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本当に勘弁してほしいと、三分間で十回くらい言ったのだけど、僕の言うことなど聞き入れられるはずもなく、僕たちはカラオケに来た。ちなみに、この後に予定があったはずの白雪さんも当たり前のように一緒に来た。多分、あれはただの方便だったのだろう。
本来ならみんなでどうぞ楽しんで、と家に帰るところなのだけど、古閑さんの彼氏という設定になってしまっている建前上、無下に誘いを断ることもできなかった。
テンションの高い北風君と、仲直りして楽しそうな女子二人を眺めながら、マラカスとタンバリンを振って歌うことから逃げ続けること、一時間。
そろそろ北風君による「俺と春海の熱傷メドレー」という謎の企画が始まりそうだったので、僕はこっそりと廊下に逃げ出していた。慣れないことを続けたせいか、体が鉛のように重い。今すぐ家のベッドに横になりたい気分だ。
クラスのみんなは、毎日こんなハードな遊びをしているのか……タフだな。
「きもちわる……」
ファミレスからずっと、胃の辺りが気持ち悪い。胸の辺りに綿が詰まっている感じがして、思考が鈍る。体調を崩しただろうか。
廊下に置いてるソファに座り、目をつぶる。いろんな部屋から漏れ聞こえる調子はずれな歌声と歓声のセッションが、段々とさざ波の音色のように心地よく僕を睡眠へといざなってくれる。ほんの少し……ほんの少しだけ、眠ろう……。
と、その時。
「いた」
僕に向けられた声が、入眠を阻んだ。
白雪さんだ。
「うわ、もしかして寝ようとしてた? カラオケ来て? そんな人いるの?」
「……目の前にいるでしょ」
「珍獣じゃん珍獣。写真撮っとこっと」
「カメラのフラッシュを怖がる子なので、撮影はご遠慮ください」
「ぷっ、春海君って冗談言うんだ」
適当に会話を交わしながら、僕は考える。
彼女は「いた」と言った。つまり何か目的が合って、僕を探しに来たということだ。
もしかして「俺と春海の熱傷メドレー」が始まるのだろうか。それだけは勘弁してほしい。
「春海君さー」
「やらないよ、メドレーは」
「ぶっちゃけ彼氏じゃないっしょ」
「……」
黙って、しまった。あまりに唐突に、芯を食ったことを言われて、対処ができなかった。
「その反応、やっぱ当たりかー」
「……いつから」
「気づいてたって? 割と最初の方からかな」
「どうして」
「んー、親友としての勘?」
「だったら」
僕は問う。
「どうしてこんな嘘に付き合ってくれたの」
「彼氏じゃなくても、特別な関係だってことは分かったからかなー」
白雪さんが隣に座った。わずかにソファが沈んで、甘い香りがふわっと漂った。
「別に彼氏じゃなくても、二人が大切な何かを共有してることだけは分かった。それがきっと、最近私とちょっと距離がある理由だってことも。だったらまぁ、いいかなって」
だって嫌われたわけじゃないんだもん、と白雪さんは笑った。
全部、バレていたのか。なんだか気を張って嘘の設定を貫いていた僕が馬鹿みたいだ。
「あ」
「なに、どしたの」
「だったら僕、カラオケ来なくても良かったじゃん……」
「あは、たしかに。まー私たちを騙そうとした罰ってことで」
そう言われると、返す言葉がない。
「ありがとね、春海君。私と、翠のために、色々頑張ってくれて」
「別に大したことしてないよ」
「嘘だー。春海君絶対こういうことしないタイプでしょ。あんま喋ったことないけど、それくらい私にも分かるよ」
ひときわ調子はずれな歌が聞こえてきた。
声の主が北風君だと分かって、僕と白雪さんは目を見合わせて、ちょっと笑った。
「戻ろっか、そろそろ」
「僕は遠慮しとく。メドレーだけはやりたくないし」
「まぁまぁそう言わず。やってみたら以外も楽しいかもだよ?」
「それだけはないと思う」
「あぁ、そうだ」
部屋に戻る道すがら、思い出したように白雪さんが振り返る。
「翠と春海君。二人が何を共有してるのか、なにを隠してるのか、それはもう聞かない。追求しない。でも、一つだけ教えて欲しいの」
白雪さんが問う、簡潔に。
「結局二人って、どういう関係なの? たしかに付き合ってはなさそうだけど、その割には親密だし。かといって、友達って感じの距離感じゃない気もするし」
簡潔で、そして難しい質問だった。
白雪さんの言う通りだ。彼氏ではない。かといって友達かと言われれば、疑問が残る。親友ではもちろんないし、戦友というのもどこか違う。
はっきりと形容できる敬称が見当たらず、だからこそ白雪さんも気になるのだろう。
僕は、古閑さんと出会ったころからのことを思い返した。
須々木さんに頼み込み、特例で自死薬をもらって、あろうことかそれを交換した。
互いに、互いを殺せる薬を持っていて、握り合っていて、それを周囲にひた隠しにしている。
こういう関係を、いったいなんと呼べばいいのだろうか。なにかいい呼び名はあるだろうか。
自分の頭の中の辞書を必死にめくり、あれでもないこれでもないと、ページをめくり続け、
「そうだな」
ようやく一つ、それらしい単語を見つけた。
よくよく考えてみれば、何一つ形容できてない気もするし、的外れな気もするけれど。
だけどなんとなく、僕たちの関係性を表すには、この言葉がふさわしいんじゃないかと思った。
「共犯者、かな」
※
結局僕たちは、高校生が遊べるギリギリの時間まで遊んで、お開きとなった。
僕と古閑さんは家が同じ駅にあるので、二人で帰路を辿る。
足が重い。泥の中を進んでいるみたいだ。
途中から感じていた体の不調は既にピークを通り越していて、脱力感を通り越して不快感へと変わっていた。これはちょっと、マズいかもしれない。
「今日は、ありがと。その……色々と」
珍しく古賀さんが素直にお礼を言っているのに、言葉を返す元気もなく、僕は力なく「うん」と頷いた。
「正直、助かった。あんたの提案がなかったら、どうしたらいいか分からなくて、ずっと学校行けないままだったかも」
「うん」
「でもさ、ずるいよ。あんたの『死ぬまでにやりたいこと』、また私のために使ってさ。これじゃ全然フェアじゃない」
「うん」
「次。次は絶対、あんたがやりたいことやって。私、どんなことでも付き合うから」
「うん」
「……ねえ」
古閑さんが立ち止まる。
僕も立ち止まる。
立ち止まれば、もう二度と歩き出せない気がした。
「なんか気に食わないことがあるなら、はっきり言いなさいよ」
「なにも、ないよ」
「嘘。あんたずっと上の空じゃん。何聞いても生返事しかしないし。そりゃ……あんまり好きじゃないのにカラオケまでつき合わせたのは悪かったとは思ってるけど……」
「……ごめん」
「ちょっと、今私が謝ってたでしょ。なんであんたが謝んのよ。大体、悪くないことで謝るなって何度言えば――」
「ごめん、古閑さん……。そうじゃなくて……」
抗いきれない不快感が、体の内をひっかき回した。
何か言おうと口を開けば、別のものが出てしまいそうだった。
必死に嚥下を繰り返すけれど、不規則な痙攣を起こし始めた内臓の前には、成す術もない。
「……え? ちょ、ちょっと、春海? あんたすごい顔色――」
「限界、みたい……」
そして僕はその場で崩れ落ち、嘔吐した。
古閑さんのあわてふためく声が、どこか遠くから聞こえるようだった。