あらゆることに興味を抱けない。
それが僕、春海流という人間の全てだった。
気付いたのは小学校の頃だったか。学習発表会で劇をやる際の役決めで僕がロボット役に選ばれたことがあった。その時、クラスメイトの誰かが言ったのだ。
「春海にピッタリの役だな」
どうにもそれは、僕がいつも無表情で、感情表現に乏しいことを揶揄した発言だったらしい。
当時の僕は、自分がいたって平凡な小学生だと思っていたので、驚いた覚えがある。
しかし意識してみると、確かに僕は、他の子に比べると無感情だった。
抜き打ちテストの時に騒がない。
遠足の時に笑わない。
給食にプリンが出ても喜ばない。
こけても泣かない。
悲しい映画を観ても泣かない。
授業中、自分が分からない問題を先生に当てられないかソワソワしない。
女の子に告白されてもドキドキしない。
あらゆる場面で、僕は平坦で単調な感情以上のものを抱くことがなかった。
そうやって自分自身にすら興味を抱かず、毎日を過ごしていたある日。
ネットでとある記事を見つけた。
「ロボットのような感情」という見出しに、僕は少しだけ親近感を抱き、クリックした。
――スキゾイドパーソナリティ障害。
社会的な関係や、あらゆる物事に対しての関心が薄くなり、感情が平板化する人格障害だそうだ。幼少期、虐待やネグレクトといった、強いストレスを受けた人間に、発生しやすいという。
ああ、これか。と、僕は無感情にそのページをスクロールした。
医者にかかったわけではない。正しい診断を受けたわけでもない。だけどそのページには、まるで僕のことを知っている人間が書いたみたいに、僕の特徴を捉えた言葉がいくつも羅列されていた。
僕にはこれといった趣味はなかった。好きな人間も、嫌いな人間もいなかった。
何にも興味を抱けず、何も執着せず、胸の内には何も残らず、あらゆる事柄をすぐに忘れる。
誰かが吐いた侮蔑の言葉も、称賛のまなざしも、何かの拍子に胸の内に沸いた感情も。
そして――誰かの名前でさえ。
僕の心にはどんな事柄も色を灯さない。
目に映る全てがグレースケールで説明できて、無機質で、平坦で、面白みがない。
世界に憂鬱だった。
だけど、それが当たり前だと思っていた。それでいいのだと思っていた。
僕がかもめ薬局に足を運んだのは、そんな灰色の毎日を過ごしていた時のことだった。
絶対に死ぬことができる、自分のためだけの薬。
人差し指の第一関節くらいの大きさで、手軽に持ち運べて、いつでも手軽に自死できる。
それはつまり、死と常に隣り合わせで生きるということだ。
死が身近にあるということだ。
自分の命が脅かされ、いとも簡単にこの世界から消えてしまう。
そんな状況下に、もし自分が置かれたならば。
僕はその時、何かを感じるのだろうか?
それから僕は、須々木さんに出会い、程なくしてディープブルーを手に入れた。
だけど。
結局、青い薬は僕の世界を色付かせなかった。
死が身近にあるという事実は、僕の生活に何の影響も与えなかった。
恐怖を感じることもなかった。おびえることもなかった。
ただ、からからと乾いた音を立てるプラスチックケースが、ポケットの中に一つ増えただけ。
こんなものかと僕は苦笑し……けれど落胆することも、悲しむことも、怒ることもなく、灰色の世界で一人、生きていた。
きっとあのままいけば、やがて僕はディープブルーの存在すら忘れて、無味無臭な毎日を過ごすことになっていたのだと思う。
だけどあの日、
『なんでこんなとこにいんの』
古閑さんが現れて、世界はゆっくりと動き始めた。
彼女の提案に乗ったことに深い意味はない。ただなんとなく付き合っていただけで、僕の日常を変える何かがあるなんて、ちっとも期待していなかった。
だけど僕は。
古閑さんと一緒に、屋上に侵入し。
彼女の家でナイフを突きつけられ。
彼女に手料理を振る舞い。
白雪さんとの喧嘩をなぜか仲裁し。
古閑さんの彼氏を偽り。
北風君たちとのカラオケに付き合わされ。
倒れた後に看病され。
首を絞められ。
旅行に連れ出された。
いつの間にか僕は、彼女に振り回されていた。
心を――例えば湖に置き換えたとするならば、僕の水面は凪いでいる。悲しいほどに。
対する古閑さんは、嵐のようだった。横暴で、口が悪くて、気分屋で。僕を殺そうとしたり、僕を看病したり、粗雑に扱ったり、大切にしたりした。
彼女の存在は、僕の水面を揺らした。
最初はちゃぷちゃぷと、水飛沫が立つ程度だった。自分の中に変化が生じていることに、気付かないくらいに。
だけど、藻引岬の崖際で落ちそうになった時。
彼女の顔が、視界に入り込んだ時。
僕は自分の中の心の湖が、大きく波打っていることに気付いたのだ。
世界が大きく、ひっくり返ってしまったのだ。
だから――僕が変わったのは古閑さんのせいだ。
君が僕を変えたのに、変わった僕を責めるなんて。
本当に、古閑さんはひどい人だ。
それが僕、春海流という人間の全てだった。
気付いたのは小学校の頃だったか。学習発表会で劇をやる際の役決めで僕がロボット役に選ばれたことがあった。その時、クラスメイトの誰かが言ったのだ。
「春海にピッタリの役だな」
どうにもそれは、僕がいつも無表情で、感情表現に乏しいことを揶揄した発言だったらしい。
当時の僕は、自分がいたって平凡な小学生だと思っていたので、驚いた覚えがある。
しかし意識してみると、確かに僕は、他の子に比べると無感情だった。
抜き打ちテストの時に騒がない。
遠足の時に笑わない。
給食にプリンが出ても喜ばない。
こけても泣かない。
悲しい映画を観ても泣かない。
授業中、自分が分からない問題を先生に当てられないかソワソワしない。
女の子に告白されてもドキドキしない。
あらゆる場面で、僕は平坦で単調な感情以上のものを抱くことがなかった。
そうやって自分自身にすら興味を抱かず、毎日を過ごしていたある日。
ネットでとある記事を見つけた。
「ロボットのような感情」という見出しに、僕は少しだけ親近感を抱き、クリックした。
――スキゾイドパーソナリティ障害。
社会的な関係や、あらゆる物事に対しての関心が薄くなり、感情が平板化する人格障害だそうだ。幼少期、虐待やネグレクトといった、強いストレスを受けた人間に、発生しやすいという。
ああ、これか。と、僕は無感情にそのページをスクロールした。
医者にかかったわけではない。正しい診断を受けたわけでもない。だけどそのページには、まるで僕のことを知っている人間が書いたみたいに、僕の特徴を捉えた言葉がいくつも羅列されていた。
僕にはこれといった趣味はなかった。好きな人間も、嫌いな人間もいなかった。
何にも興味を抱けず、何も執着せず、胸の内には何も残らず、あらゆる事柄をすぐに忘れる。
誰かが吐いた侮蔑の言葉も、称賛のまなざしも、何かの拍子に胸の内に沸いた感情も。
そして――誰かの名前でさえ。
僕の心にはどんな事柄も色を灯さない。
目に映る全てがグレースケールで説明できて、無機質で、平坦で、面白みがない。
世界に憂鬱だった。
だけど、それが当たり前だと思っていた。それでいいのだと思っていた。
僕がかもめ薬局に足を運んだのは、そんな灰色の毎日を過ごしていた時のことだった。
絶対に死ぬことができる、自分のためだけの薬。
人差し指の第一関節くらいの大きさで、手軽に持ち運べて、いつでも手軽に自死できる。
それはつまり、死と常に隣り合わせで生きるということだ。
死が身近にあるということだ。
自分の命が脅かされ、いとも簡単にこの世界から消えてしまう。
そんな状況下に、もし自分が置かれたならば。
僕はその時、何かを感じるのだろうか?
それから僕は、須々木さんに出会い、程なくしてディープブルーを手に入れた。
だけど。
結局、青い薬は僕の世界を色付かせなかった。
死が身近にあるという事実は、僕の生活に何の影響も与えなかった。
恐怖を感じることもなかった。おびえることもなかった。
ただ、からからと乾いた音を立てるプラスチックケースが、ポケットの中に一つ増えただけ。
こんなものかと僕は苦笑し……けれど落胆することも、悲しむことも、怒ることもなく、灰色の世界で一人、生きていた。
きっとあのままいけば、やがて僕はディープブルーの存在すら忘れて、無味無臭な毎日を過ごすことになっていたのだと思う。
だけどあの日、
『なんでこんなとこにいんの』
古閑さんが現れて、世界はゆっくりと動き始めた。
彼女の提案に乗ったことに深い意味はない。ただなんとなく付き合っていただけで、僕の日常を変える何かがあるなんて、ちっとも期待していなかった。
だけど僕は。
古閑さんと一緒に、屋上に侵入し。
彼女の家でナイフを突きつけられ。
彼女に手料理を振る舞い。
白雪さんとの喧嘩をなぜか仲裁し。
古閑さんの彼氏を偽り。
北風君たちとのカラオケに付き合わされ。
倒れた後に看病され。
首を絞められ。
旅行に連れ出された。
いつの間にか僕は、彼女に振り回されていた。
心を――例えば湖に置き換えたとするならば、僕の水面は凪いでいる。悲しいほどに。
対する古閑さんは、嵐のようだった。横暴で、口が悪くて、気分屋で。僕を殺そうとしたり、僕を看病したり、粗雑に扱ったり、大切にしたりした。
彼女の存在は、僕の水面を揺らした。
最初はちゃぷちゃぷと、水飛沫が立つ程度だった。自分の中に変化が生じていることに、気付かないくらいに。
だけど、藻引岬の崖際で落ちそうになった時。
彼女の顔が、視界に入り込んだ時。
僕は自分の中の心の湖が、大きく波打っていることに気付いたのだ。
世界が大きく、ひっくり返ってしまったのだ。
だから――僕が変わったのは古閑さんのせいだ。
君が僕を変えたのに、変わった僕を責めるなんて。
本当に、古閑さんはひどい人だ。