「本音と建前って、みんなあると思うんだ。本心ばかり口に出すわけじゃない。テキトーに誤魔化したり、噓をついたりする」

 支離滅裂な私の話を静かに聞いてくれた楓先輩の瞳に呆れの色はなく、ただ包み込むような優しさだけがある。ひとつひとつ、ゆっくりと言葉を選ぶようにして話す彼の瞳を、私はじっと見つめていた。

「でも、それが全部悪いとは思わない。誰だって隠したいことはあるし、言わなくていい事実だってあるはずだから。言いたくないことを無理に言う必要はないし、それを暴く権利なんて誰にもない」

 月明かりに照らされた先輩が、どこか辛そうな顔をしてそう言った。それに、と続ける。

「菜々は、相手を傷つけるような噓は言わないだろ」

 普段寡黙でクールと言われている楓先輩が、私のために真剣に考えてくれている。それだけじゃなく、今日初めて話したはずの先輩が、私のなにもかもを知っているように断定した。

どうしてだろう? そんなふうに言ってもらえるほど、私との接点があったわけじゃないはずなのに。

「話してみればいい。俺に話したように」
「……え?」
「言いたくないことまで言う必要はない。全部を話せなくて申し訳なく思ってることも、橘さんの恋を本気で応援したいと思ってることも、噓をついて後悔している気持ちも、今話しただけで、俺にはちゃんと伝わった。それを、橘さんにそのまま話せばいいんじゃないか?」

 そうなのかな。全部を打ち明けられなくても、言える範囲で話を聞いてもらうだけでもいいのかな。

 正解なんてなくて、なにを選んでも後悔することがあるかもしれない。だけど、京ちゃんのことが大好きだからこそ、嫌われたくなくて色々考えてしまう。

『話したくないなら、もういい』

 電話口の京ちゃんの硬い声が蘇り、俯いて唇を噛んだ。

「……上手に、伝えられるかな」
「相手に真剣に向き合えば、きちんと伝わると俺は思う。うまく話そうとしなくても、彼女ならわかってくれるんじゃないか? 『サバサバしてて、気取ってなくて、めちゃくちゃいい子』なんだろ?」

 からかうような声音に、思わず顔を上げた。

 それは、私が必死に京ちゃんをアピールしようと、昼間に私が言ったセリフ。

 口の端を上げて笑った楓先輩に背中を押された気がして、私は大きく頷いた。


 翌日。登校して真っ先に京ちゃんに謝りたいと探していると、彼女の方から「ごめん!」と頭を下げられた。

「菜々は私のために色々協力しようとしてくれたのに、あんな態度悪い感じで電話切るなんて最低だった。ほんとにごめん」

 てっきり私が誤魔化すような噓をついたのを怒っていると思っていたのに、まさか先に謝られてしまうなんて。

「ううん。私の方こそごめんね。京ちゃんは私を信頼して色々話してくれたのに、私は上手に話せなくて」
「菜々は謝ることないよ。友達だからって、なんでも話さなきゃいけないなんてことないもん」
「うん。自分でもまだ整理がついてなくて、誰にも言えないことがあって。京ちゃんを信頼してないとかじゃなくて、ただ、どうしても言葉にできなくて……」

 まだ父親の再婚についての葛藤を言葉にして伝えられる自信がないし、誰かに話す気になれないのが正直な気持ちだ。考えるだけで苦しくなって、息がうまく吸えなくなる。そんな情けない自分を晒け出すのも恥ずかしい。

 私の表情を見た京ちゃんが焦ったように首を振り、慰めるように肩に手を置いた。

「大丈夫だよ。無理に話さなくても」
「でもね、全部をうまく話せないかもしれないけど、京ちゃんに聞いてほしい話があるの。私、噓をついてた」

 楓先輩に対する気持ちを自分で認めた今、一番に京ちゃんに打ち明けたいと思った。大きく息を吸って、ゆっくり吐く。本人に告白するわけじゃないのに、緊張で手がじんわりと汗ばんだ。

「わ、私ね、楓先輩が……好き。ちゃんと、恋愛的な意味で、好き」

 好き。好き。言葉にしてしまったら、もう止められない。

 初めて出会った時のあの優しさと、学校でのクールな雰囲気のギャップが気になっていた。

 それから目で追うようになって、めちゃくちゃカッコいい外見も、近寄りがたいほど寡黙で凛とした立ち姿も、日野先輩と一緒にいる時の砕けた表情も、全部に惹きつけられた。

 自分じゃつり合わないとか、いつかは気持ちが変わってしまうとか、色々言い訳を並べて認めないようにしてきたけど、実際に彼と話してみたらもうダメだった。

 友人に対する信頼の厚さも、初対面の後輩に対する優しさも、名前を呼ぶ低くて甘い声も、決めたらすぐ動く行動力も、悩みを真剣に聞いてくれる真剣な眼差しも、全部が私の心臓を潰しにかかってくる。

 言うことやることすべてがカッコよく見える。これはもう、見て見ぬフリなんてできなかった。

 好き。好き。振り向いてもらえる可能性が宝くじの当選よりも低くても、好き。

 私がぽつりと零した本音を、京ちゃんは目を瞠って聞いている。

「本当は、たぶん初めて見たときからずっと好きだったの。でも、私なんかが楓先輩を好きなんて言えなくて……」
「ねぇ。昨日も思ったんだけど、〝私なんか〟ってなに?」
「え?」

 京ちゃんはネコのようなくりっとした目で私をじろりと睨む。

「菜々は私の大切な友達なの。高校で初めてできた親友なの。〝なんか〟呼ばわりするなんて、菜々本人でも許せない。菜々を貶めるのは、菜々を大好きだって思ってる私のことも貶めてるのと一緒だよ」
「京ちゃん……」
「菜々は変に目立つ私を特別扱いせずに接してくれた初めての友達だよ。優しくて可愛くて、私の自慢の親友なんだから。って、もー! 朝っぱらからこんな恥ずかしいこと言わせないでよ―!」

 両手を当てた頬はほんのり赤くなっていて、京ちゃんが照れながらも本心を伝えてくれたのだとわかる。

 そっか。私が自分に自信がないと、私を好きでいてくれる人を悲しくさせちゃうんだ。

 京ちゃんが言ってくれたみたいに、自分を優しくて可愛いだなんて思えない。

それでも、京ちゃんがそう思ってくれるなら、私はそういう自分になれるように頑張りたい。

 美人で、優しくて、可愛くて、京ちゃんと親友なのを自慢したいのは私の方。思わずぎゅうっと抱きつきにいく。

「ありがとう、京ちゃん」
「ふふ、なんか照れるね」
「うん。でも嬉しい」
「ねぇ、菜々。もうひとつ聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「あっ、テスト勉強のことだよね?」

 抱きついていた腕を緩めて京ちゃんを見上げると、ぐっと顔が近づいてきた。美人はどれだけ近くで見ても美人だな、なんて感心していると。

「四人でテスト勉強するのも、もちろんめちゃくちゃ楽しみなんだけど。それとは別に、菜々はいつの間に佐々木先輩を『楓先輩』なんて呼んでるわけ?」
「えっ」
「なによ、もしかして……もう付き合ったりしてるの?」
「そっ、そんなわけないじゃん! 名字が一緒で呼びづらいから名前でいいよって言われたからで……」
「え? それは佐々木先輩から言ってくれたってこと?」
「うん」
「じゃあ、佐々木先輩は菜々のことなんて呼んでるの?」
「……な、菜々って」
「きゃー!」

 握りこぶしを上下にブンブン振りながら黄色い声で叫ぶ京ちゃんを慌てて止める。教室中の視線が一気にこちらに向いた気がした。興奮気味の京ちゃんはそんなことお構いなしに、さっきよりも頬を上気させながら私の顔を覗き込んでくる。

「ちょっと! これは事情聴取が必要よね」
「な、なに、事情聴取って……」
「ちゃっかり名前で呼び合ってるなんて、私より菜々の方がよっぽど進展してるじゃん!」
「うぅ……そんなんじゃないってばぁ」

 呼び方ひとつでこの調子じゃ、昨日電話で話したあげく家の近くまで来てくれたと話したら、学校中に響き渡る声で叫ばれてしまいそうだ。

「それより、テスト勉強の予定も決めて先輩たちに送らないと」
「そっか。じゃあその相談も兼ねて、放課後にたくさん話そう! 菜々と恋バナできるなんて、めちゃくちゃ嬉しい!」

 満面の笑みの京ちゃんを見て、私も嬉しくなる。

『うまく話そうとしなくても、彼女ならわかってくれるんじゃないか?』

 昨日楓先輩が言っていた通りだった。全部をうまく話そうとしなくても、相手に真剣に向き合えば、きちんと伝えられる。

 昨日『気負わずに頑張れ』と言い残し、クロスバイクに跨って遠ざかっていった背中を思い出すと、また心臓がきゅうっと甘く痺れた。