紗南は必要最低限の荷物を持ったまま駅へ向かった。
スマホのホームボタンを押して時刻を確認すると。

ーー18時45分。
セイは既に出国してしまっている可能性がある。
頼れる情報がないから不安が雪崩のように押し寄せてくる。


手荷物は定期と財布の入った紺色の学生鞄。
羽織っているピンクのトレンチコートとの相性は最悪。
でも、見た目なんてどうでも良い。
出国前に間に合えばそれだけで充分。


昨日は彼から運命の赤い糸を引っ張ってもらうまで待つように言われたけど、やっぱり何もしないまま2年間なんて待てない。

吸い込まれるように流れていく街中の景色。
ハァハァとリズミカルに乱れる呼吸。
壊れそうなくらい荒れ狂う鼓動。
そして、出国まで間に合うかどうかわからない不安。


最寄駅の改札口で焦るあまりに落とした定期を蹴って転がして、改札を過ぎた辺りで人にぶつかって頭を下げた。
空港までの電車乗り換えを間違えないようにスマホでルートを確認。
電車内の窓ガラスには泣き出しそうな表情が映し出されている。

我慢を重ねた代償に押し固められた紗南は、ひたすら間に合うように祈りながら空港へ向かった。


ーー19時38分。
ここは、毎日多くの国内外の便が空を飛び交う国際空港。
セイは出国手続きを終えて荷物をチェックインカウンターに預けると、見送りに来ている冴木と共に国際線の出発口へ向かった。

夜便にも拘らず数百人ほどのファンが見送りに。
まるで通夜のような暗い雰囲気の中、別れを惜しみ最後の姿をしっかりと目に焼き付けている。

場内アナウンスに包まれながら、ジュンと肩を並べて出発口に向かうセイ。
時たま小さな期待を寄せて軽く辺りを見回すが、当然紗南の姿は見当たらない。



「来る訳ない……か」



淡い期待は砕け散って深くため息をつく。
すると、セイの心情が伝わったジュンは、無言で肩をポンと叩いた。

国際便の出発口手前に到着すると、冴木は足を止めて後方に歩く2人へ振り返る。



「2年間という時間は長いようでとても短い。アメリカでより多くの技術を学んできなさい。それと、時差があるから体調を崩さないようにね」

「冴木さん。留学の手続きから準備。何から何までありがとう」

「到着したら必ず連絡します」


「えぇ。時差があるから連絡はメールでいいわよ。じゃあ、気をつけてね」

「はい。行ってきます」


「……それと、セイ」

「はい」


「色々と迷惑をかけてごめんなさい」



冴木は気が咎めたように頭を下げた。
勿論、紗南との仲を引き裂いた件について謝ったつもりだった。
謝罪内容に触れなかったのは、空港まで見送りに来てくれたファンを気遣ってこそ。

しかし、セイには気持ちがちゃんと伝わっている。
だから頭を2回を頷かせてファンに軽く手を振って出発口へ消えて行った。


一方、空港に到着した紗南はアメリカ行きの全ての便を事前に調べ上げて、一番フライト時間の近いターミナルのロビーを目指した。



「……っはぁっ……はぁっ」



声が漏れるほど大きく息を切らす。
そして、遠目から正面にある電光掲示板を見て目的の便を確認。

20:30 ロサンゼルス

搭乗便はこれで合っているかわからない。
でも、国際線の出発口付近には若い女子の人集りが出来ている。
もしかして、間に合ったのかな。

セイに会える可能性は、会えないと思っていた不安を打ち消した。
そして、一筋の光に望みを託して人集りの方へと駆け寄って行く。


心臓がバクバクと波打ってるのは、電車から飛び出した瞬間から全力疾走した事が原因なのか。
それとも、彼に会える喜びから来てるのだろうか。
理由はわからないけど、胸に手を当て高まる気持ちを抑え込む。



「……っはぁっ……はぁ」



紗南は足をもつれさせながらも出発口へ。

そこに彼が居る。
そう思うだけで身体中の全神経に稲妻が走ったかのように後退していた気持ちを前向きにさせた。


ところが……。
人々の隙間から彼の姿を捉える事は出来たけど、彼の背中はちょうど出発口の奥へと消えて行った。

ーーそう、あと一歩が間に合わなかった。

1分でも早く空港に到着していれば、きっと間に合っていた。
最後に顔くらいは見る事が出来た。
それなのに、少しばかしタイミングがずれてしまったせいで、会えるどころか壁の向こうへと消えていく背中しか目で追う事が出来なかった。



「うそ……」



紗南は扉の奥に消えていく背中を見届けると、全身の力が一気に抜けて地べたに崩れ落ちた。


もう、何もかも手遅れだった。
彼は私の方へ振り向かないどころか、きっと此処へ来ている事さえ知らない。

悔し涙で歪んでいく視界。
強く噛みしめた唇。
太ももから伝わる冷たい地面の感触。
そして、不完全燃焼な気持ち。

運命のいたずらは、最後の最後まで私を見放した。


紗南は両手を床について身体を震わせながら涙を流した。



「ごめっ……ん……なさい。セイくっ……。最後まで傷つけて……ごめんなさい」



声にならないほどの嗚咽。
床にポタポタと大粒の涙が滴っていく。


セイくん……。
傷付けてごめんね。
素直になれなくてごめんね。
嘘をついてごめんね。
好きだと言えなくてごめんね。
謝る事は沢山あったのに、力になれる事は1つもなかったよ。


ーー空港に到着してから1時間が経過。
彼が搭乗しているロサンゼルス行きの便は、暗い夜空の中へ吸い込まれて行った。

紗南はロビーの椅子に腰をかけたまま。
この場所から動く事が出来なくなった。

空港に居ると、まだ彼に会えるような気がしてならないのは何故だろうか。
彼が搭乗した飛行機は、もうとっくにアメリカに向かってしまったのに。


私、バカだ。
セイくんは国民的アイドルだから、こんなに多くのファンに見守られながら出国するなんて少し考えればわかるのに。
ファンを差し置いて、私だけがセイくんに好きだと伝えたいだなんて図々しすぎる。
結局、搭乗前に間に合っても間に合わなくても同じ結果が残されていた。

紗南はこれからセイが日本にいない生活が始まると思ったら、猛烈な寂しさに襲われて膝に置いた握り拳にポタポタと熱い涙が降り注いだ。


ーーこうして、私達は新たな未来に向かって、それぞれ別の道を歩み始めた。

将来の為に新しい自分に生まれ変わろうとしてアメリカで学ぶ彼と、嘘をついて後悔の念に苛まれている私は、まだ先の見えない二度目の奇跡に期待をしていた。