自分でも思っている。僕は、現実的な思考をする人間だと。
だが今日こそ、自分のアイデンティティを見直すべきかな、と歩きながらぼんやり考える。
二言三言会話をして、母と互いの認識を共有すると、逃げるように背を向けた。覚束ない足取りで、みんながいる部屋まで戻った。母からの告白はあまりにも衝撃的で、頭の中は真っ白だし記憶が所々歯抜けだ。このところ続いていた不可思議な出来事の数々に、脳の思考中枢がついに悲鳴を上げたとでもいうべきか。
毛布にくるまり、自分の思考能力では処理不能な内容を、ああでもない、こうでもないと考える。増えたのが僕なのか。じゃあ、ここにいる僕は誰だ、と混乱を極めて思わず頭をぶんぶんと振った。
先ずは明日。そう考えて、睡魔が思考をむしばんでいくのを待ち続けた。
◇
翌朝。昨日と同じように会議室に集まって、朝食――といっても、コンビニで仕入れていたおにぎりや総菜の残りだ。たいした物はないのだが――を食べ終えひと心地ついたあたりで、僕は話を切り出した。みんなの反応は、なんとも名状しがたいものだ。頼んでもいないのに手品を披露したあと、とでもたとえるべきか。どう反応してよいものかと、手探りの感情が向けられている。
「母親だって? それ本当なのかよ?」
最初に発言をしたのはやはり真人だ。気まずい空気を打破せねば、という、強迫観念めいたものかもしれないが。
「うん。本当だ。確証がなかったので、すぐ言い出すことはできなかったけれど」
「そっか。都の両親は、小学三年生のころに離婚していたんだものね。それなら、すぐ気がつかないのも無理はないかも」
言葉を選んで、会話を繋げたのは涼子だ。光莉も納得した顔でこくりと頷く。
「ま、そういうことさね。離れていた時期が長いのだし、あんまり都を責めないでやってくれ。むしろ、私がすぐ名乗り出たら良かったのかもしれないけどね」
くすんだ色の白い壁に寄りかかり、煙草をくゆらせながら母が言う。
どこまで伝えるのか、という相談は、昨晩のうちに済ませておいた。洗いざらいぶちまけるつもりだったが、一点だけ情報を伏せることにした。
僕が、一度死んでいる――かもしれない――ということ。これだけは、夏南に訊いて最終確認をしなくちゃならない。どういった経緯かは知らないが、僕はいまこうして生きているのだから。確証のない情報は、みんなをイタズラに混乱させるだけだ。
それなのに、アイツは今どこで何をしているのか。
「ということはさ、お母さまがこの場所に来たのはもしかして都くんのことを追いかけて? あ、でも。私たちがあとから来たんだからそれはないか」
たどたどしい声。だが、光莉の疑問はもっともだ。複雑な事情を抱えていた人間が、わざわざ山登りなんて不自然極まりない。
「観光だという話を疑われるのはもっともだね」
短くなった煙草を、テーブル上の灰皿で母がもみ消した。
「観光であると同時に、またちょいと違うのかも。自殺まで覚悟したうえで、踏みとどまった人生だ。さて、どうしたもんかな、と考えた挙句、懐かしい思い出が詰まっている場所を、巡って歩こうかなと。そう思ったわけさね。この悠久の木がある場所はね、都の奴がすれた子どもになっちまう前に、一緒に訪れた場所だったから」
「すれた子どもは余計だ」
「事実だろうに」
僕の返しに、複雑な笑みで母が応じた。
こいつはもちろん、でっち上げた話だ。悠久の木がある場所に来れば、死んだはずの、僕と会えるんじゃないかと思ったそうだ。皮肉にも、その通りになったわけだが。
一度死のうと思った人間が、思い出の場所をめぐる。走馬灯でも見るかのような、センチメンタルな考えがなかったとも言い切れないが。
「なるほど、事情はわかりました。それで、これからどうするつもりですか?」
現実的な話題に戻したのは涼子だ。犯罪の話を耳にした以上、市議会議員の娘であると同時に、正義感の強い彼女としては看過できない。
「まあ、そうさね……」
涼子の問いは少々言葉が欠けていたが、母は争点を理解したのだろう。どこか自虐めいた口調で語り始める。
「私が無実の罪だとうったえたところで、すんなり信じてもらえるとは思っていない。だからこそ、これまで逃げ続けてきたんだしね。けど、逃げているだけじゃ何も始まらないし、逃亡の末に新たな罪を重ねるなんて言語道断」
数百万にもおよぶ借金に、実際のところ返済の目途はない。
離婚をして、のこのこ帰ってきた娘が、事業に失敗して何百万も借金があるなんて打ち明けたら、実家の親や親戚一同にどんな顔をされるかわからない。下手したら、絶縁どころじゃ済まないかも。
母の苦悩は、沈んだ声にも滲んでいた。
「私はね。心のどこかであの男――まあ、離婚した旦那のことなんだが――よりマシだと思ってたんだよ。……でも、そうじゃない。道筋や結果はどうあれ、大事なのは真剣に自分の人生と向き合うことなんだ。自分の成すべきことを成さずに、命を捨てようとした私のなんと嘆かわしいことか。そんな当たり前のことを、この歳になってようやく悟るなんてね」
誰も、口を挟むことはできなかった。
「なあに、今さら悪あがきなんてしないよ」
「こんな大人になるんじゃないよ」と話を締めくくった母は、結局どうするか明言を避けた。
道が定まっていないのではなく、あえて口にしなかったのだろうな、と思う。
人生というものは、一生懸命になれるタイミングを待つのではなく、どんなに泥臭くても都度一生懸命に足掻くことだと悟った母に、もう死角はないのだろう。
安易に死を選ぶことで、自分の浅はかさを知った母。
今度は僕が、自分の運命と向き合う番なのだ。
後悔のない、選択をしなくちゃならない。
早朝。一縷の望みをかけて、僕は悠久の木の元に行った。そこには予想もしていなかった先客がいた。
「真人」と背中から声をかけると、「おお、やっぱりお前も来たか」と、まるで僕が来るのを予見していた顔で真人が笑った。
「朝五時だと、やっぱりちょっと冷えるな」と羽織ったパーカーのチャックを少し上げた彼。だがそこに、僕たちが望んでいた夏南の姿は無かった。
どこいっちまったんだよ。
もう、僕は逃げない。今度夏南と出会えたときは、意を決して尋ねようと思う。六月のあの日、何があったのか全て教えてくれと。
――ピンポーン。
短い沈黙を破ったのは、集会所の中に響いた音だ。とたん、静寂した空気が緊張をはらんだ物に変化した。
この建物に呼び鈴なんてあったんだな、と馬鹿げたことを一瞬思うが、問題はそこじゃない。
「来客? っていうかさあ。誰? 俺ら無断でこの場所使ってるしこれヤバいんじゃ?」
「いや……。昨日父さんに伝えておいたし、無断ってわけでもないよ。もっとも、直接言ったわけでもないけどさ」
血の気が引いた顔をしている真人に涼子が答える。が、一見平静を装っているようで、彼女の声も震えていた。
ところが、二人以上に過剰な反応を見せたのは母だ。「静かに」とみんなを制する声を発したあと、窓際に寄って外の様子を油断なく窺う。それから、慌てたように頭を引っ込めた。
「どうしたんだよ――」と言いかけたところを今度は目で制される。「動かないで」と。
「昨日の夜。家に電話をしたのはそっちの娘だったねえ? アンタ、いったい何者だい?」
母の視線が流れた先は、涼子だ。
「……私?」
「彼女なら、市議会議員である南家の長女だよ」
「なるほど……。そういうカラクリかい」
「ちょっと待って、それだけじゃ意味がわからない。というか、出なくていいのかよ?」
「さあ、どうしようかねえ。おそらく、話し合って通じる相手でもないし」
物騒な発言が飛び出したことに慄き、今さらのように僕らはその場にしゃがみこんだ。
ピンポーン、と二度目のチャイムが鳴る。
「結婚詐欺師の元を訪れたとき、すでに彼は死んでいた。そう説明したね」
無言で頷いた。
「私が殺していないとしたら。さて、どうだろう? 他に犯人がいる、という話になるんだ」
「そりゃあ、必然的にそうなるだろうな。って、まさか……?」
「南さんとやら?」
「あ、はい」
母は、僕の質問に答えることなく、話の水を涼子に向けた。
「昨日家に電話をしたとき、私のことも話したかい?」
「あ、はい……! 大人の女性が一緒にいるので、心配は要らないよと。そう伝えました。なんせ家の親は心配性なもので」
「それで全部わかった。ヤクザの情報網とやらをちょいと舐めていたね。そうか、私の名前一個くらい、簡単に浮上してくるか」
「ヤクザもん……!」
くぐもった母の声に、真人が驚嘆で返す。
「声が大きい。結婚詐欺師がちょろまかした被害者の中に、ヤクザもんの妹が混ざっていたんだよ。彼女がまた派手にむしり取られたらしくてねえ。金だけじゃなくて、心も」
段々事情がのみ込めてきたことで、ごくりと喉を鳴らした。そんな小さな音でさえ、静まり返った室内には過剰に響いた。
「あこぎな商売だ。相応に恨みを買っていたというわけさね。これは仮定の話になる。もし、その女の兄が犯人であるとしたら、いま現在一番の容疑者である私が、罪をかぶったまま死んでくれたほうが、色々と都合がいいだろうしねえ。こういう事態を予測してなかったわけでもないが……しくったね」
「死んでくれたほうがって……おい!」
静かに、とでも言うように、母が唇に指を当てた。
「来訪者は、黒いスーツの男が四人だ。彼らが警察であったなら、素直に任意同行には応じるさ。違ったとしたら……。まあ、やれるとこまで足掻いてみるさ。争う音が聞こえてきたら、私に構わず裏口から逃げな」
そう言って、母が建物の奥側に視線を向ける。ピンポーンという三度目のチャイムと同時に部屋を出ていった。
「はーい。今出るから急かすんじゃないよ。せっかちな男は嫌われるんさね」
だが今日こそ、自分のアイデンティティを見直すべきかな、と歩きながらぼんやり考える。
二言三言会話をして、母と互いの認識を共有すると、逃げるように背を向けた。覚束ない足取りで、みんながいる部屋まで戻った。母からの告白はあまりにも衝撃的で、頭の中は真っ白だし記憶が所々歯抜けだ。このところ続いていた不可思議な出来事の数々に、脳の思考中枢がついに悲鳴を上げたとでもいうべきか。
毛布にくるまり、自分の思考能力では処理不能な内容を、ああでもない、こうでもないと考える。増えたのが僕なのか。じゃあ、ここにいる僕は誰だ、と混乱を極めて思わず頭をぶんぶんと振った。
先ずは明日。そう考えて、睡魔が思考をむしばんでいくのを待ち続けた。
◇
翌朝。昨日と同じように会議室に集まって、朝食――といっても、コンビニで仕入れていたおにぎりや総菜の残りだ。たいした物はないのだが――を食べ終えひと心地ついたあたりで、僕は話を切り出した。みんなの反応は、なんとも名状しがたいものだ。頼んでもいないのに手品を披露したあと、とでもたとえるべきか。どう反応してよいものかと、手探りの感情が向けられている。
「母親だって? それ本当なのかよ?」
最初に発言をしたのはやはり真人だ。気まずい空気を打破せねば、という、強迫観念めいたものかもしれないが。
「うん。本当だ。確証がなかったので、すぐ言い出すことはできなかったけれど」
「そっか。都の両親は、小学三年生のころに離婚していたんだものね。それなら、すぐ気がつかないのも無理はないかも」
言葉を選んで、会話を繋げたのは涼子だ。光莉も納得した顔でこくりと頷く。
「ま、そういうことさね。離れていた時期が長いのだし、あんまり都を責めないでやってくれ。むしろ、私がすぐ名乗り出たら良かったのかもしれないけどね」
くすんだ色の白い壁に寄りかかり、煙草をくゆらせながら母が言う。
どこまで伝えるのか、という相談は、昨晩のうちに済ませておいた。洗いざらいぶちまけるつもりだったが、一点だけ情報を伏せることにした。
僕が、一度死んでいる――かもしれない――ということ。これだけは、夏南に訊いて最終確認をしなくちゃならない。どういった経緯かは知らないが、僕はいまこうして生きているのだから。確証のない情報は、みんなをイタズラに混乱させるだけだ。
それなのに、アイツは今どこで何をしているのか。
「ということはさ、お母さまがこの場所に来たのはもしかして都くんのことを追いかけて? あ、でも。私たちがあとから来たんだからそれはないか」
たどたどしい声。だが、光莉の疑問はもっともだ。複雑な事情を抱えていた人間が、わざわざ山登りなんて不自然極まりない。
「観光だという話を疑われるのはもっともだね」
短くなった煙草を、テーブル上の灰皿で母がもみ消した。
「観光であると同時に、またちょいと違うのかも。自殺まで覚悟したうえで、踏みとどまった人生だ。さて、どうしたもんかな、と考えた挙句、懐かしい思い出が詰まっている場所を、巡って歩こうかなと。そう思ったわけさね。この悠久の木がある場所はね、都の奴がすれた子どもになっちまう前に、一緒に訪れた場所だったから」
「すれた子どもは余計だ」
「事実だろうに」
僕の返しに、複雑な笑みで母が応じた。
こいつはもちろん、でっち上げた話だ。悠久の木がある場所に来れば、死んだはずの、僕と会えるんじゃないかと思ったそうだ。皮肉にも、その通りになったわけだが。
一度死のうと思った人間が、思い出の場所をめぐる。走馬灯でも見るかのような、センチメンタルな考えがなかったとも言い切れないが。
「なるほど、事情はわかりました。それで、これからどうするつもりですか?」
現実的な話題に戻したのは涼子だ。犯罪の話を耳にした以上、市議会議員の娘であると同時に、正義感の強い彼女としては看過できない。
「まあ、そうさね……」
涼子の問いは少々言葉が欠けていたが、母は争点を理解したのだろう。どこか自虐めいた口調で語り始める。
「私が無実の罪だとうったえたところで、すんなり信じてもらえるとは思っていない。だからこそ、これまで逃げ続けてきたんだしね。けど、逃げているだけじゃ何も始まらないし、逃亡の末に新たな罪を重ねるなんて言語道断」
数百万にもおよぶ借金に、実際のところ返済の目途はない。
離婚をして、のこのこ帰ってきた娘が、事業に失敗して何百万も借金があるなんて打ち明けたら、実家の親や親戚一同にどんな顔をされるかわからない。下手したら、絶縁どころじゃ済まないかも。
母の苦悩は、沈んだ声にも滲んでいた。
「私はね。心のどこかであの男――まあ、離婚した旦那のことなんだが――よりマシだと思ってたんだよ。……でも、そうじゃない。道筋や結果はどうあれ、大事なのは真剣に自分の人生と向き合うことなんだ。自分の成すべきことを成さずに、命を捨てようとした私のなんと嘆かわしいことか。そんな当たり前のことを、この歳になってようやく悟るなんてね」
誰も、口を挟むことはできなかった。
「なあに、今さら悪あがきなんてしないよ」
「こんな大人になるんじゃないよ」と話を締めくくった母は、結局どうするか明言を避けた。
道が定まっていないのではなく、あえて口にしなかったのだろうな、と思う。
人生というものは、一生懸命になれるタイミングを待つのではなく、どんなに泥臭くても都度一生懸命に足掻くことだと悟った母に、もう死角はないのだろう。
安易に死を選ぶことで、自分の浅はかさを知った母。
今度は僕が、自分の運命と向き合う番なのだ。
後悔のない、選択をしなくちゃならない。
早朝。一縷の望みをかけて、僕は悠久の木の元に行った。そこには予想もしていなかった先客がいた。
「真人」と背中から声をかけると、「おお、やっぱりお前も来たか」と、まるで僕が来るのを予見していた顔で真人が笑った。
「朝五時だと、やっぱりちょっと冷えるな」と羽織ったパーカーのチャックを少し上げた彼。だがそこに、僕たちが望んでいた夏南の姿は無かった。
どこいっちまったんだよ。
もう、僕は逃げない。今度夏南と出会えたときは、意を決して尋ねようと思う。六月のあの日、何があったのか全て教えてくれと。
――ピンポーン。
短い沈黙を破ったのは、集会所の中に響いた音だ。とたん、静寂した空気が緊張をはらんだ物に変化した。
この建物に呼び鈴なんてあったんだな、と馬鹿げたことを一瞬思うが、問題はそこじゃない。
「来客? っていうかさあ。誰? 俺ら無断でこの場所使ってるしこれヤバいんじゃ?」
「いや……。昨日父さんに伝えておいたし、無断ってわけでもないよ。もっとも、直接言ったわけでもないけどさ」
血の気が引いた顔をしている真人に涼子が答える。が、一見平静を装っているようで、彼女の声も震えていた。
ところが、二人以上に過剰な反応を見せたのは母だ。「静かに」とみんなを制する声を発したあと、窓際に寄って外の様子を油断なく窺う。それから、慌てたように頭を引っ込めた。
「どうしたんだよ――」と言いかけたところを今度は目で制される。「動かないで」と。
「昨日の夜。家に電話をしたのはそっちの娘だったねえ? アンタ、いったい何者だい?」
母の視線が流れた先は、涼子だ。
「……私?」
「彼女なら、市議会議員である南家の長女だよ」
「なるほど……。そういうカラクリかい」
「ちょっと待って、それだけじゃ意味がわからない。というか、出なくていいのかよ?」
「さあ、どうしようかねえ。おそらく、話し合って通じる相手でもないし」
物騒な発言が飛び出したことに慄き、今さらのように僕らはその場にしゃがみこんだ。
ピンポーン、と二度目のチャイムが鳴る。
「結婚詐欺師の元を訪れたとき、すでに彼は死んでいた。そう説明したね」
無言で頷いた。
「私が殺していないとしたら。さて、どうだろう? 他に犯人がいる、という話になるんだ」
「そりゃあ、必然的にそうなるだろうな。って、まさか……?」
「南さんとやら?」
「あ、はい」
母は、僕の質問に答えることなく、話の水を涼子に向けた。
「昨日家に電話をしたとき、私のことも話したかい?」
「あ、はい……! 大人の女性が一緒にいるので、心配は要らないよと。そう伝えました。なんせ家の親は心配性なもので」
「それで全部わかった。ヤクザの情報網とやらをちょいと舐めていたね。そうか、私の名前一個くらい、簡単に浮上してくるか」
「ヤクザもん……!」
くぐもった母の声に、真人が驚嘆で返す。
「声が大きい。結婚詐欺師がちょろまかした被害者の中に、ヤクザもんの妹が混ざっていたんだよ。彼女がまた派手にむしり取られたらしくてねえ。金だけじゃなくて、心も」
段々事情がのみ込めてきたことで、ごくりと喉を鳴らした。そんな小さな音でさえ、静まり返った室内には過剰に響いた。
「あこぎな商売だ。相応に恨みを買っていたというわけさね。これは仮定の話になる。もし、その女の兄が犯人であるとしたら、いま現在一番の容疑者である私が、罪をかぶったまま死んでくれたほうが、色々と都合がいいだろうしねえ。こういう事態を予測してなかったわけでもないが……しくったね」
「死んでくれたほうがって……おい!」
静かに、とでも言うように、母が唇に指を当てた。
「来訪者は、黒いスーツの男が四人だ。彼らが警察であったなら、素直に任意同行には応じるさ。違ったとしたら……。まあ、やれるとこまで足掻いてみるさ。争う音が聞こえてきたら、私に構わず裏口から逃げな」
そう言って、母が建物の奥側に視線を向ける。ピンポーンという三度目のチャイムと同時に部屋を出ていった。
「はーい。今出るから急かすんじゃないよ。せっかちな男は嫌われるんさね」