初めて母親に心の声について尋ねた日のことを、いまだに覚えている。
手を繋いでいるときだけ声が二重で聞こえてくるのが不思議だった。
食べたいものを聞かれて「からあげ!」と答えたら、母は「いいわね」と微笑んだ。けれど同時に『こんな時間から揚げ物をしろっていうの?』と怒っている声も聞こえたのだ。
母だけじゃない。保育園の先生と手を繋いで鬼ごっこしていた時は「たくさん遊ぼうね」と言いながら『疲れた、少し休みたい』と言っていたし、妊娠していた友達のお母さんのお腹を触りながら性別を尋ねた時は「どっちだろうね?」と言いながら『やっぱり次は男の子がほしいなぁ』と言っていた。
それを伝えると、最初は笑っていた母が徐々に顔を強張らせていった。
その時は「なんだろうね」と曖昧に誤魔化されて終わったが、その声が他の人には聞こえていない声なんだと気付くのに時間はかからなかったし、触れている時にだけ心が読めるのだと認識したのは小学校に上がる前だった。
触れた人の心が読めるというのはかなり厄介な力で、本来なら知り得ないことを知ってしまう。
相手の本心が実際に話している言葉とかけ離れていればいるほど、それを聞いた時の衝撃は大きい。さらにそれが信頼していた人であればなおさらだった。
こんな力があるせいで、自分は不幸だ。親から疎まれ、友達にも気軽に触れられず、恋なんて一生できない。
ずっとそう思って生きてきた。あの日、菜々と出会うまでは――――。
空港から電車とバスを乗り継いで二時間半。昼前にようやく目的地に着いた。
住宅街の中にある広々とした境内を訪れるのはこれで二度目。三回忌法要を終えたばかりの希美の両親がこちらに気付き、小さく微笑んでこちらにやって来た。
「久しぶりね、楓くん。今年も来てくれたのね」
「お久しぶりです。希美に線香あげてもいいですか?」
「もちろんよ。こんな遠いところまでわざわざ来てくれて、希美も喜ぶわ」
「僕たちはこれから会食に行くけど、よかったら楓くんも来るかい?」
「ありがとうございます。でも、四時の飛行機を取ってるので」
まさにとんぼ返りのスケジュールだが、関東と九州の移動距離を考えれば仕方がない。飛行機代だけでなく宿泊費まで両親に工面してもらうのは気が引けた。
家族同士で交流があったため、命日に墓参りに行きたいと告げると反対はされなかったが、さすがに高校生がひとりで宿泊するとなると泊まる場所などの手配に手間がかかる。いい顔をされないのは心を読まなくてもわかりきっていた。
それに明日も平日なので、今日中に帰らなくては二日間学校を休むことになってしまう。それは避けたかった。
残念そうな希美の両親に頭を下げて別れ、敷地内にある原口家の墓へ向かう。
バス停の近くのスーパーで買った小さな花束と、希美が生前好きだったジュースの缶、それから激辛と表示のあるスナック菓子を墓前に供えた。
「久しぶり、希美」
線香をあげ、両手を合わせて彼女に話しかける。
希美の母と俺の母親が仲がよかったのもあり、幼い頃からよく一緒に遊んでいた。俺の母親は働いていたから保育園に、希美の母は専業主婦だったから幼稚園にそれぞれ通っていたが、同じマンションに住んでいたため交流があったようだ。
小学校に入学して少しした頃、俺の能力を完全に理解した両親が俺を恐れつつ疎み始め、仕事を理由に放課後は原口家へ預けられることが多かった。
避けられている。そう理解した時は寂しさや怒りが湧いたが、すぐに諦めて受け入れた。
互いにひとりっ子だったせいで遊び相手ができて嬉しかったし、希美の母は嫌な顔ひとつしないで俺の面倒を見てくれた。
物心がついてからは決して他人に触れないようにしていたから本音はわからないが、実の両親よりも希美の両親の方がよほど優しくて温かい。週に何度かは夕食に呼んでくれたし、テストでいい点数を取ると褒めてくれた。そんな環境だったから、希美とは友だちというより兄妹のように育った。
「今日はさ、報告があるんだ。俺、彼女できた」
照れくさいような、でも誇らしいような気持ちで菜々の顔を思い浮かべた。左側から見上げてくる上目遣いや、はにかんだ笑顔が好きだ。今日一日会えないと思うだけで、物足りなさを感じるほどに。
完全に初恋に溺れているのを自覚し、自分自身に苦笑した。さすがにそんなこと、家族同然の希美にだって話せない。
「希美の参考書を拾ってくれた、あの子だよ」
希美に話しながら、俺は菜々と初めて会った日のことを思い出す。
菜々は事故に遭いそうなところを助けたのが初対面だと思っているが、実はそうじゃない。彼女は覚えていないだろうけど、俺にとっては忘れられない出来事だ。
あれは、希美の四十九日が過ぎた頃。高校受験を直前に控え、通っていた塾からの帰り道。俺は通行人とぶつかってカバンを落とし、中身をぶちまけてしまった。
咄嗟に拾おうとした時、一冊の参考書が目に入った。希美の両親が「楓くんにもらってほしいの。あの子の分まで、受験頑張って」と渡してくれた、希美が使っていたボロボロの参考書だ。
それを見た途端、彼女との思い出が走馬灯のように駆け巡った。
希美は小学生の頃からうちの高校の制服に憧れていて、「あの制服を着て、イケメンの彼氏をゲットしたいの!」という理由で志望校を決定した。うちの高校を受験するには学力が足りていなかったため、俺が部活おわりに彼女の家で勉強を教えていたのだ。
『楓は高校に入ったらなにしたい?』
『別に。変わらず部活で弓道するくらいだろ』
『もっとやる気だして! だって高校生だよ? 青春だよ? 彼女作ればいいじゃん。楓めちゃくちゃモテるのに告白も全部断ってるから、私と付き合ってるんじゃないかって噂まで立ってるんだよ?』
『興味ない』
兄妹のように育った希美にも、俺の能力のことは話さなかった。気を遣われるのは嫌だったし、学校でどう噂されようと、自分に恋愛なんてできるわけがないからどうでもよかった。
部活に弓道を選んだのも、人に触れられずにできるスポーツの中から選んだだけだ。意外にも俺には合っていたようで、なにも考えずに集中できるし、今後も続けようと思っている。
『もったいないなぁ。私が楓くらいモテたら、片っ端から付き合うわ。っていうか、私がモテない一因は楓との噂のせいかもしれない!』
『アホか。人のせいにすんな』
『高校入ったら噂もリセットされるし、可愛い制服着て、髪伸ばしてメイクもして、イケメンと付き合うから! 私が青春を謳歌してたら、楓も恋愛に興味が湧くかもよ? だから絶対同じ高校入って、ラブラブっぷりを見せつけてあげる』
『なんだそれ』
『だって、楓って特定の誰かとつるまないでしょ? 友達がいないわけじゃないのに一匹狼っていうか。姉の立場としては、これでも心配してるんだから』
『誰が姉だよ。俺のが誕生日、先だろ。……青春を謳歌すんのは、この問題解けたらな』
『うわっ、因数分解! 楓の鬼ー!』
希美は優しい両親に愛されて育ったからか、天真爛漫でいい意味で欲望に忠実だった。無邪気に笑う妹のような希美が羨ましくて、少しだけ疎ましく感じたのを覚えている。
学校でも男女ともに友達が多く、受験がうまくいけば彼女の望みは叶うはずだった。
笑ってしまうような不純な動機だったが成績はグングン伸びていき、彼女の両親も喜んでいたのに……。
希美は居眠り運転の車の事故に巻き込まれ、短すぎる生涯を終えた。
事故の日、本当なら一緒に新しい問題集を買いに行くはずだった。だけど俺は友達に呼び止められ、希美を先に本屋へ向かわせた。他愛ない用事だったし、すぐに追いつくつもりだった。
しかし結局十五分ほどかかってしまい、足早に本屋へ向かったが、俺が友達と談笑している間に悲劇は起こった。
それを知った時の絶望と後悔の念は、一生忘れられない。
もしも……もしも俺が約束どおり希美と一緒に本屋へ向かっていたら、希美は死なずに済んだのかもしれない。
運ばれた病院で涙ながらにそう話した俺を、希美の両親はひと言も責めなかった。そして葬儀が終わり、四十九日を迎えたあと、参考書を希美の形見としてくれた。
憧れの制服を着るため、ボロボロになるまで勉強した参考書の持ち主はもうこの世にはいない。もらったものの、一度もページを開くことはできなかった。
あんなに未来に希望を持って必死に頑張っていた希美じゃなく、俺があの場にいれば……。
希美との思い出とともに、悔恨とも自棄ともとれる思いが込み上げてきて、俺は落としたカバンの中身を拾うこともできず、その場に立ち尽くした。
そんな時、道端に散らばった荷物を拾い集めてくれた女の子がいた。最後に参考書を差し出され、その無邪気な親切心に身勝手な苛立ちが募った。
まったく無関係の彼女に八つ当たりをするように、俺はわざと冷たい声を出した。
「俺のじゃない」
「え? でも……」
「その参考書の持ち主は、俺のせいで死んだ」
なんでそんなことを言ったのか、今でもわからない。俯いたまま、拾ってくれた礼も言わずに、ずっと誰にも言えなかった心の鬱憤を吐き出した。
もうどうでもいい。誰になにを思われてもいい。そう思っていたのかもしれない。
「毎日一緒に勉強してた。成績も上がったし、きっと合格できたはずだ。同じ高校に入って、青春するって、見せつけるって、あいつは楽しみにしてたのに……」
希美の天真爛漫な笑顔を思い出すたび、罪悪感に押し潰されそうだった。
俺がひとりで先に行かせたせいで、彼女の命は散った。謳歌するはずだった青春は、寒い冬の真ん中に取り残されたままだ。
希美の事故から、受験勉強すら自責の念で辛かった。教科書や参考書を見るたび、一緒に本屋へ行かなかった自分を責めては虚無感に苛まれる日々。
みんな口に出さないだけで心の中では俺を責めているんじゃないかと思ったら、余計に他人に触れるのが怖くなった。
このまま希美のところへ行くべきなんじゃないか。そう考えてしまうくらい、俺は追い詰められていた。
それを救ってくれたのは、名前も知らない女の子だった。
「あ、あの……この参考書の持ち主は、あなたがそんな辛そうな顔をするのを望んでいないと思います」
その子は、小さく震える声でおそるおそる話しかけてきた。差し出された参考書が小刻みに震えていたけれど、それすらも苛立ちを煽る。
「……は? あんたになにがわかる」
「わ、私にはあなたの事情はわかりません。でも、大切な人を亡くすと辛いのは……よくわかります。その人のためにも一生懸命笑顔でいるべきです。ほら、ここ」
女の子は拾った参考書の最後のページを開き、俯いたままの俺の視線へ差し出した。
そこには、希美の字で『絶対一緒に合格してみせる!』と書かれている。俺は驚いて目を瞠った。そんなところに希美が書いていたなんて、全く気付いていなかった。
視線を上げると、彼女は嬉しそうに微笑んで頷いた。
まるで全てをわかってくれたような、優しく柔らかい微笑みだった。じわりと目頭が熱くなり、一筋の涙が溢れる。
俺が塞ぎ込んでいても、希美は生き返らない。希美は、俺が辛そうな顔をするのを望んでいない。
目の前の女の子の言葉が、ゆっくりと俺の心に沁みていく。あの事故からずっと胸につかえていたものが、涙と一緒に流れていった気がした。
「余計なことを言いました。ごめんなさい」
女の子は俺の手を取り、参考書を持たせると、ぺこりと頭を下げて走り去っていった。
咄嗟のことで、手に触れられたのを振り払うこともできなかったが、彼女の心の声は、言葉にして俺に伝えてくれたもの以上に慈愛に満ちていた。
――――あなたが辛い経験から立ち直れますように。受験、頑張ってください。
そんな心の声に、俺はハッとして顔を上げた。
言葉と心が裏腹だなんて、子供の頃から嫌というほど知っている。何度も裏切られたような気分を味わい、傷ついた。
成長するにつれ本音と建前という言葉を学び、他人に期待せず、相手の本心を覗いてしまわないように、誰にも触れないよう気を張って生きてきた。
だけど、あの子だけは違った。
声に乗せた言葉以上に、心の中だけで俺の幸せを願ってくれた。
どこの誰かも聞けず、お礼すら言えなかったけど、彼女のおかげで俺は希美の死を前向きに受け入れ、彼女の分まで生きようと心に誓った。
他人に触れるのは怖くて、特定の人間以外とは一線を引いている。それでも、いくつかの光を見つけた。
「希美が言ってた青春ってやつ、してると思う。彼女もできたし……親友もいる。菜々と日野は、俺の力を気味悪がらずに受け入れてくれた。生きてる時に話してたら、希美も同じ反応してくれた……よな?」
そう思えるのは、きっと菜々のおかげだ。
『この参考書の持ち主は、あなたがそんな辛そうな顔をするのを望んでいないと思います』
あの菜々の言葉で改めて気がついた。
そうだ。希美は血の繋がった両親よりも家族に近かった。その希美が、俺の能力を気味が悪いと貶めるわけがない。俺が絶望を抱えたまま生きていくのを望むわけがない。
〝あの日、一緒に帰っていれば……〟という後悔は、きっと一生かかっても消えない。だけど、それだけを抱えて罪悪感で潰れるのを彼女は望んでいないと、信じてもいいんじゃないかと思えるようになった。
「今、めちゃくちゃ幸せだよ。だから希美も、そっちでイケメン見つけて幸せになれよ」
最後に墓に手を当てて目を閉じると、満面の笑みで頷く希美が見えた気がした。
再び二時間半かけて空港へ向かう道中、躊躇いなく幸せだと報告できた喜びを噛み締めていた。
希美に話したように、菜々と恋人同士になれて、日野という親友もいる。
両親にさえ疎まれている俺は、誰も本当の自分を受け入れてくれる人間なんていないと思ってた。
高校に合格し、唯一同じ中学からうちの高校に通う日野和樹と親しくなる中で、俺は一大決心をした。
両親以外に打ち明けたことのない秘密を、日野だけに話したのだ。
目立つ容姿の彼は人当たりがよく社交的なため、誰からも好かれていた。中学生の頃から常に周囲には人がいる日野だが、実は繊細でたくさん抱えているものがある。
父親が一流企業の社長で、御曹司という立場なのもそのうちのひとつ。それを俺だけに打ち明けてくれた時、俺も秘密を明かそうと決意した。高一の夏の終わりだった。
人の手に触れると心が読めること、どうしてそんな力が自分にあるのかわからないこと、そのせいで両親との関係が破綻していることなど、包み隠さずに語った。
最後に、もしも気持ち悪いと思うのなら、今後一切近付かないという約束も添えた。
最初は信じられないといった顔をしていた日野だが、俺がずっと周囲と一線を引いていたのを見ていたからか、詳細を語るごとに事実なのだと納得したようだ。
『なんていうか……お前も厄介なもん背負ってるね』
そのシンプルな労いが、どれだけ俺の心を軽くしたか、日野は知らないだろう。
秘密を打ち明けてからも、俺は日野に触れないようにしていた。それは日野を信頼していないからではなく、勝手に心を覗く真似をして彼の信頼を裏切りたくないと思ったからだ。
きっと日野もそれをわかってくれて、近い距離で接しながらも触れないようにしているのだと思う。
そうして、思いの外充実した高校生活の一年目を終えようとしていたところに、俺は再びあの女の子に出会った。
心の中だけで俺の幸せを願い、希美の死を受け入れるきっかけを作ってくれた彼女。もしも会うことができたら、きちんとお礼を伝えたい。できることなら、もう一度あの笑顔を見たい。
そう願っていたのに、再びその子に会えた時、彼女の柔らかな笑顔は鳴りを潜め、今にも泣き出しそうな顔をして歩いていた。
フラフラと進入していった赤信号の横断歩道には、大型トラックが近付いている。大きなクラクションでその事実に気が付いた彼女だが、まるで生きることを諦めているかのようにその場に立ち尽くしていた。
冗談じゃない!
俺は全力で走って彼女の腕を引き、怪我をしないように庇いながら冷たいアスファルトへ勢いよく転がった。無我夢中で痛みは感じなかった。
トラックの運転手が怒声を浴びせるのに頭を下げ、腕の中の彼女の無事を確認すると、呆然としていた彼女は次第にぽろぽろと涙を零し、ひたすらに泣いていた。
『どうして?』
『忘れたくない』
『助けて……』
触れた手から流れ込んできた彼女の心の叫びは、聞いているこちらが辛くなるほど悲痛で深刻だった。
『好きっていう気持ちは、どこへいってしまうの? 死んじゃったら、それで終わりなの……?』
勝手に心の声を聞いてしまったことに罪悪感を覚えながら、それでもアスファルトに座り込んで泣きじゃくる彼女の手を離すことはできなかった。
繋いだままの手から、彼女の家族に対する思いが伝わってくる。繊細で柔らかいがゆえに絡まると簡単には解けない糸のように、彼女の感情はぐちゃぐちゃに絡まっていた。
俺は両親に対してなにも期待していないし、逆に恨んでもいない。ここまで育ててもらった恩があるだけで、ほぼ無関心だ。
そんな俺が、家族を思うがゆえに涙する彼女に言ってあげられることはなにもない。
女の子が瞳に涙をいっぱいためてこちらを見上げてきた。腕の中で泣く彼女に気の利いたひと言も言えないけれど、守りたいという思いを込めて、そっと頭を撫でた。
無責任に大丈夫だとは言えない。けれど、生きていてくれてよかった。そんな思いだった。
彼女を守れるような男になりたい。あの日の笑顔を、もう一度向けてもらうために。
その後、彼女がうちの高校に入学していたと知った時は、柄にもなく運命だと思った。日野に憧れているのかと一瞬焦ったけれど、どうやら友達の恋がうまくいくように協力しているらしい。
きっかけなんて、なんでもいい。名前と連絡先を聞き、どんどん距離を縮めていった。
菜々が悩んでいるのなら力になりたいと、部活終わりに彼女の自宅の方まで行くことも厭わない。
たくさん話して菜々自身のことを知るたびに、その純粋さに惹かれていった。
触れる勇気も力を打ち明ける度胸もないくせに、日野やテスト勉強を口実に一緒の時間を過ごし、彼女を想う気持ちだけがどんどん大きくなっていく。
遊園地でのデート中、菜々からあの事故の日のお礼を伝えられ、黙っていられずに力のことを話した。
父親の再婚にわだかまりを持っていることを親友の橘さんにすら話せていない菜々が、俺に全部知られているという事実を受け止めきれるはずがない。
もう菜々との繋がりは切れてしまうのだと諦めかけたが、彼女は想像を遥かに超えた純真さで、再び俺を救ってくれた。
『あの、先輩。手を……繋ぎませんか?』
口下手な菜々が、精一杯気持ちを伝えようと差し出してくれた小さな手に、溢れるほど大きな優しさが見えた。
俺に対する嫌悪感がないだけじゃなく、可愛らしく戸惑う心の声が次々と聞こえてくる状況に、理性が崩壊寸前だった。
あの日のことを思い出すだけで、勝手に頬が緩む。俺の彼女はこんなに可愛いんだと言って回りたいほど、菜々が可愛くて仕方がない。
考え出すと彼女の声が聞きたくなり、俺は電車を待つ間にスマホを取り出した。
行きの飛行機からずっと電源を切っていたことに気付き、慌てて起動する。学校を休む理由を伝えていなかったから、菜々から体調を心配するメッセージが届いていた。
すぐに電話をかけるが、なかなか出ない。授業中だと思い返し、その後時間をおいて何度かかけてみたが、やはり繋がらなかった。
菜々と想いが通じて以降、平日はもちろん、土日も部活のあとに顔を見るためだけに菜々の家の近くまで行っていたから、丸一日会えないだけで物足りなさを感じる。
「重症だな」
高校二年にしてようやく初恋が実ると、こんなふうになるのか。
自分でも気恥ずかしい感情に振り回されながら、これが希美が言っていた『青春』なんだと可笑しくなった。