十一月二週目の土曜日。お父さんの運転する車で四十分ほど走り、広大な敷地を持つ公園墓地へとやってきた。

 以前住んでいたマンションもこの近くにあり、年に何度かは訪れる場所なため見慣れた景色だ。

 墓石を掃除した後、お母さんが好きだったダリアを使った花束を花立に入れる。真っ白なダリアの花束は、まるで結婚式のブーケのよう。それを持っているのが、ふたり目の妻を迎えたおじさんだなんて似合わなさすぎる。お母さんの命日だというのに、私は刺々しい気分で墓石の前に立った。

 七年前の今日、お母さんは病気でこの世を去った。

 それからずっと命日とお盆、それからお母さんの誕生日には必ずダリアの花束を持って、ふたりでここを訪れている。

 お父さんが再婚してからここに来るのは二回目。今、どんな気持ちでお母さんに手を合わせているんだろう。

『結婚を前提にお付き合いをしてるんだ』

 突然聞かされた話に、頭も心もついていけなかった。頭の中は真っ白で、なにも言葉がでなかった。

 賛成とか反対とか、そういう段階でもなくて、ただお父さんがお母さん以外の人と結婚する決断をしたことにショックを受けた。

 その後、事故に遭いそうなところを楓先輩に助けられ、ひたすら泣いて、ショックや恥ずかしさの衝撃が少しだけ収まったところで冷静に考えた。

 私を男手ひとつで育ててくれたお父さんには、ずっと幸せでいてほしい。それは本当の気持ちだ。

 だけど、お父さんの幸せは再婚しなくては手に入らないものなの?

 よく大切な人を亡くしたドラマや映画で『前向きに生きていこう』なんてセリフがあるけれど、亡くなった大切な人を永遠に思い続けるのは『後ろ向きな生き方』なの?

 お父さんは真央さんと再婚し、毎日幸せそうにしている。数年前の憔悴ぶりが噓のように、穏やかな日常を送っている。それはきっと、そばにいる真央さんのおかげなんだろう。

 だけどその日常は、お母さんの死の上に成り立っている。

 もしもお母さんが病気にならなかったら、彼女とはどうなっていたんだろう。

 毎日仏壇に手を合わせ、今もこうしてお母さんが大好きだった花を持ってお墓に来ているけど、それはお母さんのことをまだ好きだからじゃないの?

 お母さんを大切に想いながら、真央さんとも結婚するなんて、それって浮気や二股となにが違うの?

「菜々」

 お父さんに呼ばれ、ぐるぐると考え込んでいた私はハッとして顔を上げた。先にお参りを済ませたお父さんが、場所を代わろうと墓石の前を空けてくれている。

「どうかした?」
「……ううん、なんでもない」

 私はスカートの裾が地面につかないように気をつけながらしゃがみ、ろうそくでお線香に火を灯す。

 両手を合わせ、目を閉じたまま、お母さんに話しかけた。

 ねぇ、お母さん。お父さんの再婚をどう思ってる? 悲しい? 悔しい? それとも自分はもうこの世にはいないから、仕方ないって思ってる?

 お父さんたちの入籍以降、部屋の写真の中のお母さんに何度もそう問いかけた。けれど当然ながら、一度も返事はない。

 本当ならお父さんに同じ質問をするべきだと思っているけど、いまだに聞けないでいる。

 もしも『菜々のお母さんよりも真央を好きになったから』なんて返事が返ってきたら、私は一生お父さんを許せないかもしれない。だけど、そう思っていてもおかしくはない。結婚は、一番大切に思っている人とするものなんだから。

 お母さんの存在だけではなく、結婚するほど好きだった感情ごと全部忘れてほしくない。その気持ちをなくしてほしくない。そうじゃないと、お母さんがかわいそうだ。

 でもお父さんは、その気持ちをどこかになくしちゃったってことなんだよね。お母さんが死んじゃった時点で、その気持ちはなくなってしまうということなの……?

「菜々がすっかり女子高生になったって、亜紀ちゃんもビックリしてるだろうね」
「……上から毎日見てるんだから、ビックリはしないよ」
「ははっ、そっか。そうだね、きっとずっと見守ってくれてる」

 お父さんは声を弾ませてそう言うけど、再婚して幸せに暮らしているのを見守られ、罪悪感はないんだろうか。

 真央さんがいい人なのはわかってる。私がリビングに寄り付かず、食事やお風呂を終えたらすぐに二階にあがる時、少し寂しそうな笑顔で見守っているのも知っている。

 だけど私がお父さんの再婚相手と仲良くしていたら、お母さんは悲しむんじゃないかと考えたら、彼女と親交を深めようとは思えない。まして『お母さん』と呼ぶ気なんて起きなかった。

 結局、お母さんの墓前に立ってる間もモヤモヤとした考えは払拭できず、私は「この辺でお昼食べて帰ろうか」と柄杓の入った手桶を持って歩き出すお父さんのうしろ姿に黙ってついていった。


 * * *

「今日も図書室に行くの?」

 帰り支度を終えてスクールバッグを肩にかけると、京ちゃんがニヤニヤしながら近寄ってきた。

「うん、そのつもり」
「毎日佐々木先輩の部活が終わるの待ってるなんて、菜々は健気だねぇ」

 これまでのように下校時間まで図書室で過ごすのは変わらないけれど、今は事情を知った楓先輩が、部活終わりに図書室に迎えに来てくれるようになった。

『家まで送ってく。学年も違うし、俺は部活で朝練もあるから平日はなかなか会えないし。せめて一緒に帰ろう』

 遊園地からの帰りの電車の中で、そう言ってくれた先輩に私は戸惑った。

 だって部活で疲れてる先輩に家まで送らせるだなんて。そりゃ、私は長く一緒にいられて嬉しいけど、先輩は帰る時間も遅くなっちゃうし迷惑なんじゃ……。

 そんな私の心の声は繋いだ手から先輩に筒抜けで、頭をくしゃっと撫でられた。

『俺から言い出したんだから迷惑なわけないだろ。もう暗くなるのが早いから心配だし。それに、俺だって菜々と一緒にいたい』

 思い出すだけで赤面ものの先輩のセリフは、一ヶ月近く経った今でも脳内で完璧に再現できる。

「あ、その顔……なんか思い出してるでしょ。『好きとか、そういうのじゃないよっ』って言ってたのが噓みたいにラブラブじゃん!」

 私の真似をする京ちゃんの腕を軽くぺしっとたたく。

「もうっ、からかわないでよ! それに、京ちゃんだって部活のあと日野先輩と一緒に帰るんでしょ? 美男美女のカップルだって、ふたりの噂で持ちきりだよ」

 私が言い返すと、彼女は肩を竦めて苦笑した。

「学校のアイドルと付き合うからには、多少の嫌がらせも覚悟してたんだけどね」
「嫉妬とか通り越すくらい、お似合いだってことだよ」

 先週行われた球技大会をきっかけに、京ちゃんと日野先輩は公認のカップルとなった。

 日野先輩はサッカーの決勝戦でハットトリックを決めてクラスを優勝に導くと、そのまま応援していた京ちゃんの元へ行き、大勢の生徒の前で「優勝したら告白するって決めてたんだ。付き合ってください!」と公開告白をして、周囲の生徒たちをさらに沸かせた。

 真っ赤になりながらも嬉しそうに笑って答える京ちゃんを私も見たかったけど、残念ながら体育館にいた私は直接見ることはできなかった。

『半年もグズグズしてたくせに。あいつ、極端すぎるだろ……。まぁでも、橘さんは嬉しそうだったし、周りも比較的祝福モードだったよ』

 告白を近くで見ていた楓先輩が、その場にいなかった私に当時の様子を教えてくれたから、なんとなく想像はできる。

 そんなドラマチックなシーンを間近で見た人が、ふたりを祝福して憧れを持つのは当然だと言うと、京ちゃんは嬉しそうに笑った。

「ありがと。菜々たちは付き合ってること隠してるの? 全然噂にならないね」
「楓先輩も私も、目立つの得意じゃないから……」

 ひたすら隠し通そうと決意しているわけじゃないけれど、ふたりのように公言はしないつもりだ。

「いいと思うよ。もしなにか陰口とか言われても守ってあげるけど、言われないに越したことはないし」
「京ちゃんが男前すぎて惚れそうだよ」
「あははっ、佐々木先輩に睨まれちゃうね」

 京ちゃんにはお父さんの再婚や楓先輩の能力のことは伏せながら、彼と気持ちが通じたと遊園地に行った翌日に報告していた。

 全部を打ち明けられないけれど、話せる部分は包み隠さずに自分の言葉で伝えると、京ちゃんは自分のことのように喜んでくれた。

 日野先輩同様、楓先輩も女子からの人気は凄まじく、それこそ彼女だと知られると嫌がらせをされることもあり得そうだ。

 とはいえ、卑屈になっているわけじゃない。先輩とのお付き合いは順調で、平日はほぼ毎日一緒に帰っている。クロスバイクを押す先輩の隣を歩くのも、少しだけ慣れてきた。

 楓先輩もたまに図書室に来ていたことを聞いてみると、自分の不思議な能力について調べていたらしい。

 けれどメンタリズムや心理学など学術的なもの以外は、都市伝説やスピリチュアルな要素が強く信憑性にかけていて、どれも参考にはならなかったそう。

 触れるたびに私の心の中が彼に伝わってしまうのは、恥ずかしさはあるけど嫌悪感はない。それよりも先輩と手を繋ぎたいという気持ちのほうが断然大きい。

 これもまたしっかり伝わっていたらしく、「……自転車がなかったら、今ここで思いっきり抱きしめてた」と道端で言われ、先輩が自転車通学でよかったと少しだけホッとした。そんなことをされたら、恥ずかしくて倒れてしまいそう。

「じゃあ、私部活行くね」
「うん。また明日ね」

 京ちゃんが南校舎にある美術室へ行くのを見送り、私も教室を出て図書室へと向かった。

 * * *

 十二月に入り、外の空気が肌を刺す冷たさを帯びてきた。

 中間テストに続き期末テストも楓先輩から勉強を教えてもらったため、対策はバッチリだった。

 前回のように四人で勉強してもよかったけれど、学校中の注目を浴びるふたりと一緒にいると目立ちそうで、今回は別々にすることにした。

 テストが終わった翌日、いつもなら弓道部の朝練の時間に先輩からメッセージが届いていた。

【おはよう。昨日言い忘れたんだけど、今日は学校休む。ごめん、一緒に帰れない】

 どうしたんだろう。もしかして具合が悪いのかな? 昨日一緒に帰った時は、そんな感じはしなかったけど。

 体調を尋ねた返信は既読にならないまま、四時間目の授業が終わってしまった。

 京ちゃんとお弁当を食べるために中庭へ向かいながら、もう一度スマホをチェックしたけれど、やはり返事はない。

「まだ既読つかない?」
「うん、だるくて寝てるとか……かなぁ」

 まだ病欠と決まったわけじゃないけど、もしそうなら少し心配だ。先輩は例の能力のこともあってご両親とあまり折り合いがよくなさそうだし、ちゃんと食事を摂って薬を飲めているだろうかと不安になる。まさか倒れてるなんてことないよね……?

「日野先輩に聞いてみようか。もしかしたら、なにか連絡来てるかもしれないし」
「うん、ありがとう」

 私があまりに心配げな表情をしていたからか、すぐに京ちゃんが日野先輩に電話をしてくれた。

「もしもし、今大丈夫? 佐々木先輩って今日お休みだよね? 菜々が連絡がとれないって心配してて。……え、お墓参り?」

 体調不良とは無関係の言葉に、首をかしげる。もしかして法事でお休みしているだけなのかな?

 電話の向こうの声は私には聞こえないけれど、法事でお寺にいて、スマホの電源を切っているのなら既読にならないのにも説明がつく。

 ホッとしたのもつかの間、楽観的な考えをすぐに打ち消さなくてはならないほど、京ちゃんの顔が徐々に険しくなっていく。

「その話、菜々にしてもいい? うん、今一緒なの」

 時折、気まずそうに私の方に向けられる視線に、なぜか胸の奥から嫌な予感が込み上げてくる。

 京ちゃんは「わかった、中庭のベンチにいるね」と言って電話を切った。

「京ちゃん……?」
「日野先輩が来てくれるみたい。先にお弁当食べてよ」

 頷いたものの、電話の内容が気になってお昼ごはんどころじゃない。中庭のベンチに座って膝の上に食べる気のないお弁当を広げていると、片手に三つの惣菜パンを持った日野先輩がやってきた。

「ごめん、お待たせ。購買が結構混んでて」
「……それ、全部お昼ごはん?」
「え? そうだよ」
「野菜摂る気ゼロだね」
「ふたりはお弁当なんだ。そんなちっちゃいので足りる?」
「足りるよ。それより、さっきの話……」

 京ちゃんが私に気を遣って楽しそうな話を切り上げ、本題に水を向けた。それに対して、日野先輩は気まずそうな顔をして後頭部の髪をくしゃっと掻き上げる。

「あー、こういうのって他人から聞くもんじゃないとは思うんだけどさ……」

 そう前置きして、日野先輩は京ちゃんの隣に座ると、私に向かってゆっくりと話してくれた。

「今日、楓は墓参りに行ってると思う。俺たちと同じ中学の同級生だった原口希美って子が、二年前の今日、事故で亡くなったんだ」

 先輩たちと同級生ということは、当時は中学三年生。そんなに若くして事故で亡くなってしまったなんて……。

「……その原口さんのお墓参りに?」

 命日にお墓参りをするのは不自然ではないし、二年前に亡くなったのなら三回忌の法要に出席しているのかもしれない。学校を休んでまで行くのは……かなり親しい間柄だったんだろうか。

「原口の墓は、原口の父親の実家がある九州らしくて、飛行機で向かったんじゃないかな。たしか去年もそうだった。朝に行って、その日のうちに帰ってきてた」
「飛行機……」

 機内ではスマホの電源を切っている可能性が高いし、そのまま法要に出ているのならメッセージに気付いていないのも頷ける。特におかしいところはないのに、日野先輩はずっと核心に触れないように話している気がする。

「日野先輩も同じ中学出身なんですよね? どうして楓先輩だけ?」

 私が尋ねると、日野先輩は困ったように視線を逸して必死に言葉を探している。話の続きを待っていると、日野先輩は数秒ほど天を仰ぎ、なにかを覚悟したように顎を引いて、じっと私を見据えた。

「いずれ知ることだと思うから話すけど、原口は楓の幼なじみなんだ。同じマンションに住んでて、保育園は別だけど小さい頃から一緒だったって聞いてる」

 日野先輩の言葉に耳を傾けながら、私は首筋がざわざわと嫌な感覚におそわれていた。このあとに続くセリフが予想できてしまう。

 耳を塞ぎたくなる衝動に駆られつつ、私は衝撃に備えてスカートの上で拳をぎゅっと握りしめた。

「たぶん……付き合ってたんじゃないかな。直接聞いたわけじゃないけど、いつも一緒に帰ってたし。うちの高校に受かるために、よく楓が原口の勉強見てたよ」

 想像通りの言葉に、ズキンと胸が痛む。

 あれだけカッコよくて優しい先輩に、これまで彼女がいないと考える方がおかしいのかもしれない。予想していたはずなのに、実際に聞くと想像以上にショックを受けた。

 苦しくて、制服の胸元をぎゅっと握る。唇を噛みしめて俯いた私を慰めるように、京ちゃんが肩を抱き寄せてくれた。

「菜々がいるのに、学校を休んでまで元カノのお墓参りに行く? 普通」
「それとこれとは別でしょ。幼なじみなら家族ぐるみの付き合いもあっただろうし、命日くらいはそっちに行くんじゃない?」
「それなら、せめてひと言言ってくれたらいいのに……」
「あいつにだって、きっと色々思うところはあるよ。原口が亡くなってまだ二年なんだ。その何倍も一緒の時間を過ごしてきたんだから……って、ごめん、菜々ちゃん」

 気遣うように謝られても、なにも言葉が出てこない。口の中がカラカラに乾いて、水分とともに声まで奪われてしまった気分だった。

 先輩に、事故で亡くなった恋人がいた。

 その事実は、まるで鉛を飲み込んだみたいに胸を苦しくさせ、心を圧迫していく。

「楓はずっと『自分は恋愛する気はない』とか『忘れられない子がいる』って言ってた。でも、菜々ちゃんと出会って、付き合って、めちゃくちゃ幸せそうにしてるでしょ。それはきっと、菜々ちゃんが楓を受け入れてくれたからだと思う。原口の存在を気にしないっていうのは無理かもしれないけど、自信は持っていいはずだよ」

 日野先輩が真剣に本心でそう言っているのは伝わった。彼は楓先輩の能力のことも聞いているそうだから、それも込みで『私が楓先輩を受け入れた』と言っているんだろう。だけど、気にしないなんてとても無理だ。


 お弁当をひと口も食べることなく昼休みが過ぎ、私はわざわざ来て話してくれた日野先輩にお礼を伝えて教室に戻った。

 その間ずっと心配そうな顔をしていた京ちゃんは、ただ寄り添うようにずっとそばにいてくれた。そんな彼女に心配をかけまいと笑って見せたけれど、どうしてもうまくいかなかった。

 なんとか六時間目まで授業を受けて、図書室には寄らずに学校を出た。京ちゃんは「どこかパーッと遊びに行く?」と聞いてくれたけど、私のために部活を休ませるわけにはいかない。

 かといって家にも帰りたくなくて、私は家の近くの親水公園へ寄ることにした。

 夕方四時の公園内は小学生くらいの子たちが元気に遊び回っていて賑やかだ。ひとりになりたかったけど、孤独に耐えられそうにない今の私にはちょうどいい。

 公園のベンチに座り、大きく息を吐いた。

 今頃先輩は帰りの飛行機の中にいるのかな。そろそろ連絡が来そうな気がして、私は昼休み以降スマホの電源を落としている。今は先輩と冷静に話をできそうにない。

 亡くなった彼女のお墓参りに行った楓先輩は、なにを思ったんだろう。

 一緒の高校を志望していたと日野先輩が言っていたから、きっと事故がなければうちの学校に通っていたはずだ。

 楓先輩の隣にいるのは、私じゃなかったかもしれない。

 お互いに好きで、突然の死によって引き裂かれた楓先輩と原口希美さん。

 学校を休んでまでお墓参りに行くくらいだから、きっと強い思い入れがあって、いまだに忘れられない人なんだと思う。

 それなのに、残された楓先輩は原口さんにお花を手向けながら、私とも付き合い始めたの……?

 そこまで考えて、私はゾッとした。顔から血の気が引くような、世界がぐにゃりと歪むような感覚に陥る。

 だって、それって、まるで私の両親と真央さんの関係性と同じじゃない……?

 まるで楓先輩がお父さんで、亡くなった原口さんがお母さん。私は、私がずっと受け入れられていない真央さんと、同じ立場……。

 そう気付いて愕然とした。

『ジンクスって、当たるんだな』
『え?』
『気付いてた? このゴンドラ、紫だったの』

 観覧車の中での会話が、鮮明に脳裏に蘇ってくる。

『俺、今めちゃくちゃ幸せ』
『……私も、すごく幸せです』

 あの時感じたとろけそうなほどの幸せが、中学三年生で命を落とした女の子の死の上に成り立っているのだとしたら……。

 本当なら、あの観覧車に乗っていたのは私じゃなかった。学校の図書室で勉強を教えてもらうのも、意地悪で少年のような笑顔を間近で見るのも、彼の不思議な能力の話を打ち明けてもらうのも、本当は私じゃなくて彼女だったかもしれない。

 私は……亡くなった恋人の代わり?

『楓はずっと「自分は恋愛する気はない」とか「忘れられない子がいる」って言ってた』

 日野先輩が聞いた話は、きっと原口希美さんのことだよね。彼女を忘れられないでいるのなら、私は二番目ということ?

 幸せに輝いていた遊園地の思い出が、グラグラと揺れて崩れていく。

 お父さんと再婚した真央さんに疑問を抱いていたのに、私も大切な人を亡くした人を好きになってしまったなんて……。

 どくどくどく、と嫌なリズムで鼓動が刻まれる。日が傾き、風が冷たくなってきた。指先がカタカタと震えているのは、きっと寒さのせいだけじゃない。

 どうしよう。明日、先輩は学校に来るのかな。いったい、どんな顔をして会えばいいんだろう。

 先輩はお墓参りに行ったと私に話してくれるのかな。私はそれにどう答えたらいい?

「楓先輩もお父さんと同じ……。忘れちゃダメな人がいるのに、どうして……」

 指先だけでなく、身体全体が震えだす。両手で自分を抱きしめるようにぎゅっと肘を掴んだけど、一向に震えは収まらない。

 次第に目頭がじわりと熱を持ち、ぽろぽろと涙が零れた。

「あれ? やだ、なんで……」

 自分がどうして泣いているのか、わからない。

 悲しくて、苦しくて、やるせない。感情の吐き出し口がなくて、もどかしい。

 お母さんを裏切って真央さんと再婚したお父さんも、そんなお父さんと重なる楓先輩も、受け入れられない真央さんと同じ立場であることも、心が拒否反応を起こしている。

 なにより、たった十五歳でこの世を去らなくてはならなかった原口希美さんに嫉妬心を抱いている私自身が、とても醜く感じる。

 私は健康で、友達もいて、なに不自由なく生きている。それなのに、事故で命を奪われてしまった人に嫉妬するなんて……。

 なんて自分勝手で、どれだけ思いやりがない人間なんだろう。

 自己嫌悪でいっぱいになり、耐えられそうにない。

 ベンチに座ったまま身体を丸め、声を殺して泣いた。

 泣いて、泣いて、浮かぶのはあの日の楓先輩の温かさ。今みたいに泣きじゃくる私の手を握り、そっと寄り添い、ただそばにいてくれた。

「楓先輩……」

 あの優しいぬくもりが恋しい。

 だけど、先輩は遠い場所へ忘れられない人に会いに行っている。私が楓先輩を好きでいつづけるのは、亡くなった原口さんを裏切っているんじゃないかな。

 そう考えた途端、私はお母さんの豪快な笑い方を思い出せなくなった。