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「君は、彼女と同じ高校に通っているんだったな」

 純喫茶の一番奥の席で、カガリくんはアメリカンコーヒーを啜ってから言う。まだギリギリ午前中ではあるけれど、店内は数席の空きを残して賑わっていた。

「はい……そうです」
「学年は?」
「三年です。臨未ちゃんより、一つ上、です」

 食器や小物までアンティーク調に統一された店内で、背を伸ばしたままそう答える。一方、正面でメニューを片手に眺める男は、店内の雰囲気に溶け込んでいた。

「あの、」

 と、切り出す声が震える。

「辻、宮さんは、おいくつなんですか?」

 訊いてから、ミルクと砂糖を溶かしたカフェオレを口に含む。ブラックを嗜む彼は、

「二十三の学生だ。大学院に通っている」

 と言った。

「えっ、すごいですね」
「工学部の学生は大体院試を受けるんだ。合格率も低くはないし、特段誉められるようなことではないがな」
「あ……そうなんですね」

 想像以上のボリュームで返された答えに、顰蹙せざるを得なくなった僕は、またカフェオレを口に含んだ。
 車でここに来るまでの十分間と、店に入ってからの十分間では、まだ彼の硬い雰囲気に馴染めていない。純喫茶のなかで、僕だけが浮いているようだった。
 この、二十三歳の聡明な大学院生と、臨未はどこで知り合ったのだろう。そもそも、一体どんな関係なのだろう。どうして、僕だけをここへ連れて来たのだろう。

「……あの、」
「真冬くん、早速だが訊かせてほしい」

 細く小さな声に重ねられて、僕は半端に開いたままの唇を結ぶ。「真冬くん」という呼び名にも、肩を弾いた。

「はい」

 と頷くと、辻宮さんはメニューをパタリと閉じて置いた。

「君の知っている石川臨未は、どんな人物だ」
「え?」

 僕は、思わず目を見開く。彼女の話題だろう、と予想はある程度ついていたのに、意表を突かれた思いがした。

「どんな……って、」
「抽象的ですまない。だが、君から見た彼女の印象を知りたい」

 淡々と、彼は言う。

「印象ですか……。そうですね……最初は、静かで凛としている感じ、でしょうか」
「ほう」
「学年が違うので、それほど詳しくはないですけど……、臨未ちゃんは他の生徒より、落ち着きがあるというか。けど、冷たい感じはしなくて。うまく言えないけど、最初はそういう印象でした」

 多目的教室で、一人ギターを弾いて歌っている後ろ姿を思い出す。あの頃よりも、彼女の髪は少し伸びた気がする。

「落ち着き、ねえ」

 辻宮さんは静かに復唱しながら、コーヒーカップを傾けた。
 反応は薄いけれど、ピンと来ていないというより、僕の話した印象の彼女を、頭のなかで探っているような感じがする。

「彼女に友人はいたか、君に分かるか」

 辻宮さんは目線を持ち上げて、そう続けた。

「さあ……学年が違うので、教室での彼女はよく分からないんです。すみません」
「いや、分からないならいいんだ」

 と言う辻宮さんの返事を聴きながら、僕は廊下で聞いた会話を思い出した。

 ——臨未は顔もいいし、勉強もできるから、挫折とか知らなかったんじゃない?

 臨未と同じ学年の女子たちの会話が、鮮明なまま脳裏を巡る。……あれは、友人だったのだろうか。

「よく分かりませんけど、でもあまり、居心地は良くなかったのかもしれません」

 言いながら、二年の一大イベントである修学旅行も『行かなくてよかった』とも言っていたことを思い出す。

「居心地?……じゃあつまり、石川くんはクラスでの人間関係に悩んでいたと?」
「いえ、そこまではちょっと……、すみません、僕の憶測かもしれません」
「そうか。でも、君にも思うところがあるんだな」

 君にも?と僕は聞き返す。

「石川くんは、一人で死のうとしているんではないかと思っているんだ。だから、君を連れて真相を確かめに来た」

 ゴクリ。自分の喉が鳴ったのが分かった。呑んだのは甘いカフェオレではなく、温い自分の唾だった。

「君は、何か知っているのか」

 レンズ越しの瞳に、距離を詰められる。タートルネックに隠れていた首が、にょきっと露になるほどだ。
 僕はテーブルに乗せた左手を軽く握って、彼の瞳に視線を注いだ。なんと答えれば良いか、急ピッチで脳を回転させた。

「真相は彼女にしか分かりません。でも僕は、少なくとも今の彼女は、それを望んではいないように思います」

 硬い声でそう言うと、辻宮さんは肩の力を抜くようにして少し身を引く。

「今の彼女、ということは、石川くんが死へ意識を向けていた事もある、という解釈も出来るが」
「……辻宮さんは、じゃあ、どうしてそう思ったんですか?」

 尋問をする刑事のような瞳に、食らい付くようにそう放つ。彼はほんの少しだけ目を伏せて、

「彼女と居る時は、安心できなかったんだ」

 と言った。

「安心……?」
「ああ。月に何度か食事に行っていたんだが、会った日の最後には、次はもう来ないのではないかと不安にさせてくる。……いや、食事の最中もそうだったな。目の前で、ふと消えてしまいそうな危うさが、いつも立ち込めていた」

 そう話す辻宮さんの声は、今までで一番柔らかかった。

「それは、僕も少し分かります」

 頷くと、辻宮さんは軽く腕組みをする。それは、続きをどうぞ、という合図に取れた。

「弱さとはまた違う、儚い雰囲気があるなと……それは、今でも感じます」
「なるほどな。儚い」
「でも彼女と話してみて、その正体が分かったんです。内に抱えるものが、抱えてきたものが、そう見せていたんだと」

 そこまで言うと、辻宮さんはコーヒーを飲む。仕草は淡々としているけれど、少しだけ動揺も見て取れた。

「君は、やはり親しいんだな」
「え?」
「俺は何度話しても、彼女の抱えているものの正体は分からなかったよ」

 自嘲的、とはこういう笑みのことを言うのだろうか。なんとなく罰が悪いまま、僕はゆっくり唇を割った。

「あの、今更なんですけど、辻宮さんと臨未ちゃんは一体どういう関係なんですか?」

 彼の答えを待つ間、ドクドクと内側で激しく脈を打つ。

「関係か」
「……はい」
「特に、宛がうべき名前は思い付かないな」

 そういえば、臨未もハッキリとは言わなかった。恋人でも友達でもないけれど、よく分からないのだ、と。

「じゃあ、どこで知り合ったんですか?」

 質問を変えると、辻宮さんは記憶を辿るまでもないと言った様子ですぐに答えた。

「彼女が男に声を掛けられているところに、割って入った」
「え?」
「駅前でな。いわゆるナンパというやつに引っ掛かっていた彼女を、無理矢理カフェに連れ込んだ」
「えっ、無理矢理?」

 思わず大きな声が出て、周りを見る。けれど、女性客がほとんどの割合を占める店内では、僕たちの会話など僅かな潮騒に等しい。
 安堵した僕は改めて「どういうことです?」と訊いてみた。

「いや、その前に一旦戻ろう。ナンパというのは表現が甘すぎるな。あれは勧誘だ」
「勧誘?」
「『夜の蝶』と言うのか、そういう表現をされる女性にならないかと、彼女は勧誘されていた」

 どうしても“水商売”とは言いたくないのだろう。彼は眉を寄せながら、渋々口にしている様子だ。

「隣から聴こえてくるその勧誘も不快だったが、それに付いていこうとする石川くんに、俺は心底腹が立ったんだ」

 辻宮さんは、飽くまでも冷静に言う。