「そういえば、三者面談どうだった?」
「もう聞いてよー! お母さんが来たからその場はなんとかなったけど、帰ってからが最悪! やっぱりお父さんに反対された。大学ぐらい出ろって。美容師っていう夢が固まってるのに大学に行くなんてお金も時間も無駄なのにさ」

 京ちゃんが口をへの字にして文句を言う。そんな彼女の頭を、日野先輩がぽんぽんとなだめるように撫でた。

「まぁまぁ。親父さんだって京香のためを思って言ってるんじゃない?」
「絶対違う! 美容師をチャラチャラした職業だって言ってたもん。ほんと頑固おやじ!」

 京ちゃんのお父さんに会ったことはないけれど、彼女いわく『絵に書いたような生真面目人間』らしい。美容専門学校に行きたいと話したら頭ごなしに反対されたそうで、京ちゃんの夢や手先の器用さを知っている私からしたら、とてももったいないと思う。

「京ちゃんが誰かのヘアアレンジをしてるところ、お父さんに見てもらえないかな。そしたらきっと、京ちゃんの才能とか凄さをわかってもらえるのに」

 前に一度ヘアアレンジをしてもらった時、本物の美容師さんのように手際よく可愛くしてくれて、まるで魔法だと思った。それを京ちゃんのお父さんにも見てもらいたい。

 私がそう言うと、京ちゃんがハッとして私を見つめた。

「お正月に親戚で集まる時、みんな着物着るから美容室を予約するの。その時のお母さんとか従姉妹たちの髪、私がやってみようかな」
「わぁ、いいかも! みんなきっと喜ぶよ。お父さん、美容師っていうお仕事に関心持ってくれるといいね」
「ありがと。長期戦覚悟で頑張ってみる。菜々は? 進路の話した?」
「うん。帰ってからお父さんに話したよ。まだどこの大学に行くかは決められてないけど、スクールカウンセラーを目指したいって話したら一緒に色々調べてくれた」

 これまで将来の夢を考えたことがなかったけれど、ふと浮かんだことがあった。

 悩んだり居場所がないと感じた時、吐き出させてくれる存在というのは絶対に必要だ。私には辛い時に楓先輩や京ちゃんがいたけれど、大切な人だからこそ話せない時もある。

 学校でもいいし、別のコミュニティでもいい。どこか逃げる場所があって、気軽に話を聞いてくれる人がいたら。例えば、保健室の田村先生が優しく受け入れてくれたように。

 保健室や相談室などの安心できる居場所を作る手伝いがしたい。そう考えた時、一番近い職業がスクールカウンセラーだった。

 スクールカウンセラーになるにはどうしたらいいのか、どんな資格が必要なのか。お父さんはネットや本屋などで情報を集め、民間の資格講座の資料なども取り寄せてくれた。

 心理学を学びながら養護教諭の資格を取れる学科がある大学に行くのが良さそうだったから、これから色んな大学を調べてみようと思っているところだ。

「いいなー、娘の夢に理解のあるお父さん。それにしても真央さん、めちゃくちゃ綺麗な人だね」

 本来なら三者面談にはお父さんが来る予定だったけど、前日になりどうしても仕事の都合がつかなくなったので、急遽真央さんが来てくれることになった。京ちゃんはその時に私と一緒にいる真央さんを見かけたらしい。

 私はやっぱり真央さんを〝新しいお母さん〟とは思えない。だから呼び方は変わらないままだ。彼女はお父さんの奥さんであって、私にとって〝お母さん〟はお母さんだけ。お父さんも真央さんもその考えを受け入れてくれている。

 それに〝親〟じゃないからこそ話せることもある。私にとって真央さんは、頼りになる姉のような存在となった。

「そうなの。あの見た目で性格もいいし、お料理も上手なんだよ。ハイスペックすぎるよね」

 夕食中、三者面談に来られなくて拗ねていたお父さんをいなしながら、先生とどんな話をしたのか伝える真央さんを思い出した。

 ずっと長い間悩んでいたけれど、自然と真央さんを褒める言葉が出てくる。そんな自分の変化が擽ったいけれど、右隣にいる楓先輩が私を見て小さく微笑んでくれたから、これでいいんだと思える。

 京ちゃんには、お父さんの再婚について自分の中のわだかまりが消えたのをきっかけに、家庭の事情について話していた。

 忘れられない恋人がいると思っていた楓先輩を、お母さんを想いながら再婚したお父さんと重ねて苦しかったことを話した時は、京ちゃんも一緒に泣いてくれた。

『菜々……ひとりで悩んで辛かったね。話してくれてありがとう。なにかあればいつでも助けるからね……!』

 大好きな京ちゃんにずっと言えなかったことを打ち明けられてホッとしたのと同時に、彼女の優しさに改めて感謝の気持ちでいっぱいになった。

「なんか、京ちゃんと真央さんって似てるかも」
「ええ? 私は派手って言われるけど、真央さんは癒し系美女じゃない?」
「見た目じゃなくて、優しくて強いところ。私、ふたりのそういうところ尊敬してるの」
「そっ、そういうの照れるから! っていうか優しいのは菜々の方だし! もうっ、ほら、どんどん進むよ!」

 耳まで真っ赤にした京ちゃんがぐんぐん歩みを速め、人混みに紛れてすぐに見えなくなってしまった。慌てて追いかけようとしたけれど、日野先輩が苦笑しながらすぐに人の合間を縫って進んでいったのを見て、「ここは日野に任せよう」と楓先輩が言った。

「あとで合流すればいいし」
「ここからは別行動、ですか?」
「うん。菜々はなに見たい?」

 今日は私と楓先輩、京ちゃんと日野先輩の四人で、県内にある大きな水族館に来ている。冬休み直前の土曜日、クリスマスシーズンということもあり、かなり混み合っていた。

『本当にごめん! 俺が勘違いしてたせいで、めちゃくちゃ悩ませちゃったよね』

 集まって早々日野先輩に頭を下げられて驚いたけれど、中間テストの勉強会以来こうして四人で集まるのは初めてで、とても楽しみにしていた。

 でも、まさかこの水族館に来ることになるなんて……。

「菜々? 水族館、嫌だった?」

 隣から楓先輩が心配そうに顔を覗き込んでくる。私は慌てて首を振った。

「違うんです。昔、休みのたびに家族で色んなところに出かけてたんですけど、両親と行った最後の場所がここで……」

 お母さんの病気が見つかる直前だった。このあとに訪れる悲劇を知らない私たちは、可愛らしい海の動物に大はしゃぎして楽しんだ。私の部屋にある三人の写真は、ここの一番奥にある大きな水槽の前で撮ったものだ。

 感傷的な気分になりそうな私を察して、楓先輩は頭をぽんぽんと撫でてくれる。

 その温かい優しさが嬉しくて、私は大丈夫だと頷いてから、京ちゃんたちが向かった先に視線を投げた。

「京ちゃん、お父さんに認めてもらえるといいなぁ」
「そうだな」
「そういえば、二年生も三者面談はあったんですか?」
「ああ。うちも父親が来たよ」

 楓先輩が普通に話すから流しそうになってしまったけど、ご両親との仲はあまりいいとはいえなかったはずだ。

「だ、大丈夫……でしたか?」

 具体的に聞いていいのかわからず、おそるおそる尋ねると、楓先輩が可笑しそうに笑った。

「大丈夫だったよ。実は三者面談の前に家で両親と話したんだ。菜々も頑張っただろ。だから俺もちゃんとしないとと思って」

 薄暗い空間の中、ゆらゆらと揺れる水槽を眺めながら、先輩はある夢を語ってくれた。

「母親とはどうにも話にならなかったけど、父親とはちゃんと将来を見据えた話ができた。俺、医者になろうと思ってるんだ」
「お医者さん?」
「子供の頃から漠然と憧れがあったけど、人に触れられない俺には無理だって諦めてた。でも、やっぱり夢は捨てたくない。具体的には救命救急の仕事に就きたいと思ってる」

 救命救急と聞いて、ふとある疑問が浮かんだ。

「それは……希美さんのことがあったから?」
「きっかけはそうかもしれない。でも、諦めたくないと思ったのは菜々のおかげ」
「私?」
「この力は人の嫌な部分を目の当たりにするばかりで、ろくなことがないと思ってた。子供の頃に大人の心の裏表を知りすぎたせいで、かなりスレてたんだと思う。でも菜々に出会って、そんな人ばかりじゃないって気付けた」

 先輩はそう言って私の顎に指をかけると、ゆっくりと顔を寄せてきた。

 視界が先輩の端正な顔でいっぱいになり、あっと思った時には唇に柔らかいぬくもりが触れていた。

 えっ、と声を上げることもできず、そのまま硬直する。

 キス、してる。先輩と、初めてのキス……。

 どうしよう。恥ずかしい、でも嬉しい。正真正銘、私のファーストキスだ。

 ファーストキスが水族館だなんて、少女漫画みたいでロマンチック……と浸りかけたけれど、私はハッと我に返る。

 待って……! 周りにたくさん人が……っ!

 そう気付いた瞬間、ぬくもりが離れていった。止めていた息を思いっきり吸うと、目の前の楓先輩が大きな手で顔を覆いながら笑う。

「よかった、菜々も初めてで」
「せっ……先輩っ!」

 こんな人の多いところで……っ! 誰かに見られていたらどうするの。

 私が左手で口元を覆ってじろりと上目遣いに睨むと、先輩が目を細めて柔らかく微笑んだ。

 その表情は反則だ。うっとりと見惚れてしまう。

「ありがとう。菜々と出会えたから、自分に絶望せずに夢を追うかけようと思えた」

 さっきの話の続きだと気付いた。そう言ってもらえて嬉しいけれど、私はなにもしていない。

「私こそ、先輩と出会えたから家族と向き合うことができました。将来の夢も見つけられた。私……」

 ――――楓先輩に出会えてよかった。

 そう言うつもりだった唇は、再び塞がれた。

 ――――もうっ。だから人前ですっ!

 きっと、どちらの言葉も繋いだ手から全部先輩に伝わっている。

 これからもこの手を離さないまま、ずっと恋をしていよう。



Fin.