真っ暗だった。
ただひたすらに。
いや、真っ白なのかもしれない。
熱すぎて冷たく感じるみたいなことあるじゃん?
ない?
どっちかわかんない。
電子レンジで熱しすぎたグラタンに触れた時みたいな、あんな感じ。
ただ、世界はひたすらに退屈で、死ぬのは嫌だけど、でも死にたくなるくらい思い通りにならない。
こんな世界は黒だろうが白だろうがどちらでもよかった。
ただ、一色であると言う事だけが事実で、どちらかと言う事に対して意味はない。
「あーくそばっか」
SNSを開いて低能であふれかえるこの世の中にため息をついた。
≪もっと自由にしてあげないと子供がかわいそう≫
≪ちゃんと見てあげてよ ネグレクトじゃん≫
≪整形した方がいいんじゃない?≫
≪整形してる女は無理≫
昔は歌詞の意味とかが分からないのは自分がこの人の世界観を理解しきれていないからだとか、まだ自分のレベルが低いからだって考えの人が多かったのに。今では理解できない歌詞を考えるアーティストが悪。感じ取ることのできない自分の浅はかさを責めるんじゃなくて自分の理解できない歌詞を書くアーティストを責める世の中になってしまった。
みんなが自分軸で生きてるみたい。
俺が理解できない。
私の好みじゃない。
しるか。そんなもん。
この腐りきった世の中に何か1つ、衝撃を走らせたかった。
バカはお前だ。気づけ。自分の愚かさを自覚しろ。そして黙れ。
そう世の中に叫びたかった。
だから歌をつくった。
自分で歌詞を考えて、歌って、ギター弾いて。
それをネットにアップしてみたら、クラスの奴になぜかバレた。
それからは、想像つくでしょ?
思想強めなお痛動画。
そんなの年頃の中学生には格好の獲物でしかない。
ばかみたいないじめが始まって早半年。凄くない?よく飽きないよね。
原型をとどめている教科書は1つもないし、上履きはほぼ白いところがマジックで黒くされている。おまけに放課後はトイレの水かぶったり、生きた虫を口に突っ込まれたり、服脱がされてそれを拡散されたり。まあよくある、よく聞く、みんなが簡単にイメージできるありきたりないじめだ。そろそろネタ切れか?と思っても何かと新しいアイディアを思いつくみたいで次から次へと新しい攻撃がとんでくる。
でもどれも結局ありきたりだからなんかもう、つまんなくなっちゃった。
あーあ、つまんないの。
「強がらないでよ」
ひとしきりの今日のいじめが終わってさあ僕も帰ろうとトイレの地面から這い上がった時、目の前に立つ女にそういわれた。
おかしなことを言う。
「強がってないけど。てか誰」
「強がってるよ。見てたら分かる」
「名乗ってくれる?決めつけはその後にしてよ」
「その前に拭きなよ、びちゃびちゃだし、汚いよ」
「人に向かって汚いとは失敬だな。あいつらの愛のこもった金魚の死骸だろーが」
この日はひたすらに金魚を投げられるという謎めいた攻撃だったけどこれが意外と効く。
金魚って実は結構固いしやっぱりちょっと、生きてるものを投げられて自分に当たって死ぬというのは気持ちのいいものではなかった。普通に「命で遊ぶな」と言ってみたけど、「はいでた~思想強いね~」と言って聞いてもらえなかった。
あいつらに人の心なんてきっとない。
「そういう所だよ」
「なにが」
「そういう所が強がってるって言ってんの」
なんでこいつこんなに怒ってるんだよ。みんなと一緒に知らんふりしとけよ。みんなと一緒にゴミを見るような眼で僕を見ろよ。
「私なら耐えられない」
「何が」
「これまでの行為が。普通なら絶望して立ち直れないよ。なのにあなたはいつもちゃんと学校に来る。苦しそうな顔も泣いてる顔も見たことがない。意味が分からない」
「黙っとけ傍観者」
それが僕から彼女への素直な気持ちだった。
"いじめられてるやつに寄り添う優等生"そうみられるための道具にされることが日々の嫌がらせよりよっぽど胸糞が悪かったし、我慢できない。目の前の彼女は驚いた顔をしてすぐに不機嫌そうな顔になった。多分心配して"あげてる"と思ってたからだろう。漫画とかで出てくるいじめられっ子を助ける少しみんなと違う感性を持った儚き女の子みたいなのを演じたかったのだろう。でもそうはさせない。お前を僕の物語の主人公になんてしてやらない。
これが僕がいじめられてから身についた感性。
くそでしょ。
全員敵。僕に寄り添おうとするやつはみんな自分の優しさに溺れてるだけ。仲間なんていらない。僕は自分で、自分の物語の主人公になるんだ。
目の前にいる彼女の肩にわざとぶつかるようにしてその場を立ち去った。
てゆうか堂々と男子トイレに入ってるんじゃねえよ。気色悪。立場逆なら犯罪になるくせに。女のこういう都合がいいところが心底嫌いだと心の中でオーバーキルをしてリュックを背負った。
向かう先は行きつけのパチンコ。
「よ。なに今日は水浸しかよ、もうちょっと拭いてから来いよ」
ちらっとこっちを見てまた「あーくそ」と自分のパチンコ台に視線を戻す先輩はたばこをくわえながらしゃべるからちょっともごもごしてる。
ここは地元のつぶれる寸前のパチンコ屋だからヤンキーのたまり場みたいになってて、先輩はその中で唯一群れをつくらずこのパチンコ台にいつもいる大学生だ。
「僕って強がってるんですかね」
別に聞く気なかったのにポロっと口から出た言葉に自分でも驚いた。
先輩も少しびっくりしたみたいでわしゃわしゃのくせ毛からちらっといつもより少しだけ開かれた目をのぞかせてまた視線はパチンコ台。
「お前死にたいと思わないの」
少しの沈黙がなんか嫌で「やっぱり何でもないです」と言いかけた矢先の質問だった。
「俺が人生に絶望して"一緒に死んでよ"って言ったらお前はどうすんの」
試されているような物言い。
でも考える必要はなかった。
「え、死にませんよ」
当たり前だ。僕はまだ死にたくない。
「なんで?」
言葉だけ聞いたらメンヘラみたいだ。「なんで俺と死んでくれないの?」
でも先輩の視線は依然パチンコ台。
僕なんかに1ミリも興味を示していなかった。
「僕の人生なので。僕が死にたいタイミングで死にたいに決まってるじゃないですか。おじいちゃんまで生きますよ僕」
自信満々に意気揚々と答えた。
結婚願望あり。なんなら子供だっていてくれたら嬉しい。人生これからじゃないか。
でも先輩は
「そういう所じゃね」
そう1つこぼしてため息交じりでたばこの煙を吐いた。
****
笑い声と共に降ってくる打撃をもろに顔面に食らった。
さすがに一瞬視界が揺らいで気が付いたら体は大きく傾き地面に強く打ち付けられた。
なんとか手をついて立ち上がろうとする自分の手の甲に血がぽたぽたと落ちる。鼻血なんて久々だ。頭がくらくらする。気持ちが悪い。車に酔ってるみたいな感覚。しんどい。今日はなんだかいつもと違った。「早く終わってくれ」と願っていた初期の事を思い出した。呼吸が、息が、つっかえる。苦しい。痛い。もう無理だ。死ぬかもしれない。
やだ。
怖い。
殺される。
死にたくない。
「その辺にしとけよ」
,,,,,,。
死にたくない。
「誰だお前」
「誰でもいいだろ。間違えてるやつらに対して"間違えてるぞ"って教えるのに名乗る必要ある?」
「間違えてるやつって誰のことだよ」
「気づけてないだろ?滑稽だから俺が教えに来てやったんだよ。感謝しろ」
もう何が何だか。真っ暗だ。誰だ。あたりが騒がしい。
痛む身体を何とか横にして鉛のように重い瞼を、ゆっくりと開いた。
霞む視界の中で、喧嘩してる。あいつらと、あれは、先輩?
もうよく見えない。
ただ、血の匂いしかしない鼻腔をなんとなく嗅ぎ覚えのあるたばこのにおいがくすぐってそのまま、また真っ暗になった。
****
この世はもうだめだ。
生きるに値しない。とっとと地球ごと終わらせて次の文明に期待した方がいい。この世は贅沢な人に贅沢につくられすぎた。多様性、ジェンダーレス、発言の自由、表現の自由。そいつらが1人歩きして、生きやすくするために設けられた自由はまだ僕らには早すぎる自由で。みんな誰かがポロっと落とす"世間とのギャップ"を今か今かと口を開けて待っている。発言者が有名であればあるほど腹をすかせた魚は多くて、1つの餌になんとも無様に食らいつく。
そんな腐った魚だらけの世の中が嫌で嫌で仕方なかった。
ギターを抱えてカメラの前に座った時、なぜか自信に満ち溢れていたんだ。
自分なら世界を変えられると、自分には人を動かす力があるんだと、そう信じて疑わなかった。なんでだろ。今じゃ意味わかんないけどねその自信。
案の定、投稿した動画の再生回数はギリ2桁。コメントも何も反応なんてなかった。やっぱり自分に才能なんてなかったんだとそこでようやく気が付いた。
なのに、それがある日急に再生回数が3桁までのびコメントまでつくようになった。わくわくしてコメント欄を開き、出てきた言葉は"絶望"
≪これ、自分の高校の生徒で草≫
≪やばいこれ、痛すぎるwww≫
≪共感性羞恥心で死ねるww≫
≪拡散完了(笑)≫
「終わった」なんてもんじゃないでしょ。次の日から学校に行くことなんてふつうはできない。でも、次の日からテストだったから行かなきゃ、2年生になれないし。親がテストを休むなんて許してくれるはずがなかった。素直に事を話したら休ませてくれたかもしれないけど、親にむかって自分で社会のくそさを書いて、歌った動画をクラスメイトにばれて拡散されたんだなんて口が裂けても言えなかった。
なんとなくで始まったいじめ。最初は毎日死にたかった。死にたくて死にたくてたまらなかった。
でもある日急に悟りを開いた。あぁ、僕って「辛い」と思う価値ないわ、って。何を今まで贅沢にみんなと並んで同じステージで物事感じてるんだ、って。そう思ったらなんにも辛いとか思わなくなった。むしろ生きたいと思うことが増えたんだ。何でか分からないけど生きてやる、生き続けてやるんだという意欲が湧いてきた。
「生きたい」でラッピングされた僕の気持ちは中身がスッカラカンだった。
****
うっすらと開けた目に光が差し込んできて開ききらない目が自然と閉じていく。
「おい、二度寝すんな。起きろ」
ピシッと頬を叩かれて目が覚める。どこだよここ。体が痛い。気分は最悪。
それでも今の状況を確認するべくその痛い痛い体に鞭打ってなんとか座る。
狭い1ルーム。ベッド1つと小さなテーブルでほぼ部屋いっぱいだ。キッチンにはカップ麺のゴミと酒の空き缶のゴミであふれかえってるけど部屋はわりかしきれい。
「じろじろ人の家なめまわすなよ。お前酒飲む?あ、中学生か」
うっすらとたばこのにおいがする部屋で先輩が冷蔵庫を覗きながら1人でしゃべった。
「ここ、先輩の家ですか」
「そりゃな。お前まあまあ寝てたぞ。帰らんでいいの」
スマホを開くと20時30分。
「学校は」
プシュッと音を立てながら缶チューハイをあけて先輩が隣に座る。
「先生にちゃんと言っといてやったよ。俺が連れて帰るってことと親には俺から連絡するって」
まあしてないけどってフッと笑った。
「すみません。迷惑かけて」
酒を飲みながらまた隠れた目をちらっとのぞかせてこっちを見てくる先輩と目があってなんとなく決まづくなって視線を下げた。
「毎日あんななの」
「そうですね。今日はまあ特にひどかったですけど」
「死にたくなるだろ」
「なりませんよ」
「なってんだよ」
「なんでですか」
何を根拠に、なんでそうやって決めつけるんだ。「生きたい」と思うことをなんでそうやって止められなきゃいけなんだ。
「なんで。生きたいっていいことじゃないですか。なんでみんな僕が絶望したり、逃げ出したり、死にたいと思うことを望むんですか」
やばい。助けてもらったのに。いつも先輩だけが僕と対等に話してくれてた人なのに。この人にも嫌われるのか僕は。
それでも黙って聞くから最後に絞り出してしまった。
「僕ってそんなに生きてちゃ迷惑ですか。死んだ方がいいですか。少しでも僕を愛してくれる人はいないんですか」
自分で言っててキモいなって思った。"愛してくれないんですか"なんてキモいだろ。さすが僕って感じがした。
でも本心だった。
誰かから愛されたい。愛されるのなら何でもよくて、ただただひたすらに「自分は愛されているんだ」っていう自信が欲しかったんだ。
「愛されたらなんでもいいの」
先輩の声は静かだった。怒ってるのかも、落胆してるのかも、失望してるのかも、キモがってるのかもわからない声だった。
「なんでもいいです」
そう言った瞬間だった。
さっきまで先輩の手にもたれてた缶がテーブルに置かれ、今は僕の腕を取ってすごい勢いで押し倒してきた。
何が何だか分からなくなって、とりあえず状況を理解しようとするけど腕を押さえつけて馬乗りになられているこの状況では何も思考が追いつかなかった。
「俺、男でも喰えるよ」
淡々としゃべる先輩とは裏腹に今放たれた言葉に口をパクパクとさせる事しかできない。
「な、なに言ってんですか」
「愛されたらなんでもいいんだろ?」
体全体に緊張が走る。
「これも愛の形だろ」
いつもぼーっと世界を俯瞰する先輩はどこにもいなくて、でも先輩の視線に自分が写っているのかも分からない。初めて見る先輩が僕には凄く怖かった。
これまでの関係が壊れる。僕には先輩すらいなくなってしまう。このまま今の先輩に従い続けたらこれまでの関係が壊れてしまう。
怖い。
情けない話だけど目じりがじわっと熱くなるのを感じた。
「なんで泣いてんの」
体制は変わらず先輩に見下ろされながら質問が降ってくる。
「先輩には嫌われたくないです。今の関係壊したくないです」
「なんで」
「僕の中で先輩だけなんですよ。僕の声に応えてくれるの」
恥ずかしいけど、これが素直な気持ちだった。先輩だけなんだ。僕の言葉に反応して、言葉を返してくれるのが。
「学校でいじめられて。毎日毎日。でも先輩が話聞いてくれるから。それで満足だったんですよ。僕はいっちょ前に辛いなんて言う権利無いから強がるしかないじゃないですか。そうでもしないと、耐えられない」
もう、穴があったら入りたかった。自分がどんな顔してるかも分からない。ひどい顔をしてるっていうのは分かるけど。押さえつけられてるから流れる涙も拭えない。ここまで言ってもまだ先輩に何かを促されているような気がして、ずっと自分の中に押さえつけていて出しちゃいけない言葉を言ってもいいのか。これを言ったら負けじゃないのか。って葛藤する僕を全て見通しているようだった。
「全部言っていいんですか」
「言えよ。それがお前の聞いてほしい"声"なんだろ」
その言葉が合図になって蓋をしていた僕の気持ちの封が開いた。
「辛いです。もう限界です。あいつらに1つだけ願い事を言えるなら、いじめをやめてくださいなんて贅沢言わないから、殺してほしい」
「死にたい」
ずっと力強くつかまれていた腕がほどかれて体を起こされた。
情けない。涙が止まらない。言ってしまった言葉はなかったことにはできない。
「それが本音だろ」
「はい」
先輩は雑に僕の頭をくしゃくしゃと撫でてたばこに火をつけた。
フーと煙を吐いてたばこを人差し指と中指の間に挟みたばこを見つめて言った。
「自分の気持ちに嘘つくなよ。自分だけは自分の味方でいなきゃ、耐えれるもんも耐えられないでしょ」
「お前はよくやってるよ」
"辛い時は辛いと言え" "自分に嘘をついて違う感情で蓋をするな"
先輩の言葉はぶっきらぼうでとても端的なものだったけど、僕自身が今まで見ないふりをしてきた感情を抱きしめるには十分すぎる言葉たちだった。
最後に「ビビらして悪かったな」とまたいつも通りをフッと笑ってタバコの灰を落とした。
先輩は間違いなく僕の人生の主人公だ。
****
「こないだはごめん」
すっからかんになった財布をポケットにしまいながら、放課後教室で読書をしている彼女に話しかけた。
休憩中に僕に話しかけられるとこの子にどんな被害が及んでしまうか分からないから、教室に残ってほしいと置手紙をしておいたのだ。
「告白でもされるのかと思ったのに」
冗談なのか本気なのか分からないトーンで本を閉じながらそういった。
「告白なんてしないよ。傍観者だと思ってるのは事実だし」
「ごめんね」
僕のとがった言葉とは裏腹に素直な謝罪。若干調子が狂う。
「あなたを見ていたら、自分がああなってもいいから、とは思えなかった。今日もひどい顔」
当たり前だ。僕だってこんな顔を腫らして、制服を泥まみれにして、血生臭くなんてなりたくない。
彼女はまた淡々と続ける。
「あなたは強いから、みんなに軽視されるの。強がって毎日毎日いつもと変わらず学校に来てしまうから"まぁあいつは大丈夫だろう"ってなるのよ。いじめなんて被害者側がおかしくでもならないと注目されないもの。おかしな世の中だよね」
前までの僕ならこいつをぶん殴って何も聞かなかったことにして帰るだろう。
でも今は違う。
こいつも僕の物語の主人公になるんだ。
「僕はどうすればいいんだろう」
純粋な疑問だった。みんなと違う、彼女もまた世界を俯瞰している。そんな彼女は僕にどうするべきだと言うんだろう。
少し考えて、でもすぐに答えは出た。
「素直に逃げちゃえばいいと思う。ここではないどこかに。今のあなたの姿を見て、それを止める権利のある人なんてどこにもいない。あなたの行きたい所へ、行きたい人と、生きたいようにすればいいと思う」
淡々としゃべって「きれいごとに聞こえる?」と僕に問うてきた。
きれいごとだなんて。僕には最高の言葉がけだった。
これが今の僕が欲しかった答えだったんだと、気持ちがフッと軽くなるのを感じた。
「ありがと」
そう言う僕を少し不審そうに見る彼女だけど「用が済んだなら帰るね」と本を鞄にしまい岐路に立った。
先輩にもあいつにも感謝をしなくちゃ。
僕の人生の主人公になってくれてありがとう。
僕の蓋をしていた気持ちの封を開けてくれてありがとう。
2人は1人だった僕に寄り添ってくれた唯一の存在だったんだ。唯一なのに2人いるのおかしいね。
見るべきはいじめてくるあいつらでも、この腐った世の中でもない。
僕を導いてくれる存在を。
僕に正解を教えてくれる存在を。
それこそが僕の見るべきものだったんだ。
教えてくれてありがとう。
僕なんかのことを見てくれてありがとう。
あの頃の自分へ。
お前は間違ってなんかなかったぞ。
これが僕の答えだ。
僕は僕の行きたい場所へ、本音でしゃべることのできる場所へ。
荷物はいらない。
僕の、自分の為の、新たな人生への第一歩を。
大きく、大きく踏み出した。
-・・ ・・ ・・・- -・・・ --・-・ ・-・-・ -・ ・・ --・-・ ・・ -・・-- ・・- -・-・ ・-・ -・--・ ---- --- ・-・・ ・・ ---- -・ -・--- -・ ・・
一定のリズムで満たされた空間。
隣には知らない人がいた。
目の前で寝ているその人はいつもの腫らした顔とは違って今日はきれいな顔をしていた。
みんな心の中でこの人に何かを語りかけている。
自分が目の前のこの人に伝えるべき言葉はなんだろう。
こういう時にパッ考え付かないのが自分のよくない所んだろうなぁ。
ただ、これだけは言える。
「「そういう意味じゃ、なかったのに」」
ただひたすらに。
いや、真っ白なのかもしれない。
熱すぎて冷たく感じるみたいなことあるじゃん?
ない?
どっちかわかんない。
電子レンジで熱しすぎたグラタンに触れた時みたいな、あんな感じ。
ただ、世界はひたすらに退屈で、死ぬのは嫌だけど、でも死にたくなるくらい思い通りにならない。
こんな世界は黒だろうが白だろうがどちらでもよかった。
ただ、一色であると言う事だけが事実で、どちらかと言う事に対して意味はない。
「あーくそばっか」
SNSを開いて低能であふれかえるこの世の中にため息をついた。
≪もっと自由にしてあげないと子供がかわいそう≫
≪ちゃんと見てあげてよ ネグレクトじゃん≫
≪整形した方がいいんじゃない?≫
≪整形してる女は無理≫
昔は歌詞の意味とかが分からないのは自分がこの人の世界観を理解しきれていないからだとか、まだ自分のレベルが低いからだって考えの人が多かったのに。今では理解できない歌詞を考えるアーティストが悪。感じ取ることのできない自分の浅はかさを責めるんじゃなくて自分の理解できない歌詞を書くアーティストを責める世の中になってしまった。
みんなが自分軸で生きてるみたい。
俺が理解できない。
私の好みじゃない。
しるか。そんなもん。
この腐りきった世の中に何か1つ、衝撃を走らせたかった。
バカはお前だ。気づけ。自分の愚かさを自覚しろ。そして黙れ。
そう世の中に叫びたかった。
だから歌をつくった。
自分で歌詞を考えて、歌って、ギター弾いて。
それをネットにアップしてみたら、クラスの奴になぜかバレた。
それからは、想像つくでしょ?
思想強めなお痛動画。
そんなの年頃の中学生には格好の獲物でしかない。
ばかみたいないじめが始まって早半年。凄くない?よく飽きないよね。
原型をとどめている教科書は1つもないし、上履きはほぼ白いところがマジックで黒くされている。おまけに放課後はトイレの水かぶったり、生きた虫を口に突っ込まれたり、服脱がされてそれを拡散されたり。まあよくある、よく聞く、みんなが簡単にイメージできるありきたりないじめだ。そろそろネタ切れか?と思っても何かと新しいアイディアを思いつくみたいで次から次へと新しい攻撃がとんでくる。
でもどれも結局ありきたりだからなんかもう、つまんなくなっちゃった。
あーあ、つまんないの。
「強がらないでよ」
ひとしきりの今日のいじめが終わってさあ僕も帰ろうとトイレの地面から這い上がった時、目の前に立つ女にそういわれた。
おかしなことを言う。
「強がってないけど。てか誰」
「強がってるよ。見てたら分かる」
「名乗ってくれる?決めつけはその後にしてよ」
「その前に拭きなよ、びちゃびちゃだし、汚いよ」
「人に向かって汚いとは失敬だな。あいつらの愛のこもった金魚の死骸だろーが」
この日はひたすらに金魚を投げられるという謎めいた攻撃だったけどこれが意外と効く。
金魚って実は結構固いしやっぱりちょっと、生きてるものを投げられて自分に当たって死ぬというのは気持ちのいいものではなかった。普通に「命で遊ぶな」と言ってみたけど、「はいでた~思想強いね~」と言って聞いてもらえなかった。
あいつらに人の心なんてきっとない。
「そういう所だよ」
「なにが」
「そういう所が強がってるって言ってんの」
なんでこいつこんなに怒ってるんだよ。みんなと一緒に知らんふりしとけよ。みんなと一緒にゴミを見るような眼で僕を見ろよ。
「私なら耐えられない」
「何が」
「これまでの行為が。普通なら絶望して立ち直れないよ。なのにあなたはいつもちゃんと学校に来る。苦しそうな顔も泣いてる顔も見たことがない。意味が分からない」
「黙っとけ傍観者」
それが僕から彼女への素直な気持ちだった。
"いじめられてるやつに寄り添う優等生"そうみられるための道具にされることが日々の嫌がらせよりよっぽど胸糞が悪かったし、我慢できない。目の前の彼女は驚いた顔をしてすぐに不機嫌そうな顔になった。多分心配して"あげてる"と思ってたからだろう。漫画とかで出てくるいじめられっ子を助ける少しみんなと違う感性を持った儚き女の子みたいなのを演じたかったのだろう。でもそうはさせない。お前を僕の物語の主人公になんてしてやらない。
これが僕がいじめられてから身についた感性。
くそでしょ。
全員敵。僕に寄り添おうとするやつはみんな自分の優しさに溺れてるだけ。仲間なんていらない。僕は自分で、自分の物語の主人公になるんだ。
目の前にいる彼女の肩にわざとぶつかるようにしてその場を立ち去った。
てゆうか堂々と男子トイレに入ってるんじゃねえよ。気色悪。立場逆なら犯罪になるくせに。女のこういう都合がいいところが心底嫌いだと心の中でオーバーキルをしてリュックを背負った。
向かう先は行きつけのパチンコ。
「よ。なに今日は水浸しかよ、もうちょっと拭いてから来いよ」
ちらっとこっちを見てまた「あーくそ」と自分のパチンコ台に視線を戻す先輩はたばこをくわえながらしゃべるからちょっともごもごしてる。
ここは地元のつぶれる寸前のパチンコ屋だからヤンキーのたまり場みたいになってて、先輩はその中で唯一群れをつくらずこのパチンコ台にいつもいる大学生だ。
「僕って強がってるんですかね」
別に聞く気なかったのにポロっと口から出た言葉に自分でも驚いた。
先輩も少しびっくりしたみたいでわしゃわしゃのくせ毛からちらっといつもより少しだけ開かれた目をのぞかせてまた視線はパチンコ台。
「お前死にたいと思わないの」
少しの沈黙がなんか嫌で「やっぱり何でもないです」と言いかけた矢先の質問だった。
「俺が人生に絶望して"一緒に死んでよ"って言ったらお前はどうすんの」
試されているような物言い。
でも考える必要はなかった。
「え、死にませんよ」
当たり前だ。僕はまだ死にたくない。
「なんで?」
言葉だけ聞いたらメンヘラみたいだ。「なんで俺と死んでくれないの?」
でも先輩の視線は依然パチンコ台。
僕なんかに1ミリも興味を示していなかった。
「僕の人生なので。僕が死にたいタイミングで死にたいに決まってるじゃないですか。おじいちゃんまで生きますよ僕」
自信満々に意気揚々と答えた。
結婚願望あり。なんなら子供だっていてくれたら嬉しい。人生これからじゃないか。
でも先輩は
「そういう所じゃね」
そう1つこぼしてため息交じりでたばこの煙を吐いた。
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笑い声と共に降ってくる打撃をもろに顔面に食らった。
さすがに一瞬視界が揺らいで気が付いたら体は大きく傾き地面に強く打ち付けられた。
なんとか手をついて立ち上がろうとする自分の手の甲に血がぽたぽたと落ちる。鼻血なんて久々だ。頭がくらくらする。気持ちが悪い。車に酔ってるみたいな感覚。しんどい。今日はなんだかいつもと違った。「早く終わってくれ」と願っていた初期の事を思い出した。呼吸が、息が、つっかえる。苦しい。痛い。もう無理だ。死ぬかもしれない。
やだ。
怖い。
殺される。
死にたくない。
「その辺にしとけよ」
,,,,,,。
死にたくない。
「誰だお前」
「誰でもいいだろ。間違えてるやつらに対して"間違えてるぞ"って教えるのに名乗る必要ある?」
「間違えてるやつって誰のことだよ」
「気づけてないだろ?滑稽だから俺が教えに来てやったんだよ。感謝しろ」
もう何が何だか。真っ暗だ。誰だ。あたりが騒がしい。
痛む身体を何とか横にして鉛のように重い瞼を、ゆっくりと開いた。
霞む視界の中で、喧嘩してる。あいつらと、あれは、先輩?
もうよく見えない。
ただ、血の匂いしかしない鼻腔をなんとなく嗅ぎ覚えのあるたばこのにおいがくすぐってそのまま、また真っ暗になった。
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この世はもうだめだ。
生きるに値しない。とっとと地球ごと終わらせて次の文明に期待した方がいい。この世は贅沢な人に贅沢につくられすぎた。多様性、ジェンダーレス、発言の自由、表現の自由。そいつらが1人歩きして、生きやすくするために設けられた自由はまだ僕らには早すぎる自由で。みんな誰かがポロっと落とす"世間とのギャップ"を今か今かと口を開けて待っている。発言者が有名であればあるほど腹をすかせた魚は多くて、1つの餌になんとも無様に食らいつく。
そんな腐った魚だらけの世の中が嫌で嫌で仕方なかった。
ギターを抱えてカメラの前に座った時、なぜか自信に満ち溢れていたんだ。
自分なら世界を変えられると、自分には人を動かす力があるんだと、そう信じて疑わなかった。なんでだろ。今じゃ意味わかんないけどねその自信。
案の定、投稿した動画の再生回数はギリ2桁。コメントも何も反応なんてなかった。やっぱり自分に才能なんてなかったんだとそこでようやく気が付いた。
なのに、それがある日急に再生回数が3桁までのびコメントまでつくようになった。わくわくしてコメント欄を開き、出てきた言葉は"絶望"
≪これ、自分の高校の生徒で草≫
≪やばいこれ、痛すぎるwww≫
≪共感性羞恥心で死ねるww≫
≪拡散完了(笑)≫
「終わった」なんてもんじゃないでしょ。次の日から学校に行くことなんてふつうはできない。でも、次の日からテストだったから行かなきゃ、2年生になれないし。親がテストを休むなんて許してくれるはずがなかった。素直に事を話したら休ませてくれたかもしれないけど、親にむかって自分で社会のくそさを書いて、歌った動画をクラスメイトにばれて拡散されたんだなんて口が裂けても言えなかった。
なんとなくで始まったいじめ。最初は毎日死にたかった。死にたくて死にたくてたまらなかった。
でもある日急に悟りを開いた。あぁ、僕って「辛い」と思う価値ないわ、って。何を今まで贅沢にみんなと並んで同じステージで物事感じてるんだ、って。そう思ったらなんにも辛いとか思わなくなった。むしろ生きたいと思うことが増えたんだ。何でか分からないけど生きてやる、生き続けてやるんだという意欲が湧いてきた。
「生きたい」でラッピングされた僕の気持ちは中身がスッカラカンだった。
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うっすらと開けた目に光が差し込んできて開ききらない目が自然と閉じていく。
「おい、二度寝すんな。起きろ」
ピシッと頬を叩かれて目が覚める。どこだよここ。体が痛い。気分は最悪。
それでも今の状況を確認するべくその痛い痛い体に鞭打ってなんとか座る。
狭い1ルーム。ベッド1つと小さなテーブルでほぼ部屋いっぱいだ。キッチンにはカップ麺のゴミと酒の空き缶のゴミであふれかえってるけど部屋はわりかしきれい。
「じろじろ人の家なめまわすなよ。お前酒飲む?あ、中学生か」
うっすらとたばこのにおいがする部屋で先輩が冷蔵庫を覗きながら1人でしゃべった。
「ここ、先輩の家ですか」
「そりゃな。お前まあまあ寝てたぞ。帰らんでいいの」
スマホを開くと20時30分。
「学校は」
プシュッと音を立てながら缶チューハイをあけて先輩が隣に座る。
「先生にちゃんと言っといてやったよ。俺が連れて帰るってことと親には俺から連絡するって」
まあしてないけどってフッと笑った。
「すみません。迷惑かけて」
酒を飲みながらまた隠れた目をちらっとのぞかせてこっちを見てくる先輩と目があってなんとなく決まづくなって視線を下げた。
「毎日あんななの」
「そうですね。今日はまあ特にひどかったですけど」
「死にたくなるだろ」
「なりませんよ」
「なってんだよ」
「なんでですか」
何を根拠に、なんでそうやって決めつけるんだ。「生きたい」と思うことをなんでそうやって止められなきゃいけなんだ。
「なんで。生きたいっていいことじゃないですか。なんでみんな僕が絶望したり、逃げ出したり、死にたいと思うことを望むんですか」
やばい。助けてもらったのに。いつも先輩だけが僕と対等に話してくれてた人なのに。この人にも嫌われるのか僕は。
それでも黙って聞くから最後に絞り出してしまった。
「僕ってそんなに生きてちゃ迷惑ですか。死んだ方がいいですか。少しでも僕を愛してくれる人はいないんですか」
自分で言っててキモいなって思った。"愛してくれないんですか"なんてキモいだろ。さすが僕って感じがした。
でも本心だった。
誰かから愛されたい。愛されるのなら何でもよくて、ただただひたすらに「自分は愛されているんだ」っていう自信が欲しかったんだ。
「愛されたらなんでもいいの」
先輩の声は静かだった。怒ってるのかも、落胆してるのかも、失望してるのかも、キモがってるのかもわからない声だった。
「なんでもいいです」
そう言った瞬間だった。
さっきまで先輩の手にもたれてた缶がテーブルに置かれ、今は僕の腕を取ってすごい勢いで押し倒してきた。
何が何だか分からなくなって、とりあえず状況を理解しようとするけど腕を押さえつけて馬乗りになられているこの状況では何も思考が追いつかなかった。
「俺、男でも喰えるよ」
淡々としゃべる先輩とは裏腹に今放たれた言葉に口をパクパクとさせる事しかできない。
「な、なに言ってんですか」
「愛されたらなんでもいいんだろ?」
体全体に緊張が走る。
「これも愛の形だろ」
いつもぼーっと世界を俯瞰する先輩はどこにもいなくて、でも先輩の視線に自分が写っているのかも分からない。初めて見る先輩が僕には凄く怖かった。
これまでの関係が壊れる。僕には先輩すらいなくなってしまう。このまま今の先輩に従い続けたらこれまでの関係が壊れてしまう。
怖い。
情けない話だけど目じりがじわっと熱くなるのを感じた。
「なんで泣いてんの」
体制は変わらず先輩に見下ろされながら質問が降ってくる。
「先輩には嫌われたくないです。今の関係壊したくないです」
「なんで」
「僕の中で先輩だけなんですよ。僕の声に応えてくれるの」
恥ずかしいけど、これが素直な気持ちだった。先輩だけなんだ。僕の言葉に反応して、言葉を返してくれるのが。
「学校でいじめられて。毎日毎日。でも先輩が話聞いてくれるから。それで満足だったんですよ。僕はいっちょ前に辛いなんて言う権利無いから強がるしかないじゃないですか。そうでもしないと、耐えられない」
もう、穴があったら入りたかった。自分がどんな顔してるかも分からない。ひどい顔をしてるっていうのは分かるけど。押さえつけられてるから流れる涙も拭えない。ここまで言ってもまだ先輩に何かを促されているような気がして、ずっと自分の中に押さえつけていて出しちゃいけない言葉を言ってもいいのか。これを言ったら負けじゃないのか。って葛藤する僕を全て見通しているようだった。
「全部言っていいんですか」
「言えよ。それがお前の聞いてほしい"声"なんだろ」
その言葉が合図になって蓋をしていた僕の気持ちの封が開いた。
「辛いです。もう限界です。あいつらに1つだけ願い事を言えるなら、いじめをやめてくださいなんて贅沢言わないから、殺してほしい」
「死にたい」
ずっと力強くつかまれていた腕がほどかれて体を起こされた。
情けない。涙が止まらない。言ってしまった言葉はなかったことにはできない。
「それが本音だろ」
「はい」
先輩は雑に僕の頭をくしゃくしゃと撫でてたばこに火をつけた。
フーと煙を吐いてたばこを人差し指と中指の間に挟みたばこを見つめて言った。
「自分の気持ちに嘘つくなよ。自分だけは自分の味方でいなきゃ、耐えれるもんも耐えられないでしょ」
「お前はよくやってるよ」
"辛い時は辛いと言え" "自分に嘘をついて違う感情で蓋をするな"
先輩の言葉はぶっきらぼうでとても端的なものだったけど、僕自身が今まで見ないふりをしてきた感情を抱きしめるには十分すぎる言葉たちだった。
最後に「ビビらして悪かったな」とまたいつも通りをフッと笑ってタバコの灰を落とした。
先輩は間違いなく僕の人生の主人公だ。
****
「こないだはごめん」
すっからかんになった財布をポケットにしまいながら、放課後教室で読書をしている彼女に話しかけた。
休憩中に僕に話しかけられるとこの子にどんな被害が及んでしまうか分からないから、教室に残ってほしいと置手紙をしておいたのだ。
「告白でもされるのかと思ったのに」
冗談なのか本気なのか分からないトーンで本を閉じながらそういった。
「告白なんてしないよ。傍観者だと思ってるのは事実だし」
「ごめんね」
僕のとがった言葉とは裏腹に素直な謝罪。若干調子が狂う。
「あなたを見ていたら、自分がああなってもいいから、とは思えなかった。今日もひどい顔」
当たり前だ。僕だってこんな顔を腫らして、制服を泥まみれにして、血生臭くなんてなりたくない。
彼女はまた淡々と続ける。
「あなたは強いから、みんなに軽視されるの。強がって毎日毎日いつもと変わらず学校に来てしまうから"まぁあいつは大丈夫だろう"ってなるのよ。いじめなんて被害者側がおかしくでもならないと注目されないもの。おかしな世の中だよね」
前までの僕ならこいつをぶん殴って何も聞かなかったことにして帰るだろう。
でも今は違う。
こいつも僕の物語の主人公になるんだ。
「僕はどうすればいいんだろう」
純粋な疑問だった。みんなと違う、彼女もまた世界を俯瞰している。そんな彼女は僕にどうするべきだと言うんだろう。
少し考えて、でもすぐに答えは出た。
「素直に逃げちゃえばいいと思う。ここではないどこかに。今のあなたの姿を見て、それを止める権利のある人なんてどこにもいない。あなたの行きたい所へ、行きたい人と、生きたいようにすればいいと思う」
淡々としゃべって「きれいごとに聞こえる?」と僕に問うてきた。
きれいごとだなんて。僕には最高の言葉がけだった。
これが今の僕が欲しかった答えだったんだと、気持ちがフッと軽くなるのを感じた。
「ありがと」
そう言う僕を少し不審そうに見る彼女だけど「用が済んだなら帰るね」と本を鞄にしまい岐路に立った。
先輩にもあいつにも感謝をしなくちゃ。
僕の人生の主人公になってくれてありがとう。
僕の蓋をしていた気持ちの封を開けてくれてありがとう。
2人は1人だった僕に寄り添ってくれた唯一の存在だったんだ。唯一なのに2人いるのおかしいね。
見るべきはいじめてくるあいつらでも、この腐った世の中でもない。
僕を導いてくれる存在を。
僕に正解を教えてくれる存在を。
それこそが僕の見るべきものだったんだ。
教えてくれてありがとう。
僕なんかのことを見てくれてありがとう。
あの頃の自分へ。
お前は間違ってなんかなかったぞ。
これが僕の答えだ。
僕は僕の行きたい場所へ、本音でしゃべることのできる場所へ。
荷物はいらない。
僕の、自分の為の、新たな人生への第一歩を。
大きく、大きく踏み出した。
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一定のリズムで満たされた空間。
隣には知らない人がいた。
目の前で寝ているその人はいつもの腫らした顔とは違って今日はきれいな顔をしていた。
みんな心の中でこの人に何かを語りかけている。
自分が目の前のこの人に伝えるべき言葉はなんだろう。
こういう時にパッ考え付かないのが自分のよくない所んだろうなぁ。
ただ、これだけは言える。
「「そういう意味じゃ、なかったのに」」