降り立った駅は、以前と比べて随分綺麗になっていた。
引っ越す数年前から駅の再開発の工事をしていたのが今年の夏に終わったようで、構内のエレベーターやトイレが新しくなっているし、駅の東口と西口を繋ぐ連絡通路も出来ている。駅前のロータリーは広くなっていて、乗り入れるバスも多そうだ。
中学は自転車通学だったし、駅を使う頻度は多くなかったけれど、生まれてから十数年住んでいた街の最寄り駅はやっぱり馴染みがある。
今住んでいる街からここまで、二回の乗り換え時間を含めて約四十五分。新しい家に引っ越した時はとても遠くに来てしまったような気がしていたけれど、電車で移動すると案外近くて拍子抜けした。
私は東口から出て、以前住んでいたマンションを目指して歩く。通っていた小学校を越えて、架道橋をくぐり、目印にしていたコンビニを左に曲がればもうすぐだ。
そのコンビニに寄ってお茶を買おうと思ったけれど、コンビニはガラス張りのおしゃれな美容院になっていた。イメージカラーである緑と青の看板が外され、外観はレンガ調の壁で洋館風になっているけれど、形自体は変わっていないから中だけ作り替えたようだ。
驚きつつ真新しい美容室を左に曲がると、四階建ての茶色いマンションが見えた。
今年の三月まで住んでいた二階の角部屋を見上げると、窓にはレースのカーテンがかかっていて、すでに別の家族が住んでいるのだとわかる。
まだこの街を離れて一年も経っていないのに、色々なことが変わっていた。綺麗になった駅、コンビニから美容院になった角のお店、マンションの住人。時の流れを実感して、なぜか少し寂しくなった。
楓先輩から逃げて、ちょうど駅に来た電車に飛び乗ったけれど、特に目的があってここにきたわけじゃない。
私はぶらぶらと歩きながら、小学生の頃によく遊んだ公園へ足を向けた。遊具はすべり台とブランコとジャングルジムのみ。あとはただ開放感抜群の広場があるだけで、鬼ごっこをしたり、バドミントンをしたりできる、とにかく広い敷地の公園だ。
その奥には川が流れていて、公園の脇から階段を上ると土手がある。目の前に川と空だけが広がる景色が好きで、小さい頃はここでお母さんと一緒に散歩したりシャボン玉をしたりして遊んだ記憶がある。
「懐かしい……」
土手に設置してある古いベンチに腰掛け、大きく深呼吸した。
ひゅっと通り抜ける風は冷たく、先輩が巻いてくれたマフラーがなければ、こんな風に外を歩けなかったかもしれない。
柔らかいマフラーをきゅっと掴みながら背もたれに上半身を預け、冬の透き通った空を見上げる。あの空の向こうに、お母さんはいるのかな。
「菜々」
ぼうっと思いを馳せていたところに名前を呼ばれ、反射で身体を起こす。
振り返ると、そこにいたのはお父さんだった。
「なんで……」
「菜々が早い時間から家にいなくて驚いたけど、真央に聞いてもなにも教えてくれなくてね。困っていたら、佐々木楓くんという男の子が家に来たんだ」
「楓先輩が……?」
お父さんの口から楓先輩の名前が出て驚いた。
あんな風に言い逃げしたのだから、怒るか呆れ果てて帰るだろうと思っていたのに、もう一度私の家に行っていたなんて。どうして……?
「菜々と話をしてたけど、逃げられちゃったって。駅の方に向かったから、きっとお母さんとの思い出の場所に行ってると思う、場所を教えてほしいって言うからさ。彼に僕が行くって宣言してきた」
「……仕事は?」
「さぼっちゃった」
四十歳のおじさんが、えへ、と首をかしげたところで可愛くない。
目を細めて睨むようにじっと見つめると、お父さんは苦笑しながらこちらにやって来て、私の隣に腰掛けた。
「娘と初めて口論になって落ち込んでいるところに、菜々の彼氏面したイケメンな男の子が家まで来たんだ。そりゃあショックで会社だって休むよ」
「……なにそれ」
本当なら昨日酷いことを言ったのを謝らないといけないし、初めて再婚について本心をぶつけてしまったのもあって、気まずい対面になると思っていた。
それなのに、お父さんがいつものテンションで話すから拍子抜けしてしまう。
「ここ、よく亜紀ちゃんと来てたね。菜々が初めて靴を履いて歩いたのも、この場所だ。自転車の練習も、なわとびの練習もここだった」
私の脳裏に、家族の思い出が色鮮やかに蘇ってくる。日曜日はよく三人でここに来ていた。桜の季節にはお弁当を持ってきてお花見をしたこともある。
お父さんの横顔を盗み見ると、目の前にお母さんと小さな私が遊んでいるかのように微笑んでいる。今、同じような景色を思い出しているのかもしれない。
「懐かしいね。菜々が大きくなってからは、僕がここに来ることはなかったから」
ゆっくりと頷くと、お父さんがふと真顔になって私の方に向き直った。
「ごめんね、たくさん悩ませて。お父さんのエゴや希望を押し通した結果、菜々は家にいたくないほど思い詰めていたんだね」
真剣な声音になったお父さんにつられて、私も姿勢を正してお父さんに向かい合った。
「昨日、菜々から言われたこと、僕なりにずっと考えてたんだ。再婚について説明不足だったのは僕の落ち度だし、タイミングがいいからと引っ越しを急いだのも申し訳なかった。でも、誓って亜紀ちゃんを忘れたわけじゃないし、今でも僕は亜紀ちゃんを大切に思ってるよ」
「うん。それはわかってる……つもり」
「だからこそ、菜々には浮気とか二股のように感じるということだよね。真央との再婚が亜紀ちゃんを裏切っているっていうのは、そういう意味?」
いよいよずっと心に秘めていた部分を話さなくてはならないし、お父さんの本心を聞く時がきた。
ずっと避けてきた。お父さんの本音から逃げ続けてきた。だけど、それももう終わりにしなくちゃいけない。
私が俯き気味に頷くと、隣からふうーっと大きく息を吐く音が聞こえた。もしかしたら、お父さんも私と同じように緊張しているのかな。
「どう話したらいいのか、一晩考えても……答えが出なかった。浮気や二股に見えると聞いて驚いたけれど、客観的に見るとそうなのかと思う部分もあった。でもね、もしも……。たらればの話なんて意味がないかもしれないけれど、もしも亜紀ちゃんが生きていたら、僕は真央と結婚していなかったよ。当然、女性として見ることもなかった」
「……それは、真央さんも同じことを言ってた」
「そうか」
「だったら、真央さんはお母さんの代わりなの? 二番目に好きってこと?」
お父さんに問いかけながら、私の心の片隅には楓先輩の存在があった。
亡くなった人を思い続けながら他の人と恋をするのは、その人の代わりということ?
胸がぎゅっと痛み、先輩のマフラーを握りしめる。
「いや。真央を代わりに思ってるわけじゃなくて、彼女と今を一緒に生きていきたいと思ったから結婚したんだ。一番とか二番とか、比べられない」
「でも、お母さんは」
「亜紀ちゃんは、もういないよ」
「……っ!」
なんて残酷なことを言うの?
私は思いっきりお父さんを睨みつけた。そんな言葉をお母さんが聞いていたら、どれだけ悲しむと思ってるの?
「僕は亜紀ちゃんを愛していたし、今でも大切に思ってる。だけど、彼女はもうこの世にはいない。それは紛れもない事実だ」
「そんなの……そんなのわかってる! だからって……」
「亜紀ちゃんが亡くなって、僕の支えは菜々だった。ひとりでも菜々を立派に育てなきゃと必死だった。気付けば家のことはほとんど菜々がしてくれて、逆に僕が支えられていた。本当に自慢の娘だよ」
「……」
「中学の制服を着た菜々を見て思ったんだ。いずれ菜々は進学や就職や結婚で、僕の元から巣立っていくだろう。亜紀ちゃんも菜々もいない。そうなった時、この先の人生をひとりで生きていくのは……寂しいと思った。そんな時、真央と出会ったんだ」
悲しくて苦しいほどの真実を突きつけられ、私はそれ以上言葉が出なかった。
お父さんは今もお母さんを大切に思っているけれど、もうお母さんはこの世にいない。だから、今を一緒に生きていける真央さんを選んだ。
私はお母さんの気持ちを代弁しているつもりで『裏切り』だなんて言ってしまったけれど、再婚を認めないということは、これまで必死に私を育ててくれたお父さんに『これから先の人生を孤独に生きろ』と宣告しているようなものなんだ。
それに気付かされ、私は急に恥ずかしくなった。
「もしも僕がもう少し強い男だったら、菜々をこんな風に悩ませなかったのかもしれないね」
お父さんがもう一度「ごめんね」と言ったのに対し、私は首を横に振った。
再婚の話を聞いてからずっと、お母さんがどう思うかが心配だった。ふたりとも優しくて仲が良くて、私の自慢の両親だったからこそ、お父さんの『裏切り』が許せなかった。
でもそれは、ただ私の理想が崩れてしまうのが嫌だっただけなのかもしれない。お母さんの思いを勝手に代弁した気になって、肝心なところは逃げて、文句だけは一人前。駄々をこねる子供そのものだ。
私は空を見上げ、改めて空の向こう側にいるお母さんを想った。
今も見守ってくれているのかな。なにを思ってるのかな……。
「菜々」
「ん?」
「これを、このタイミングで渡すのは少しズルいかなって思うんだけどね。悔しいけれど、今な気がするから」
お父さんはよくわからないことを言いながら、一通の封筒を差し出した。
宛名には切手や住所の記載はなく、ただ【菜々へ】と見覚えのある文字で書かれている。
「これ……、もしかして……っ」
「うん。亜紀ちゃんから菜々への手紙」
え……?
どうして? そんな手紙があるなんて、この七年間、一度も聞いたことがなかった。
「お父さんは、なにが書いてあるか知ってるの?」
「いや。読んでないよ。でも僕にも手紙を遺してくれていたから、正直想像がつく部分はあるんだ」
「どうして、今まで渡してくれなかったの?」
「実は、この手紙は菜々が初めて恋を知った時に渡してほしいって、亜紀ちゃんから頼まれていたんだ」
「私が……初めて、恋を知った時……?」
驚いてお父さんを見つめていると、不貞腐れた態度で立ち上がった。
「……家に来た佐々木楓くんは、彼氏なんじゃないの? まだ十六歳だし彼氏なんて早いと僕は思うけど、あんまり口を出すと娘に嫌われるって真央が脅すから……」
川辺を見つめるお父さんの背中がどことなくしょんぼりしているように見えて、私は少しだけ笑ってしまった。
「今、読んでもいい?」
「もちろん」
真っ白な封筒を開け、中に入っている便箋を取り出す。そこには、お母さんの本当の声が詰まっていた。
『菜々へ
元気にしていますか?
何歳になってるのかな? 小学校高学年? それとも中学生? もう高校生になってるのかな?
きっと洋ちゃんは家事が壊滅的にダメだから、菜々には迷惑をかけてるよね。ごめんね、もっと洋ちゃんに家事を仕込んでおくべきでした。
病気が見つかって、菜々にはたくさん悲しい思いをさせたよね。まだ小学生三年生の菜々にとって、お母さんが病気で入院してるだけでもショックだったもんね。
だけど、この手紙を読んでいるということは、菜々は今、恋をしているんだよね。お母さんのことで悲しい思いをさせちゃったけど、立ち直って、学校へ行って、恋をして。そういう楽しい学生時代を送ってほしいなと思っているから、すごく嬉しい。
片思いかな? もうお付き合いをしてるのかな? 悪い男の子に引っかかってない? 私と洋ちゃんの娘がモテないはずないから、少し心配です。(笑)
青春を満喫してくれているといいな。そういう話を、菜々としてみたかった。
クラスの誰がイケメンとか、ひとつ上の先輩がモテるとか、そういうのを娘と話すの、菜々がお腹にいるときからの夢だったの。
だから、たくさん聞かせてね。聞くことしかできないけど、いつだって菜々の味方です。
さて。どうしてこの手紙を渡すタイミングを指定したかというと、洋ちゃんの再婚について話をしたいと思ったからです。恋をするという意味を知った菜々に聞いてほしかったの。
結論から書くと、私は洋ちゃんの再婚に賛成です。
もちろん菜々にとって新しいお母さんになるんだから、いい人限定ね。シンデレラの継母みたいな人だったら、私がこっちから呪っちゃうから。そこは洋ちゃんの人を見る目を信じてる。素敵な女性であることは大前提です。
洋ちゃんが再婚をするかはわからない。素敵な人に出会うかもしれないし、誰ともご縁がないかもしれない。
でも、もしそういう人が現れたら、菜々にも賛成してほしいなって思って、この手紙を書いています。
菜々からしたら、複雑な思いになるかもしれない。お父さんが別の人と結婚するなんて、最初は受け入れられないかもしれない。
でもね、人を好きになるって毎日が楽しくなるでしょう? 幸せだなって思うでしょう?
恋をして、誰かと一緒にいる幸せを知った菜々にお願いです。
お父さんが幸せになるのを、応援してあげてください。
恋を知ったからこそ、他の人と結婚するのに賛成するなんて、お母さんの考えを理解できないかもしれないね。
でも、これが愛だと思う。
恋をすると、彼とずっと一緒にいたいよね。ふたりで幸せになりたいって思う。
その恋が愛になるとね、ただその人の幸せを願えるようになる。自分よりも、相手が幸せになってくれたらいいなって感じるの。私の持論だけどね。
もしも再婚したいと思えるほど素敵な人なら、一緒にいて幸せだと思える人に出会えたのなら、私はそれを祝福します。
本当は、病気にならずに洋ちゃんの隣で菜々の成長を見守りたかった。メイクを教えてあげたり、彼氏の惚気を聞いたり、初めてのお酒を一緒に飲んだり、結婚の報告を聞いたり、やりたかったことは数え切れないほどある。
だけど、もうそれは私にはできそうにないから。洋ちゃんに託します。だからこそ、幸せでいてもらわなくちゃ。
洋ちゃんと菜々のことが大好きで、愛しているからこそ、私がいなくなっても幸せでいてほしい。
伝わるかな? 伝わっているといいな。
お父さんと仲良くね。反抗期もあるだろうけど、ほどほどにしてあげてね。きっと泣いちゃうから。
色々書いたけど、お母さんの最後のわがままだと思って、頭の片隅に置いておいてくれたら嬉しいです。
最後に、お母さんは洋ちゃんと菜々と一緒にいられて幸せでした。
赤ちゃんを授かったとわかった日、性別が女の子だと知った日、めちゃくちゃ痛くて泣きながら産んだけど、しわくちゃのお猿さんみたいな世界一可愛い顔を見たら痛みなんて全部吹っ飛んじゃった日のことも、全部昨日のことのように覚えてる。
初めて菜々に「おかあさん」って呼ばれた時は嬉しくて泣いて、「おとうさん」じゃなかったって拗ねる洋ちゃんを慰めたりしたんだよ。
三人で水族館に行ったことも、菜々の運動会の大玉転がしで洋ちゃんがやらかしたことも、全部の思い出が宝物です。
ちゃんと勉強してほしいとか、周りに優しい人になってほしいとか、母親として言うべきことはあるんだろうけど。
とにかく、幸せになってほしい。
未練がひとつもない人生なんて難しいけど、できるだけ後悔しない道を選んで生きてほしい。
菜々が幸せに笑っていられること。それがお母さんの一番の願いです。
ずっと天国から見守ってる。そばにいてあげられない分、誰よりも菜々の幸せを祈ってるから。
菜々、大好きだよ。
お母さんより』
四枚の便箋に、懐かしい丸っこい文字で綴られたお母さんの想い。
涙が邪魔をして読めなくなるたびにぎゅっとまばたきをして、目を擦って、何度も中断しながら最後まで読んだ。
ベンチに座り、嗚咽しながら手紙を読む私の向かいで、お父さんは背中を向けて空を仰いでいる。その肩が少し震えているのは、見ないフリをした。
お父さんに遺した手紙にも、きっと再婚について書いたんだろう。もしかしたら、その手紙に背中を押されたのかもしれない。
お父さんと私への大きくて深い愛情がずっしりと詰まった手紙の最後の一枚は、文字が滲んでいて読みにくかった。
私たちの前や手紙の中で気丈に振る舞っていても、自分の命が尽きかけているのを知って、怖くないはずがない。未練がないはずがない。
「お母さん……っ」
握りしめた手紙が、くしゃ、と音を立てる。
病気になって一番辛かったはずのお母さんが、私やお父さんの将来を心配して、こうやって手紙を遺してくれていたなんて……。
私はベンチから立ち上がって、目元を乱暴に拭った。こんな風に泣くなんて、きっとお母さんは望んでいない。
「お母さん、手紙ありがとう。お母さんの最後のワガママ、ちゃんと受け取ったよ」
空を見上げて、笑顔を作った。
ずっと、お父さんの再婚を受け入れられなかった。お母さんが悲しむ気がして、家族の思い出が崩れてしまう気がして、それを裏切りだと思い込んでいた。
正直に言えば、お父さんの思いを聞いても、この手紙を読んでも、お父さんがお母さん以外を選んだのは少しだけ寂しく感じている。
でも、お父さんには幸せになってほしいし、お母さんもそれを望んでいるのなら、もう私に言えることはひとつしかない。
「私も、お父さんの再婚に賛成する。真央さん、とってもいい人だよ。綺麗で、おしゃれで、料理も上手で、お父さんにはもったいないくらいの人だよ」
「菜々……」
お父さんが私を振り返ったけれど、私は視線を空へ向けたまま、お母さんに語りかけた。
「私、今とっても幸せだよ。お母さんとのお別れが早すぎたのは悲しいけど、学校では友達に恵まれてるし、恋もしたよ。うまくいかなくてたくさん泣いたけど、後悔しないように、もっともっと幸せになれるように頑張る。だから……ずっと見ててね。私、お父さんとお母さんの娘に生まれて……本当に、よかった……っ」
泣かないように、笑顔で手紙の返事をしたいのに、次から次へと涙が溢れてくる。
耳に流れた涙を手のひらで拭いながら、目の前で私を見つめるお父さんに視線を向けた。
「昨日は、酷い態度をとってごめんなさい。今さらかもしれないけど、お父さん、結婚おめでとう」
「うん。ありがとう、菜々」
お父さんが嬉しそうに頷き、両腕を広げている。なんのポーズなのか分からず、私はその場で固まった。
「……え、なに?」
「なにって、ここはお父さんの胸に飛び込んでくるところでしょ」
さも当然のように待ち構えていて、私の涙は一気に引っ込んでいった。
「やだよ」
「なんで!」
「高校生にもなって、お父さんとハグなんてしないよ」
「……お父さんとしないのなら、誰とするの」
「誰とって……」
「やっぱり、あの佐々木楓くんというのは彼氏なの? いつから付き合ってるの? サラッと流そうとしてるけど、たくさん泣かされてるのならお父さんは反対です! そもそもまだ菜々に彼氏なんて」
「わー! もうストーップ!」
さっきまでお母さんの手紙に肩を震わせて泣いていた人とは思えないほど、あからさまに不満を顔に出し、口を尖らせて問い詰めてくる。私はお父さんの方に両手を突っ張って制止した。
「それより、楓先輩は家に来たあと、どうしたの?」
「学校に行きなさいって言ったよ。平日なんだから」
「自分は仕事サボったのに」
「こら、人のことは言えないでしょ」
「……すみません」
お父さんがポケットからスマホを取り出す。
「九時過ぎか。真央が心配してるだろうし、帰ろうか」
「うん」
「……佐々木くんには、菜々が落ち着いたら連絡させると伝えてある」
「えっ……?」
スマホをしまい、代わりに車のキーを出しながら、お父さんが不本意そうに言った。
「とにかく心配してたよ。もしかしたら、自分の不用意なひと言で菜々を追い詰めてしまったかもしれないと」
「そんなこと……」
「それから、なにか勘違いしてそうだとも言ってたよ」
「……勘違い?」
「僕には詳しくはわからないけど……彼氏なんてまだ早いとは思うけど! あれだけ菜々を心配してわざわざ家まで来てくれたんだ。……連絡くらいはしてあげなさい」
「うん」
私の返事を待たずにどんどん先を歩いていくお父さんの背中を追いかける。隣に並ぶと、自分の腕をお父さんの腕に絡めた。
「菜々……」
「今日だけだから」
照れくさくて、お父さんの顔を見られない。最後に手を繋いで歩いたのはいくつの時だろう。腕を組むなんて、運動会の二人三脚以外では初めてだ。
私はまっすぐ前を向いたままだったけど、こちらを見るお父さんが嬉しそうに笑っているのがわかった。