夕方、日が傾く頃、茜が大仰な着物を持って戻ってきた。茜ひとりではない、六花を伴っている。那沙は眉をひそめた。
「六花、おまえは暇なのか」
「茜が優李を着飾ると言うので手伝いに来たに決まっているではありませんか、お店は閉めました。こちらのほうが大事です。ほら優李、こちらにいらっしゃい」
 六花に店の奥に連れて行かれた優李は男物の着物に身を包んで戻ってきた。
「とっても素敵よ優李、男装も似合うわね」
「何から何まですみません、六花さん……」
「いいんですよ。那沙、くれぐれも優李に変な男が寄ってこないよう見張っているのですよ」
「そもそも俺は優李をあのような危ない場所に連れて行くつもりなどなかったのだ。俺が戻ってくるまでおまえが面倒を見てくれるとよいのだが」
 那沙がそう呟くと、六花は目を丸くした。
「あら、優李が男装してくれているというのに誰にも見せびらかさないつもりなのかしら。あぁ、那沙はいつもの女の子らしい優李のほうが好みよね」
「どちらにせよ見せびらかしたくない」
「いけませんね、独占欲の強すぎる男は嫌われますよ。さあ優李、楽しんでいらっしゃい。芳原には美味しいものも装飾品も溢れかえっていますから」
「そうだな、遊びに行くくらいのつもりで行くほうが怪しまれまい」
 盛大にため息を吐く那沙のことなど微塵も気にかけず、茜と六花はまるで観光にでも行くような調子だ。
「さあ行くぞ、優李おいで。馬車を用意してある」
「そんなものまで用意したのか」
「だって優李に朱雀南区まで歩かせるわけにいかないだろう。おまえが抱きかかえていけばいいが目立つことは避けたい。安心しろ、必要経費だ」
「経費の無駄遣いだ」
 那者の小言を受け流し、茜は優李の手を引いて店の外に出た。
 三人を乗せた馬車は大通りを南に進んでいく。住宅街を抜け、朱塗りの塀が見えてくると茜は馬車を止めた。
「降りるぞ、さあ優李、転ばないよう気をつけろ」
 那沙は茜が差し出す手を払うと、自分が先に降りて優李を手を引いた。
「六花の言うとおりだ」
「なにか文句があるのか」
「言いたいことはあるが文句はないね」
 那沙と茜は優李を伴って朱雀南京区側から芳原に入った。芳原の出入り口は南側に一カ所、東側に一カ所の二カ所しかない。町を取り囲むように水路があり、橋を渡って行くことになるが、そのどちらにも厳重な見張りが居り、金魚たちは逃げ出すことができない。そもそも、逃げ出すという考えはない。金魚たちはこの町の中でしか生きることが出来ないのだから。芳原の町を出ることは死を意味する。
「賑わっているなぁ」
「目星はついているのか?」
 まとわりついてくる客引きの声を無視しながら三人は通りを歩いた。客引きはあっさりと引いていくが、かわりに優李を声をかけようとする男が寄ってくる度に那沙は優李を抱き寄せ、睨みつける必要があった。茜は小声でささやいてくる。
「参ったな。優李は男装していても可愛いから」
 クスクスと楽しそうに笑う茜を那者がものすごい形相で睨んだ。
「怖い顔をするな。もちろん、目星はついている。置屋の和泉(いずみ)屋だ、そこに更紗という太夫がいた。踏鞴の息子は更紗に熱を上げていた、幾度の逢瀬を重ねていたと聞いている」
「いきなり見世に行ったとしても、太夫とは会えまい」
「更紗はもう死んでいる。踏鞴の息子が死んですぐにな」
「どうするつもりだ」
「大丈夫だ問題ない、手は打ってある」
 茜はにぃっと口角を持ち上げた。立ち並ぶ楼閣を抜け、二人は一軒の揚屋の前で立ち止まる。
「和泉屋の()()を呼んでくれ」
「これは、茜様、そちらは……」
「私の招待だ、もてなしてやってくれ」
「承りました、部屋に案内いたしますのでしばらくお待ちくださいませ」
 店の男が奥に引っ込むと、代わりに番頭が出てきて二人を二階の部屋に案内した。ほどなくして、酒や料理が運び込まれる。
「茜、これはどういうことだ」
 不機嫌そうに眉をひそめる那沙に、茜は得意げな顔で耳打ちした。
「前もって同僚と橋を渡しに来ていたのだ。初見で太夫に会えるはずもないだろう? 中の話は中のものに聞くのが手っ取り早い」
「ただ遊びに来ていただけではないか。俺はてっきり外で情報を集めるのだと思っていた」
「そんな回りくどいことはしない。朱雀ばかりでは警戒されていたところだったんだ、何も関係ないおまえたちがいてくれると助かる」
 芸者の注ぐ酒をぐっと飲み干し、茜はからからと愉快そうに笑う。那沙にも酒が注がれる。仕方なくお猪口を口に運んだ。
「お待たせいたしました、四つ尾でございます
茜は四つ尾と呼ばれた太夫が入ってくると、他の芸者を下げさせた。四つ尾は桜色の着物に、若草色の帯を結んでいた。耳の下に四枚の朱色のヒレがある。
「茜様、ようこそ、そちらの方々は――」
「私の友人の那沙と優李だ、那沙はかたい男だからこのような様相だが、気にせず話してやってくれ。優李はこういう店に来るのは初めてだ」
「来てくださって嬉しいです」
 にこり、と四つ尾は笑みを浮かべた。茜は四つ尾に寄り添うように体を寄せる。
「君に聞きたいことがあってきたんだよ、昔語りをしてくれるかい?」
「私のことを、ですか?」
 茜の言葉に、四つ尾はきょとんとした顔になった。わずかに目を泳がせてから、焦点を茜に戻すとにこりと頷いた。
「君が和泉屋に来た頃の話を聞かせてくれよ、そうだなぁ、十年か二十年くらい前のことだろう?」
 芳原の金魚は稚魚院と呼ばれる場所で育ち、ある程度の教育を受けてから各置屋に配属になる。四つ尾はちょうど十五年前に稚魚院を出て和泉屋に配属になった芸者だった。
「私は更紗という太夫の新造をしておりました。更紗姐さんは売れっ子でしたから忙しくて、私はよく粗相をしましたが、その度に庇ってくれるような優しい姐さんでしたから、私もなんとか仕事を続けられました。和泉屋は昔はもっともっと大きな店だったのです」
 つらつらと、ゆったりとした語り口で四つ尾は自分のことを語り、和泉屋のことを語った。話はゆらゆらといたるところを動き回り、やがて茜と那沙の求める話に及ぶ。
「私は更紗姐さんに憧れていました。姐さんのように綺麗になって、姐さんのように恋をしたいと思っていました」
「姐さんの恋? 更紗は恋をしていたというのかい? 金魚なのに」
 茜は煽るような言葉を紡いだが、四つ尾は気にした様子もなく答える。
「はい、私達芸者にも心というものがありますから、どうしてもお客様の好き嫌いがあります。表には決して出しませんが――中には恋をする芸者もいます。更紗姐さんは、お客様の一人に恋をしていました」
「へぇ、それは素敵だ。どんなあやかしだった?」
「どうか内緒にしてください」
 四つ尾は細く小さな人差し指を口元に当てた。茜は深く頷く。
「水龍の瀧一族の白波様」
 それは、那沙の店に夢玉を買いに来た水龍の名であった。
「姐さんは白波様に言われて踏鞴様の御子息にに毒を盛っていたのだと思います。踏鞴様の御子息が亡くなられた後、姐さんは証拠を消すように亡くなりました。きっと姐さんは愛する人のために命を捧げたのです」
 店を出た茜と那沙は無言のまま芳原を後にした。朱雀南京区側の朱色に塗られた大門を通り抜け、橋を渡ると、茜はふぅとため息を吐く。
「四つ尾の話を聞くに瀧が犯人の線が濃いな。そうなると、豊玉姫様との結婚も破談になるな。伊邪那美様になんと報告すべきか」
 茜の言葉に、那沙は何も答えない。四つ尾の話しに因ると、更紗は確かに踏鞴の息子とも懇意にしていたようなのだ。更紗に通うようになってから、踏鞴はみるみる衰弱していったらしい。当時、踏鞴と瀧は敵対関係にあったとする――四つ尾の言うように、更紗を通じて瀧が踏鞴を殺めた可能性は否定できない。
「更紗が生きていればなぁ」
 更紗はその後、楼閣で起こった火事の中に飛び込んで亡くなったらしいのだ。芳原では大きな事件になったらしいが、外には漏れないよう厳しく取り締まったのだろう。そもそも、郭の話を持ち出すのはご法度。
 踏鞴と更紗の関係も知っている者は少ない。
「待ってください。本当にあの水龍のお客様は更紗さんを利用したのでしょうか」
 優李が疑問を呈すると、那沙も頷いた。
「恐らく、四つ尾は俺たちに嘘をついていた。おまえ、四つ尾とはどのようにして出会った?」
 那沙に問われて、茜は迷うことなく答える。
「そりゃぁ四つ尾は更紗付きの新造だったんだからなぁ。更紗に一番詳しいのは四つ尾だろ?」
「そんなことは誰でも思いつく。おまえたち検非違使が四つ尾に接触したときには、四つ尾はすでに何者かに懐柔され、おまえたちに与えるべき誤った情報を吹き込まれていたのだ。だから私が駆り出される羽目になった」
 那沙は大きなため息を吐く。
「瀧は白である可能性が高い」
「なんだって! そりゃ朗報だ。となれば再度芳原に戻りたいが、私はもう警戒されてるってことだろうなぁ」
「それは間違いないだろうな」
 茜は思案するように難しい顔をしてからパチンと指を鳴らした。
「優李に潜入してもらおう」
「駄目だ。馬鹿を言うな」
「芳原の芸者は金魚しかいないが、下働きには他のあやかしもいる。和泉屋は下働きの容姿にもうるさいが優李なら問題ない。内側から探ってくれ」
「駄目だと言っているだろう! 話を聞け!」
「那沙、ことは一刻を争う。豊玉姫の婚儀まで時間がないのだ。はっきりとした情報を見つけなければ私だけでなくおまえもなんらかの罰を受けることになるかもしれない」
「構わない。優李をそんな場所に行かせるくらいなら多少の罰は受ける」
「そりゃずいぶんと大事にしてるなぁ。それなら駄目だな」
 茜はカラカラと軽快に笑ってから「次の手を考えるか」と、首をひねった。流れる沈黙を破ったのは優李だった。
「あの、那沙、私に行かせてください」
「駄目だおまえのような子供が行くような場所ではない」
 那沙の言葉は優李の心に爪を立てるようにかすめていく。
「和泉屋には私なんかよりもずっと幼い子供が働いていました。私がいてもおかしくないと思います。お役に立てるのなら、私は潜入します」
「駄目だ」
「那沙が私を大事にしてくれるように、私も那沙のことが大事なのです。那沙に罰が下るのをみすみす見逃したくはありません。それに私にはあの水龍のお客さんが更紗さんを利用して誰かを殺めるなんて思えないのです。あのひとは、とても寂しい顔をしていましたから、更紗さんのことを、大事に思っていたように感じました」
 優李の言葉に那沙は返す言葉を見つけられないようだった。どうにか否定しようと言葉を探しているが、那沙が何かを発する前に茜が優李の両手を掴んだ。
「ありがとう優李。君には危険が及ばないように細心の注意を払う。客の男には指一本触れさせないと約束する」
「茜!」
「那沙、優李は本気だ。君のために私の力になってくれようとしている。その決意を無下にするな。大事にするのと子供扱いするのは違うぞ那沙」
「そんなことを言って優李をいいように利用するな」
「利用などしていない。優李は優李の考えで協力を申し出てくれたんだ。もっと優李を信頼しろ」
「信頼はしている。だが……」
 那沙は顔をしかめたが、伊邪那美の依頼は白波の身の潔白を証明しろというものだろう。豊玉姫の夫として白波が相応しいのか見極める必要がある。確かに無下には出来ない。
「優李、頼まれてくれるか。使い魔を付ける、危険なことがあったらすぐに駆けつけられるようにしておく」
「ありがとうございます!」
 優李はぱっと花のように笑うとぐっと両の拳を握りしめた。
「私、頑張ります」
 意気込む優李を見て、那沙は何ともいえない表情をした。