはありませんから」
「では、まだ判らないな」
「……そうとは言ってませんよ」

 しばらく続きそうな二人の会話を横に、ココアを啜る。少し温くなった甘さが、舌にねっとりと溶けていく。

「意外と仲良いんだなぁ」

 伊桜が、まだ会話を続ける二人を見て、神妙に言う。

「意外と?」

 訊けば、彼女は「鈍感」と笑みを溢した。

 カフェの窓から木漏れ日が差し込んで来た頃、真冬が鞄から何かを取り出す。オレンジと深い緑が交錯した模様は、よく目にしたことのあるデザインだ。

「スケッチブック……?」

 尋ねると、彼は頷いて表紙を捲る。右手に鉛筆を持つと、私を見て頬を緩めた。

「約束、ずっと果たせてなかったから」

 でも、それは——と、声に出す前に彼は言う。

「臨未ちゃんが好きだって言ってくれる絵を、僕は描きたい。巧くはいかないかもしれないけど……完璧じゃなくても、君が好きだって言ってくれる絵を描きたい」

 手袋に覆われた右手が、鉛筆を握ったまま小刻みに震える。私はその手を両手で包み、頷いた。
 初めて出会ったとき、自分を殺めてもらうために——と願った彼の意思が、今は私を導くように光を灯す。海底に沈んでいた私は、もう手を伸ばす方法を知ってる。

「うん。描いて」

 そう笑えば、彼は鏡のように私の表情を反射する。
 しばらく見つめあっていると、正面から

「マジもん初めて見たよ、バカップル」
「やはり俺は邪魔者か」

 と、苦笑を含んだヤジが飛ぶ。私たちは繋いだ手を剥がし、眉を下げて笑い合った。


「臨未ちゃん、ちょっとそのまま」
「こう?」
「うん。そう」

 シャッ、シャッ、と不規則にスケッチブックを擦る音。たまに苦しそうに、たまに楽しそうに、義手を動かす表情、仕草。カフェに流れる、私の好きな歌——。

「いい表情」

 そうして私を見つめる両目は、やわらかな静寂を纏っていた。


 ——End.