雪がちらちらと舞い始めた。優李(ゆうり)は空から落ちてくる灰白の粉雪が辺りを白く染めていくのを見ながら、今夜はおでんでも作って温まろうかなと考える。
 両親を亡くし、親戚や町の人々から長く虐げられてきた優李が人の世で夢を集めていた獏の那沙(なしゃ)と出会い、あやかしの国へと逃れてきて早くも四ヶ月が経った。優李の母は金華猫というあやかし、父は人間である。表向きは那沙の婚約者として連れてきてもらったが、実のところ保護者と子供のような関係である。
 想いを寄せる那沙にはかつて伴侶がいたことやいつか新たな恋人が現れることを懸念している優李は、自分の中でどんどん大きくなっていく那沙への想いをどのように昇華していけばよいのか悩んでいた。
 ふと、窓の外に見知った男を見つける。あやかしの国の都である那沙の友人の一人でもある。鵺が店の扉を開け、中に入ってくると優李は笑顔で迎える。
「いらっしゃいませ、夜斗(やと)さん。今日は非番ですか?」
「半分仕事のような非番だ。店番か優李、精が出るな」
「那沙は夢の在庫を確認するため奥にいるんですよ、呼んできますね。椅子に掛けてお待ちください」
「頼む」
 獏のあやかしである那沙の仕事は人間の夢を売ることだ。あやかしは夢を見ることがない。一夜の幸せな夢を見るために、人の夢を食すのである。人の夢は高価なもの。容易に買える代物ではない。その品質を保つために、那沙は質の良い夢を求めて人の世に下る。優李が那沙と出会ったのも夢を集めている時のことだ。
「那沙、夜斗さんがいらっしゃいましたよ」
「今行く」
 那沙が表に顔を出すと、夜斗は要件を口にした。 
「那沙、新たな厄介事を持ってきた」
「持ってくるな、俺は忙しい」
「そう言うな。伊邪那美様の依頼だ」
 西都の王妃である。そうなれば聞かないわけにはいかない。応接用の椅子に腰かけている夜斗の向かいに座ると、優李がお茶を置く。
踏鞴(たたら)の跡継ぎが亡くなったことを覚えているか?」
 那沙は頷いた。踏鞴というのは西都の貴族である十二支の一つ、猪のあやかしの一族である。今から十年ほど前に踏鞴の跡継ぎが若くして亡くなり、盛大な葬儀が行われた。
「その死因について、調べてもらいたいのだ。近日中に朱雀の検非違使(けびいし)である茜が尋ねてくる、助けてやってくれ」
「茜か」
「嫌な顔をするな」
「朱雀は軟派なやつが多くて困る」
「一括りにするなよ。詳しい話は茜から聞け。じゃあ、俺は非番だから帰る、眠くてかなわん。優李、ご馳走様」
 言い終えると夜斗は湯呑の茶を飲みほした。優李が扉を開けると、大地をけって空高く飛び立っていく。
「忙しいやつだな」
「御所勤めはお忙しのですね」
「あいつは仕事ができるが要領が悪いのだ。片手間に何でも引き受けてくる、ある程度は断ることを覚えねばいつか体を壊すことになる」
「那沙は優しいんですね」
「なぜそうなる」
 那沙なりに夜斗のことを心配しているのだと優李にはわかっていた。那沙は奥から持ってきた紙袋の中身を勘定台の後ろに備え付けている棚に置いて行く。お香のような円錐状のその置物は、不思議な香りがした。棚には硝子瓶が規則正しく並べられており、その中には色とりどりの飴玉が入れられている。
 夢玉(ゆめだま)――人間の夢を抜き出したものだ。夢を見ることのない妖が、求める夢を見るために食す贅沢品。お香はその夢玉に付こうとする蟲を追い払うもののようだ。六花という玉藻前の営む店で売られている品である。
 ほどなくして扉が開いた。藍色に金糸の刺繍がしてある着物を身にまとった長身のあやかしが入ってくる。
 龍だ。西都に住む十四の貴族の一つ、十二支のうち辰のあやかしである。艶やかな縹色の髪の間から耳からはひれのようなものが伸び、目は青く、水面のようにゆらゆらと輝いて見えた。鱗の付いた指の間には、水かきのようなものが付いている。龍の一族の中でも位の高い水龍である。
「いらっしゃいませ、どうぞおかけください」
 神々しく、那沙と並んでも引けを取らないほどに美しいあやかしである。水龍の男はゆったりとした足取りで椅子に腰かけると口を開く。
「どのような夢をお求めですか」
「金魚の夢がみたい」
「金魚……」
「そうだ、金魚の夢を見たい。叶うだろうか?」
「探してみましょう、求める夢の内容をお話しいただけますか。言葉にするのがはばかれるようでしたら記憶を見せていただくことにしましょう」
「そうだな……」
 水龍は思案するような顔になってから、黙り込む。優李はその様子を不思議そうに眺めていた。金魚の夢とはどんなものかと思案してみるが、水槽の中を優雅に金魚くらいしか思い浮かばない。一度だけ地域のお祭りに両親と顔を出したことがある。大きな水槽の中で逃げ回る金魚を、子供たちが必死に追いかけまわしていた。小さく美しい金魚が優雅に泳ぐ姿をずっと眺めていていたいと思ったことがある。
 水龍は考えあぐねた末に口を開いた。
「覗いてもらえるか? 言葉にするのをはばかるわけではないが、どうにも難しいのだ」
「わかりました」
 那沙は答えると、水龍の額に右手をかざした。ぼうっと淡い光が現れ、那沙は水龍の記憶の中に入り込む。

 ぼやけた視界は次第に鮮明になり、左右に二階建ての楼が立ち並ぶ街並みが現れた。夜の町には明かりが煌々と灯り、赤、朱、藍、青、緑に黄、紫──強い色彩を放つ。格子の向こうから着飾った金魚たちが道行く男たちに愛想を振りまいている。
 ここは朱雀南京区と青龍東京区の間に位置する花町、芳原(よしわら)だろう。那沙も仕事で何度か足を踏み入れたことがある。働く芸者や遊女たちはすべてこの町で生まれ育った金魚というあやかしである。この町に生まれ、この町に骨を埋める。ただの一度たりとも、金魚たちがこの町から出ることはない。
 記憶の中で、那沙は水龍について歩く。水龍の容姿にはさほど変化がない。遠い過去の話ではなさそうだ。
 水龍は一軒の揚屋に入る。運ばれてきた酒にはほとんど手を付けず、他の芸者との会話もそこそこに待っていると、襖が開いて煌びやかに着飾った一人の金魚が入ってきた。艶やかな朱色の髪を結い上げ、真っ赤な着物に、金色の前帯を五角形に結んでいる。耳の下に魚のような赤いヒレが見える。肌は抜けるように白かった。
 三つ指を付き、深々と頭を下げる。
白波(しらは)様、ようこそおいでくださいました」
更紗(さらさ)
「お会いしたかった」
 水龍は更紗と呼んだ太夫と酒を飲み、談笑した水龍は夜が更ける前に帰っていく。なるほど、この金魚の夢が見たいというのだな――那沙は会得した。
 だが、記憶はそこでは終わらない。視界が揺れ、景色は再び芳原が映る。なにやら店先でもめているようである。わざわざ楼主の男まで出てきていた。
「太夫は会いたくないと申しております」
「更紗が、そんなことを言うはずがない。話をさせてくれ」
「更紗は今他のお客様の接待中なのです。申し訳ありません、お引き取りいただくか、新造をお付けしますので……」
「いや、いい。更紗に会えないのならば帰るまでだ、騒いで悪かったな」
「どうぞ今後もご贔屓に」
 楼主の男とわずかに言い合った後、景色は色を失い、那沙は水龍の記憶から抜け出した。
「更紗という太夫の夢を見たいと」
「そうだ。更紗とは懇意にしていたつもりだった。急に会わぬと言いだしたのがずっと気にかかっている。私が何か粗相をしたのかと考えたが、思い当たる節が無い」
「なるほど」 
「他に良い客が付いたのだろうと思った。だが、だからといって私に会わぬと言うのは些か不自然な気がしてな。一時は忘れようとしたのだが、どうにも心が落ち着かない。このままでは嫁を取ることもままならぬ。それで――」
「わかりました、少しこちらで夢を選ばせてください。十日ほどお時間をいただけますか」
「構わない。用意が出来たら連絡をくれ、また来る」
「承知しました」
 那沙が頷くと、水龍は立ち上がった。優李が慌てて扉を開けると、水龍は「ありがとう」と柔らかく笑みを見せた。その表情の中に寂しさを見た優李は、去っていく水龍の姿から目を離せずにいた。扉に付けられた鈴がシャランシャランと鳴る音が止まるのを待ってから、優李は那沙に尋ねる。
「金魚の夢はあるでしょうか」
 優李は棚に並ぶ夢玉を覗いてみた。
「優李、こちらでいう金魚とおまえの知る金魚は別物だ」
「え? あの、赤くて可愛い金魚のことでは……」
「西都で金魚といえば芸者や遊女のことだ。朱雀南区に芳原という場所がある。朱塗の門と塀で囲まれた区域だ。金魚は芳原で生まれ、育ち、そして死ぬ。そこから一歩たりとも外に出ることはない」
 那沙の言葉に優李はなんと答えたらよいのかわかずうつむいた。
「金魚とはそういうものだ。金魚たちもそれがわかっている。それが金魚の定めだ」
「定めですか……」
 優李の気持ちが沈んだことに気が付いたのだろう。金魚の話しはそこで終わりになる。那沙は棚に並べられた夢玉を見ながら考え込んでいるようだ。水龍の求める夢を探しているのだろう。
 すると、シャランシャランと来客を告げる鈴の音が鳴り響いた。今日は立て続けに来客がある。優李が小走りに駆け寄って出迎えると、ばさりとおおきな羽音を立てて、真っ赤に燃えるような髪のあやかしが入ってきた、瞳の色も橙色だ。その背には鳥のような立派な翼が生えていた。翼の色も赤橙色だった。
 赤い衣服を身にまとい、腰には長い剣が見えた。朱雀検非違使捜査一課に属する朱雀である。
「那沙」
「茜か。どうした、このような時間に」
「しらばくれるな、話は夜斗から聞いているだろう。捜査に協力してもらいたい。ん?」
 茜と呼ばれた朱雀は優李に目を向け、くすりと笑みをこぼした。
「こんにちはお嬢さん。君は半妖なのだろう、珍しいことだな。私は朱雀検非違使捜査一課の茜だ、何か困ったことがあったら相談しろ」
「優李といいます、よろしくお願いします」
「そう畏まるな」
 茜はそう言うと、にっと笑って見せる。笑うと幾分幼く見えた。優李、悪いが店を閉めてくれ。俺は茜と自宅の方で話をしている、なにかあったら呼べ」
「わかりました」

 那沙は店から扉一つでつながっている自宅の方へ茜を招き入れた。茶の用意をして、居間のちゃぶ台に二つの湯呑を並べる。
「悪いな、二月ほど前に伊邪那美様から朱雀検非違使の方に遣いが飛んできた。なんでも十年前に死んだ踏鞴の事件を内密に掘り起こせって言うんだ、奇妙だろう?」
「踏鞴一族はあの後大変だったようだな」
「それで、今更になって踏鞴は跡継ぎである息子が死んだのは(たき)一族の御曹司のせいだと言ってきているんだ」
「なにゆえ?」
「なんでも同じ太夫に惚れ込んでいたらしい。太夫は踏鞴の息子を選び、瀧の御曹司を捨てたってな。それで、瀧の御曹司が踏鞴の息子を殺したんじゃないかって言い出したんだよ」
「今更なぜそのような話になるのか……」
「瀧の御曹司が結婚するからだ。相手は皇女である綿津神(わたつみ)様のお子、豊玉姫(とよたまひめ)様。大出世だ」
「なるほど、それで踏鞴が縁談を破談にしようと必死になっているというわけか」
 話がつながってきた。瀧の御曹司とはほかでもない、先ほど店を訪れた水龍の白波である。
「踏鞴も災難だったのだ、気持ちがわからなくもない。跡継ぎを失った踏鞴一族は一時いさかいが絶えず、見かねた伊邪那岐様に爵位を落とされたからなぁ」
「だが、同じ芸者に通っていただけで犯人とはな、早計だ」
 那沙は湯呑の茶をすする。茜も同じように茶を飲んでから、「それがな」と話を続けた。
「あながちないとも言い切れない」
「本当に瀧の御曹司が踏鞴の息子を殺したって言うのか?」
「踏鞴と瀧はもともと同じ爵位の侯爵だ。事件の後、踏鞴は伯爵に爵位を落としている。一方今回の婚約で瀧一族は公爵に上がる可能性も高い。瀧が踏鞴を陥れた可能性も十分考えられる」
「俺はそうは思わない」
 那沙は、先ほど店に来た白波の様子を思い浮かべる。話に上がっている瀧の御曹司というのは、白波は豊玉姫との婚姻の前に、自分の気持ちに整理をつけるつもりだったのだろう。身の潔白を証明したいというような、後ろめたいものは感じられなかった。
 白波の記憶の中で、白波には失意こそあったものの、敵意のようなものは感じられなかった。純粋にあの太夫の気持ちを知りたいだけなのだろう。おそらく、それほど白波はあの金魚のことを大事に思っていた。答えがどうであれ、自分の気持ちにけじめをつけるつもりなのだ。
「では捜査に行くしかないな」
「あたりまえだろう」
「芳原へ行く」
「早く行け」
「何を言っている。私だけではない、那沙、おまえにも来てもらうぞ」
「嫌だ。それは検非違使の仕事だろう、さっさとひとりで行け」
「断れないぞ、伊邪那美様のご依頼だと言っただろう? 私一人では怪しまれる。なんなら優李も連れて行ってもいいが……」
「駄目だ、論外だ、ありえん」
「いや、優李がいた方が都合がいいかもしれない。可愛い女を連れていた方が余計な声がかからなくていい。そうと決まれば夕刻に迎えに来る。準備をしておけ、花町に繰り出そうじゃないか」
「茜、俺の話を聞け」
「伊邪那美様から私に協力するよう頼まれていただろう? 一緒に来てもらうぞ、私だけでは不自然なんだ、検非違使だと身元が割れているしな。おまえがいれば友人と羽を伸ばしに来たと言い訳がたつ。優李をひとり残しておくのも不安だろう? 安心しろ、綺麗な着物を用意してやる」
 楽しそうな茜を忌々しそうに睨んだ那沙は渋々承諾した。