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「あっ、この歌しってる!」

 透真くんは園内に流れる音楽に食い付いて、声を上げる。私たちはフードコートで軽い食事を済ませ、ジェットコースターに並んでいた。

「これなんの歌?」
「『ミラクル☆セイバー』のしゅだいかだよ!」
「みらくる、せいばー?」

 と、真冬は首を捻る。

「アニメだよ。少女向けの」

 透真くんの代わりに言うと、彼は素早く瞬きをした。

「え。臨未ちゃん知ってるの?」
「知ってるよ。弟が好きなアニメの次の枠で放送されてるから。歌も知ってる」

 人気絶頂を物語るように、屋内のゲームコーナーにも、アニメキャラのぬいぐるみが沢山並んでいたことを思い出す。

「僕たちが小さい頃も、こういうの流行ったよね」

 見えないはずの音階を辿るように、彼の瞳は宙を見据えた。戦う女の子をイメージさせるような、力強く、それでいて可憐さも忘れない歌声が、ポップな旋律を奏でている。

「歌ってるの、確か、元アイドルの高屋敷(たかやしき)ミオだよ」
「たしか、ソロに転身したんだっけ」

 私の言葉に真冬は頷く。
 高屋敷ミオは、国民的アイドルグループに所属していた人気の高いメンバーだった。三十路手前で彼女は卒業し、華々しい最後を飾った。けれど——……。
 古いネットニュースの記事を思い出し、思わず視線を沈める。その空気を破ってくれたのは、透真くんだった。

「あっ、こんどは『零央(レオ)』だ!」

 と、並んでいる列からはみ出そうなほど、興奮している。

「ちょ、透真くん、出たらダメだよ」

 すっかり保護者が板についている真冬に笑みを溢しながら、私も目を上げた。

「あ。これ、歩睦が好きなやつ」
「えっ、お姉ちゃん知ってるの?!」

 目を輝かせる透真くんに、笑って頷く。すると「歌える?!」と聴かれたので、私の表情は強ばった。

「歌……は、」

 恥ずかしいから、と適当に誤魔化せば良かったものの、動揺に耐えられず目が泳ぐ。戸惑う私を救ってくれたのは、真冬だった。

「透真くん、見てあのトルネード。あそこ面白そうじゃない?」

 と、コースターの行き先を指差して、透真くんの意識を逸らしてくれている。しばらくすれば、歌も流れ終えて、透真くんはコースターに釘付けになっていた。


「——思い出したの」

 私が切り出すと、真冬は目を上げる。彼は、アトラクションに乗り出しそうになっている透真くんの手を、左手で強く握っていた。もうすっかり、お父さんの代役が嵌まっている。

「思い出した?」
「うん。私も、自分の歌を聴いてほしかったってこと」

 彼は瞳を見開いて、息を吸い込む。

「そっ、か……」

 放たれた声には、たくさんの吐息が入り交じっていた。

「そんなに、驚くことかな」
「うん。臨未ちゃんが自分から歌の話をしてくれるのは、初めてだから」

 そうだったっけ。と、息を吐く。でも確かに——と、唇を割った。

「出来ることなら、歌えたときの記憶は無いことにしたかったから。それなのに、真冬は容赦なく引っ張り出すし」
「あはは……それは、ごめん」
「うん」

 ばつが悪そうな笑顔につられて、同じように唇の隙間からふっ、と漏れる。

「だけどそれは、好きだったから。誰かに届けられないことが嫌で、悔しくて——、身を投げ出したくなるくらい」
「……命懸けで?」
「そう。命懸けで」

 自分の台詞をなぞった彼は、どこか気恥ずかしそうに見える。その表情に、胸の奥が締め付けられた。

「私が一番聴いて欲しいと思っていたのは、両親だったよ」

 並ぶ列を覆った屋根の横から、昼下がりの太陽が射し込む。柔らかい日差しなのに、私の体は茹だったように熱い。

「傍で聴いていて欲しかった。歌声が出なくなる前も、一番に届けたかった人を失くしたから……私はどこを向いて歌えば良いか、とっくに分からなくなってたんだよ」

 中学生の頃の私は、自室でひっそりギターを練習して、両親のいないときを見計らって歌っていた。二人はきっと喜ぶだろう、と分かっていたのに、あの頃の私は二人の前で歌うことは出来なかった。
 いつか、ちゃんとした舞台で——照れ隠しにそんな拙い綺麗事を使って、想像することで満足していた。いつかが訪れないことを想像するなんて、出来なかった。

「中三のとき、二人を亡くして後悔した。それでも歌い続けたのは……、なんでだろうね。ただ、自分を保つためだと思ってたんだけど、今はなんか、違う気もするの。誰かに見つけてもらいたかったような、ただ傍に居て欲しかったような、気がしてる」

 思いのまま、話しすぎてしまっただろうか。紡いだ後で、後悔が押し寄せる。カッと熱くなった顔を俯かせると、さらに血が上ってきたので、仕方なくまた持ち上げる。
 すると、もう乗車間近のアトラクションを見つめる透真くんと、深い静けさを纏う真冬の表情が、そこにはあった。

「臨未ちゃん」

 真冬に呼ばれて、目を合わせる。

「ご両親が亡くなったのは、中学生のときって言ってたよね」
「うん……」
「そっか。じゃあ、僕が出会ったのは、彷徨っていた臨未ちゃんか」
「……彷徨っていた?」

 復唱すると、真冬は何かを思い出すように天を仰いで、次にふっ、と息を落とす。そして、どこかスッキリしたような表情で私を捉えた。

「僕が惹かれたのは、向く場所を見失った君の歌声なんだな、って。そう分かったら納得できて」
「なっ、とく……?」
「両親を失って——だからこそ懸命に、大切な人のために光を灯そうともがいていた君の姿が、何よりも綺麗に見えたんだって。……ああ、そうか。だから透真くんといる君のことを、描きたいと思ったのか。大切な、弟さんと重ねている部分がきっと、君の中にあるんだね」

 意味がよく分からなくて、私は放心した。しばらくそのままでいると、真冬は「あっ」と声を上げて目の前で手を合わせる。

「ごめんっ。あの、全然、ご両親が亡くなって良かったとかそういう意味じゃなくて……その、どこに向かっているか分からなくても、僕はそういう、不完全な臨未ちゃんに惹かれてたっていう……。とにかくその、ごめんっ!」

 静寂に近かった声が、徐々にボリュームを上げながら早足で駆けていく。呆然と、その薄い唇がパクパクと動いているのを見つめながら、輪唱のように脳へと響かせる。
 その間、理解が追い付かずに黙っている私を、彼はなにか言いたげに、しかし黙って見据えていた。

「では、お二人とお一人に分かれてくださーい」

 そうこうしている内に順番が回ってきて、ジェットコースターに乗り込む。

「お姉ちゃん、また怖いのかな?」
「うーん……そう、なのかな……?」

 前の二席から、透真くんと真冬の会話が聞こえてくる。放心していたから、また怖がっていると思われてしまったのかもしれない。
 安全バーを下ろされた後、遅れて恐怖がやってきたから、強ち否定も出来ないけれど。

「いってらっしゃーい!」

 スタッフのお姉さんの一言で、レールを辿っていく音が足裏へ響く。体ごと上を向かされて、頂上に近づいていることを悟る。空が、高くて青い。