ーー場所は、都内の一等地にある大手出版社内の10ほどある地下一室の撮影スタジオ。
右壁に設置されたCスタジオと印字されているプレートの下には撮影中の雑誌名がマジックで表記されている。

ピピピッ…… カシャッ……

撮影準備で背景を試し撮りしているカメラのシャッター音がスタジオ内に鳴り響く。
開きっぱなしの控え室の扉からフラッシュの光が差し込んでくる。
雑誌の撮影待ちをしているKGKは、スタジオに隣接されている楽屋で事前に用意された衣装に着替え終えて、肘つきの回転椅子に座っていた。

スマホ操作しているセイの隣でファッション雑誌を手に持つジュンは、気だるそうな様子で問いかけた。



「なぁー、セイ」

「何?」


「最近、紗南って子に入れ込んでるみたいだけど、何処がいいの? 一般人なんでしょ」



降るか降らないかもわからない大雪の日の紗南との再会を目指し、仕事をセーブし始めていた秋頃。
先に仕事をセーブする理由を聞いていたジュンは、セイの恋の行方が気になっていた。



「幼馴染だったせいか、一緒にいると落ち着くんだ。思い出を大切にしてくれていて、守ってやりたくなるくらい純粋で天使みたいで……」

「一緒にいると落ち着くって。……プッ、老夫婦かよ」



ジュンは小馬鹿にして苦笑し、持っている雑誌を鏡台に投げ捨てて、後頭部に両手を組んで椅子に背中をもたらせて身体を大きくのけぞらせた。


本当は、紗南との思い出をジュンに全て伝えきれないほど長い長い恋路だった。

俺は3歳の頃から声楽教室に通っていた。
人一倍負けず嫌いで、隙があれば所構わず歌の練習を行なうほど幼い頃から歌手になる日を夢見ていた。
歌唱力がずば抜けてると褒めちぎられても、最終的に自分が良しとしなければ満足しない。

つまり、完璧主義者。
大人からすると非常に扱い辛くて厄介な子供だっただろう。

しかし、小学1年生の頃。
紗南との運命の出会いが、歌一色だった俺の心を揺れ動かした。



『どうすれば皆川くんみたいに上手に抑揚がつけられるようになるの?』



これが、紗南から声楽教室の帰り際に呼び止められて、初めての質問だった。
長年歌を続けていた側からすると大した質問内容ではない。



『歌は演劇のお芝居みたいに気持ちを込めるんだ。歌詞を目で追うだけじゃなくて、自分が物語の主人公になった気持ちで、ステージの向こうにいるお客さんに楽しんでもらうんだ。そうしているうちに、自然と自分らしさが強弱のついた声として出てくる。それが、抑揚』

『うわぁ、凄い。……だから、皆川くんの歌を聴いてると涙が出てくるんだね』



目をキラキラさせてにっこり微笑んだ紗南は天使のように見えた。

紗南とは初めて会話を交わしたあの日を境に親友のような関係になった。
時間があれば隣に座って喋り。
歌を歌い終えるとお互いにっこり微笑む。

そんな平和でたわいもない日常を過ごしているうちに、紗南の存在が徐々に色濃くなっていった。


彼女は迎えが来るまで声楽教室の受付の前の椅子に座り、譜面を持って1人で歌の練習をしていた。
声に強弱や音のバランスを整えて発声練習をしたり、不器用ながらも頑張り屋なタイプ。

でも、1つだけ欠点がある。
それは、少しでも失敗すると泣いてしまう事。
きっと悔しさが感情を押し出していたのだろう。


ーーそんなある日。
彼女は歌のテストで凡ミスをしてしまった。
ふらりと椅子に座って俯くと、ギュッと力のこもった小さな2つの握り拳に大粒の涙の雨が降り注いだ。

その日は特に土砂降りだった。
声を押し殺して泣き崩れる姿を見た瞬間、胸が痛くなった。
その時、普段から持ち歩いている星型の飴の存在を思い出してカバンから取り出し、彼女の手の中に握らせた。



『いつか、必ず歌が上手になる日が来るから、自分を信じて絶対に諦めないで。これは、歌が上手くなる特別な飴だよ』



彼女は飴を受け取り口に含むと、いつもの笑顔に。
俺はいつしか彼女の笑顔に勇気付けられている事に気付かされた。

《好き》という感情が芽生えていた事に気付いたのは、ちょうどこの頃だったかもしれない。


ところが、ある日。
紗南は家業の病院を継ぐ事が決まり、声楽教室は辞める事に。
彼女の口から教室を辞めると聞いた時は、言葉にならないほどショックだった。

歌が誰よりも好きだった紗南。
これからも隣で一緒に歌い続けていてくれると思っていたのに…⋯⋯。
レッスンがある日に会えた奇跡は、会えない悲しみと引き換えになった。

だから、レッスン最終日の大雪だったあの日に再会の約束をした。



『足首が浸かるくらい大雪が降ったら、俺達はまた会おう』



今まで恥ずかしくて好きだという気持ちを伝えられなかった。
彼女が声楽教室を辞めたからといって、2人の関係をこれで終わりにしたくないというのが正直な気持ち。
再会の約束は、彼女を諦めきれない自分の最後の手綱に過ぎない。

それが、まさか6年経った今でもしっかり覚えてくれてたなんて……。


歌が上手に歌えなかった時に渡した星型の飴。
声楽教室の先生が作詞作曲して2人でよく歌った思い出の曲《For you》。
それに、大雪の日に再会の約束をした思い出は、自分1人だけが胸の中に大切にしまっていたと思っていたから。

だから、保健室のカーテン越しで再会した彼女が、俺との思い出を大切にしてくれていたと知った瞬間は幸せな気持ちになった。


楽屋でジュンに気持ちが逆撫でされると、持っているスマホを鏡台の上に叩きつけて不機嫌な気持ちを露わにした。



「あいつは昔から心の拠り所だから。今は保健室でしか会えないけど、俺には誰にも邪魔されない最高の空間なの」

「はぁ⋯⋯、お前の気持ちが理解出来ないわ。そんなプラトニックな現状満足してんの?」


「……いや、してないけど」

「じゃあ、これからどうやって恋愛していくつもり? 卒業したら彼女とどうやって会うの? 熱愛がスクープされたら?」


「それは⋯⋯⋯。ただ、一度別れを経験した時に一生分の後悔をしたから、次に会った時はもう二度と手放さないって心に誓ったんだ」



再会の約束をしたばかりのあの時は、まさかこんなに長い年月が犠牲になるとは思わなかった。
紗南の笑顔が見れなくなるのがこんなに辛かったなんて……。
だから、次に会えたらもう二度と後悔しないような恋愛をしていこうと決めていた。



「ふぅん……。でも、俺は一般人と付き合うなんて反対」

「どうして?」


「だって、いつ暴走するかわかんないし、恋愛絶頂期はいいけど、別れたらスキャンダルとしてマスコミにタレ込むかもよ? 多額の金銭目的でさ」



紗南の事などかじる程度しか知らないジュンは、セイを心配するあまり厳しい現実を突きつけた。



「バーカ。あいつはお前が思い込んでるような悪い人じゃない」

「だからお前は手の内が甘いんだよ。ある事ない事言い広げて、お前が知らないうちに偽記事が完成しちゃうかもよ。一般人の女ってのはな、過去にお前が付き合ってきた節度をわきまえられる女性芸能人とは違う」


「はぁっ? お前……、紗南は節度をわきまえられないって言ってんの?」

「そこまで言ってないし。後でマスコミの餌食になっても知らねぇからな」



ジュンは吐き捨てるようにそう言い、不機嫌な足取りで楽屋を後にした。


ジュンはいまKGKとして活動が順調なだけに、セイがスキャンダル騒動を起こしたら、自分まで飛び火を食らってしまうと思っていた。

しかし、それ以上に5年という長い歳月と共に仲間として深い友情を抱いているせいか、最終的にセイがこの恋愛で深く傷付いてしまわないかをとても心配している。


一方、1枚挟んで話を聞いていた冴木は、セイの本気度に頭を抱えていた。
最初のうちは楽屋でコソコソ話をする程度だったが、次第に慣れが油断を招いて人影がなくなったと同時に話をするように。

冴木はセイの口から紗南の名前を何度か耳にしているうちに、紗南への警戒心が増していた。