翌朝、朝早く目覚めた優李は身支度を整えると店を出た。稚魚院というのが気になる。流行っているという病を見過ごすことは出来ない。自分がいなくなれば津軽の身の回りの世話をするものがいなくなる。津軽のためにも、禿が生活しているという稚魚院の現状を知りたかった。
「私の力を使えば、どうにかなるかもしれない」
 優李は自分が持つ『ことほぎ』の力を使おうとしていた。祈ることで稚魚院の状況を変えられるかもしれない。
「優李」
 通りを小走りにかけていく優李を呼び止めたのは四つ尾だった。化粧を落としているが金魚特有の妖艶な雰囲気を纏っている。
「四つ尾さん」
「こんな時間に出かけるなんで女将さんのお使い?」
「いえ」
「じゃあちょっと散歩に付き合ってちょうだい」
「は、はい」
「そうだ、いいものをあげる」
 四つ尾は胸元から香り袋を取り出した。光沢のある白地の布袋からはユリの花のような甘い香りがする。
「いい匂いでしょう? 優李にあげる」
「いいんですか」
「もちろん、私の可愛い津軽の身の回りのお世話を頑張ってくれているお礼」
「ありがとうございます」
 優李はその袋を胸元にしまった。四つ尾につられて、優李は眠りについた芳原の町を歩く。夜の華やかさはすっかりと鳴りをひそめていた。
「静かでしょう?」
「え、はい。昨夜の喧騒が嘘のようです」
「夜には煌々と明かりがついて、昼間は死んだように眠る。これが芳原の町。あなたが暮らす世界とは全然別でしょう?」
 なんと答えたらよいのか困った。四つ尾からはどこか危なげな香りがする。
「私、気づいているのよ優李。あなた、この前は男のもの着物を着て置屋に来たわよね、朱雀と獏のいい男を連れて」
「それは……」
「別に怒っているわけじゃないわ。ただ、知りたいだけ、あなたは何をしに来たの?」
「ごめんなさい、私の口からは言えません」
「私に更紗姐さんの話を散々聞いたくせに」
 津軽の言葉が頭をよぎる。あの日、茜たちを筆頭に更紗のことを聞き出そうとした。四つ尾は心底嫌気がしていたことだろう。四つ尾の気持ちも考えずに悪いことをしてしまった。
「嫌な思いをさせてごめんなさい四つ尾さん」
「いいわ、おおむね踏鞴様のご子息が十年前に亡くなったことと、更紗姐さんの死に関係があるんじゃないかって思って調べに来たんでしょう」
 四つ尾がそう答えたので優李は黒い大きな瞳を丸くした。
「優李は嘘がつけないのね。教えてあげる、亡くなる前の更紗姐さんは少し頭がおかしくなっていたと思うの。なんだかぼんやりしていて、それから異常なほどにやせ細ってた。火事が起きたのは置屋の一つで、姐さんは物見やぐらからそこに身を投げた。みんな、姐さんのことを気味悪がって、誰もその死を悲しまなかった。私は、心が割けそうなくらいに悲しかったのに……」
 四つ尾は苦々しそうに顔をゆがめた。
「更紗姐さん、好きな人がいたのよ。だけど、亡くなる前は違うお客さんと会っていた。踏鞴家の御曹司と会っていたのよ。踏鞴様と懇意になった姐さんは、踏鞴様と折り合いの悪い瀧家の白波様と距離を置いた。そして姐さんは亡くなった。すべては、踏鞴家のせい。そして、瀧家の白波様は姐さんを裏切ろうとしている、許せない」
 四つ尾の放つ異様な空気に恐怖を覚えた優李は足を止めた。
 逃げなければ。
 そう思うのに思うように体が動かない。
「耐性があるのかしら、効果が出るまでに時間がかかったわ」
 目の前に立つ四つ尾の姿がぐるぐると回って見える。
「四つ尾さん……」
「いろいろしゃべってしまったけれど、だれにも伝えることが出来ないのだから大丈夫。残念ね優李、あなたの探偵ごっこはこれでおしまい、次はちゃんと遊郭の仕事に励んでちょうだい」
 優しく微笑んだ四つ尾は「そうだ」と優李の着物に手をかざした。
「ここに邪魔な使い魔が潜んでいるのよね。こんなに手の込んだことをして、あの朱雀かしら、それともいい男の獏かしら、ほかにいいひとがいるのかどうかわからないけれど、あなたを大事に思うそのひとは、これから悲しい思いをするのでしょうね」
 すっと、着物から蝶が離れているのが分かった。視界が暗くなる。
「ごめんね、優李」
 消えゆく意識の中、四つ尾の涼やかな声だけが残った。