零央を案じる透真くんに、真冬は優しくそう諭す。けれど、私には透真くんの不安な気持ちが良く解った。
美世と莉亜夢へ抱く感情も、きっとよく似ている。全てを打ち明けた後の結末が分からないから、彼女たちの反応が見える未来が怖いから、自分を守るために、予防線という名の緞帳を下ろしていた。——けれど本当に、それは正しかったのだろうか。
「なんでかな……」
こんなこと、今まで考えたこともなかったのに——。思い当たるのは、透真くんの隣で一緒に声援を送っている真冬の存在だ。
彼を弱い人間だと決めつけていたように、美世や莉亜夢が私に気を遣って関係を続けている、と決めつけていたのかもしれない。
——臨未がうちらのこと、どう思ってるのか、よく分かったから。
美世や莉亜夢に言われた台詞ではないのに、蘇る。
何も分かっていないじゃない——。あのときそう思った私自身が、美世と莉亜夢の胸の内を理解した気でいた。自分自身とも、彼女たちとも向き合うことが怖くて、逃げていた。
気がついて、今日何度目かの苦笑が漏れる。すると、真冬は「どうかした?」と私を覗き込んだ。
「ううん、大丈夫」
そう放った言葉は、周りの声援に掻き消される。ステージの方を見ると、司会の女性が客席に向けて更なる声援を求めているところだった。
『さあ、ステージの前にいるお友だち!私と一緒に、零央にパワーを送りましょう!皆、この歌は知ってるかなー?』
ステージ脇に備わっている音響から、聞き覚えのあるイントロが流れ出す。その瞬間、透真くんも周りの子どもたちも、
「知ってるー!」
と、声高々に放った。園内にも流れていた、あの有名な主題歌だ。
『じゃあ、お姉さんに合わせて一緒に歌ってねー!零央にパワーを送るよー!』
司会者が、客席に向かって歌詞のワンフレーズを歌うと、子どもたちの声が重なる。
『さあ、今度はお母さん、お父さんも一緒に~!』
その言葉で、透真くんが真冬と私を交互に見た。純粋無垢な瞳が、今は心に痛い。
司会者に続けて、今度は高低差のある声援が響いたけれど、私と真冬は顔を見合わせて黙っていた。
「ねえ、なんで歌わないの?!歌わないと勝てないよ!」
「ごめんね。私は、」
歌えないんだ——。訴える透真くんに告げようとした瞬間、真冬が息を吸い込む音が聴こえて、目を上げる。次の瞬間、彼は
「ぜーったい無敵!アーンドローイド!」
と、歌詞をなぞっていた。周りの視線を寄せ集めるほど、大きく、少し音の外れた歌声だった。
「お兄ちゃん、下手くそ」
真冬を見上げた透真くんは、辛辣に放つ。その言葉に、周りの親子連れがクスクスと笑みを漏らした。私も、思わず吹き出した。
「……下手でも、力になるかと思って」
窄められた口元が、拗ねたようにそう漏らす。頬を真っ赤に染め上げて、彼は私を見た。
「臨未ちゃんの分まで、僕が歌うから」
「え?」
「上手くはないけど——少しくらい、補うことはできる」
補う——?
そう反芻している内に、真冬は再び透真くんと一緒に歌う。拙い音程が、綺麗で優しい横顔から溢れていく。再び立ち上がったヒーローへの歓声で、会場はこれ以上ない熱気に包まれる。
ステージ上に目を向けたのに、頭には真冬の表情が焼き付いて、ずっと離れなかった。
*
午後四時の閉園まで遊園地を堪能した透真くんは、宿に帰るなり
「あのね零央がいてね!一緒にかいじんやっつけてね!あ、さいしょは船の乗りものに乗ってね!」
と、女将さんに駆け寄った。
「あら~、私が行くより沢山乗れたんじゃなぁい?」
「あっ、でも、次はおばあちゃんと行くから」
そう言った透真くんを洗面台へ見送ると、女将さんは「気を遣われちゃったわ」と私たちを見て眉を下げる。
「ありがとうね。本当に、助かっちゃった」
女将さんに言われ、私と真冬は同じように首を振った。
透真くんはその後、居間へ戻っていくとすぐに眠ってしまったらしく、私たちは二人で食堂のテーブルを囲んだ。女将さんが、温かい緑茶を淹れてくれた。
「寒かったでしょう。あとあの子、意外と活発だから、振り回されなかった?」
まだ負傷した足は完治していないらしく、女将さんはキッチン横の椅子に腰掛け、足首を擦る。
「確かに、活発でした」
「うん。そうだね。まだあんなに小さいのに、体力がすごかった」
真冬は私に同意して、同じように笑みを溢す。
「体力負けしてたね。完全に」
「うん。特に臨未ちゃんは」
「いや、真冬だって。コースターでへばってたじゃん」
「それは、乗り物酔いってやつで……」
「私のこと心配してたくせに、自分がダウンするんだもん。ビックリした」
「臨未ちゃんだって、最初バイキング乗るときには——」
真冬は半端に言い淀む。すると、彼はポケットからスマホを取り出して、
「ごめん、電話が」
と軽く腰を浮かせた。私は何度か黙って頷いて、食堂を去っていく真冬を見据える。なんとなく、心臓がざわついた。
「仲が良いのね。二人とも」
誰からの電話だろうと考えていると、女将さんが不意に言ったので、目を丸くする。
「そ、うですか……?」
そういえば、兄妹という設定だったはずなのに、普通に「真冬」「臨未ちゃん」と呼び合っていたことに気がつく。けれど、女将さんがその点を疑う様子はなく、
「そうよ~。うちの息子たちなんか、若い頃はよく衝突してたもの」
と両手を合わせながら言った。
「息子さんって、透真くんのお父さんの」
「そうそう。あれが、豊っていって一番上なんだけど、その下に娘も居てね」
「二人兄妹なんですか?」
「そう。まさに、臨未ちゃんたちと同じね。年は離れてるけど」
ふふ、と笑みを漏らした後で、女将さんは「ごめんなさい、お客さんに馴れ馴れしく」と目を開く。
「可愛いお名前だから、つい呼んじゃったわ」
そう言って、彼女は目を細めた。初めて会ったときには無かったシワが、目尻に薄く刻まれていた。
「全然、呼んでください」
「あら。じゃあ、お言葉に甘えて」
臨未ちゃんは——、と切り出された声に、懐かしさを覚える。女将さんから味噌汁の作り方を教わったときも、たしか名前を聞かれて、
——素敵なお名前ね。臨未ちゃん。
と、言ってもらった気がする。
「二人とも家庭を持つようになって丸くなったけど、臨未ちゃんたちと同じくらいのときはもう、酷くってねぇ。お昼はカレーか親子丼かって話でも、本気で言い合いしてたわ。あの子達」
「カレーか親子丼?」
「そう。レトルトのカレーが二つ、親子丼が一つ分あってね。私は気を利かせてカレーを選んだつもりだったんだけど、どうやら二人ともカレーが良かったみたいで」
なるほど。その状況なら私も多い方を選ぶな、と想像する。私の選択で、相手の選択肢を減らしてしまうのが怖いからだ。