優李が芳原に潜入すると聞いて、六花が嬉々として夢屋を訪れた。茜も一緒である。
「優李を着飾るとわかったものですから」
「六花、その時詠みの力はもっとまともなことに使え」
 六花には未来と過去を見る力がある。おぼろげなものだと六花は言うが、どこまで鮮明なものかわからない。優李の知る限り、六花の詠みはよく当たる。
「芳原に潜入するのでしょう? 太夫のように着飾りたいところですがあまり華美な格好は危ないかもしれませんねぇ」
 六花は残念そうにため息を吐いた。
「下働き用の簡素な着物を用意した。六花、優李の支度を整えてやってくれ」
「了解。優李、いらっしゃい」
「いつもすみません六花さん、自分でも着物は切られますし、簡単なかたちなら髪の毛もまとめられるのですが……」
 旅館で働いていた優李は着付けもできる。髪の毛もまとめ上げるくらいなら自分でできるが、六花は首を横に振った。
「私の楽しみを取らないでちょうだい」
 六花の手によって、優李の芳原への潜入の準備が整うった。ほんのりと化粧を施した優李を見た那沙は、そっぽを向いて眉をひそめた。
「なぜ優李が芳原の客などのために着飾らねばならない」
「那沙、おまえはなかなか面倒なやつだな。素直に可愛いと言えばいいだろう?」
「うるさい」
「とっても可愛いわ、客に手を出されないように気を付けないと! 私の使い魔に毒を持つ蛇がいますからつけましょうか」
「毒蛇などつれていたら目立つだろう。優李には俺の蝶をつける」
 那沙はそう言うと店の天井を漂っている蝶を呼び、優李の肩に止まらせた。蝶はそのまま着物に溶け込み、模様となる。
「優李、危険を感じたらすぐにその蝶に触れ、俺に助けを求めるんだ。どんな些細なことでも構わない」
「わかりました」
「私の那沙は和泉屋の近くで待機しつつ、こちらもそれらしい情報を集める。優李もどんな些細なものでもいい、噂の類でも構わないから情報を集めてきてくれ。だけど、誰にも理由を話さないでくれよ」
「はい、頑張ります!」
 優李がガッツポーズを見せると、那沙は優李の両肩に手をおいた。
「くれぐれも危ないことはするな。おまえの身の安全が第一だからな」
「はい」
 那沙の淡い瞳に見つめられて、優李は頬が熱くなるのを感じた。
 那沙は過保護だ。きっと、私のことを何も出来ない子供だと思ってる。私も那沙の役に立ちたい。
 優李は茜の用意した馬車に乗り、再び芳原を訪れた。
「半妖ね、そりゃ芳原くらいでしか仕事がないこともあるわよね。いいよ、旅費が貯まるまでうちで雇ってあげる」
 和泉屋の女将は気のいい人だった。西都を旅立つ旅費を稼ぐため、数日間だけ働きたいという優李を快く受け入れてくれた。任務のために仕方がないとはいえ、こうも親切だと嘘を吐くのが辛くなる。せめて精一杯働こうと優李は意気込んだ。
「優李の仕事は津軽の付き人だ。津軽、色々と面倒を見てやりな」
「はーい。新入りちゃんおいで」
 優李の手を引いてきたのはまだあどけない雰囲気の少女だった。髪を結い上げた朱色の髪の下にひらひらとした軽やかなヒレがあった。黒くて大きな瞳に快活そうな光を宿している。
「私津軽、新入りちゃんは優李っていうのよね、こういうところで働くのははじめて?」
 人懐っこい金魚である。稚魚院から和泉屋に配属の禿になり稽古を重ねて、先日振袖太夫になったばかりであった。
「旅館で働いていたことがあるのですが、こういうお店ははじめてです。色々とよろしくお願いいたします」
「畏まらないで、仲良くしよう。私たちはさ、ここでしか生きていけないからさ、すこしでも楽しく生活できるようにしたいんだよね。敬語もやめてほしいな。年齢、あんまり変わらないよね? 嬉しいなぁ、人手不足で禿がいなくって」
 津軽はそう言って人懐っこい笑顔を優李に向けた。
「うん、わかった。これから何をしたらいいのかな」
「お店が開き始めたから忙しくなるよ、そうなったら忙しくなるよ。あ、見て優李四つ尾姐さんの花魁道中だよ綺麗だねえ」
 津軽は二階の部屋の窓から通りを見降ろす。辺りには鮮やかな提灯に明かりが灯り、人々でにぎわい始めている。その大通りを、煌びやかな着物をまとった四つ尾がゆったりとした足取りで進んでいる。後ろには幾人も禿や芸妓が付き従っていた。
「いいなぁ、私も姐さんみたいな花魁道中ができるようになりたいな。私も前は姐さんの道中に付き添わせてもらってたんだよ」
「四つ尾さんは売れっ子なんだね」
 優李が尋ねると、津軽は大きくうなずいた。
「売れっ子も売れっ子。和泉屋の四つ尾といえば、一晩で山のような金貨を積まないと会えないって噂だよ」
「そんなに……すごい」
 昨日茜や那沙と一緒に四つ尾に会ったときは、いったいいくらくらいかかったのだろうと考えると目が回りそうになる。
「今夜は踏鞴様のところかなぁ」
「踏鞴様?」
 踏鞴という言葉を耳にした優李は思わず聞き返した。踏鞴というのは十年前に跡継ぎの息子が亡くなった一族だ。夜斗が話していた件の手がかりが手に入るかもしれない。
「うん。このまえ新しく踏鞴家の当主になられた(ほむら)様。とっても素敵なひとなのよ。私も姐さんの付き添いで一度だけあったことがあるんだけど、すごく格好いいし、とってもお優しいひとなの」
「焔様は四つ尾さんによく会いに来るの?」
「ううん、月に一度ってところかなぁ。踏鞴様の手掛ける事業はあんまりうまくいってないみたいなんだよね。やっぱり十年前のいざこざがあったからかなぁ」
「十年前のいざこざ?」
「優李は知らないのかな、十年前……」
 津軽が話し始めたところで下の階から女将の声がした。津軽が揚屋に呼ばれたらしい。
「やっば、行こう優李。初仕事頑張ろうね」
「うん」
 津軽に付き添って芳原の町を歩くと、那沙たちと一緒に来た時とは景色が変わって見えた。
「よう津軽、可愛い芸妓を連れてるじゃないか」
「うちの可愛い子に目をつけないでくださいよ、預かってる大事な見習いなんです。この子は金魚じゃないからお客は取りませんよ、御用の際は私を呼んでください。どうぞご贔屓に!」
「わかったわかった」
 津軽は行き交う客と軽口を交わしながら人混みを優雅に歩いていく。優李は津軽についていくだけで精いっぱいだった。
「夜になると人通りが多くなるでしょう、歩くのも一苦労なの」
「それを難なく歩いてすごいよ、津軽さん」
「津軽でいいよ、慣れっこだもの。私たち金魚はこの町でしか生きられないの」
「え……」
「金魚はね、この町で生まれて稚魚院で育つ。禿になる年になれば店に務めて姐さんたちについて芸を磨くの。この町で一時の夢を売り、老いて死んでいく。稚魚院ではね、お客のことを好きになってはいけませんって教えられるのね、だけどそんなのきっと無理なんだ。更紗姐さんも、四つ尾姐さんも、みんなお客に恋をしていたんだもの」
「更紗さんって、十年前に亡くなった太夫の!?」
「よく知ってるね、更紗姐さんくらい売れっ子になると外の人にも知られるのかな、すごいなぁ」
「津軽は更紗さんを知ってるの?」
「知ってるよ、でも私が禿として和泉屋に配属されてすぐに亡くなっちゃったから詳しくはないかな。あ、揚屋に着いたよ、優李、よろしくね!」
「う、うん! 頑張るね」